最悪の朝
ーー翌朝。
セラは、頭痛で目を覚ました。
正確にはーー頭痛と、眩しすぎる朝日と、それから……何かが腰に乗っているような妙な重さで目を覚ました。
「……ん……」
重い瞼を開くと、見慣れない天蓋が見えた。
深い青の布地に、銀糸で蔦草の文様が縫い取られていた。
その向こうには高い窓があり、昨夜の月明かりではなく、すでに淡い朝の光が厚いカーテンの隙間から差し込んでいる。
明らかに、自分の寝室ではない。
(……ここは……どこ?)
ぼんやりした頭で考える。
まだ酒が残っているのか、頭の奥が鈍く痛む。
身体も妙に重い。
セラはもう一度目を閉じた。
昨夜は色々あった。
エドワードが婚約して、グレンと酒を飲んで話をして、それから――。
「…………」
記憶がその先へ行くことを、脳が全力で拒絶した。
セラはゆっくり目を開ける。
そしてーー自分の腰に回されているものを見た。
立派な男の腕だった。
「……」
見なかったことにして、もう一度、目を閉じる。
(きっと……これは夢よ)
数秒めを閉じて、再び目を開けたが、夢ではなかったようだ。
「…………嘘でしょ」
すぐ隣に、グレンが眠っていた。
「…………」
声が出なかった。
普段は皮肉を言うために細められている灰青色の瞳は閉じられ、乱れた黒髪が額へ落ちている。
いつもなら憎たらしいほど隙のない男が、眠っている時だけは妙に年相応に見えた……などと観察している場合ではない。
問題は、そのグレンの腕が自分の腰を抱くように回されていることと、布団の下で肌に触れるものが、寝衣どころか何一つないことだった。
そして、昨夜の記憶が、堰を切ったように戻ってきた。
ーー暖炉。
ーー酒。
ーーグレンの手。
ーー近すぎた灰青色の瞳。
ーー触れた唇。
扉の前で一度だけ、グレンが立ち止まって、こう言った。
『セラ』
『……何?』
『今なら戻れるぞ』
珍しく、ひどく真面目な声だった。
酔っていても、その意味くらいはわかった。
だからーーセラは自分で彼の手を取った。
『……今夜だけ』
そう言った。
グレンはしばらく何も言わなかった。
そして、『ああ。今夜だけだ』と答えた。
――今夜だけ。
自分で言った。
確かに……言った。
二度目の口づけの後、グレンに力強く抱き寄せられてーー。
(いやぁぁぁあ!!!)
セラは声にならない叫びを心の中であげた。
***
「……死にたい」
小さく呟いた。
「朝から物騒だな」
真横から聞き覚えのある声がした。
セラは勢いよく振り返った。
「――っ!!」
すぐ隣で、グレンが目を開けていた。
黒い髪は珍しく乱れている。
いつもならきっちり整えられている前髪が額へ落ちていてーー寝起きだからか、普段より随分幼く見えた。
「起きてたの!?」
「今起きた」
「もう一回寝なさい!」
「なぜ」
「できれば一生!」
「それは死ねという意味か?」
「察しがいいわね!」
グレンが顔をしかめながら起き上がる。
そこで、二人とも固まった。
毛布が少しずれたからだ。
「……」
「……」
セラは無言で、毛布を自分の首元まで引き上げた。
ついでにグレン側からも奪い取る。
「おい!」
「見ないで!」
「何をだよ!もう昨夜全部ーー」
「ーー言ったら殺す!」
セラは枕を掴んで、そのまま思いきり投げる。
「ぐっ」
見事にグレンの顔面へ命中した。
「何するんだ!落ち着けよ」
グレンが視線を向ける。
「……忘れましょう」
「何を?」
「昨夜のこと全部よ!というか、わざと聞かないで……」
「確認しただけだろ」
「私たちは酔っていたし、失恋したばかりで……どうかしていたのよ。正常な判断ができる状態じゃなかった。だから……」
言葉が止まった。
その先を口にすると、本当にすべて終わってしまう気がした。
でもーー他に何と言えばいいのかわからない。
「ただの過ちだったのよ」
グレンはすぐには答えなかった。
長く感じる沈黙だった。
「……同情したんだろ」
セラが顔を上げる。
「同情?」
「同じだったから」
グレンは淡々と言った。
「お前も俺も、好きな相手に選ばれなかった」
「……同情」
セラがぽつりと口にする。
「そうだ。お互い同情しただけだ」
グレンが言った。
それなら説明がつく。
同じ傷を持った相手が、たまたま隣にいただけのこと。
「……そっか」
セラは少しだけ安心した。
同時に、なぜか、少しだけ寂しかった。




