10話
私の会社は、ボスによって乗っ取られた。多額の借金を背負った私に、ボスはある提案をしてきた。
――私がボスの駒になること。
もちろん嫌だった。会社を乗っ取った張本人の下につくなんて。だけど、報酬が出ると言われ、渋々提案を飲んだ。
乗っ取られた会社の部下たちの生活費を工面するために。私が不甲斐ないばかりに、路頭に迷わせるわけにはいかない。
だけど、殴り合いの喧嘩すらしたことのない人間が、警察や自衛隊と渡り合うことなんてできるわけがなかった。戦闘訓練をして、ボロボロになる毎日。強力すぎる魔法をろくに扱えず、すぐに倒れてしまう。
そんな私に、ボスは、
「人体実験を受けろ。成功すれば、魔法の副作用にも耐えられるようになり、常人離れした筋力を得られる」
「失敗したら?」
ボスは嘲笑うように言う。
「聞いてどうする? もともと、お前は駒だ。私の思い通りに動くしかないだろ?」
反吐が出そうになるほどの不快感。だけど、私には反抗するほどの力も精神も残されていない。何となく分かる。失敗したら、死ぬのだろう。このまま戦闘訓練を続けていれば、私の体は限界を迎える。だったら、一か八か人体実験を受けるほうが、得策かもしれない。
私は固唾を飲み、提案を受け入れた。
人体実験に成功した私は、見違えるほどに強くなった。組織の中で私に勝る人間はいないと言ってもいいほどに。
ボスは私に仕事を振るようになった。言われた通り、世界各地から魔素を持つ人間を拉致し、組織に運ぶ。噂では、その人間は魔素が抜き取られるのだとか。詳細は知らされていないが、罪悪感が体を蝕んでいくのを感じた。
そんなある時、私の部下だった鈴桃が組織に入ってきた。最初はこんな所に来るなって、怒鳴りつけた。でも、鈴桃は、
「しゃちょーが私たちのために苦しんでるのに、部下の私が何にもしないなんておかしいですよ!」
と言って聞かなかった。こんなことを部下に、よりにもよって鈴桃にはやらせたくない。成人しているのに、青臭さが抜けない鈴桃には。突き放そうと思ったけど、ボスが見逃すはずがなかった。
鈴桃を殺さず、人体実験もしない代わりに、私にもう一度人体実験を受けろと要求してきた。
正常な思考ができるようになって、ようやく恐怖という感情が湧くようになった。体がどのように変化するのか、死んでしまうのか。死ぬならどんな風に?
死にたくない。だけど、私のために来てくれた鈴桃を見捨てる訳にもいかない。もしかしたら、体が人体実験に慣れている可能性がある。
そんな薄い望みに賭けて、私は人体実験を受けた。魔法を連発できるようになったが、使いすぎると、言葉通り身が滅んでしまうようになった。
組織から抜け出すために、起業したり投資をしようと思ったが、そんなことボスが許すはずがない。胸の中で岩が転がったような疲労感が押し寄せた。
ターゲットと任務を妨害してきた奴には悪いが、次の任務は失敗できない。この身が滅んでも。そのためにも、まずは回復に専念しよう。
†
傷も癒えてきて、退院の日がやってきた。まだ、包帯を巻かないといけないが、日常生活には支障は出ない。久しぶりの外の空気は、体の中が換気されるような新鮮さを与えてくれた。
「外っていいね」
何気なく言った言葉に、風花は感慨深そうな表情を浮かべる。辛そうにも、懐かしそうにも見えた。
「そうだね。私も外に出るのは好きだな」
風花は胸ポケットを探り、試験管を三本取り出した。試験管に入っている血が波を立てながら、こちらに寄ってくる。
「どうしても副作用は消えなかった」
喉が締め付けられたような声。
「暴走の危険性はある。だけど、どうしても君には生きていてほしい。虹彩と共に。飲むか飲まないかは、君に任せる。無責任なことを言っている自覚はあるが、受け取ってほしい」
どうしてここまで、私を生きさせようとするんだろう。初めて会ったときから、今に至るまでずっと、私が生きるために行動してる。これをただの善意で片付けるのは、非論理的だろう。それに、風花に対しても失礼だ。
あの時に聞けなかったこと。今は、自然に口から溢れた。
「なんで、私たちのためにそこまでしてくれるの?」
数秒の沈黙の後。
「それを聞いてどうするんだい? 君のやることは変わらないだろう」
私に顔を見せず、素っ気ない言葉を放った。足早にアパートに帰ろうとする風花を追いかけ、手首を掴む。
「教えて、風花」
手首を掴まれた風花は、しばし立ち止まる。風花は固唾を呑み、小さく肩を震わせる。その沈黙の中に、何が含まれていたのだろう。
手首を掴む力が強くなってしまった。風花は、意を決したように振り向く。その顔は、眉尻が垂れ下がっていて、口角も下がっている。
「友達だから、では駄目かい?」
違う。私が聞きたいのは、もっと根本的なこと。それに、初めて助けてくれた時は、初対面だった。風花の表情を見ると、喉がつっかえてしまう。だけど、聞きたい。
「駄目かな。ごめんね」
分かりやすく肩を落とす。依然、体はこっちを向いているものの、視線が外れる。どこか既視感のある、物悲しげな表情。
「君が心配だから……好きだから。それだけだよ」
好き、私のことが? 頭の中が疑問符で埋め尽くされていく。初めて会った時から好きだったのか。もしかして、私が忘れてるだけで、もっと前から会ったことがあるのかもしれない。
どうにか、風花から聞き出そうと口を開きかける。しかし、それはできなかった。風花の、麻酔を打たれたように弛緩した表情を見てしまったから。
その表情のまま、そっと私の手を掴み手首から離す。
「ごめんね。来夏」
ゆっくりと歩き出した。なのに、その背中は既に遠く見える。
ごめんね、その言葉が胸に張り付いて離れない。妙に子供っぽくて聞き馴染みのある声色。
少しずつ彼女の謎に近づいているはずなのに、遠ざかっていく気がして止まない。
私は、虹彩のいる警察署へと歩き出した。




