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ep.71 クロッカスと家族

 


「ちょっと水槽の中失礼〜」


 男は高く跳躍し水槽の中に入って来た。

 驚くクロッカスを前に腕を組んで天井を見上げると、彼はニッコリと笑った。


「怪我しないようにちょっとそこの岩陰に隠れててもらっていい?」


 クロッカスは言われるがまま水槽内にある岩のオブジェの後ろに移動すると、男は水槽を蹴り壊した。

 そして天井にぶら下がるホースに飛び移り、それを固定する金具を破壊して給水口を火の方へ向け調節すると、少し離れた所にあった給水用のバルブにワイヤーを引っかけ勢いよく引っ張った。


 給水口から水が大量に流れ始めると、男は火がそれ以上進入して来ない事を確認し、笑みを浮かべながらクロッカスの前に降りて来た。


「もう大丈夫だよ。怖かったね」


 男はクロッカスの側に寄ると頭を優しくぽんぽんと叩いた。


 クロッカスの知っている人間の手は、

 強くて触れられると痛い。

 笑顔は下品で怖い。


 しかし、自分に触れる男の手は優しく、笑顔は暖かかった。



「さて、情報も得たことだし、そろそろ行かないと……じゃあね」


 兵士達の声がうっすらと聞こえてくると、奴隷達は喜びに声を上げた。

 そんな喜びの声が響く中、クロッカスは去ろうとする男の服を慌てて掴んだ。


「ま、待って……!」

「あらら、どうしたの?」

「一緒に、ワタクシ、連れて行く、ください!」

「へ⁉︎いや……うーん…………このまま待ってれば国に保護してもらえると思うんだけど……」

「あなた、ワタクシ、気に入らない、取引、やめる…………しかし、ワタクシ、あなた、引き取り、希望……!」


 商人の会話を聞いて言葉を覚えたが、実際に使うのはこれが初めてだった。

 うまく言葉にできずもどかしさを感じながらクロッカスは必死に男に懇願した。


 生まれて初めて嫌悪のない目で見てもらえた。

 生まれて初めて純粋な笑顔を向けてもらえた。

 生まれて初めて頭を撫でてもらった。


 彼のくれる笑顔や温もりを手放したくない。


「あなた、光……神様……!」


「コラコラ‼︎人を勝手に神格化するんじゃない‼︎」


「…………申し訳、ございません……」



 クロッカスは眉を下げて男の服から手を離す。


 ――助けてもらった、それだけで満足するべきだ。


 男を困らせてしまった事にクロッカスは涙を滲ませて俯いた。

 そんな様子を見て、男はうーんと唸り声を上げながら頭を掻いた後、大きく息を吐いた。


「連れて行ってもいいけど、うちにはこわ〜いおじいちゃんと、子供が2人いる……後から嫌になっても……」



 クロッカスは男の言葉にパッと顔を上げ、慌てて首を振った。


「い、嫌、ないです!」


「しょうがないな…………シオンにまた怒られちゃう……」


 男はローブを水で濡らしてクロッカスに巻き付け抱き上げると苦笑を浮かべた。



「名前はある?」


「…………母、ワタクシ、呼ぶ、クロッカス……あなた、お名前、希望……」


「俺はキャット…………あ、これから家族になるんだからパパかお父様って呼んでもらおうかな〜」


「家族……?」


「あらら?連れてってってそういう事じゃなかったの?」


 クロッカスは男の――キャットの言葉に驚いて目を見開いた後、また涙を溢れさせた。

 それを見てキャットはおかしそうに笑うと近付いて来る兵の声に、慌てて裏口へと駆けた。


「クロッカスは泣き虫だなぁ……セージといい勝負だ」

「申し訳、ございません……」

 キャットの温もりに、クロッカスの涙はしばらく止まることはなかった。





 ――――


「クソガキ‼︎また子供を拾ってきたのか‼︎」


 キャットに連れられてやって来た小さな家。

 そこには若い男と2人の子供がいた。

 クロッカスが若い男の怒鳴り声に顔を青くしてキャットにしがみ付くと、キャットはよしよしと頭を撫でて若い男からクロッカスを遠ざけた。


「可哀想に〜このおじいちゃん怖いよね〜子供に大声上げるなんて……」

「お前に言っとるんじゃ馬鹿‼︎犬猫とは訳が違うんじゃぞ‼︎」

「分かってるって〜……でも放っておけなくて……」

「こいつらが可哀想だとは思わんのか‼︎」

「(この人がおじいちゃん……?……可哀想……?)」


 クロッカスが首を傾げてキャットを見上げると、彼は苦笑を浮かべてクロッカスを抱き締めた。


「ちゃんと分かってる」

「分かってない‼︎無理に穴を塞ごうとこんな事をするのはもうやめろ‼︎」

「でもこの子帰る所ないよ?」

「ぐっ……‼︎」


 話の内容を理解できずクロッカスが眉を下げて不安そうにキャットと若い男を交互に見ていると、小さな男の子の手を引きながら小さな女の子が若い男の服を引っ張った。


「じーじ、セージがちっちちったー」

「な、なんじゃ?ちっちちったー?」

「ちっちちったー」

「うわぁぁん!」

「泣くな泣くな!何があった!ちっちちったーってなんじゃ!」

「おしっこ出ちゃったんじゃない?」

「そう!」

「だーっ‼︎ちょっと待っとれ‼︎」


 若い男が慌てて男の子を連れて部屋を出て行くと、女の子はクロッカスを見て口を尖らせた。


「パパこの子だっれー?」

「新しい家族だよ〜!」

「きっもちわっるーい」


 女の子がクロッカスの足を見てそう言うと、クロッカスは涙を浮かべてキャットの服を掴んだ。

 するとキャットは女の子の頭を軽く叩き、しゃがみ込んでじっと見つめた。


「ブス!」

「あー‼︎パパひっどーい‼︎」

「アサガオはもっとひどいこと言ったんだよ!」

「だってー……アサガオと足が違うんだもん……」

「種族や身体的特徴を悪く言うのはダメだって教えただろー?クロッカスは蛸の魚人さんなんだ、気持ち悪くないよ」


 それを聞いてもムッとしたままの女の子に、キャットは少し考えてからペンを取り出すとそれをクロッカスに渡してニヤリと笑った。


「見ろアサガオ!クロッカスはペンを10本も持てる!つまり頑張っても2本しか待てないアサガオよりも一度にたくさん文字を書けるしたくさん計算を解ける!」

「えー‼︎ほんっとだー‼︎」

「どーだ!すごいだろー!」

「ワタクシ、文字、計算、理解、ない…………」

「じゃあアサガオの方がすっごい!」

「あらら」

「ペンちょーだい!」


 女の子がクロッカスに手を伸ばすと、クロッカスは恐る恐るペンを持った触手を伸ばした。

 彼女の手が触手に触れるとクロッカスは慌ててそれを引っ込めて落ち着きなく視線を泳がせた。


「…………」

「アサガオ?」


 クロッカスの触手に触れて固まっていた女の子――アサガオはぱっと顔を上げると、目をキラキラと輝かせてクロッカスに手を伸ばした。


「おててっ!さっわりたい!」

「…………恐怖、ない?」

「ない!……あはは‼︎何これすっごーい‼︎おっもしろーい‼︎もう1回‼︎」

「?、?」

「パパ!この子すっごい!ごめんっなさいするー!」

「……子供はツボがよくわかんないや」

「おいキャット‼︎遊んでないで海水をどうするか考えろ‼︎」

「えっ⁉︎海水⁉︎…………真水じゃやっぱまずい……?」

「当たり前じゃろうが馬鹿タレが‼︎」

「たこしゃん……ボクもたこしゃんしゃわりたい……」


 こうしてクロッカスに新しい――初めての家族ができた。






“「お父様」”


“「おっ、どうしたのー?」”


“「シオン様が元気か、と」”


“「おじいちゃんってば暇なんだね〜!クロッカスのスキル乱用するなって叱っといてー!」”


“「ふふっ……伝えておきます。今回の仕事は長いですね……いつ頃帰って来れそうですか?」”


“「うーん、明日には頑張って帰るよ。まったく俺ってば人気者だから忙しくて忙しくて……」”



 クロッカスはスキルを使ってキャットに連絡を取ると、彼の声に笑みを溢した。


 あれから、キャットはクロッカスの為に海の近くの家に引っ越し、クロッカスが海へ出られるように家と海を繋ぐ水路を作った。


 クロッカスは自分を大切にしてくれる彼を本当の父親のように慕い、必ず恩を返したいと考えていたが――気付けばあれから10年以上も時が経っていた。


 女の子(アサガオ)と男の子(セージ)は数年前からキャットの仕事を手伝うようになった。

 キャットは主に情報屋として動いているが、娼館や飲食店等、人や情報の集まる場所の管理も行っている。

 その他にも何かやっているようだったが、彼はあまり話してはくれなかった。


 アサガオやセージのようにクロッカスも彼の仕事を手伝いたかったが、この体ではできる事など殆どなく、クロッカスは毎日不甲斐なさを感じていた。


「おいクロッカス、そろそろ海に浸かって来い。干上がってしまうぞ」


「魔法があるので大丈夫ですよ…………シオン様」


「なんじゃ?」


「…………いえ、ワタクシにも何かできればと思って……」


「ん?いつも魚や貝を取ってきてくれるじゃろ」


「それだけでは………………ワタクシはもっとお父様の役に立ちたいのです……」


「クロッカス…………お前はもう十分役に立っている、そんな顔をするな。僕なんてお前が家事や食料調達をしてくれるおかげで何もしていないぞ。ニートじゃニート」


「にーと……?」


「あー……いらん知識じゃ、忘れろ」


 シオンもキャットも人間だと言うが、何年経っても歳を取る様子はなかった。

 アサガオがそれを疑問に思って彼らに聞いた事があったが、冗談を言うばかりで教えてくれなかった。


 家族になっても、教えてもらえない事が多かった。



 そんなある日の夜、

 クロッカスが眠ろうとしていると、水路から布が巻かれた石が流れて来た。

 アサガオやセージはクロッカスを呼び出す時にこの方法を使う。

 こんな時間に何の用だろうと連絡スキルを使ってセージに連絡を取ると、彼はどこか深刻そうな様子で事情を話した。


“「父さんが帰ってきたみたいなんだが……いつもと様子が違う」”

“「……すぐ行きます」”


 クロッカスは慌てて水路を通って家の中へ入った。

 珍しく不安そうにするアサガオと、大きな体を縮こませるセージの姿を見つけると、奥の部屋から声を抑えてはいるが怒りを滲ませたシオンの声が聞こえて来た。


「お前は何をしとるんじゃ‼︎死んだらどうする‼︎」


「…………組織の奴らが俺に隠れて奴隷事業を始めてた。最近俺たちの事を攫い人って呼ぶやつが増えてて不思議だったんだよねー……」


「なんじゃと⁉︎何故気付かんかったんじゃ‼︎」


「もう数年で魔王が復活するから忙しくて……うまく人材派遣のお仕事の裏でやってたみたい。組織が大きくなると把握ができなくて困っちゃうね」


「シュバルツに渡ったのはまさか――」


「そ、確認してきた。すごいやつらだよ、魔族と取引してた。そのまま殺されてくれてたらよかったのに、うまく事が運んだみたいで…………情報だけでなく奴隷の提供までしてた」


「どうやって……‼︎」


「魚人の奴隷と、俺が所有してた船を使ったみたい」


「アクアボートか……それで…………しかし隠しておいたはずじゃろ……」


「メンテナンスした時につけられてたのかも」


 キャットは笑いながらも、声に悲しさと不甲斐なさを滲ませていた。


「…………笑っちゃうよ、この生活が楽しくって気を抜き過ぎたみたい。ラナンの時と同じだ」


「殺すのか?」


「…………いや、利用する。今後の事を考えればシュバルツとの繋がりを今手放すのは惜しい。だけど信用ならないからこちら側の誰かを送り込みたい」


「何を言っているんじゃお前は‼︎」


「100年前の魔王は200年前よりも強くなってた。300年後の今、その強さは計り知れない。魔王が勝つ可能性が出てきた。俺達の目的は神を殺すことだ。今回はシュバルツに協力することも考えた方が――」


「待て待て‼︎情報の提供だけじゃない、奴隷の取引までしておるんじゃぞ‼︎子供達の過去を忘れたか⁉︎」


「…………ごめん……少し頭を冷やすよ……」



「その役目、ワタクシに任せてはくれませんか?」


 キャットが頭を掻いて立ち上がろうとすると、クロッカスが部屋に入って言葉をかけた。


「ガキのくせにまだ起きていたのか‼︎」

「まったく……気配の消し方がうまくなりましたね〜……じーじとパパは大事な話をしてるからあっち行ってなさい!」


「お父様」

「…………ダメだよクロッカス、ダメだ」

「ワタクシは連絡スキルを持っていますし、裏切る心配もありません。お役に立てます」

「そういう事じゃない」


 キャットがクロッカスの手を握り苦笑を浮かべると、クロッカスはその手を握り返して眉を寄せた。


「…………とうの昔から知っていましたよ」

「へ……?」

「お父様とシオン様が何をしようとしているか」

「なん……」

「じーじもパパも声がおっきーからね」

「口もよく動くしな」


 アサガオが耳に手を当て、セージが目を凝らすと、2人がそれぞれキャットとシオンの把握していないスキルを使って会話を盗み聞いていた事に気付き、キャットは額を押さえた。


「お前ら……」


「父さん、俺も協力する」

「私も役っに立てるよ!」

「お父様、ワタクシをどうかお使いください」


「話を聞いていたなら、俺達がとんでもなく悪い事をしようとしてるの分かったでしょ。子供だからって親の悪事に手を貸そうとしなくていーの!」


「こんなに思い詰めている父親(あなた)を見て、子供(ワタクシ)は知らん顔はできませんよ」


「ダメじゃ。特にクロッカス、お前は自分が何を言っているのか分かっているのか?シュバルツはヴァイスとは違う」


「止めても無駄です」


「なんじゃとこのクソガキ‼︎」


「ワタクシをお使いください。…………でないと、ワタクシは無駄死にする道を選びますよ」


 クロッカスが水路に向かうと、キャットは慌ててそれを止めた。



「待って待って‼︎どうしてそう……困らせるかなー……ホントに……困るよ……」


「……分かっています」


「頼むから考え直して……」


「…………やっと、恩を返せる時が来たのです。ワタクシはきっと、この為に生まれて来た」


 クロッカスの意思は固く、キャットとシオンは必死に説得したが、1人でも向かおうとするクロッカスに、キャットが折れた。


 そうしてクロッカスはキャットの目となり手足となる為に、シュバルツに奴隷として取引先である蛇の上級魔族の元へ連れて行かれる事となった。


「こいつがオススメの品〜?ふーむ……顔はまぁ綺麗だが…………」

「必要なければ連れて帰りますよ〜!」

「(お父様……‼︎)」

「…………ちょっと待て‼︎まさかその吸盤…………お得だ‼︎買った‼︎」


 魔王の存在に近い上級魔族の元に仕えることができ、クロッカスは喜んでキャットの為に働いた。


 最初はひどい扱いを受ける事も多かったが、キャットに鍛えられた戦闘能力とシオンから授けられた多くの知識、そして自分の持つ便利なスキル――更に献身的な態度と顔の良さに、蛇の魔族はクロッカスをすぐに気に入り、重要な仕事を回すようになった。


 その仕事の中にはヴァイスに渡り、略奪や蛇の実験にヴァイスの民を犠牲にするモノもあった。


「これはマナエルフだ馬鹿者‼︎ああ、本当に実在していたのか‼︎勿体無い‼︎」

「(シオン様が特に好きだと言っていた種族だ…………ごめんなさい……ワタクシのせいで…………)」

「ん⁉︎なんだ⁉︎神の石が反応している…………まさかお前のスキルに反応しているのか⁉︎」

「……え?」

「クロッカス‼︎どうなんだ‼︎」

「…………」

「…………クロッカス、私の言葉が聞こえなかったのか?」

「……申し訳ございません。ワタクシのスキルとマナを使えば、生き残りのマナエルフと連絡が取れそうです」

「そうか‼︎素晴らしい‼︎やはりお前を買ったのはお得だったな‼︎」



 誓約魔法の力で逆らえずクロッカスは何度も苦しんだが――


“「報告は以上です」”

“「……そういう事か、ありがとう。……もう戻って来てもいいんだよ」”

“「ご冗談を……勇者は三人しか誕生しなかったのでしょう?ワタクシはこちらに残った方がいいはず」”


 キャットとスキルを使って話す事で、その苦しみにも耐えられた。


 彼の役に立てている。

 クロッカスは悪夢に魘されながらも、心が折れる事はなかった。



 そんなある日、


「何故こうもうまくいかんのだ‼︎」


 ヴァイスに送り込んだ魔族達が次々と任務に失敗し、蛇の魔族はひどく機嫌が悪かった。

 嫌な予感を感じつつ、水槽から出て蛇の魔族を宥めていると突然頬を殴られた。

 少し我慢すれば気が済むだろうと大人しくしていると、蛇の魔族は突然クロッカスの手を掴んで地下の研究部屋へ連れ込んだ。


「群れを強くしなければ……安心しろ、改良してある。そこまでひどくはならんだろう」


 蛇の魔族は強化剤をクロッカスに打ち込んだ。


 強化剤は異形化するという副作用がある為、クロッカスの姿を好んでいる蛇の魔族は今まで使う事がなく――クロッカスは油断していた。


 今まで強化剤を打たれた者達を見てきたクロッカスは、全身に走る痛みよりも異形化する恐怖に叫び声を上げた。


 ――醜くなったワタクシをお父様はどう思うだろうか。


 異形化を抑えるように必死に体を抱き締めた。

 そして意識が遠のき、次に目を覚ました時、


「やはりお前は素晴らしい‼︎」


 長かった髪が蛸の触手に変わり、人間の足が生えていた。

 クロッカスはその程度で済んだ事に涙を流して安堵した。



 しかし、その代償に大きな物を失った。



少し改稿しました。

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