ep.2-17 従順な獣
「…………殴ってごめん」
「それはお互い様じゃ」
泣き疲れたキャットはその場にしゃがみ込み涙を拭った。
シオンは口元についた血を袖で拭い取ると、彼の隣にゆっくりと腰を下ろした。
「…………八つ当たりしてごめん」
「構わん。引き受けた時点で、こうなる事も覚悟していた」
「…………お家帰りますかー」
キャットはいつもと変わらない口調でそう言って笑った。
涙の跡が乾き、頬に冷たい風が当たる。
その中に花の香りを感じると、キャットは目を伏せて迷いを断ち切るように頬を叩いて立ち上がった。
「……よっし、これでもう隠し事はないね」
「…………」
「……は⁉︎まだあるの⁉︎」
「お前の菓子を盗み食いしたのはアサガオじゃなく、僕じゃ…………」
「クソジジイじゃん‼︎子供のせいにして恥ずかしくないの⁉︎」
「誰がクソジジイじゃ‼︎」
――殴り合う2人を見下ろす“赤色”は、静かにその髪を風に靡かせた。
――――
「まだ考える時間が必要か?」
「!」
――走馬灯のように流れた過去の記憶。
カクタスの声でハッと我に返る。
変わらず、槍先はカクタスの首元に向いている。
「…………」
カクタスはラナンのように暖かく、柔らかい光を帯びた瞳をしていた。
そして、ヴァイスの為に戦う瞳は、ライラックのように強い意思を感じさせた。
しかし、槍先を首に向ける今のカクタスの瞳はまるで――狂信者だ。
――オリビアへの執着の原因は、足りない愛を満たしてくれたからではないのか。
――あの日、カクタスを連れて帰っていたら、何か変わっていたのではないか。
そう思いながら震える拳を握り締めると、キャットは諦めたように息を吐き出した。
「…………分かった……全て話す」
キャットは創造神がしようとしている事、自分達がそれを阻止しようとしている事、
そしてオリビアがカクタスや世界の人々の為に魔王として魔族を纏め、戦う準備をしている事を慎重に言葉を選んで話した。
「質問があれば答えるけど…………」
「…………どうして……」
聞き終えたカクタスはぽつりと呟くと、槍を下ろして涙を溢れさせた。
キャットはギョッとして手を伸ばしかけたが、クロッカスの視線に気付きすぐに引っ込めた。
「お父様……ワタクシの事はお気になさらず……」
「必要ない。今更父親ヅラされても困る」
「うっ……」
キャットは気まずそうに視線を泳がせると、カクタスは静かに深呼吸して、涙を拭った。
「…………まだ話してない事があるだろ」
「えっ……他に――」
「どうして協力者にオリビアを選んだんだ」
「…………それに関しては俺の口からは言えない。オリビアちゃんに、直接聞いて」
「…………」
「待って待って‼︎ホントに言えないんだって‼︎オリビアちゃんはその理由を勝手に話されたくないだろうし‼︎」
カクタスは眉を寄せて視線を逸らし、口元を押さえて思考を巡らせると、しばらくして不服そうにしながらもキャットに視線を戻した。
「…………分かった。とにかく今は、なるべく時間を稼げるように動く。何かあればクロッカスを使って連絡してくれ」
「有難いけど、立ち回りに関しては気をつけて欲しい。スライムの分身体がまだ残ってるかもしれない」
「分身体の数は把握してる。それをなんとかしてから、こっちも本格的に動く」
「…………把握してるの?」
「カランコエが分身体を取り込んだから、居場所は分かってる」
「分かった。…………オリビアちゃんと、話さなくて大丈夫?」
「…………」
キャットは恐る恐る問いかけた。
それに対してカクタスは顔を険しくして俯く。
その瞳はどこか悲しげに揺れていた。
「…………今はいい……」
「でも、これを聞いたらオリビアちゃんも、会いたがると思うんだけど…………」
「今は、オリビアには伝えないでくれ。スライムの分身体を片付けて、パキラさんや四葉くんを説得してから――」
「あ、四葉くんとそのお仲間は把握してるよ」
「…………」
カクタスの表情が曇る。
嫉妬の感情が見えると、キャットは気まずそうに頭を掻いて言い訳するように言葉を続けた。
「えーっと……彼は気付いちゃったから……オリビアちゃんに直接話を聞きに来て……それで――」
「俺も、気付いた時に話をしていれば……こんな事にはならなかったんだな…………」
カクタスは小さな声でそう言った。
後悔の強く滲んだその表情は、過去の自分を思い出させ、キャットは視線を下に落とした。
「…………問題はパキラさんだ。あの人は、ああ見えて理性的な人だから…………説得が難しいかもしれない。なにか創造神の企みが分かるものはないのか?」
「…………うーん……物証は何も…………」
「ならシオンって人に直接話をしてもらいたい。俺が説得するよりも、いいと思う」
カクタスは立ち上がると、まだ乾いていない服を羽織った。
「ちょっと待ってどこ行くの!吹雪まだ止んでないでしょ!」
「仲間が探しに来たら困る」
――この吹雪の中を?
口から飛び出しそうになった言葉を、キャットは静かに飲み込んだ。
恐らくカクタスは、自分と一緒にいたくないだけだ。
キャットは困ったように眉を下げ頬を掻いた。
「魔法石は置いて行くから、吹雪が収まったらすぐにこの場を離れろ」
「あの…………ごめん……」
「…………」
カクタスは何かを言いかけ、すぐに口を閉じた。
そして振り返らず吹雪の中に飛び込んで行った。
「……クロッカスも、ごめんね」
「ワタクシに謝る必要はありませんよ」
「…………その様子じゃ……知ったのは最近じゃないね?」
「ワタクシはともかく、アサガオやセージに隠し事はできませんよ」
クロッカスは柔らかい笑みを浮かべた。
クロッカス、そしてアサガオやセージは、キャットが自分達を拾った理由を知っていた。
しかし、キャットを責めることも、カクタスを恨む事もなかった。
彼の穴を埋める為に連れて来られたのだとしても、彼が自分達に与えてくれた愛に偽りはなかった。
そして、自分達を絶望から救い出してくれた事に、間違いはなかった。
カクタスを少し羨ましくも思っていたが、その分キャットと同じように、申し訳なくも思っていた。
去って行ったカクタスの後ろ姿を思い出しながら、クロッカスは眉を下げた。
「…………彼が、協力してくれる事になってよかったです」
「そうだね…………オリビアちゃんがこっち側でよかったよ」
「話は終わったか?」
「…………えっ⁉︎いたの⁉︎」
「帰って来ねぇから様子を見に来た」
壁をすり抜けてナスタチウムが現れると、キャットとクロッカスは大きく飛び上がった。
その様子に全てを聞いていた事を察してキャットは眉を寄せた。
「…………オリビアちゃんには言わないでよ?」
「言わねぇよ、めんどくせぇ。……シオンがあいつをオリビアに近付けたがらない理由がよく分かった」
「どういう意味?」
ナスタチウムは顔を顰めると煙草の煙を吐き出した。
「行動も、言動も、意思も、決断も……全てオリビアに依存している。自分の意思や命は二の次だ。…………あんな従順な獣……オリビアの手には余る」
「…………」
「……お前の息子だっていうなら、目をかけとけ。…………オリビアには適当に言っといてやる。シオンにはお前から伝えろ。…………ったく、種類の違う自己犠牲の化け物が2人、恐ろしい時代だ」
ナスタチウムはそう言って壁の中へと消えた。
キャットは重たい溜息を吐き出すと、魔法石に視線を落とした。
――――
「勇者様こちらへ‼︎」
「湯を沸かせ‼︎」
戻って来たカクタスに仲間達や兵士は安堵しつつ、慌てて冷たくなった体を温めるように彼を魔法石の近くへ運んだ。
「何故この吹雪の中……‼︎」
「…………すみません、魔物が見えたので……」
カクタスは苦笑を浮かべて言い訳をすると、魔法石の方へ視線を向ける。
そして、キャットが話していた内容を思い出して目を細めた。
「ほら勇者様着替え!」
「ありがとうございます」
「…………勇者様、何かあった?」
「え……?」
デイジーは小声でカクタスに問いかけた。
兵士達が慌ただしくする中、仲間達はカクタスの顔を覗き込んでどこか期待するような目を向けていた。
――うまく隠すつもりが、仲間達にはもうバレてしまったようだ。
「…………また、タイミングを見て話します。やらなければならない事が、残ってるので」
カクタスは苦笑を浮かべた後、テントの端を横目に見た。
「(オリビアが何故あんな行動を取ったのか、分かってよかった。これなら彼らに話しても問題ないはず…………その前に、スライムをなんとかしないとな…………)」
早く始末してしまいたい気持ちをぐっと抑える。
そして、着替えながらキャットの言葉を思い出した。
『でも、これを聞いたらオリビアちゃんも、会いたがると思うんだけど…………』
「(俺だって会いたい)」
――しかし、今会えば、きっとオリビアから離れられなくなる。
仲間達は分かってくれるだろうが、オリビアを反逆者だと思っている兵士達、状況を見ている王や貴族の前では、その時が来るまで“勇者”として行動しなければならない。
そうしなければ、ここまで耐えてきたオリビアに迷惑がかかる。
自分をどこまで抑えられるだろうか――
「…………カランコエ、後で少し話せる?」
「今じゃなくて?」
カランコエは少し悩んだ後、小さく頷いた。
一瞬、カランコエが興味深そうな目で見ていた事に気付いたカクタスは、自分は今どんな表情をしていたのかと、口元を隠すように押さえた。
「気をつけないといけないな……」
ぽつりと呟いたカクタスの言葉は、誰の耳に届く事もなく、吹雪が壁を叩く音に消えた。
――――
「お腹下したの?」
「へ?」
少し改稿しました。




