平穏
高天原は少しも変わっておらず、何日ぶりかの安心を手に入れた。
私とモモは電動平行二輪車に乗って、遠くの家を目指した。
明るい話し声に笑みが零れ、優しい挨拶に朗らかに応えた。
私の平穏がここにはあると、そう実感できたことがこの上なく嬉しかった。
風を切るように進んで、一人暮らしにしては大きすぎるモモの家に到着した。
生活感のない家の中はまるでモデルハウスのようで、モモがこれまでどうやって生きてきたのか不思議になった。
けれど、きっと「神様だから」で片付けられそうで、私はあえて聞くのをやめた。
「お菓子でも持ってくればよかったね」
「駄菓子屋があるわよ」
「遠いよ!」
「二輪車で行けばすぐよ」
そう言うモモは、誰よりも早く靴を脱ぎ居間に向かって行った。
やっぱり何か持ってくるべきだったと、家具とモモしかいない居間を見てそっと思った。
高天原には昼夜がない。
だから、今が昼なのか夜なのかは正直言って分からなかった。
分かるのは現在時刻と、今がご飯時であることぐらいだ。
私はそこそこ広い縁側に座り、地上と変わらない青空を眺めていた。
目の前に広がる空は本物なのか、それともハリボテなのか。
そんなことはどうでもよかった。
そこに青空があるという事実が大切なのだ。
「お腹空いたわね」
居間で寝転んでいたモモは、ゴロゴロと床を転がりながら呟いた。
たしかにお腹は空いてきたけれど、だからといって何か作れるわけでもない。
空腹を満たすためには、近所の食卓に上がり込むか自宅に帰るかの二択しかない。
今自宅に帰るのはなんだか気が引けるけれど、かといって他人の家を訪ねる勇気はない。
駄菓子屋のお菓子で過ごす手もあるけれど、それはなんだか違う気がする。
「スーパーってないんだよね?」
私はダメ元で聞いてみる。
「ないわね。神様には人からの供物があるもの」
モモはなおも床に転がっている。
「だったら、モモ宛の供物もあるんじゃないの?」
「どこかに祀られているわけではないから、そういったものはないのよ」
神様はみんな祀られているのでは? と思ったが、誕生して間もないのであればあり得ない話ではなさそうだった。
お供物がないとなると、いよいよどうしたものか。
頭の中でぐるぐると考えていたとき、玄関をノックする音が聞こえた。
それを待っていたかのように、モモはスッと立ち上がって玄関の方へ走って行った。
私もその後を追いかけるように向かうと、扉の先に天宇受売命がいた。
「こっちに来てるって聞いたから!」
天宇受売命は、そう言いながら明るい笑顔を向けた。
「来たときに伺えばよかったですね」
「そうよ! モモ神の家は遠すぎるんだもの」
「有名じゃないから中心には住めないのよ。なんだったら、天宇受売命の家に住まわせてくれてもいいのよ?」
「いやよ。それに彼が怒るわ」
玄関で楽しそうに会話をする二人を見ていたら、なんだか微笑ましい気持ちになってきた。
こういう何気ない日常が、私はこの上なく好きだった。
「それで、有名な神様が辺境の地にどんな御用で?」
モモは少し捻くれたように聞いた。
その言葉に、天宇受売命は「そうだった」と言いながら持っていた風呂敷を差し出した。
「食べるものがないだろうと思って持ってきたの」
風呂敷には小さめの鍋が包まれていて、中には美味しそうな雑炊が入っていた。
「わぁ! 美味しそう」
「お口に合うか分からないけれど、よかったら食べて!」
「ありがとうございます!」
鍋の中の雑炊を見たモモの目はキラキラと輝いていた。
「ちょっと冷めちゃったから温めて食べてね。それようにお米も少し硬めに炊いたから」
「うずめさんは神様ですか!?」
私は天宇受売命の手を取り、両手でしっかりと握った。
神様に向かって「神ですか」なんて無礼極まりないけれど、この時ばかりは大目に見てもらいたい。
「暫くいるの?」
「そのつもりです」
「じゃあまた会いましょ! 彼も喜ぶわ」
それから少しだけ世間話をして、天宇受売命は嵐のように去って行った。
私とモモは天宇受売命特製の雑炊を火にかけて温め、青空を眺めながら完食した。
優しいダシの味に包まれた口の中は、今までで一番の幸福をもたらしてくれた。
神様は料理の才もあるのだと、満腹になって寝てしまったモモを見ながら静かに思った。




