28話 赤いマント
真っ暗な部屋に閉じ込められてから、数十秒。
やがて目が慣れ、ぼんやりと周囲が見えてきた。
部屋は十畳ほど。
トイレ用のバケツと、汚れた薄い布が一枚。
それだけ。
そして――高い位置に、小さな窓が一つ。
背伸びしても届かない高さだ。
「あぁ〜どうしよう」
小窓から見える満月をぼんやり見上げながら、必死に頭を巡らせる。
自力での脱出はかなり難しいだろう。仮に脱出できて小屋から逃げたとしても、ここは林の中だ。地理も分からないし確実に道に迷う。
なら、助けを待つしかないのだろうか。
陛下もナトムさんも視察で城にはいない。マグシムもどこにいるか分からない。
元の世界のように携帯もない。
……行方不明と気づかれるまで、何日かかる?
頭をかきむしる。
――あぁ、もう、なんて日だ。
ため息を吐いて、ゴワゴワした布の上に膝を抱えて座る。
そこから。
気づけば朝になっていた。
小窓から朝日が入り、薄暗い部屋が少しだけ明るくなっている。
連日の疲労と極度の緊張で、いつの間にか眠っていたらしい。
「こんな状況でも寝ちゃうなんて私って図太いな」
突然、鍵をガチャリと開ける音がした。
心臓が跳ねた。
反射的に扉から一番遠い隅へ逃げる。
同時に扉が開いた。
「おい、エールだ。置いとくぞ」
昨日の御者の男とは違う男だった。
いかにもガラの悪そうな三十代くらいの男だ。
男は私を一瞥すると、カップを床に置いて出ていった。
「……」
置かれたカップを見る。
喉はとても渇いてるけど……毒は入ってないよね?
そういえば、昨日の御者はあの方が来るまで休憩していろと言っていた。つまり、それまでは殺される事はないという事だ。
カップを両手で持ち、少し飲んでみた。
「うへぇ、まずい」
とんでもなく不味い。
でも渇きには勝てない。半分まで一気に飲んだ。
エールはこの国の庶民の常飲酒だ。
子供から年寄りまで、水代わりに飲む。アルコール度数も低い。
……とはいえ。
「このエール、酷すぎない?」
色も濁ってるし、ドロドロしてる。
ミネル君の家で飲んだのは美味しかったのに。
――多分、激安品。
でもこの状況下では、飲むしかない。
数時間が経ち、また鍵を開ける音がして扉が開いた。
今度も別の男だった。一体、敵は何人いるんだ。
「おい、昼飯だ。置いとくぞ」
そう言って男は、エールの入ったカップを床に置いた。
え、お昼ごはんもエール? それだけ?
「あ、あの……」
「あぁ?」
あ、しまった。つい声を出してしまった。
男が睨んできた。
「あの、その……お腹空きました」
沈黙。
まずい、やらかした。殺される。
男は私を数秒見つめ――ポケットを漁った。
「お前、誘拐されたのに、いい根性してるな。まぁ、育ち盛りなら仕方ねぇか。ほらよ」
男は一切れの干し肉を投げた。
目の前の床にボトッと落ちる。
……私、子供だと思われてるのか。
アジア人が海外で幼く見られる事はよくあるけど、この異世界でもそれは同じらしい。
普段なら「子供じゃない」と反論するところだが、あの男たちには、私が子供だと思われていた方が色々と安心だし都合がいい。黙っておこう。
床に落ちた干し肉を拾って埃を払う。
床に落ちたものは普段なら絶対に食べないが、今はそんな事は言ってられない。
怖かったけど、話しかけて良かった。
恐る恐る、干し肉を齧る。
「うわっ、めちゃくちゃ硬い」
日本人の退化した顎には強敵すぎる。
スープに入れたい。切実に。
「はぁ……誰でもいいから、助けて」
干し肉を齧りながら呟いた。
それからは、食事は毎食エールと、パンのかけら、運がよければ干し肉の切れ端が私のご飯になった。
はぁ、足りないよぉ。
空腹をエールで紛らわせるにも限度がある。
そして――監禁されてから七日目の朝。
外が騒がしい。
なんだ、どうしたんだろう。
騒がしさで目が覚める。
汚れた薄い布を肩まで掛け直し、身体を起こす。
冬の朝は本当に冷える。
部屋に置いてあった布一枚じゃ寒さをしのげるはずがない。おまけに、まともな食事も摂っていないので、少し風邪をひいたらしい。
鼻をズルズルしながら、騒がしい声がする扉の方を見つめた。
鍵を開ける音がした。
朝ご飯かな?
扉が開く。
だが私の目の前に現れたのは男達ではなかった。
そこに立っていたのは、同年代くらいの女。
茶髪、青い瞳。
無表情で私を見下ろしている。
……あれ、この人。
「陛下のお気に入りともあろう人が無様ね。いい気味だわ」
「……」
「私の事、忘れたとは言わせないわよ」
「覚えてますよ。厨房をクビになった人」
「……っ!」
表情が歪んだ。
「クビになったのは、あんたのせいよ!」
「……私が現れなくても、変わらなかったと思うけど」
「なんですって!」
彼女は早口でまくしたてた。
名家の娘として育てられてきたこと。
侍女見習い目前だったこと。
それを全部、私に奪われたこと。
……いや、私に言われても、なんですけど。
「まぁ、いいわ。あんたはもう死ぬ運命だもの。あの方は、あんたを殺せば、私をあの方の侍女にしてくださると約束してくれたわ」
「あの方?」
あの方って誰? 陛下達が言っていた黒幕?
「今は王都から離れた場所にいらっしゃるから、殺す許可を貰うのに一週間もかかったけど、これでやっと殺せる。王家の森では失敗したから、今回こそ必ず殺す」
え? 王家の森って言った?
「ちょ、ちょっと待って! 森の中にあるワームの池に私を落としたのも、あなたなの?」
私が驚くと、女は薄暗い笑みを浮かべた。
「そうよ。実家の使用人に命令したの。でもあいつらは失敗して私の顔に泥を塗ったのよ。だから、あの方の信頼を勝ち取る為にも、今日は失敗できない」
「じゃあ、大臣を毒殺して私が疑われるように仕向けたのも?」
「は? 知らないわよ、そんな話。どの大臣の話よ」
コバト大臣の毒殺の件は違う犯人って事? つまり、私を毒殺の犯人にしようとしたのは彼女じゃないって事だよね。
一体、どの位の人間に私は命を狙われているんだ。
「あんたと話している時間はないわ。あんた達! この女を殺して……ただし一瞬で殺すのはだめよ。私、この女が死んでいくのをじっくり観賞したいの」
女の笑顔に鳥肌が立つ。
命令を合図に、五人の屈強な男達が一斉に剣を抜いた。
金属音が薄暗い部屋に響く。
あ、まずい。
これは本当にまずい。
一歩、後ずさった――その瞬間。
男達の背後で、何かが動いた。
「っ――!」
鈍い音が響く。
端の男が崩れ落ちた。
「なっ――」
誰かが声を上げるより早く、二人目の身体が吹き飛んだ。
速すぎて見えない。
黒い影だけが、一瞬視界を横切る。
「敵だ!」
「どこだ!?」
男達に動揺が走る。
次の瞬間。
影は男達の間をすり抜け、一瞬で私の目の前に立った。
視界いっぱいに広がったのは――
赤いマント。
王家の紋章。
黒髪、灰色の瞳。
「カンナ、無事か!」
涙が込み上げた。
「マグシム!」




