41 夢のような時間を
「改めまして、お越しいただきありがとうございます。今の自分はアジュール。マジシャンのアジュールと申します」
流麗な礼。アジュールは滑らかに頭を上げ、
「それでは、今から」
アジュールが右手の、人差し指を上に向ける。
「あなたに初めて観てもらったものを、もう一度」
その手に、青い薔薇が現れる。キラキラした光を纏って。
「そして」
二本、三本、四本。
「この色の薔薇の花言葉、そして本数の花言葉、ご存知でしょうか?」
アジュールが、薔薇から手を離す。それと同時に、左手で指を鳴らす。
浮かぶ薔薇に、小さい白い花──たぶん、カスミ草──が加えられ、ふわりと現れたレースとリボンで、花束になった。
「これは、自分の気持ちと想いです」
花束を手に取り、カツカツと、まっすぐに向かってきて。スポットライトも、それに合わせて動く。
「どうぞ、受け取って下さい。これはあなたのものですから」
跪かれ、何も言えないでいる私の膝の上に、花束が乗せられる。
「では、短い時間でしたが」
スッと立ったアジュールは、
「一度、幕を降ろしましょう」
そのまま三歩、こっちを見たまま、カツン、カツン、とゆっくり下がって。
「この、夢のような時間を、永遠に」
姿勢を正したアジュールが、滑らかに礼をする。ライトが、消える。
次には、パッと、元の明るさに戻った。
で、そこに居たのは、もとの服に戻ったセイ。
「やってみましたけど……どうでした……で……しょうか……」
カツカツ鳴らない靴で歩いてきて、途中でがっくり膝と手をつく。見えていた顔は、赤い。
「……凄かった。あと靴音だけど、魔法で鳴らしてたの? そういう靴?」
「その、両方ですね……」
「両方」
「はい……一定条件……まあ、僕の意思判断ですが……」
セイがゆっくりと立ち上がる。
「それ次第で、音を出すか、出さないか。どこまで響かせるか……などを、仕込んでます」
対面の椅子に座り、一度頬杖をついて、けど、そこに額を乗せて、下を向く。
「……ショーの終わりって、いつもこうなる?」
私も向きを直しつつ、対面に戻る。
「いえ……いつもは、スイッチが切り替わるだけなので……『車崎アオイ』に、戻ります。……僕も、まだまだ修行不足ですね……アジュールやってて、一番緊張しました……」
えーと。つまり、だ。
「私が観てたから、緊張した?」
「っ……はい……」
「すっごい堂々としてるように見えたけど」
「そこは、一応、プロとして……いえ、あなたに無様な姿を見せないようにと……なんとか……」
そう言ってくれるの、凄い嬉しい。嬉しいけど。
「じゃあ、動画見たりするの、やめたほうが良い? まあ、一昨日以降、見てはいないんだけども」
「あ、いえそれは、ナツキさんの判断で、どうして頂いても構いません」
セイが顔を上げた。赤いけど、いつもの顔だ。
「そもそも、アジュールだと知ってもらおうと決めた時点で、観ていただいてもそうでなくても、と、思っていましたから」
爽やかに笑う。
「それに、経験が積めました。ナツキさんに、短い時間でしたが、観ていただいて。けれど特に失敗もせず、終えることが出来たので。自信に繋がります」
ニコニコと。ニコニコ、ニコニコ。
「っはー……」
私は花束を持ったまま、また片手で顔を覆う羽目になった。
「セイくんよぉ」
「は、はい」
「もうそのカオ、笑顔、笑顔がさ。……私をどうしたいんよ」
……返事がないな。
「……」
見たら、セイの赤面が復活してて。声は出していないけど、口をあわあわさせていて。
「……セイ?」
バッ、と両手で顔を覆ってしまった。
「……ふっ」
駄目だ、これは違う意味で駄目だ。
肩、肩震える。
「笑、わないで、下さい……」
「ごめ、や、うん、……セイはセイだね。ホント。……ふっ……」
「うぅ……」
笑うのを、なんとか落ち着けながら。そういや今何時だ、と、まだ表示されてる時計を見て。
08:57。
「セイ、あと一時間で仕事だよ。三十分前に戻るんだよね?」
「ああ……はい……」
手を外し、ほーっと息を吐くセイに。
「これからの仕事内容、聞いても大丈夫?」
「あ、はい。それは。今日の十時からのは、動画の撮影です。三本撮る予定です。そのあと、明日は打ち合わせと軽くリハーサルをして、その次の日に本番です。あと、」
「や、待って待ってそこまではいいよ。てか、覚えられないよ」
「あ、じゃあ、確定してる分、送りますね」
「お、おお。了解」
で、スマホを取り出し、打ち込みをしてるらしいセイを見て、またふと思う。
「セイ」
「はい」
ちゃんと顔を上げてくれるなぁ。
「仕事、お昼まで被る?」
「あ、……はい。終了予定は二十時です。順調に行けば、ですが」
昼も夜も、か。
「ご飯、食べれそう? そっちで用意して貰えるの?」
「あー……どうでしょう……ショーの時は、いわゆるロケ弁、ですかね。が、ありますけど。……手をつけたことは、ない、ですね……動画の時は、あったりなかったり……食べれるか……食べれるか……?」
視線を下に向けて、首をひねるセイを見て。
「簡単なので良ければ、作ろっか? 昼だけでも」
「えっ」
「まだ時間あるし。ここまでの他に見るとこないなら、時間早めて帰って、夜の分も。こっちも簡単になっちゃうけど」
「い、良いんですか……?」
君ね。
「こちとら君の恋人様だよ? 健康で居てほしいんだよ」
赤くなった。
「……では、その……お願い、します……」
「ん、分かった」
*
「花、このままで大丈夫?」
玄関来て、靴履いて、気になったので、聞いてみる。
「? あ、転移で、ですか?」
「うん、壊れたりしたら、やだし」
「大丈夫です。この前も、食材は変になったりしなかったですよね。それと同じなので」
「え? でもこれ、魔法の花でしょ?」
「魔法で構築しましたが、ほぼほぼ生花です」
「え、じゃあ、枯れる?」
別の不安が出てきたぞ。
「……加工、しましょうか?」
「加工。……どういう……?」
「そのまま保存をかけても良いですし、プリザーブドフラワーやドライフラワーにも出来ます。どうですか?」
「……何かしらはしてほしいけど、ちょっと考えさせて」
「分かりました。では、……良いでしょうか……?」
セイが顔を赤くして、おずおずと手を出してくる。
「もちろんさ。なんの問題もないよ」
手を取って、指を絡めて、握る。セイに笑顔を向ける。
「……行きます」
真剣な顔に、「了解」と頷いた。
景色が変わる。見慣れた、自宅の玄関だ。
「完了です」
「うん。ありがと」
手が離れる前に。
「ただいま、セイ。おかえり」
セイは目を瞬かせて、ふわっと笑う。
「只今戻りました。おかえりなさい、ナツキさん」
『『『ミュアぅ』』』
セイは肩を跳ねさせたけど、私はそのまま振り返った。三匹がこっちを見上げている。
「ん、みんな、ただいま。お留守番、ありがとうね」
しゃがんで言う私に、三匹は喉を鳴らしながらスリスリしてくれる。花束をちょっと置いて、全員を撫でていたら。
『『『ニィう』』』
「ん?」
子猫たちは私から離れて、そのままでいたセイのほうへ。で、なにやら鳴いて、伝えている。
「……中身、聞いてもいい?」
靴を脱ぎ、花束を持ち直し、言ってみる。
セイの顔が、真っ赤だ。
「お、お褒めの……お言葉を……」
「お褒め?」
「……その、よくやったと……」
……。
「ミケ、シロ、クロ」
もう一回しゃがんで、呼ぶ。全員が振り返る。
「フリじゃないって、分かったの?」
全員で、一声。
「そっかそっか。認めてくれるんだね。ありがとね」
またすり寄って、甘えてくれる。
「ありがとねー」
三匹を抱え上げ、
「セイ、じゃ、……どした?」
しゃがみこんで、なんかぶつぶつ言ってる。
「大丈夫? そのままでいる?」
「……少し……このままで……」
「分かった。お昼と夜、やってるね」
「はい……」
*
夢が叶った。いや、まだ、スタートラインだ。
セイは高鳴る心臓を宥め、夢見心地の頭を振り、なんとか、立ち上がる。
時間が経過したからか、好きだと言われたことが、好きだと言ったことが、抱きしめあえたことが、ふわふわと、酩酊でもしている気分にさせる。
酒なんて、一滴も飲んでいないのに。
『──よくやった。お前にしては上出来だ』
『──ナツキが喜んでいる。我らにとっても喜ばしい』
『──喜ばしいが、気を引き締めろ。我らとお前で、ナツキを護るのだ』
守護霊たちに言われ、ああもう本当に、本当にその通りすぎて、畏まりました、と念を送ってしまった。
「仕事、頑張ろ」
ナツキの隣に立てるようにと、仕事の方針を──心の持ちようを変えた。それなりでなく、全力でと。
これからは、隣に居続けられるように。
また、気持ちを新たにする。
そして、ドアを開けて。
「あ、セイ。大丈夫だった?」
ナツキと、テーブルの上の薔薇たちが、目に入り、
「ああ、ごめん。花瓶、持ってなくてさ。一旦空き瓶に挿した」
ナツキは、少し照れて、申し訳無さそうに言うけれど。
薔薇をくるんだレースの布に、その空き瓶は包まれていて。留めていたリボンは、首の部分で結び直されていた。
「……とても、綺麗です」
これらも、あなたも。
「そう? なら良かった」
笑顔が、とても美しくて。
ぼうっと魅入ってしまってから、ナツキがキッチンで作業をしていることに、気が回る。
「あ、あの、何か出来ることありますか?」
「んん? じゃ、手、貸してもらおうかな。支度が終わってからでいいよ」
「あ、はい」
セイは素早く支度を終え、ナツキに渡されたエプロンを身に着けた。




