31 夢のような現実
「煮玉子って、その、……とても手間がかかると、聞いたことがあるんですが」
ローテーブルに並べた昼の説明を軽くして、もう一回いただきますをして。
美味しいと言ってくれてから、セイはそんなことを言った。
「んー……まあ、かければかけるだけ、どこまでも、手間っていうか、手間ひま? 創意工夫? はかけられるけども。私は楽しく美味しく手軽に、で作ってるから。味を染み込ませる時間は、必要だけど」
「はあ……」
言ってウインナーを食べる。いまいちよく分からないって感じのセイに、
「作り方、ざっくり言おうか? あ、作れって意味じゃないよ」
言って、ご飯を頬張る。目をぱちくりさせていたセイは、「……では、お願いします」とこくりと頷いた。
「ん。……えっとね。まず、食べたい数の生卵を用意します。卵のお尻に穴開けて、水を張った鍋に入れます。水が沸騰するまでぐるぐる卵を動かします。面倒くさい時はしないけど。そんで、私の好みなんだけど、そこから六分茹でます。終わったら玉子、ゆで玉子の粗熱を取って、殻剥いて、茹でてる間に用意したツユに浸します。冷蔵庫で半日寝かせて、完成」
温野菜サラダのもやしを食べ、セイを見る。
「に、煮玉子って……煮ないんですか……? あ、だから、なんちゃって……?」
首をひねっているセイに、もやしを飲み込んでから、
「正式な? 煮玉子は煮る筈だね。煮て味を染み込ませるから。けど、私のは、言った通りになんちゃってだから」
「こんなに美味しいのに……?」
もの凄く感慨深げに言うから、なんだか笑ってしまった。
「ありがとね。これ、母のレシピから、より自分好みにしたやつなんだ。そこまで言ってくれるの、嬉しいし照れるね」
言って、煮玉子をぱくつく。もぐもぐと味わっていたら、セイの動きが止まっていることに気付いた。
今度はなんだ?
「セイ? どうかした?」
飲み込んでから、聞いてみる。喉につまらせてるようには見えないけど……。
「あ、や、いえ、……美味しいです」
なんか顔を赤くしたセイは、私から視線をそらし、食べるのを再開する。
「ん、そっか。美味しいなら良かった」
まあ今は食べるか、と、私もご飯を口に運んだ。
*
後片付けを、と申し出て。
『あ、うん、お願い。ありがとね』
いつもとほとんど変わらないように見えるそれの、壁が薄くなったような雰囲気を感じた。
なんだかもう、色々と分からない。分からないけど、これは現実で。夢のような現実で。
ぐるぐる思考が回りそうになったセイは、諦観か感嘆か、押し殺しつつ息を吐いた。
いつもそうしているが、より丁寧にと。後片付けを終えたセイは、
「……」
ナツキの背中を見つめたまま、まだここに居ても良いのか、聞くのを躊躇う。
休むどころか寝てしまえたし、なぜか分からないが空腹を感じる、という、セイからすれば偉業を成し遂げた。
だから、もう、ここに居て良い理由が、思いつかない。
「ん? どした?」
その声に、ビクリとして。
ナツキの傍に居た子猫たちが、こっちに向かって来ているのだと、理解する。
「ん? あ、セイ、終わった?」
ナツキも立ち上がり、こちらへ。
「あ、はい。終わりました……」
防音を外し、答える。
子猫たちから呆れた念が伝わってきて、そう思われるのも仕方がないと、そのまま待つことにした。
『ニャウ』
『ミャア』
『ニィー』
「へっ?」
こちらへ向かいながらの言葉に、まさかそう来るとは思っておらず、セイは間の抜けた声を出す。
「……なんて言ったの?」
セイの反応に足を止め、ナツキはセイと子猫たちを交互に見ながら聞いてくる。
「えー……その、ですね」
セイも子猫たちを見て、ナツキを見て、
「今日これから、僕がどうすべきか、ナツキさんの意見を聞くように、と、のことです」
「ふむん?」
ナツキは三匹を見、セイへ顔を向けて。
「じゃあ、どうすべきか、とは少しずれるけど。どうしてほしいか言うね」
「は、い」
「まだ居て欲しいかな」
セイは、息を呑んだ。その言葉と、まっすぐな視線に。
「いいん、ですか」
「いいよ? てか、こっちがお願いしてる立場だし。強制はしたくないけど、出来るなら、居て欲しい」
なぜ、どうして。その言葉を、飲み込んで。
「……なら、お言葉に甘えさせていただきます」
なんとか、笑顔を作って言った。
*
「セイ、ちょっと良いかな」
少し休憩、と伸びをしつつ、振り向く。
「あ、はい。なんでしょうか」
キッチン脇の椅子に座ってスマホを見ていたセイが、こっちを向く。
「私、セイの家にお邪魔するの、先になりそう?」
コーヒーが空になったので、次を、と立ち上がりながら聞いたら。
「え?!」
なんか驚かせてしまった。
「いやね、ただの推理もどきなんだけどさ。家の片付けって言ってたし、なんかそれに拘ってたっぽい感じを受けてね。なんか、現状を人に見せるの、無理なんかなって、ね」
作ったコーヒーを、一口。
「や、まあ、当てずっぽうに近い推理もどきなんだけども」
「……や、あ……その……」
躊躇ってるらしいセイの対面に、座る。あえて。
「壊れてはないって、言ってたけどさ。どこまでどうなんかなーと。行けるなら有言実行で、日程決めちゃいたいし。先になりそうならそう言ってほしいし。手伝っても良いなら、家の片付け手伝いたいし」
「え」
水色の瞳がまんまるだなぁ。
「けど、無理強いもしたくない。私はそんな抵抗ないけど、弟もね、あ、私、弟いるんだけど。今年二十歳になる奴が。で、弟はね、家に人呼ぶ前にメッチャクチャ部屋を大掃除するヤツなんだよね。毎回毎回年末の大掃除かってくらいに」
「はあ……弟さん……が……」
「で、手伝おうとしても、手を出すなってさ。気持ちは分かるよ。その頃、思春期真っ只中だったし。あいつ、私より背が低いの、気にしてるし。今は大学二年で、だいぶ丸くなったと思うけど」
コーヒーをまた、一口。
「でもさ、あいつは自分の部屋一つだったけど、セイはたぶん、そうじゃないでしょ? それに、私はセイに、頼ってほしいって言ったし、頼りたいって言ったから」
テーブルに、頬杖をつく。
「だから、どうなんかなーと、ね」
目がウロウロしてるなあ。
「遠慮はしてほしくないなあ?」
私なりに、圧を込めた笑顔を見せる。
そしたらセイは、ぽかんとして。
「えっ……と……」
左手で口を覆って、そのまま斜め左下を向いて。顔が真っ赤ですね? ……赤くなる要素あったか?
「その……ですね……家、と言いますか、敷地全体の話に、なるんですけど」
「ふむ」
話し始めてくれた。
「仕事道具や研究道具、あの、魔法のですけど。そのあたりは、何かあったら危険なので、しっかり手入れ……管理は、してるんです。けど……」
セイは手を外し、テーブルに置いて、今度は遠い目をした。
「先の通りですね、ほぼ帰らない、半放置、……みたいな状態でして……最低限は……僕基準の最低限ですけど、管理はしてますが……まあ、その、言いますと、荒れ放題です。ゴミはそもそもほぼ出ないので、ゴミ屋敷ではないですけど……という……現状でして……」
「ほうほう、ふむ」
コーヒー、もう半分だな。
「それをそのままに、で、私、人を招くのに、抵抗がある、と。いう理解で、いいかな?」
「面目次第もございません……」
「謝ることじゃないよ。教えてくれて嬉しい」
不思議そうな顔を向けるんじゃありませんよ。
「嬉しいよ。教えてくれて。現状がどうこうじゃなくて、そのことを教えてくれたのが嬉しい」
「は、いや、いえ、その」
顔を赤くして、首を左右に小刻みに振る。やっぱりピュアだなあ、君は。
「でさ、セイ」
「は、はい」
「セイの気持ちは分かったけど。分かったから、かな。やっぱなんか、手伝えない?」
「へ」
「私、魔法は使えないけどさ。掃除はそれなりに出来るし。敷地全体ってことは、地図で前に見せてくれたあの家の、庭とかもってことでしょ? 中は入れないんだとしてもさ。庭に業者呼ぶとか、なんか、出来ない?」
「あ、えあ、えー、……その、……考える時間を、下さい」
「ん、分かった」
頷いて、コーヒーを飲み干す。
「あと、セイ。これは別件ね」
「別件……?」
「今日、いつまで居られる? 一応休みって聞いたけど、その、一応ってのも気になるし」
「あ、ああ、それは。……その……」
「いつまででも居ていいよ?」
「はい?!」
「いや、明日は休みだし。今のところ会社の方も、緊急事態とか起きてないっぽいし。お夕飯食べられそうなら食べてほしいし。ここが休まるんなら、もっと休んでてほしいし。という、意見です」
椅子から立ち上がり、
「まあ、言えそうになったら教えて。私、仕事に戻るけど、声かけてくれて良いから」
「は、はい……」
シンクに向かい、マグカップ洗って紅茶を淹れて。私はパソコンに向かった。




