第四話
◇ ◇ ◇
「ここが、聖アマーリア学園……」
目の前に立ちそびえる巨大とすらいえる建物を前に、ティアナはそう呟いた。
現在ティアナとアレクシスとフローラ、そしてティアナのメイドとして付いてきたエイミー達一行はベルティーユから発ち、無事に聖アマーリア学園へと到着していた。
本来ならダライア王国の王宮にでも出向く手筈だったのだが、どうやら国王と学園長が学園で待機しているらしく、急遽学園へと向かうことになったのだ。
ダライア王国は規模でいえば先進国ではあるが小国でもある。大陸での実権を握ることはまずない。この大袈裟なまでの歓迎は、大陸での有力者たちと接点を持つことができることがどれだけ喜ばしいかということを象徴していた。
「ティアナ……本当に、その格好で行くつもりなのか?」
アレクシスにそう指摘され、ティアナは今の服装を見下ろす。
ティアナは今、エイミーが仕立て直した、清楚かつ気品のある聖アマーリア学園の制服を身に纏っている。この学園ではほとんどの令嬢が辛うじて原型を留める程度に制服にアレンジを施しているらしく、そのままだとかえって悪目立ちする可能性があるためティアナはエイミーに仕立てを頼んだのだった。
普通の令嬢であれば仕立て屋に頼んで自分好みのものへと変えるのだが、ティアナは勉強で忙しかったのでそこにまで気を配る余裕がなく、瞳を輝かせて制服を見つめていたエイミーに頼むことにした。
エイミーは大喜びして早速仕立てに取り掛かり、リタにティアナを任せて部屋に引きこもった。そして、当日ギリギリに完成したのがこの制服だったのだが――ティアナはこれを大層気に入っていた。
だから、ティアナは眉を顰めた。
「なぜ、そのようなことを?」
誰が見ても、その制服の出来は見事な物だった。
質素な紺色のブレザーは裏地を上品で重みのある紅に変えており、白いスカートのサイドにはそれぞれ同色のリボンが縫い付けられている。また、胸元につける白いリボンには金色で王家の紋章の刺繍が施されていた。果てにはエイミー作の黒いチョーカーの上に、ティアナの瞳の色である薄紫の宝石が輝いている。
ちなみに、アレクシスの瞳の色である青色が一切含まれていないのは偶然ではない。
アレクシスはティアナの隣でじっとこちらを見据えて立つエイミーを一瞥した後、
「いや……いつもとは違う格好だから、この前のように、ティアナに変な虫がつくだろうと思って」
「虫……? なんのことか存じ上げませんが、殿下に何かをいわれる覚えはございません」
ティアナは突き放すように言うのと同時に、こう思った。
(アレクシス様は、前の私の方が好きだったのかしら)
それなら好都合だ。これからあの派手でけばけばしい自分になるのはやめよう。そうしたらきっと彼も、自分のことを嫌ってくれるはず。
「それと王太子殿下、婚約者同士でもないのに私をそのように呼ぶのはおやめください」
「っ――嫌だ。まだ婚約は成立しているんだから、ティアナを名前で呼ぶことくらいは認められてもいいだろう」
「……ですが、」
ティアナが言い返そうとしたその時、
「王太子殿下、お姉様。そろそろ中に入りましょう? 従者の方が困っていらっしゃるわ」
やんわりとそう告げて微笑むフローラにいたたまれず、ティアナはふいと目を逸らした。
「――ええ、そうね」
「ここが皆さんが本日から入って頂くSクラスで、あの渡り廊下の先にあるクラスがAからDクラスの教室となっております。そしてここを少し進みますと舞踏室、医務室の先に薔薇園、公共庭園、特別庭園が見えます」
「庭園が多いのですね」
「ええ。庭園は色々と用途があるので。ちなみに薔薇園は社交や作法の授業で使用する場合が殆どですので、休みの時間に入ることは基本的に禁止されております。気を付けてくださいね」
ティアナの問いに答えた学園長――バリー女伯爵はそう言うと微笑んだ。
現在ティアナ達は五人で廊下を歩き、校舎や授業の説明を受けていた。ティアナはエリーザから学園のことを何回か聞いていたのでほとんど事前に知っていたことだったが、実際に来てみると想像と違うことが多く、興味深かった。
ちなみにティアナはあの後シエルに指摘された場所を重点的に勉強し、その結果なんとか最上位のクラスに入ることができていたので、二人と同じSクラスである。
暫くバリー女伯爵は歩きながら話をしていたが、寮に着き、寮で掃除でもすると言うエイミーと別れ寮の説明をした後で、往復してSクラスの前に再び立ち止まると、こんこんと扉を叩いた。
「この時間であれば休み時間の筈です。どうぞお入りください」
確かに先ほどまで扉からは話し声が漏れ出ていた。ティアナは学園長に一礼をして、ノックの音でしんと静まり返った部屋の扉を開く。堂々と歩き出したティアナの後にアレクシスとフローラも続いた。
本当は自ら進んで歩くなどしないつもりだったのだが、ティアナははやる気持ちを抑えきれなかった。
(エリーザは……………………っ!)
見つけた。出会った時より少しだけ幼く、健康的な体つきをしているエリーザを。
頬が痩せこけているわけでもない。おぼついた足取りで牢内を歩いているあの時とは違った。かつて暗く淀んでいた瞳は知的に輝き、ピンと背を張って自分よりも格が上の存在であるティアナのことを見つめている。
無事だった。やはり彼女も、ここでちゃんと生きていた。
(よかった……)
安堵とともに涙が溢れそうになって、ティアナは慌ててそれを堪えた。
その代わりに教壇の辺りで立ち止まって前を向き、カーテシーを見せる。そして、余所行きの微笑みを浮かべた。
「ダライア王国の皆様、御機嫌よう。ベルティーユ王国より参りました、第一王女のティアナ・アルテネ・フォン・ベルティーユと申します。本日から皆様と勉学に励んでいきたいと思っておりますので、宜しくお願い致しますわ。
――それと、突然入ってきてしまってごめんなさい。学園に入学するのは初めてで、いてもたってもいられなくて」
そうティアナが挨拶すると、フローラもそれに続いた。
「同じくベルティーユ王国よりこちらに来させて頂いた、第二王女のフローラ・アルテネ・フォン・ベルティーユと申します。皆さんと仲良くしていきたいと思っているので、どうぞ宜しくお願い致します」
ふんわりと微笑むフローラに、何人かの子息達が息を呑む。すると、最後にアレクシスが一歩進み出た。
「僕はディアランド王国の王太子、アレクシス・サーフェス・リル・フォン・ディアランドと言います。そこのティアナの婚約者でもあるから、求婚は受け付けられないけど、これから宜しくね」
「――!?」
あからさまにがっかりとする令嬢達をよそに、ティアナはアレクシスの方を見た。しかしアレクシスの方は笑いかけてくるだけで特に何も言ってこない。
留学についてきたのは、これが目的だったのだろうか。ティアナが正式に破棄を切り出せないように、周りから堀を埋めていくつもりなのだろうか。
(どうして? 私とアレクシス様の婚約に一体何の利益があるというの? ディアランド王国は、ベルティーユを直に取り入れるつもりなのかしら)
どちらにせよ、婚約を破棄しなければアレクシスは不幸になる可能性が高くなる。前はティアナに関わるだけで死んでいった人がたくさんいたのだから。
ティアナはそうやって苦悶し――そして、こちらへ歩み寄ってくる人影にさっと冷静心を取り戻した。
無礼にもティアナ達の目の前に堂々と立つのはこの国の王太子とわざとらしく愛嬌を見せる女、そしてその女を囲むようにして蕩けるような視線をティアナに送ってくる男達だった。
そして、王太子の婚約者である将来の国母のはずのエリーザは礼儀正しく両者と距離を取って佇んでいる。
「こんにちは、アレクシス様! 私はメイベル・コームと申します。どうぞベルとお呼びください!」
真っ先にアレクシスに話しかける女――メイベル・コームの様子に、ティアナはため息をついた。
(男と地位にしか目にない無礼な娼婦……エリーザの言っていた通りね)
「ああ、よろしくね、コーム嬢」
その言葉に、ピシリとメイベルの顔が固まる。後ろで令嬢達がくすくすと笑った。
一方で、フローラが王太子に話しかける。
「改めて御機嫌よう、ディルク・ステリア・ダライア王太子殿下。お会いできて光栄です」
「おっ、俺の名前をご存知だったのですか?」
「ええ、もちろん。王太子殿下の王国での実績を王宮で聞いて、わたくしとても感激いたしましたの。政治についてのお話を本人の口からお聞かせ願えればどれだけ嬉しいかと思っておりまして、こうしてお会いできる機会ができると知って興奮のあまり毎晩眠れなくて」
「そ、そうなのですか? では後日、話の場を設けましょうか?」
「まあ、本当ですか!? ありがとうございます!」
フローラに手を握られて、ディルクが照れたように頬を染めつつも同志を見つけた時のキラキラとした瞳を向けている。それはフローラも同様だった。
あれは天性だろう。実際両者ともに政治について興味があるし、片や大きな実績があり、片やあのほんわかとした性格に反して国務には非常に役立つ。
ティアナはそんな二人を見た後、残りの男達に視線を送った。なぜかティアナに見惚れるように頬を赤くして呆けたように立ち尽くす三人を、ティアナは冷静に見定める。
エリーザと同じ黒髪に赤の瞳をしている長身の男はエリーザの兄だろう。その隣にいる二人のうち一人は幼馴染のアルフォードに違いない。もう一人は分からないが、過去にエリーザと関係をもっていた人間ではないだろう。
でも、そんなことは関係ないし、どうでもいい。
エリーザを傷つけた輩は壊す。生半可な殺しはしてやらない。それは、全員に決定したことだった。
ティアナは憎しみを抑え込んで、彼らに向かって微笑む。すると、三人は顔をさらに赤くした。
そんな様子は気にも留めず、次にティアナはエリーザの方を向く。ティアナと、目が合ったエリーザは頭を下げた。
「お初にお目にかかります、ベルティーユ王国の第一王女様。私はエリーザ・ヴァーネイドと申します。この度は本国にご足労頂き、誠にありがとう存じますわ。旅中は如何だったでしょうか」
「特になにもありませんでしたわ。心配してくれてありがとう。――ところで」
「なんでしょうか?」
ティアナは微笑んだ。
「貴女に、寮までの付き添いを頼んでもいいかしら?」




