第九話
「そこのメイド、少しいいか?」
「……なんでしょうか」
先ほどロザーリオがアレクシスとティアナを二人きりにさせてしまったことが原因なのか、エイミーは冷たい目線を送る。
しかしロザーリオはそれを軽く受け流して尋ねた。
「ティアナが、私達を避けている理由を知っているか?」
「知っていますが、教えられません」
エイミーが即答する。ロザーリオが眉を顰めた。
「何故だ?」
「私はティアナ様の専属メイドです。主人の秘め事を外部に漏らすわけにはいきません」
「……」
ロザーリオは顎に手を当てて考えるような素振りを見せながら、エイミーの方を見た。彼女のその真剣な瞳にはティアナへの絶対的な忠誠心が窺える。
(このメイド、随分と変わったな……)
――ロザーリオは、一年ほど前に王宮でエイミーの姿を見たことがあった。
傲慢に廊下を闊歩しているティアナの傍らで怯えて立っているその姿は、見る者たちの同情を誘うものだった。
それなのに、今はこんなにも堂々としている。その上王族の――それも王太子の――発言に口を挟むなど、ティアナの為ならば命さえも投げ出せるとでも言わんばかりの行動力だ。この数ヶ月でこのメイドに一体何があったのだろうか。
(……ん?)
ロザーリオはそこでふと、首を傾げた。
(この顔、どこかで見たことがあるような……)
どこか、その面影に見覚えがあった。
ロザーリオが記憶の中を探っていると、エイミーが突然口を開いた。
「全て私にお任せください、王太子殿下。穏便にことを終わらせてみせます」
「……」
(『穏便にことを終わらせてみせます』? 一体、なんのことを言っているんだ?)
疑問符が頭に浮かぶが、ロザーリオは無言を貫いた。
すると、エイミーは小さく呟く。
「…………それと、ティアナ様のことですが――あの方は、もう……手遅れです」
「!? それはどういう――」
――扉が開く音に、ロザーリオの声は掻き消された。
思わず後ろを向くと、そこには瞳を濁したアレクシスが立っていた。その表情には心なしか怒りが映っているように見える。
「義兄上、今日からここに泊まります」
「……は?」
「ティアナが僕との再婚約を認めてくれるまで、ここにいます」
ロザーリオは暫く呆然としていたが、そののち深くため息をつくと、それを認めた。
「……分かりました」
「ありがとうございます」
そう言うなり去っていくアレクシスを視線で見送り、そしてエイミーの方を向くと――そこにはもう、彼女はいなかった。恐らくティアナの元に向かったのだろう。
ティアナのことも、エイミーのことも――謎だらけだ。ロザーリオはもう一度ため息をつき、口を開く。
「あのメイド――エイミー・ララについて調べてくれ。少々手荒な真似をしてもいい」
ロザーリオの背後にいた‘‘影‘‘が静かに消える気配を感じる。王族の‘‘影‘‘は優秀揃いなので、一日もしないうちに情報が集まるだろう。
ロザーリオはしかし‘‘影‘‘に頼ってばかりではいけないと気を引き締めながら、自室へと足を運んだ。
◇ ◇ ◇
ティアナが過去に戻ってから、一年が経った。
先刻誕生日を迎えたばかりのティアナは現在、貧民街の一角で一枚の紙を片手に立っていた。目線の先には見るにもボロボロの小屋がある。
(ここに、シエルが言っていた暗殺者がいるのね……。まあ、多分あの男だと思うけど)
そう、一国の王女であるティアナがわざわざここまで足を運んだのは、シエルが手紙で教えてくれた腕の立つ暗殺者がいるからだった。
暗殺者とは、人を殺すことを主にしている殺し屋の一種である。だが、金を与えれば王族直属の影のように情報収集やストーキングのような追跡行為もしてくれる。それは、ティアナにとって今一番求めているものだった。
ジェネットのことや、聖女について。監視も含めて、隅から隅まで調べて貰うつもりだ。
本来ならば影に頼めばいいのだろうが、内容が内容だけに彼らには到底頼めない。そこで、シエルが親身になっているという暗殺者を紹介してもらったのだ。
ちなみに今、エイミーはティアナの外出の件が外部に漏らされないように王宮で別行動をしている。それは、ティアナが舞踏会に出席した時からずっと王宮に滞在しているアレクシスにバレない為であった。
大きく息を吸い込み、呼吸を整えて取っ手のない扉を押す。
すると――扉の仕掛けが発動して、大ぶりのナイフの先がティアナの喉元すれすれに突き出される。ティアナがもう少し体格が良かったら間違いなく刺さっていただろう。
――しかし、ティアナは驚くこともなく微動だにしない。それどころか余裕を持って、辺りを見回した。
(外側はただのボロ小屋だけれど、中身はしっかりしているわね。床も全く音を立てないし……)
ティアナが床を何度も踏み、床の頑丈さを確かめていると、ふと奥の方から自分に迫る気配を感じた。ティアナは気配がこちらに来るより前に口を開く。
「この仕掛け、外してくれないかしら?」
嫌そうに顔を顰めているティアナの様子に、一瞬、気配を感じさせていた人間の足が止まった。
――そして、次の瞬間には仕掛けは外れていた。
ナイフがゴトリと音を立てて床に落ちる。――いつの間にかそこにいた長身の男が、それをゆっくりと拾った。
「気に入ってくれなかったのですか? 丹精を込めて作ったというのに」
「全然? ――それよりも、本題を話さない? ええと、名前は……アース、だったかしら」
「……私の名前を、知っているのですか?」
「ええ、まあ」
そうやって訝しげな表情を作り、優男のような体つきをしているその人物に、ティアナは見覚えがあった。
数年後も今も変わらない、シエルの片腕であり、世界屈指の暗殺者でもある男。名前は確かに、アース・ヨルトだ。
ティアナは手元にある紙をひらひらとさせた。
「シエルから貴方を紹介して貰ったの。――だから、お願いね?」
その言葉の意味が分かったのか、アースは何故か不機嫌そうな顔をしながらも頷いた。




