幕間 元婚約者と兄殿下の対談
(一体僕は、どこで間違えたんだ?)
舞踏会が終わり帰路に着いた後、ロザーリオは内心で頭を抱えて王宮の廊下を歩いていた。
突然現れた、いつもとは違う美しい着飾り方をしていたティアナが見知らぬ男に連れ去られていくその姿は、ロザーリオの心をズキズキと痛めていた。それを誤魔化すようにロザーリオは思う。
(このことを知ったら……きっと、義兄上も協力してくれるはずだ)
でも、恐らく、自分にも協力してはくれないだろう。あの人も、ティアナを愛しているから。
ロザーリオは部屋の扉に手をかけたところで、珍しく焦りの汗で手が滲んでいることに気が付いた。
今まで余裕を持っていられたのは、ティアナにあからさまな好意を向けられていたからだ。――少し前まではその態度を素直に呑んで、自分達は両想いだと、そう思っていた。
否、実際にそうだったのだろう。しかし、何らかのきっかけがあり、ティアナは自分を嫌いになった。恐らく、そういうことだ。
歯噛みをしながら扉を開けると、そこには一人の人影があった。ロザーリオは、ぽつりとその名を呟く。
「……ロザーリオ義兄上」
室内に設備してあるテーブルに持っていた紅茶を置き、足を組んでこちらを見つめた黒髪の青年は、ニコリともせずに言った。
「もうティアナとは婚約解消したのだから、義兄と呼ばれる資格はないですよ、アレクシス殿下」
ロザーリオ――否、ロザーリオの格好をしたアレクシスは、優雅に暇を持て余していたであろうその様子に顔を顰めた。
今日、アレクシスは用事があると言っていたロザーリオに代わって舞踏会に出席していた。
最初は難色を示したが、「ティアナに会わせてあげますよ」と言われるとどうにも敵わなかったのだった。
アレクシスは不満ながらもロザーリオの方に近づき、向かい側の席に腰を下ろす。
そしてロザーリオがパチンと指を鳴らすと、アレクシスは元の姿に戻った。
「……便利なものですね、神聖力も」
「私からしたらこの程度の力は日常ですよ。ディアランドの王族はこんなことも出来ないんですか?」
その言葉にアレクシスは黙り込む。確かにそれはロザーリオの言う通りで、ディアランドの血筋に神聖力は流れていない。
公には知られていないが、神聖力は傷を癒す他に基本的になんでも出来る御伽噺の魔法のようなものでもあり、その用途は種々多様である。ちなみにティアナもそのことは知らない(ジェネットのこともあり内々察してはいるが)。神殿で働く神聖力の使い手――神官でさえもその事実を把握している者は極僅かだ。
ベルティーユの王族の先祖は神の祝福を受けた人間で、その為その血筋を少しでも引いていると神聖力が使える。だから大体の王国の貴族はそうなのだが、ロザーリオのように広範囲で使える者は直系の者のみだ。それか、その素質が備わっている者のみ。
アレクシスの珍しく嫌味がない様子を見て、畳み掛けるようにロザーリオが言葉を重ねた。
「ちなみに――ティアナには私の何百倍もの力がありますよ」
「!! ……そう、なのですか」
目を見開くだけで関心は別の所にあるアレクシスが気に入らなかったのか、ロザーリオはにっこりと微笑んでまた口を開いた。
「ティアナの新しい婚約者候補は既に数人挙がっています。早くしないと――」
――ダンッと大きな音がし、テーブルが揺れた。
その要因を作ったアレクシスは、叩いたテーブルの上に手を置いて、怒りの眼差しをロザーリオに向ける。
「……義兄上、これ以上僕を煽るのはやめて頂きたいです」
しかしロザーリオはそれに怯むことはなく、余裕のある笑みを見せる。
「恋の一つで焦りを見せていては、大国の王は務まりませんよ」
「……っ、……そう言う義兄上も、愛しの妹に無視を決め込まれて焦っているのではないですか?」
「でも、私はそれを表に出してはいません」
「………確かに、そうですが」
アレクシスは密かに歯を食い縛る。今まで何度もロザーリオとこのようなやり取りをしたことがあるが、ここまで押されたのは初めてだ。それだけ自分が憔悴しているということなのだろうか。
「そんな国王の器とはかけ離れたアレクシス殿下に提案があります」
ロザーリオの嫌味に顔を顰めつつも聞き流し、アレクシスは沈黙で続きを促した。
「最近大陸中の国を騒がせている聖女の噂をご存知でしょうか?」
「……もちろんです。数か月前までサンテクデュレイル神殿に滞在していたという情報を耳にしたことがあります」
「それなら話が早いですね」
ロザーリオは何事も無さげな表情で微笑んだ。
「聖女を殺しましょう」
「……」
「代わりに、聖女の素質があるティアナを立てるのです」
「……聖女の素質?」
「ええ、今のところは私と陛下しか知りませんが、まず間違いありません」
「……」
「話を続けますよ。
ティアナが聖女になれば、アレクシス殿下の国……ディアランド王国はティアナを欲します。ディアランドの王室の人間で男性の未婚者はアレクシス殿下のみですので、婚約は再度結ばれることでしょう。……そもそも、ディアランドの国王が婚約解消の件を知っているのかも怪しいですし」
「……」
その沈黙を肯定と受け取り、ロザーリオは笑顔で続ける。
「他の国から申請があっても、そこの辺りは安心して頂いて構いません。婚約解消がきちんと済んでいるなら別でしたが」
ロザーリオが一通りの説明を終えると、アレクシスが疑問を投げた。
「……聖女を殺すことに何の意味があるのですか? 聖女をベルティーユ王国に取り込めば、そちらも利益を得られるのでは?」
「……それは私情ですので、残念ながらお答えできません。強いて言うのなら――ソフィー関連のことです」
「……レナラルト公爵令嬢のことですか」
ソフィー、もといソフィア・レナラルト公爵令嬢はロザーリオの婚約者だ。ロザーリオは妹への溺愛っぷりも激しいが、ソフィアのことも心から愛している。実はこの二人は、貴族内では珍しい恋愛結婚ならぬ恋愛婚約なのだった。
「はい。彼女の事情も含んでいますので、詳しいことは言えません。
ですが――ティアナの為にたくさんの人間を排除してきた貴方になら、この程度容易いことでしょう?」
「……分かりました。引き受けましょう」
都合のいいように駒にされていると感じながらも、自分から見ても利益があるのでアレクシスは渋々それに乗った。
「それでは、駄目元で一度ティアナの部屋に行ってみましょうか。既に寝ているかもしれませんが」
そう言って立ち上がったロザーリオは、その場を動こうとしないアレクシスに訝しげな視線を送った。
「……他に何か?」
「…………実は、今日の舞踏会、ティアナが途中から出席していたんです。でもその後、一人の男に手を引かれて人気のないテラスの方へ消えてしまって――」
その瞬間、ロザーリオが初めて顔色を変えた。その表情からは焦りが窺える。
「……何故早くそれを言わなかったのですか?」
アレクシスはロザーリオの言葉と同時に、自分の失態に気が付いた。
あの時はティアナが連れていかれていたことに動揺して上手く体が動かなかった。今考えれば、どうしてあの場で彼女の元へ駆け寄り、その手を掴まなかったのだろうか。もしかしたら……今頃ティアナは……。
最悪の事態を想像してしまい、アレクシスの顔が青ざめる。人気のないテラスは、貴族達からすれば格好のやり場なのだ。何故あの時気づかなかったのだろうか。
今更悔やんでももう遅い。アレクシスはそう思いつつも、勢いよく立ち上がった。そして自分の考えが杞憂であることを願って、ティアナの部屋に向かって駆け出した。




