SIDE:B 亮
「この寒いのに、1時間も体育館でじっと座ってるなんて、拷問だよな」
「仕方ないじゃない。去年もやったことでしょ」
「去年は、風邪ひいても困らなかったからいいけど、受験は卒業式の翌日なんだぞ。
風邪ひいて受けらんなかったり、熱出して頭はたらかなくなったりしたら、どうしてくれんだよ。
だいたいさぁ、高校受験も終わんねぇうちに卒業式とか言われてもピンと来ないんだよな」
「亮ってば文句ばっかり。ほかに言うことないの?」
そんなこと言ったって、高校行ったらお前と離れ離れになっちまうんだぞ。面白くないに決まってんだろが。なんて鈍い奴だ。
こいつは、俺のイトコの真実。母さんの兄貴の亮介おじさんの娘だ。
俺には父さんがいない。生まれる前に死んじまったって聞いてるけど、嘘だ。
だって、うちには仏壇がない。父さんの写真もないし、誰も名前さえ教えてくれない。
きっと、結婚の約束してた相手に捨てられたんだ。
母さんは、絶対に父さんの悪口を言わない。「亮がいるから、お母さんは幸せだよ」なんて、耳にタコができるほど聞かされてきたけど、そんな時にも父さんの名前は出ない。
母さんが職場の飲み会で酔っぱらって帰って来た時にさりげなく話を出しても、絶対にノッてこない。
小学生の頃、“父の日にお父さんに手紙を書こう”なんて宿題が出て、困って母さんに相談した時もだ。
結局、あん時は母さんが亮介おじさんに「亮のお父さん、やってくれない?」なんてお願いしてくれたんだっけ。
おじさんも「俺のこと、お父さんだと思って何でも相談しろ」なんて言ってくれて。嬉しかったなぁ。おじさんが本当に父さんだったらいいのにって思った。正直、今でも思ってる。
あの頃、真実が「私のお父さん、とらないで!」なんて言ってきたのを、「真実ちゃんと結婚したら、おじさんが本当にお父さんになるんだよ」なんて言ってごまかしたっけ。
「ずっと一緒にいるから」なんて、できもしない約束までして。
──そうだよ。ずっと一緒って、約束したのにな。
俺と真実は、小学校から中3の今までの9年間のうち、3~4年生と中2以外は同じクラスだった。
6年だ。学校が終わった後も一緒に過ごすことが多くて、感覚的にはいつも一緒にいた。
けど、それももう終わる。
俺と真実は、違う高校に通うから。さすがに高校生になると、学校帰りにおじさんち、なんてこともできなくなるだろう。
小学校の頃は、真実と一緒に宿題やってて、真実のわからないところを教えてやったりしてた。
それで「亮くん、すご~い」なんて褒められたのと、感謝されたのとが嬉しくて、いつでも教えてやれるよう、勉強を頑張るようになった。
中学になると、試験勉強一緒にやるようになって、カップルみたいだって有頂天になってた。
危機感を感じるようになったのは、中2の夏くらいだったかな。
俺と真実の成績に、明らかに差が付いてきた。
このままじゃ一緒の高校に行けないって焦った俺は、真実に勉強教えながらイライラするようになった。もっと上手に教えないと、ちゃんとわかるようになってもらわないと、って。
俺が受ける高校のランクを落とせば、とも考えたけど、女手1つで育ててくれてる母さんに、真実と一緒にいたいから受ける高校を落とすなんて言えなかった。
そうして、気が付いたら、真実との間に見えない壁が出来ていた。
話してても、前みたいに素直に笑い合えなくなっていた。
「そっか。もう同じ高校通わないんだな」
「せいせいしてるって顔で言わないで。ムカつくから。
もう、試験勉強でお世話になったりもできないんだね」
いかにも“残念”って感じで真実が言う。
これは、あれだ。この前の試験勉強の時、「もっとしっかりしてくれよ。高校違うと、試験勉強もみてやれなくなるんだぞ」って言ったのを根に持ってるな。だってしょうがないじゃないか。俺だって焦ってたんだ。
「別に、学校違ったって、勉強くらい教えてやるよ」
むしろ、そうでもしないと、お前との接点がなくなっちまう。
「教科書も試験範囲も違うんだもん、できるわけないじゃない。
気持ちだけもらっとくよ、ありがと」
あっさり。拍子抜けするくらいあっさり、真実は俺を突き放した。もう、いらないって。
あまりのショックに、その後何を話したのか覚えていない。
「あれ? なんだ、これ?」
卒業式が終わって教室に戻ると、机の中に手紙が入ってた。裏返してみても、中身を見ても、差出人の名前は書いてない。
内容は、グランド脇の出入口に来てくれというものだった。大方、ボタンが欲しい下級生だろう。行くこたない。自分の名前も書かないような奴の自己満足に付き合ってやるほど俺は暇じゃない。
だけど、“帰ろう”と真実に言ったら、行けって言われた。
「こんな、誰だかわからない呼び出しにこたえるのか?」
「ちく…女の子が告白するって、すごい勇気いるんだから。ちゃんと受け止めてあげて」
今、誰かの名前を言おうとしたな。誰からか知ってるってことか! 知ってて、俺に告白されに行けっていうのか。
それが、お前の答えなのかよ…。
「…わ~ったよ」
幼なじみで、イトコで、初恋同士で…。
ずっとこのまま付き合っていけるって思ってた。
そんで、いつかは結婚するんだって。
子供の頃の初恋をこじらせてたのは、俺だけだったってわけか。いつフラレたかもわからないなんて、マヌケな話だな。
呼び出された場所に行ってみると、同じクラスの築井が待っていた。
真実が言いかけたとおり、か。
「来てくれてありがとう」
「このこと、真実は知ってるのか?」
真実の名前を出すと、築井は狼狽えた。
「わ、わたしは、言ってない…から…知らないと、思う。
あの、もしかして、桜井さんと付き合ってたり、するの?」
そのつもりだったんだけどな。つもりだけだったみたいだよ。
「いや、別に」
「だったら、わたしなんて、どうかな? 受ける高校一緒だし、その…」
「2人とも受かるかどうかなんて、わかんないだろ」
ばっさり切り捨ててやっても、築井はめげなかった。
「だったら、2人とも受かったら考えるってことでいいから。ずっとあなたを見てました。好きです。わたしと、付き合ってください」
ずっと見てました、か。
それで、俺と真実は付き合ってるように見えなかったわけだ。なんだ、本当に俺の一方通行だったのかよ。
「受かってから考える。悪いけど、今は考えられない」
「それでいいから。考えて、ください」
築井に背を向けて、俺は1人で家に帰った。
「母さん、俺、真実にフラレたらしいよ」
夕飯の時、母さんに話してみた。情けないが、1人で抱え込むのは辛いから。
母さんは、少し首をかしげた後、何でもないことのように言ってきた。
「あんたはどうしたいの?
真実ちゃんに手を振り払われたってんなら、あんたが取る行動は2つに1つ。
振り払われた手をもう一度取るか、諦めるか、よ」
もう一度取るって、それじゃストーカーみたいじゃんかよ。
「諦める…しかないんだろうな」
ぽつりとこぼした言葉をまた母さんが拾った。
「それも選択の1つね。
初恋を叶えられる人なんて、そう多くはないのよ。
恋は1人ででもできるけど、愛は相手がいるもの。
母さんは初恋の人と結ばれたけど、義姉さんの初恋の人は兄さんじゃなかったし。
あんたが真実ちゃんを諦められないなら、どんなにみっともなくてもすがりつけばいい。
諦められるなら、諦めればいい。それだけ」
受験が終わって、すぐに真実のところに行ったけど、真実はしばらく会いたくないと言って、顔も見せてくれなかった。
そして、合格発表の日、無事合格した俺に筑井が話しかけてきた。
「おめでとう! わたしも合格したよ!」
「あのさ。悪いんだけど、俺は真実が…」
「知ってる。うまくいってないことも。わたし、ずっと桜井君のこと見てたから」
ずっと…? 母さんの言葉を思い出した。「諦められないならすがりつけばいい」…そうか、こいつはすがりついてるんだ。
「まだ…俺は真実を諦められない。だから…」
「今は、ね。わたし、絶対忘れさせてみせるから」
そっか。俺は、これができてなかったんだ。
真実にもっとストレートに気持ちを伝えるべきだったんだ。筑井みたいに。
今からでは遅いかな。でも、まだ、可能性はあるはずだ。
「俺だって、簡単に諦められるとは思ってないぞ」
「わたしも、絶対諦めないから」
そう言って笑った筑井の顔は、思わず見惚れるくらい眩しかった。