9.学園の騒動 事件
だが、残念ながらそうも言ってはいられなくなった。サリーが怪我をしたのだ。
グローリアに直接は言えない矮小な者たちが大人数で下位貴族のサリーにグローリアに対する聞くに堪えない罵声を浴びせ、それに反論したサリーを突き飛ばし、サリーは運悪く転んだ先にあった花壇の角で額を打った。
気を失い酷く頭から出血したサリーの様子を見た女生徒が悲鳴を上げ、騒ぎを聞きつけた教師によって事件が発覚した。それは当然グローリアの知るところとなり、事態の深刻さから王宮の知るところとなった。
「お父様、お母様。わたくしは王国の良心たるイーグルトンの公女です。弱きを守り慈しむことこそ我が家門の矜持でございましょう。………まさかこの期に及んで尚も何もするななどとは、仰いませんわよね?」
幸い、酷く出血はしたがサリーの額の傷は深いものではなく、しっかりとした治療さえ受ければ目立つ痕も残らないだろうとのことだった。事態を重く見た王宮が王宮侍医の派遣を決め、完治するまでの間しっかりと治療をするとの確約も得た。これ以上の問題が起きないよう対応もしてくれるという。
だが、そんなことはグローリアにはどうでも良い。友人たちの身が安全になるのは良いがそれは必要最低限だ。
彼らはあまりにもやり過ぎた。憶測と噂だけで判断してものを言い、それだけに留まらず嫌がらせを繰り返し、あげくの果てに暴力にまで及んだ。彼らもまたグローリアの守るべき弱き者たちではあるが、決して許すことなどできはしない。
「分かっている、ジジ。お前の気持ちは痛いほど分かる。私たちもこのような事態に陥る前に全てを終わらせるつもりだった。だが少し…難しい部分があってな。後手に回ってしまった。お前の友人たちには随分と辛い思いをさせてしまったはずだ………本当にすまない」
父であるイーグルトン公爵がグローリアを愛称で呼び、その筋肉質な大きな体を丸めて頭を下げた。母もまた、父の隣へ座りその肩に手を添え、「ごめんなさいね、ジジ」と悲しそうな目でグローリアをじっと見つめた。
官吏として出仕している長兄と次兄は今回の件の絡みで王宮に詰めているのだという。第一騎士団長である父も本来であれば戻ってくる予定は無かったが、グローリアへの説明責任を果たすためにいったん屋敷へ戻って来たのだ。
「わたくしへの謝罪は不要です。わたくしには大した被害はございません」
今回は大ごとになったせいで表沙汰になったが、これが初めてでは無いだろう。ドロシアもサリーも、グローリアが何度問いただそうとも何もないと笑うだけで決して口にはしなかったが、大小含めてかなりの嫌がらせを受けていたはずだ。全てはグローリアの目の届かぬ場所で行われており、グローリアは助ける術を持たなかった。
――――悔しい…。
グローリアは唇を強く噛み俯いた。五大公爵家の一角、イーグルトン公爵家の唯一の姫であり第一騎士団長の娘。王族の血を引く絶世の美姫。地位と血統ばかりは国で指折りのグローリアだがそれが何になるというのか。大切な友人すら守れないグローリア自身にいったい何の価値がある。噛みしめ過ぎた唇から鉄の味がする。その痛みさえ足りないとグローリアはこぶしをぎゅっと握り締めた。
「ジジ、もう少し待て。もう少しだけだ。決して、悪いようにはしない………絶対だ」
父もまた悔しそうに歯を食いしばり、堪えられずにぼろぼろと涙をこぼす愛娘をじっと見つめた。
グローリアは常に公女という立場を強く意識して生きてきた。奢らぬよう、けれど侮られぬよう常に気高く慈愛深くあらんと生きてきた。そんなグローリアにとって今のこの状況がどれほどの苦痛なのか、父にとっても母にとっても想像に難くは無いようだった。
「ジジ…」
いつの間にか隣にいた母がそっとグローリアの唇に触れた。痛々しく血のにじむ唇をハンカチで押さえ、グローリアの震える肩を抱いた。
「終わったら、何もかもちゃんと話すわ。だからお願いよ…もう少しだけ、耐えてちょうだい」
「ごめんなさいね」と何度も何度も謝る母の声は今にも泣きそうで、グローリアの肩をさする手もかすかに震えていた。
「わかり、ましたわ………」
グローリアはそう答えるしかできなかった。今回の件には王弟殿下が…王家が絡んでいる。間違いなく、学園内ではとどまり切らないグローリアの伺い知れぬ何かの事情も動いている。
そして、これほどまでに悪意が増幅した原因………後ろに、誰かいるのだ。父すら難しく思うほどの、誰かが。
ふと、グローリアの脳裏にふたつの美しい若草色がよぎった。優しく細められた若草色と、花開くように煌めいた若草色。どうかそれだけはあってくれるなとグローリアはぎゅっと強く瞼を閉じて頭を振り、その誰かの面影を脳裏から追い出した。




