7.一目惚れ(終)
目を見開いたデイルの向こう。街灯の上にぽっかりと、今にも消えそうに細い月が浮いている。
思ったよりも上を向いている自分の首に、目の前ですっかり固まっているデイルが背の高いアレクシアより更に頭ひとつ分大きいことに初めて気が付き、アレクシアの頬が急に熱を持った。
「っああ、ごめんね。そういえば君は女性が苦手だったよね。いや…それより何より四つも年上の私が言うことでは無かったな」
アレクシアが頬の赤さを誤魔化すように首を軽くふるりと振って「冗談だよ、ごめんね」と笑って流そうとすると、瞬きひとつせずに固まっていたデイルがぶんぶんと、焦ったように頭を横に振った。
「いや、まっ、お待ちください!!つきあうって、そのっ、恋人、ということでしょうか…!?」
先ほどまでとは打って変わりなぜか妙に丁寧な言葉でまくしたてると、ぐいっとデイルが近づいてきた。お互いの間にあった二歩ほどの距離が一歩に縮まり、反射的にアレクシアの左足が半歩下がった。
「ああ?えっと、そうだね?そういうこと?だと思う、よ?」
「良いんすか!?!?!?!?」
デイルが更に目を見開きぐっと前のめりになり、アレクシアも咄嗟に更に仰け反った。仰け反りはしたが嫌な気持ちにならない自分に、アレクシアは首を傾げた。
「良いのか、って……?」
「恋人に、なってくれるんっすよね!?」
気が付けば、両手をぎゅっと握られていた。硬くかさついた手はアレクシアのそれよりずっと大きい。普段アレクシアが触れる御令嬢方の手とは全く違う、剣だこだらけの武骨で温かい手だ。握られた手の温もりが心地よくてアレクシアの口元に自然と笑みが浮かぶ。
「まぁ、きっとそいう話…だと思う、よ?」
自分でもなぜあんなことを言ったのかが分からず、どうにも歯切れの悪い返事になってしまう。けれど否定したいとも思わないし、手を振り払いたいとも思えない。
アレクシアがどうすれば良いのか分からず視線を泳がせていると、「うわぁ、まじかぁ…」とデイルが感極まったように呟き天を仰いだ。そうして、何かに気が付いたように真顔になり、ばっとアレクシアに視線を向けた。
「あ……俺、本当に学園での成績が悪くて…全然伯爵の夫とか、できそうにないんすけど…」
眉を下げ、死の宣告を受けたような顔でデイルが告げた。
がさつだし、言葉遣いも荒いし、貴族らしいこともできないし、あ、でもダンスは割と得意で…とぶつぶつと言いながらも顔色がどんどんと青から白へと変わっていく。
「それでも、いいっすか…?」
消え入りそうな顔で唇を震わせたデイルに、アレクシアの中で何かがかちりと音を立てた。
つい先ほど唐突に「恋人」などという話をしたばかりだ。今まで親しく話したことももちろんない。
それなのに当たり前のように将来に思いを馳せ、しかも女伯爵の配偶者という、家の後継者以外なら誰もが欲しがる地位を喜ぶのではなく不安に思うのは、なぜか―――。
「そう……そうだね」
それはきっと、デイルが誠実だからだ。己を正しく知り、向き合い、自分にできることとできないことを明確に理解しているからこその、不安。どこまでも好ましいその誠実さに、アレクシアの口角が自然と上がった。
デイルの語る未来は心地良い。アレクシアも握られた手をそっと握り返すと、白くなっていたデイルの顔に一気に色が戻り、琥珀の瞳がまた嬉しそうにきらきらと輝きだした。
「大丈夫。一緒に歩んでくれれば、それでいいよ」
魅入られたように口からまた滑り落ちた言葉に、アレクシアは自分の心が自然とデイルとの未来を受け入れたことを悟った。
「えっと…とりあえず、アレク卿」
「デイル」
「っ!ぅぇ!?」
何かを言いかけたデイルに被せるように名前を呼ぶと、デイルが真っ赤になってうろたえた。先ほどまでぐいぐいと驚くほど押していたのに敬称を外した程度でずいぶんと今更だ。けれど、悪くない。
「デイル、シアでいい」
シア。それはポーリーンだけに許した愛称だった。
自分の『本当』を誰より理解してくれる、口数も表情筋の動きも少ないのに本当はとても豊かな内面を持つ大好きな友人。最高の相棒。その人だけに許した名前を、アレクシアはあっさりとデイルに許してしまった。だが、これも悪くない。
「シ…ア…」
「うん」
噛みしめるようにアレクシアを呼ぶデイルに、アレクシアもゆっくりと頷いた。
何度も何度も「シア」と呟くデイルに、アレクシアも「うん」と答え続けた。初めはくすぐったかったのに、繰り返すほどに段々とおかしくなってきて、最後にはふたりで顔を見合わせて笑った。
「シア、とりあえず、飯食いに行きましょう。遅くまで開いてるうまい店があるんです!」
デイルは握っていた両の手を一度放し、ぱっと片方の手を差し出した。アレクシアが戸惑いもなくその手を取ると、デイルは嬉しそうに破顔してぎゅっと強く握ってくれる。少しだけ痛いことがアレクシアはとても幸せな気がした。
「あ!!庶民が行くようなとこなんですけど大丈夫っすかね…?」
「大丈夫、ポール卿も私も割と大衆的な店を好むんだ。そうは見えないらしいけど」
アレクシアがおどけたように肩を竦めると、デイルは「じゃぁ大丈夫っすね!」とまた嬉しそうににかっと笑った。
「まずは着替えてくるかい?騎士服のままというのも…味気ないだろう?」
アレクシアは繋いでいない方の手で白の騎士服を摘まんだ。
普段は制服のまま上着だけ変えて出てしまうことが多いが、アレクシアも一応、いわゆる『デート服』になりそうなものは持っていた。これまで着ることはなかったが、初めて自分の意志で女性らしい服を着たいと思えたことが何だかとてもくすぐったい。
「そうっすね、着替えましょう!シアの私服、楽しみっす!」
そう言って歩き出そうとして、繋いだままの手に気が付いたデイルが言った。
「手……離さないと駄目っすよね……」
しゅーんと、音がしそうなくらいにデイルがしおれた。そのなんとも悲しそうな顔に、アレクシアは静かに、けれど確実に「落ちた」と思った。
自分も子犬には弱かったのかと、アレクシアは今頃仮の住まいで腹の黒い子犬にじゃれつかれて途方に暮れているであろう親友に思いを馳せた。次に会ったら笑ったことを謝ろう。ポーリーンもきっと笑ってくれるはずだ。
「すぐ着替えて来る。そうしたらまた、手をつないでくれる?」
「っ、もちろん!!」
にかっと笑い、俺もすぐ戻るっす!と言ってデイルは駆けて行った。どんどん遠ざかっていく背中に、これはアレクシアもかなり急がねばならないかもしれないと苦笑した。
足早に女子寮の自室に戻ると、アレクシアは自分の瞳と同じ紫光のグラデーションの、胸元がカシュクールになった艶のあるワンピースをクローゼットの奥から取り出した。いそいそと着替えて軽くしわを伸ばし、そうして、豊かな黒の髪をほどくと姿見に自分を映した。口元が自然と綻んでいる自分にふと、思う。
―――これも一応、一目惚れかしら?と。
『見世物騎士の日常と一目惚れに着いて』 〔了〕
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次の章は第三章に出てきた騎士のお話。
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