2.榛色のリビー
そんな会話をしたのも今は昔。ケネスは約四年前に年下の幼馴染令嬢の卒業とほぼ同時に結婚し、今では二歳になる非常に愛らしい娘がいる。大人になったら嫁に欲しいと冗談で言ったら稀に見るほどのとても良い笑顔で「死にたいの?」と聞かれた。冗談でも二度と言わないとジャックは心に決めた。
ジャックはその後新しい婚約者を得ることも無いまま現在二十五歳。今年で二十六歳になる。もてないわけではない、決して。ただ、誰もがジャックの容姿に夢を見ているようで、ジャックがジャックらしくあることを許してくれなかった。
跡継ぎでもないし職も安定しているし無理に結婚することも無いかな…そう、思い始めたところだった。
「ジャック様!ケネス様!!」
綺麗に結い上げた混じりけの無い赤の髪の後れ毛を揺らし、青灰色の瞳を見開いて扉の前に立つジャックたちを見た王妃殿下の侍女は、いつも年上と思えないほど可愛らしいがその日はとても美しかった。
「良かった、ご無事だったのですね…」
そう言って嬉しそうに目を細めてくれた優しい笑顔にほんの少しの切なさを感じたのは仕方がないと思う。
赤髪の侍女…ハリエット・メイウェザーはジャックを見ても何も期待しなかった。ジャックをジャックのままに見て、あるがままに接してくれた。
そういう女性はジャックにとってはとても貴重で。それなりに年上ではあるが自分たちに会うたびに明るく笑ってくれるハリエットに、彼女なら好きになれるかもしれないとそう思えた、のだが。
「残念だなぁ…」
心から零れ落ちた言葉だった。本当に残念ながら出会うのが遅かったようで、花開くどころか芽吹く前にあっさりと種ごと取り去られてしまった。
「今回はちょっと、残念だったね」
礼儀正しくはあるけれど裏も表も感じないハリエットのことはケネスも気に入っている。もちろん女性としてではなく人として。
「だな」
王妃殿下の侍女殿と知り合いというのは自分たちの立場としても悪くない。何より、ハリエットは相手がいるにも関わらずジャック達に秋波を送ってくるような令嬢たちとは違う。
「これからも仲良くしてくれるといいんだけどなぁ」
「そうだね」
ハリエットの夫になる人が寛容であることをジャックは密かに祈った。
そうして、そんな少しばかり感傷的な会話をしたのも既に一昨日の話。ハリエット達との視察随行が嘘だったかのようにジャックとケネスはいつも通りの日常に戻っていた。
特に王族の警護に呼ばれることも無く、いつも通りに書類仕事をして城内の巡回をして鍛錬をする。
「あーいた!先輩のお友達っ!!」
突然、どこかで見たことのある女性に指をさされたのはぽかぽかとした春の午後の昼下がり。少し眠くなってきたので書類仕事を止めて相棒のケネスと鍛錬でもするか、と鍛錬場へ出てきたところだった。
パタパタと走って来たのは榛色の髪を二つに分けてサイドから緩く編み込み前に垂らした、榛色の瞳の女性だった。見覚えはあるが思い出せず、ジャックがちらりとケネスを見ると、「王妃殿下の」と教えてくれた。
「こんにちは、お嬢さん、何か御用ですか?」
ジャックはにこりと微笑むと胸に手を当て軽く一礼した。するとおさげを揺らしてパタパタと走って来た女性が手前できゅっと止まり、ふぅ、と息を吐くと優雅に膝を折った。
「突然のお声がけ申し訳ございません。王妃殿下が侍女、スコットニー伯爵家のリビーと申します。主よりおふたりへお手紙を預かってまいりました。こちらお納めくださいませ」
人を指さして駆けてきたとは思えない優雅な仕草と微笑み。あまりの変わり身にジャックは思わず吹き出してしまった。
「ふは…ご丁寧にありがとうございます。第一騎士団所属、タイラー伯爵家のジャックと申します」
「コーツ伯爵家のケネスです」
ケネスもまた丁寧に騎士の礼をとり名乗ってはいるが、肩が揺れたのをジャックはしっかりと見た。
「あー…失敗ですね、やっぱり最初が駄目でしたかね……。まだ先輩のようにはいかないなぁ…」
うーんと腕組みをしてむーっと口を尖らせるリビーは大変愛らしいが、間違いなく王妃殿下の侍女としては駄目な部類だろう。
「先輩、ですか?」
「あ、ハリエット・メイウェザー先輩です!他の先輩方はルイザ様!エイプリル様!…って感じなんですけど、先輩は何かこう、先輩!って感じなんですよね」
分かるような分からないようなことを言ってリビーはにこにこと笑っている。その表情から悪意を感じないので、恐らくハリエットを特別慕っているのだろう。
「先輩はすごいんですよ!お茶も一番美味しいし、強いし、猫もいっぱい上手に被れるんです!!」
騎士団の鍛錬場に見学に来る御令嬢方が同じことを言えばジャックもケネスも皮肉か?と思うだろう。だが目の前のリビーはどう見ても本気で褒めているつもりのようだ。
「猫ですか」
「あああ!!!!」
榛のただでさえ大きな瞳を更に見開いてリビーが左手を左頬に当てた。
「違います!そうじゃないんです!!先輩は本当に…えっと…とにかく、とっても強いんです!王妃殿下のお命をお救いしたこともある、私の憧れなんです!!」
誤魔化したようだが誤魔化せてはいない。ただ、これもまたやはり本心なのだろう。慌てて泳いでいた視線は今はきらきらと輝いている。
ハリエットが王妃殿下の命を救った件はちょっとした伝説となっている。まだ国王陛下と王妃殿下が結婚して間もないころ襲撃事件があり、護衛と引き離された後もハリエットが戦い、今は亡きもうひとりの侍女が身を挺して王妃殿下を守り抜いたという。
その時の傷が原因でハリエットは独身を決意したのではないかと言われているが定かではない。事件当時、ジャックもケネスも学園への入学すらまだだったのだ。傷痕など、ジャックなら気にしなかったのだが。
「なるほど、ハリエット様がお好きなんですね」
「はい!!大好きなんです!!」
ジャックが頷くと、リビーも我が意を得たりとばかりに満面の笑みで頷いた。




