15.前日 2(加筆修正中)
自分の悪評などひとつやふたつ増えても同じだといつも豪快に笑うライオネルは、当たり前のようにいつも全てを被ってしまう。誰が望まなくとも、ライオネル自身が進んで被るのだ。兄王と国のために。
「まさか王宮夜会で公表してしまうとは思いませんでしたね。陛下を唆して御璽を押させたのは自分だ、でしたか。セシリア様の口元が珍しく引きつっていらっしゃいました」
「ええ。心の優しい陛下が弟の我儘を仕方なく飲んだ体で押し切られましたね。ポール卿にもそのように説明されたと聞いた時には僕も胃痛がしました……」
ダレルが遠い目をして胃の辺りを押さえている。この国は宰相をはじめ、国王と深く関わる人たちはどうも胃痛持ちになるらしい。セシリア付きで本当に良かったと、ハリエットも何となく自分の胃をそっと撫でた。
「ポール卿に関しては、さすがに当事者でもいらっしゃいますのでセシリア様とアンソニーさんがある程度の真実を告げておられましたよ。さすがに陛下の暴走は言えませんので原因は王弟殿下に被せましたが、御璽に関しては方法は告げずにアンソニーさんが押し切ったことになりました。私もその場にいましたが、ポール卿ははなぜか不敬とか謝罪とか、しばらくこう、魂が飛んだように明後日の方を向いていらっしゃいました」
「ああ、 ポール卿は王弟執務室で啖呵を切ったそうですよ。ライオネル殿下相手に」
「そうなんですか?」
「ええ。ベンジャミンがとても楽しそうに教えてくれましたよ。何でもアンソニーも暴走して乱入して大変に面白かったとか」
「面白がるところでは……」
「ベンジャミンですから仕方ありません」
「ベンジャミンさんもよく分からない方ですよね……」
ふと脳裏を赤褐色の短い髪の楽し気に目を細めた読めない笑顔がよぎり、ハリエットは思わず眉をしかめてしまった。
慌ててパチパチと目を瞬かせたハリエットに、ダレルはふっと笑いをかみ殺すように口元にこぶしを当てた。
「ライオネル殿下を大切にしていることだけは確かです」
「たまにそう見えないのが不思議ですね」
「ライオネル殿下の優先順位に合わせてるいるんですよ」
「王弟殿下のですか?」
ハリエットがぱちくりと目を瞬くと、ダレルが「はい」と困ったように眉を下げた。
「ライオネル殿下の優先順位が陛下と王妃殿下と国に偏っていらっしゃいますから」
「あの方も、本当に陛下とセシリア様を大切に思っていらっしゃいますからね…」
ハリエットが視線を下げると、ダレルもまた「ええ、痛々しいくらいに」と眉を下げた。
「私もセシリア様を大切に思う気持ちは誰にも負けないと自負していますが……それにしても、王弟殿下の献身は昔から度が過ぎるように思えます」
「そう、ですね。昔から、ライオネル殿下は変わりません。本当に昔から……」
ふと、どこか自嘲気味に笑うとダレルは軽く首を横に振り、「ですが」とまたいつもの穏やかな表情で微笑んだ。
「だからこそ、あの非常に個性の強い側近たちもライオネル殿下の側にいるのでしょうね。ああいう方だからこそ、彼らのような強い思いを持つ者たちが支えようと思うのでしょう」
「アンソニーさんも本来であれば優秀な方ですものね」
「はい。今回はアンソニーがライオネル殿下に泥を被せた形になりましたが、これが別の人間がやったことならそれこそアンソニーが本気で潰しにかかったでしょうね。ベンジャミンが止めるでしょうが」
「止めるんですか?」
「アンソニーのやり方では生ぬるいらしいですよ」
「ベンジャミンさん、こわい」
思わず猫がずるりと大量に剥がれてしまい、微笑がすんっと真顔になった。
ハリエットは慌てて優雅に周囲を確認すると、誰もいないことを確認してほっと胸を撫でおろした。ダレルとふたりで歩いているところは誰かに見て欲しいが、王妃殿下の侍女としての品格を崩すわけにはいかない。
「昨年の婚約の時にも確か色々あった気がするんですが…アンソニーさんはポール卿が絡むと碌なことを、いえ、少し度が過ぎますね」
「ええ、ふふ。この声の大きさなら周囲に人がいても聞こえませんから、ハリエットのままで良いと思いますよ」
ライオネルのポーリーンと第二騎士団に関する失態は簡単に許せるようなものではないが、それを差し引いても今回のライオネルの悪評は間違いなく自分の暴走の結果であり失敗であるとアンソニーも責任を感じているようだった。
ポーリーンが寮から子爵邸へ移ってこないこともあるが、今のアンソニーは自主謹慎中のライオネルの側からまったく離れようとしないのだとベンジャミンが困っていた。
「いつか、あの方を真実理解してくださる方が現れると良いのですが…」
あと半年もすれば王子フレデリックが立太子する。そうなればライオネルも晴れて自由の身だ。王弟という立場から現在も縁談は多いが、さて、どれだけの者がライオネルを色眼鏡で見ずその本質に気づけるのだろう。
色眼鏡を掛けずとも少々困った人であるのもまた事実なのだが…。昔を思い出してハリエットがくすりと笑えば、ダレルが不思議そうに首を傾げた。
「いえ、昔をちょっと」
「ああ、なるほど、昔を」
納得したように頷いたダレルとふふ、と微笑み合い、その後も他愛ない話をしながら回廊を歩いていく。途中、幾人か顔見知りとすれ違ったがハリエットもダレルも目礼をして通り過ぎた。自分たちはどのように見えただろうか、明日からのしばしの別れを惜しんでいるように見えただろうか。
そうこうしているうちに王妃宮の入り口の前に着いた。ここより先、警護の騎士と特別の許可があるものを除き、王族とその同伴者以外の男性は立ち入りができない。今のダレルは国王陛下と一緒ではないのでこれ以上先には進めない。
どちらからともなく立ち止まる。何とも気まずいまま、そのまま立ち去ることもできずふたり俯いたままでしばらく向き合っていた。
「ハリエット」
先に口を開いたのはダレルだった。静かに名を呼んだダレルをハリエットが見上げると、ダレルが淡く微笑んだ。
「あんな厄介な頼みごとをした僕が言うことではありませんが……どうか、無理をしないで…気を付けて」
そう言うとダレルはハリエットの右手を取り、そっと両手で包み込んだ。ポケットから出した何かがハリエットの手に乗せられる。
「手紙を書きます」
手を握ったままダレルが頷いた。ハリエットもまたダレルを見つめて頷き返した。
「私も、必ず」
自分たちは共犯者だ。明日からはこの国のために偽りの恋文を送り合う、偽りの恋人同士。ハリエットが笑みを深めると、ダレルもまた笑みを深めて頷いた。
そうして「では、また」と頷いて去って行くダレルの後ろ姿に「はい、また…」と小さく呟いたハリエットの声は届いたのかハリエットには分からない。
しばらくダレルの背を見送り王妃宮にいただいている部屋に戻ると、ハリエットは握りしめていた右手を開いてみた。そこにあったのは、小さな缶と緑のリボンで缶に括りつけられた四つ折りの小さな紙。
飾り気のない白い紙に少し硬い、けれど丁寧な文字で書いてあったのは共犯者への壮行でも念押しでもなく、たったひと言だった。
『疲れたら食べてください』
ハリエットの手のひらに乗る大きさの小さな缶を開けてみると、その中には最近流行り始めたバタースコッチが五粒入っていた。
先日、ライオネルがセシリアとの茶会という名の説教に手土産で持ってきたものをハリエットも一粒もらったが、甘く濃厚でとても幸せな味がしたのを覚えている。
ハリエットは早速一粒口に入れた。バターの香りが鼻を抜け、口の中に濃厚な甘さが広がる。クリームのように濃厚に溶けていく飴はセシリアにもらったものよりも更に甘く、とろけるような幸せな味がした。
ハリエットは缶の蓋を締め、自分の手荷物を開けるとレターセットを確認した。そうして一緒にバタースコッチの缶を入れるとふっと微笑み大切そうにそっと鞄を締めた。




