7.三日前 7
カップをソーサーへゆっくりと戻す。
燭台の明かりの影が濃くなり始めたなと思っていると、ボーンとグラウンドクロックが重く響いて時を告げた。ちらりと確認すれば、そろそろ内宮の食堂が開く時間になろうとしている。
うっかりため息を吐きそうになってハリエットがゆっくりとした瞬きで誤魔化していると、音もなくカップをソーサーに戻したダレルがぽつりと、呟くように言った。
「………元副団長と加害者の令息、並びに元副団長に不正を依頼した令息も全員すでに処罰が決定し、一部執行されています。そちらの方は滞りなく進んでいる、の、ですが……」
それからどこか迷うように視線を揺らすと「はぁ…」と深いため息を吐き、そうして首をまたふるりと横に振ると、ダレルはどこか諦めたように微笑んだ。
「……王妃殿下のお怒りは解けそうにありません、よね」
「そうですね。しばらくは無理だと思います」
ハリエットが頷くと、ダレルはゆるゆると首を横に振りながら苦笑した。
「まぁ、当然ですよね…」
「そうですね、王弟殿下のポール卿に対するあれはやり方がまずかったとはいえ、ギリギリ王妃殿下の許容範囲ではあったと思います。やり方はよろしくありませんでしたがポール卿とアンソニーさんのおふたりを思ってのことでしたので……。やり方は非常に、まずかったですが」
ハリエットは大切なことなので三回繰り返した。理由はどうあれ、やり方が良くなかったことは間違いない。ダレルは項垂れながらもハリエットの言葉にこくり、こくりと頷いている。
「です、が」
そこで言葉を切ると、ハリエットはぐっと、背筋を伸ばしてダレルを真っ直ぐに見つめた。
「陛下がなさったのは被害者であるポール卿を更に苦しめる、考えられないほどの悪手です」
「はい。本来であれば分かった段階で即座に聞き取り調査をするべきでした。責任の所在が見え次第、何より先に第二騎士団とポール卿への謝罪なり補償を行うべきでした」
とん、とダレルがテーブルを軽く指で叩いて眉根を寄せた。
珍しく苛立ちを見せたダレルを少し意外に思いつつ、ハリエットも頷いた。
「そうなのです。王妃殿下が最もお怒りでいらっしゃるのもその点です。あまりにもポール卿のお気持ちを軽んじた行いでございましたから」
「婚約の話は、その後にすべきでしたね」
「そうですね。婚約の解消とポール卿の退団届けを保留にするのは王妃殿下もお許しになったと思いますから」
苦笑したハリエットに、ダレルも眉を下げて微かに苦く笑った。
「王妃殿下は均衡を重んじる方ですからね」
「そうですね、結果が出るまでは強硬な姿勢は取られなかったと思います。ですから、その間に調査を進めてアンソニーさんがポール卿に頭を下げるべきですた。王弟殿下も動かれたでしょうし。わざとではないにしろ原因のひとつになりましたから」
「はい、きっと。だからこそ、アンソニーが何を言おうとも、陛下は一国の王として王命での婚姻など絶対に認めてはならなかった。それなのに……」
そこで言葉を切ると、ダレルは何かに耐えるようにぎゅっと目を閉じこめかみを揉んだ。その気持ちが痛いほど分かりハリエットの眉も下がる。痛々しいダレルの様子に、ハリエットは続く言葉を引き取った。
「御璽を押した理由が王妃殿下への希少な贈り物の手配、でございますからね。ポール卿の意思を完全に無視したことに対してもお怒りですが、王として、王族として、あまりにも浅慮であることに大変お怒りです。しばらくは無理、でしょうね…」
「そう、ですよね…」
はは…、と乾いた笑い声を上げながらそのまま地面にめり込んでしまうのではないかと思うほど深く項垂れたダレルを見ながら、ハリエットもまた遠い目になった。
「今日で、五日目でしたでしょうか」
「はい。今回はお食事をご一緒するどころか必要な会話もありません。ご存知の通り、我々経由か書簡のみです」
「そうですね、いつもでしたらお食事とお仕事の会話はなさいますものね」
「はい。お怒りは収まらずとも数日もすれば王妃殿下がいつも通り接してくださるのですが、今回は……」
「陛下はいない者として扱うようにと、わたくしたちも王妃殿下から、その…」
ハリエットが言い淀んでいると、ダレルがふるりと首をひとつ横に振りゆっくりと起き上がった。
「王妃殿下は臣民をとても、大切にしていらっしゃいますからね」
ハリエットを見たダレルの口元には、どこか諦めたような微笑が浮かんでいる。
「そう、ですね。『国や王家が存在できるのは臣と民があってこそ。苦しめるのではなく、踏みにじるのではなく、慈しみ、育み、共に歩むことこそ最上』と、王妃殿下はことあるごとにわたくしたちにも繰り返し仰います。その大切な臣下をこれ以上ないほど踏みにじった上にその理由がご自身への贈り物のためなどと言われてしまっては、さすがに……」
「公平と規律を重んる『王国の天秤』のお血筋も、王妃殿下ご自身の慈愛深さも、王族としての矜持も。今回の件はどれをとっても王妃殿下には二重、三重にお怒りでいらっしゃいますよね……」
眉尻を大きく下げるとダレルがまたがくりと大きく肩を落とした。
「陛下から目を離したつもりは無かったんですが…」
ダレルは国王陛下の唯一とも言える侍従だ。従者もいない。
内宮付きの侍従は他にもいるのだが「邪魔だって言って片っ端からクビにしちゃうから、ダレル以外は陛下の側に置けないのよねぇ」と王妃殿下が日々ため息を吐いている。
そんな状態でもう十年以上だ。たとえ陛下に出し抜かれる日があったとしても、ダレルひとりを責めることなど誰にもできはしない。「陛下が申し訳ありません……」と口角を下げるダレルに、ハリエットは「いいえ。不可抗力です」と苦笑してもうすっかり冷めてしまった紅茶をひと口含み、小さくため息を吐いた。




