6.三日前 6
何かを思い切るように目を閉じ小さく息を吐つ首をゆるゆると横に振ると、ダレルはハリエットに向き直り困ったように眉を下げて微笑んだ。
「メイウェザー嬢…この際、礼儀も建前も省きましょう。どうぞ素のままでお話しください。僕もそうさせていただきます」
元気いっぱいに走り去った猫たちを今更連れ戻すのも億劫なため、ハリエットはありがたくダレルの提案を受けることにした。
了承の意味を込めてひとつ頷き、ハリエットは淑女の仮面を脱ぎ去りきゅっと赤の眉をひそめた。
「…たったの十日ですよ?」
国王陛下が何をするか分からないためそう多くはないが、通常時でもどちらも忙しければ十日程度なら顔を合わせないこともある。時間が合わなければお互いの邪魔にならないよう寝食も別の部屋となるためだ。
ちなみにその間、国王陛下からセシリアへの愛の手紙は日々絶えることなく送り続けられる。返事をしないと周囲を振り切って国王がセシリアの元へ来てしまうので、それを阻止するためにセシリアからも三日に一通くらいは大変短いお返事が行く。
「はい、たったの十日ではありますが…今回は王妃殿下のお怒りが解けませんので陛下のお手紙へのお返事がいただけるかどうかが分かりません。それにも関わらず視察先は近場………行こうと思えば、簡単に追いかけることができてしまいます……」
「あー…」
へにゃりと眉を下げ辛そうに表情を崩したダレルにハリエットも察した。
今回は十日しか時間を取れなかったため王都から馬車で三日ほどの領地を二か所、合間に周辺地域へ立ち寄ることになっている。
馬に比べ馬車は遅い。特に王妃の一行ともなれば品位を保つ荷物や各地への土産物、侍女に護衛にその他随行の者も含めればかなりの人数になる。それが一度に移動するため当然、移動速度は更に遅くなる。
馬車に比べ馬は…特に軍馬は早い。馬車が一日で行く距離を、本気で走らせれば一時間もあれば走破してしまう。途中の駐屯所で軍馬を変えつつ休憩なしで走れば半日もあれば余裕でセシリアの滞在場所へたどり着くだろう。幸か不幸か国王陛下は軍馬もそれなりに操れる程度には乗馬が苦手ではない。
つまり、国王陛下の不安が頂点に達すれば視察先が遠くないがゆえにセシリアを追って馬で王宮を飛び出しかねないのだ。唯一止められるはずのセシリアは当然不在であり、止められる可能性のある王弟ライオネルはアンソニーの件の火消し中であり常に国王陛下を監視するのは難しい。
「何が起こるか容易に想像がつくのが嫌ですね…」
「ええ、そうなのです…」
王妃殿下の視察中、あとに残される者たちの心痛と心労はいかなものになるだろう。
今回の騒動には意図せずとはいえ宰相閣下も一枚嚙んでしまったせいでセシリアから大変冷たい目で注意を受け、ただでさえ普段から胃痛を抱えているのに更に強い胃薬が処方されたと聞いている。万が一国王陛下が脱走するようなことがあれば今度こそ倒れてしまうのではないだろうか。
「ですので………」
ダレルが縋るような目でハリエットを見た。
国王陛下の暴走はままあるが、それでもどんな時でも穏やかに微笑んでいる印象しかないダレルの初めて見る表情に、ハリエットは思わず背筋を伸ばし「はい!」と頷いた。
「陛下のこれ以上の暴走を阻止するためにも、妃殿下のお心と国の平和のためにも…どうかメイウェザー嬢、この視察の間、僕に恋文をいただけないでしょうか…?」
泣きそうな顔で胃のあたりを押さえつつダレルはハリエットをじっと見つめた。ダレルも実は胃痛を抱えているのかもしれない。
ハリエットは王妃セシリアの専属侍女ということもあり常に忙しくはしているが、日々心は平穏である。かぶらねばならない猫の数は途方もなく多いが、この王宮で王族に関わる者たちの中でセシリア付きが最も恵まれているのかもしれないとハリエットは改めて再認識した。
「恋文の体をしたセシリア様についての報告書をストークス様宛に送ればいいんですよね?」
「はい。可能であれば、大変申し訳ないのですが、その……定期報告に乗せて…毎日……送っていただければと………」
心から申し訳なさそうな顔で両手を胸の前で組み祈るようにダレルが言った。
王弟付き秘書官アンソニーも似たような顔をして似たような仕草をすることがあるが必死さが全く違う。あちらはその仕草に毎度若干のうさん臭さを感じるハリエットではあるが、ダレルのこれは…あまりにも切実でひたすらに気の毒に感じてしまう。
どちらにしろ協力しない、という選択肢はハリエットには無い。呼ばれた時から何となく予感はしていたが、拒否をすれば更なる面倒ごとが発生し大切なセシリアの心を更に煩わせる未来しか想像できない。
時間があればもっと良い方策を共に考えることもできたが出立はすでに三日後。とてもでは無いが作戦を練る時間も対策をする時間もない。協力者を募ろうにも国王陛下の暴走癖は決して外に漏らしてはいけない秘密であり、その上セシリアに知られたくないとなればさらに人選が難しい。
もっと早く言ってくれればと思わないでもないが、恋文をやり取りして噂が立っても特に困るハリエットでもなし。ということで、ハリエットは腹を括った。
「分かりました、お引き受けします。ある程度真実味を持たせるためにも残り数日ではありますがどうか私のことは公式の場以外では恋人らしくハリエットと。私もダレルと、呼び捨てにさせていただきます」
「ありがとうございますハリエット!!必ず陛下は僕たちで抑えて見せます!!」
ぱあああ!っと音がしそうなほどにダレルの表情が晴れる。青白かった頬に赤味が戻り、緑の瞳が潤んで雨上がりの木々のように煌めいた。
あまりの変わりように苦笑しつつもハリエットはダレルに手を差し伸べた。
「期待してます、ダレル。十日間、頑張って乗り切りましょうね」
これ以上国王陛下が暴走しないように、これ以上王家の威光が揺らがないように。
王妃付き侍女ハリエット・メイウェザー伯爵令嬢と国王付き侍従ダレル・ストークス侯爵令息はがっちりと両手で握手をして共闘を誓い合った。




