5.三日前 5
「ああ…本当にどうしろと…」
ダレルが両手で顔を覆い、がっくりと項垂れて「陛下はどうしていつもこう、突拍子もない発想に…」と首を横に振りつつ呟いた。
その後はあー、うー、ともごもごと繰り返すばかりのダレルの次の言葉を待ったが、短気なハリエットは結局待ちきれず口を開いた。
「今回の一連がどうしたら恋文と繋がるのでしょうか?」
ハリエットは強く言ったつもりは無かったのだが、ダレルはびくりと肩を揺らし、それからそうっと顔を覆った手の指を開くと指の間からちらりとハリエットを伺った。
ハリエットが怪訝そうに首をかしげると、ダレルは再度「はああああ」と更に大きなため息を吐いて項垂れた。
もしかしたらこの十年以上共に王宮で働いてきた間に聞いたため息の数よりも今日の方が多いかもしれない。
俯いたまましばらく何かをぶつぶつと繰り返し、意を決したように姿勢を正すとダレルはじっとハリエットを見ながら言った。
「………王妃殿下の視察が、三日後から始まりますね?」
「そうですね。私も随行します」
そう、ハリエットは三日後から王妃セシリアの十日間の慰問を含む視察へ随行する。
例年なら十四日間、遠方へ赴く年はひと月ほどかけて各地を巡るのだが、今年は半年後に王子殿下の立太子の儀を控えているため日程を短縮して出かけることになっている。そのため本日は残業なしでの帰宅であり、ハリエットにとっては視察前にゆっくりできる最後の日でもあったのだ。
頷いたハリエットに、苦虫をかみつぶしたような顔でダレルが続けた。
「いまだ仲直りできていないことを陛下がいたく気にしておりまして…。このままでは仲直りできないまま王妃殿下が視察に出てしまうと…非常にその……落ち着きを失くしておられまして……」
「そうですね。夫婦喧嘩では日程の中止も延期もありえませんね」
実は国王陛下が裏で今回の視察の日程を急遽変えようとしたことをハリエットは知っている。それに気付いとたある筋からすぐに報告があり事なきを得たのだが、そのこともまたセシリアの怒りを増長させ結果として今がある。ハリエットはあえてここでは言及しなかったが。
「はい。それで……その……不安になった陛下がいつもの無茶を…いえ、王妃殿下の侍女殿から報告書を貰えと仰るのです」
「報告書ですか?」
「はい。王妃殿下は視察中にどのように過ごされたのか、王妃殿下はどのようなご様子だったのか………少しは陛下を思い出されたのかを、手紙で貰えと…」
大変申し訳なさそうな顔でハリエットの表情をちらりちらりと確認しながらダレルが言った。おそらくその報告書の書き手にハリエットが選ばれたのだろう。
ハリエットとまだ年若い後輩以外の王妃付き侍女は皆、既婚者だ。恋文となれば対象者は自ずと絞られる。恋文ならば、だ。
「護衛につく騎士の報告では駄目なのですか?騎士は一日に一度必ず報告書を送るはずですよね?」
視察の護衛と同時に騎士たちは街道や周辺状況の把握の任にもついており、一日に一度、必ずそれまでの道程についての報告書が送られることになっている。彼らに頼めば日々滞りなくセシリアの様子がしたためられ送られることだろう。
「常であればそれで十分ですが、王妹殿下が慰問中なこともあり今回の王妃殿下の視察には女性騎士が付きません」
「はい、そうですね」
「陛下は王妃殿下を男性が観察…見守ることを良しといたしません…」
「ああ…そういう………」
今回は毎年恒例の春の視察ということもあり、また予定している訪問先を考えても大きな危険は無いと判断され護衛は第一騎士団の近衛のみで構成されている。
第一騎士団にはアレクシア・ガードナーのような見目麗しい女性騎士も複数在籍しているが、今回は未婚の王妹殿下の修道院や孤児院への慰問が重なったためそちらへついている。
第二騎士団にも女性騎士はそれなりの数が在籍しているが彼女たちが王族の直接の護衛に着くことはほとんどない。第二騎士団が随行するのは人員が足りない場合か、危険があると判断された場合のみ。その場合も第一騎士団の騎士が周囲を固め、その更に周囲を第二騎士団が囲むことになる。
国王陛下は自分と王弟ライオネル、我が子以外の男性がセシリアに近づくことをとても嫌う。王妃付き侍女はハリエットを含む数人に武術の心得があることもあり、騎士たちは護衛とはいえそれなりの距離を取っての随行となるのだ。確かに、あれではとてもではないがセシリアの様子を常に伺うことは難しい。
むしろセシリアをずっと見つめてなどいては、なまじ第一騎士団の騎士は見目と家柄の良い者ばかりのため何だかんだ理由をつけ、下手をすれば物理的にも首が飛びかねないのだ。国王陛下なら、やる。
「そんなわけでして…王妃殿下の侍女殿に手紙で王妃殿下の様子を知らせてもらうように、との仰せです。ただ、陛下が探りを入れていることを王妃殿下に知られたくないので私と…その、あなたとの恋文として、やり取りをしろと…」
「え?馬鹿なの?」
視線を逸らしてしょんぼりと肩を丸めたダレルに、ハリエットの心の声が思わず漏れた。
ハリエットの本質は今でも昔のやんちゃな少女のままであり、貴族らしからぬメイウェザーの血筋は争えない。
だが、ハリエットは人生をセシリアに掛けると決めている。王妃であるセシリアの側に居るため、セシリアの役に立つためにだけに礼儀作法から教養、社交や駆け引きに至るまで、本来であれば己の辞書には無かったことをハリエットはこれまで必死に努力し続けてきた。
その甲斐もあり、また師匠となる上司の非常に厳しい指導もあり、ちょっとやそっとでは剥がれない見事な毛並みの猫をハリエットは何匹もその身に飼っているのだ。
が、国王陛下のあまりにも斜め上の発想に、強固に爪を立てていたはずの猫たちが裸足で逃げ去って行った。
「あ!申し訳ありません!聞かなかったことに!!」
「いえ、お気持ちは分かります。私も命じられた時、同じ言葉を陛下に言いそうになりました」
その時のことを思い出しているのだろうか、ダレルが眉を下げ、どこか遠い目をして明後日の方向を見てため息を吐いた。




