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第15巻:如月令嬢は『空想の産物を認めない』  作者: アリス・リゼル


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第3話『冒険』(前編) ~section 8:古代魔獣ゴーレムと、魔法の炎~

 焼け焦げた大平原のクレーターを背にし、僕たちは地平線の彼方にそびえ立つ禍々しい影……『魔王の迷宮』を目指して歩みを進めた。


 太陽が西に傾き、空が赤黒いグラデーションに染まり始めた頃。僕たちの目の前に、それは姿を現した。

 荒涼とした岩肌をくり抜くようにして作られた、巨大な門。その表面には、王冠の台座に刻まれていたものとは比べ物にならないほど複雑で、吐き気を催すような禍々しいルーン文字がびっしりと彫り込まれている。門の奥からは、冷たく、そして強烈な魔力の波動を含んだ瘴気が、絶え間なく吹き出していた。


「ここが、魔王の迷宮……」


 僕は、勇者の鎧の重さも忘れ、その圧倒的な威圧感に息を呑んだ。

 これまでの道中、黒田さんと翡翠さんの理不尽なまでの暴力によって魔物を粉砕してきたとはいえ、やはりこの『ダンジョン』という空間特有の閉塞感と死の気配は、僕のような一般高校生の精神を容赦なく削り取ってくる。


「サクタロウ、いつまで入り口で突っ立っておる。お主のその無駄な感傷に付き合っている暇はないぞ」


 僕の後方から、如月さんが冷ややかな声をかけた。

 彼女は、ミッドナイトブルーのコルセットドレスの裾を翻し、一切の躊躇なく、瘴気の吹き出す迷宮の入り口へと足を踏み入れた。純白の手袋に包まれた右手には、常にアンティークの銀のルーペが握られている。


「ちょ、如月さん! 勝手にズンズン進まないでくださいよ! ここからは本格的なダンジョンなんですから、罠とか奇襲とか……!」


 僕が慌てて後を追うと、彼女は鼻で笑った。


「愚鈍。罠というものは、対象の運動エネルギーや重量、あるいは体温といった『物理的なトリガー』に反応して作動する機械的機構に過ぎん。そして奇襲もまた、空間における質量の移動と気配という物理現象を伴う。わしの『観測』の網の目から逃れられる現象など、この迷宮の中には存在せん」


 その言葉通り、如月さんは迷宮の暗闇の中を、まるで勝手知ったる自室のように迷いなく進んでいく。

 彼女の目は、床の石畳のわずかな浮き沈みや、壁の苔の生え方の偏りから、罠の機構や隠し扉の存在を完璧に見抜いていた。毒矢の飛び出すスイッチは寸前で回避し、落とし穴の偽装は足音の反響音の違いだけで察知する。


「本当に、この人は……どこにいようが『如月瑠璃』なんだな」


 僕は、彼女のブレない背中を見つめながら、半ば呆れ、半ば感嘆するしかなかった。

 彼女の辞書には『恐怖』という情動の文字は存在しない。あるのはただ、未知の事象を解明しようとする果てしない『知的好奇心』だけだ。


 迷宮の内部は、外観の禍々しさとは裏腹に、驚くほど整然とした石造りの回廊が続いていた。

 壁には一定の間隔で青白い魔法の炎を灯す燭台が掛けられ、床には緻密なモザイクタイルが敷き詰められている。

 時折現れる魔物たちは、黒田さんの戦斧の一振りか、翡翠さんの軽い魔法によって、悲鳴を上げる間もなく処理されていった。


(……なんか、これなら僕の出番なんて一生来ないんじゃないか?)


 僕は、腰の『伝説の聖剣』を一度も抜くことなく、ただ重い鎧を引きずって歩くという苦行に耐えながら、そんな自嘲的な考えを抱き始めていた。


 どれくらい歩いただろうか。

 回廊が大きく開け、僕たちは一つの巨大な広間へと足を踏み入れた。


「……ここは……?」


 天井が見えないほど高く、ドーム状になった広間。

 その中央には、何かの祭壇のような、一段高くなった円形の石舞台が設置されている。そして、その石舞台の真ん中に、巨大な『岩の塊』が鎮座していた。


 高さは優に五メートルは超えているだろうか。

 ゴツゴツとした粗削りな黒曜石の巨岩が、人型に組み上げられている。頭部と思われる部分には目がなく、ただ一本の深いスリットが入っているだけだ。

 そして、その岩の巨人の胸の中央……人間でいえば心臓にあたる部分に、燃えるようなオレンジ色の光を放つ、巨大な『コア』がむき出しになって埋め込まれていた。


「ゴーレム……!」


 僕は、ファンタジーの知識を総動員して、その怪物の名前を口にした。


「あら、あれがこの階層の門番かしら? 大きくて硬そうね。黒田の物理攻撃と、私の魔法、どっちが早くあの岩の塊を粉砕できるか、競争してみる?」


 翡翠さんが、杖をクルクルと回しながら、極めて物騒な提案をする。


「対象の脅威度は不明。だが、マスターの進行を妨げる障害である以上、排除するのみだ」


 黒田さんも、巨大な戦斧を構え、一切の感情を交えずに戦闘態勢に入った。


 僕たちの足音が広間に響き渡った、その瞬間だった。


 ゴオォォォォォォォォッ……!!


 広間の空気が、急激に熱を帯びた。

 鎮座していた黒曜石のゴーレムの胸のコアが、激しく明滅を始め、それに呼応するように、ゴーレムの全身の岩の隙間から、凄まじい勢いで『炎』が噴き出したのだ。


「なっ……! 岩のゴーレムから、炎だと!?」


 ただの炎ではない。それは、先ほどの王冠の魔力石と同じ、明確な意志を持った『魔法の炎』だった。

 ゴーレムの巨体が、ゆっくりと、地鳴りのような音を立てて立ち上がる。全身に赤蓮の炎を纏い、周囲の空気を陽炎のように歪ませるその姿は、まさに『古代魔獣』と呼ぶにふさわしい、圧倒的な威圧感と絶望感を放っていた。


「ギィィィィィィンッ……!!」


 ゴーレムの頭部のスリットから、金属を削るような耳障りな咆哮が響き渡る。

 それと同時に、広間の周囲の壁に、無数の赤い魔法陣が展開し始めた。


「サクタロウ! 下がっておれ! こいつは、先ほどの雑魚どもとは次元が違うぞ!」


 如月さんの鋭い声が飛んだ。

 彼女はすでに、ゴーレムから少し離れた安全な位置に下がり、アンティークのルーペを構えて観測体制に入っていた。


「は、はいっ!」


 僕は慌てて後ずさりしようとしたが、重たい勇者の鎧が災いし、足がもつれて尻餅をついてしまった。


 その瞬間。

 ゴーレムの右腕が、炎の軌跡を描きながら、僕に向かって無慈悲に振り下ろされた。


「光太郎くんっ!!」


 翡翠さんの悲鳴が響く。


「……シールド・展開」


 僕とゴーレムの間に、漆黒の戦士が割って入った。

 黒田さんが、巨大な戦斧の腹を盾の代わりに構え、ゴーレムの炎の鉄拳を正面から受け止めたのだ。


 ドッゴォォォォォォォンッ!!!!


 凄まじい衝撃音と、爆発的な熱風が吹き荒れる。


「く……っ!」


 あの黒田さんが、両足のブーツで石畳を深く削りながら、数メートルも後退させられていた。ゴーレムの圧倒的な質量と、魔法の炎による爆発的な推進力が、黒田さんの常軌を逸した物理的パワーを上回ったのだ。


「黒田さん!」


「光太郎くんは下がって! ……氷結の棺(コキュートス)!」


 翡翠さんが杖を振りかざし、極低温の氷の魔法をゴーレムに向かって放った。

 絶対零度の冷気が、炎を纏うゴーレムの巨体を包み込む。

 ジュウウウウッ!という凄まじい水蒸気が上がり、ゴーレムの全身の炎が一瞬にして凍りつき、巨大な氷の塊へと変わった。


「やった……!?」


 しかし、僕の安堵は一秒も続かなかった。


 パキッ……パキパキパキッ!

 バァァァァァァンッ!!!!


 凍りついたはずのゴーレムの内側から、さらに強烈な炎が爆発的に噴き出し、氷の拘束をいともたやすく粉砕してしまったのだ。


「嘘でしょ……私の極大魔法を、力業で溶かした……!?」


 翡翠さんが、信じられないというように目を見開く。

 ゴーレムは、全くダメージを受けていないかのように、再び炎の腕を振り上げた。


「対象の装甲、および魔力障壁の硬度は規格外。物理的破壊による突破は困難と判断」


 黒田さんが、珍しく焦燥の滲む声で報告する。


「そ、そんな……! 黒田さんの物理攻撃も、翡翠さんの魔法も通じないなんて……!」


 僕は、絶望的な状況に足の震えが止まらなくなっていた。

 どうすればいい。この圧倒的な暴力の権化を前に、僕たちに何ができるというのか。


(いや、待てよ)


 僕の腰には、抜かれることのないまま吊り下げられている『伝説の聖剣』がある。

 王様が言っていたではないか。この剣は、初代国王と共に魔王を封じた伝説の武器だと。

 魔法の炎も、物理的な硬度も関係ない。この聖剣の力なら、あるいは……!


「……やるしかない!」


 僕は、恐怖を押し殺し、立ち上がった。

 そして、重たいガントレットで柄を握りしめ、ついにその『伝説の聖剣』を鞘から引き抜いた。


 シャァァァァン……!


 澄んだ金属音と共に、美しい白銀の刀身が姿を現した。刀身には、かすかな青白い光が脈動するように明滅している。


「うおおおおおおっ!!」


 僕は、自分でも驚くほどの勇ましい咆哮を上げ、ゴーレムに向かって突進した。

 重い鎧のせいで動きはひどく鈍いが、今の僕には、この剣が奇跡を起こしてくれるという確信にも似た思い込みがあった。


 ゴーレムが、足元に迫る僕に向かって、再び巨大な炎の腕を振り下ろしてくる。

 僕は、盾でその一撃を防ぐことを諦め、全ての力を右腕の聖剣に込め、ゴーレムの腕に向かって渾身の力で斬りかかった。


「いけえええええええっ!!」


 ガキィィィィィィンッ!!!!


 聖剣と、ゴーレムの黒曜石の腕が激突した。

 しかし。


「え……?」


 奇跡は、起きなかった。

 僕の手を伝わってきたのは、硬い岩を切り裂くような感触ではなく、分厚い鉄の壁を全力で殴りつけたかのような、絶望的な反動だった。

 伝説の聖剣の刃は、ゴーレムの表面を覆う『見えない魔力障壁』に弾かれ、火花を散らすことすらできずに、虚しく弾き返されてしまったのだ。


「ぐわぁぁぁっ!?」


 強烈な反動で、僕の身体は吹き飛ばされ、石畳の床を無様に転がった。


「サクタロウ! お主、何を血迷っておる!」


 後方から、如月さんの怒声が飛んできた。


「あのゴーレムの表面には、極めて高密度の魔力による『絶対防御の偏向フィールド』が張られておるのじゃ! そんな中途半端な運動エネルギーを込めただけのナマクラで斬りかかっても、弾き返されるのは物理的必然じゃろうが!」


「で、でも! これ伝説の聖剣なんですよ!? 魔王を封じたっていう……!」


 僕は、痛む体を起こしながら必死に弁解した。


「伝説だの魔王だの、空想の権威にすがるからそうやって痛い目を見るのじゃ! いい加減に学べ、この愚鈍が!」


 如月さんは、呆れ果てたように吐き捨てた。


「あのゴーレムは、単なる岩の塊ではない。周囲に展開しているあの赤い魔法陣を見よ。あれは、空間の魔力を吸収し、ゴーレムの胸のコアへと絶えずエネルギーを供給し続ける『永久機関』の術式じゃ。……つまり、あのコアを完全に破壊しない限り、表面の岩をいくら削ろうが、魔法で凍らせようが、一瞬で自己修復されてしまうのじゃよ」


「コ、コアを破壊するって……あの胸の、オレンジ色に光ってる石ですか!?」


 僕は、ゴーレムの胸の中央で禍々しく光るコアを指差した。


「しかし、あのコアの周囲の魔力障壁が一番分厚い! 黒田さんの戦斧でも、翡翠さんの魔法でも、ましてや僕の剣なんかじゃ、あの障壁を突き破ってコアを砕くなんて絶対に不可能です!」


 ゴーレムは、再びその巨体を揺らし、僕たちに向かって炎の息を吐き出そうと口のパージを開いていた。

 圧倒的な熱量が、広間の空気を焦がし、僕たちの息を詰まらせる。


「物理的な破壊が不可能であれば、対象の『構造的な矛盾』を突くしかないじゃろうな」


 絶望の淵に立たされる僕たちの中で。

 ただ一人、如月瑠璃だけが、一切の焦燥を見せることなく、静かに、そして冷徹に状況を俯瞰していた。


「サクタロウ。黒田。姉よ。……これより、わしがこの『空想の産物』のルーツを完全に解体し、その論理的な突破口を提示する」


 彼女は、大きく開かれた胸元から覗く純白の肌に汗一つ浮かべることなく。

 大きく息を吸い込み、その小さな体を震わせるほどの深い集中状態へと入った。


「そのために……まずは、この空間に蔓延する不快な情動のノイズを排除し、思考のピントを合わせる必要がある」


 如月さんは、コルセットドレスの隠しポケットへと、純白の手袋に包まれた右手をそっと滑り込ませた。

 そして、燃え盛る炎の轟音と、ゴーレムの地鳴りのような咆哮が響き渡る広間の中心で。

 彼女が取り出したのは、鈍い銀色の輝きを放つ、美しく精緻な装飾が施された、【古い懐中時計】だった。



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