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イベント開始から3日が経った昼過ぎ。私は再び、迷いの霧海を訪れた。
前回とは違い、入念に準備をして挑むダンジョン攻略。私の腰には、蜂針と水平に挿された乳白色の新顔が、出番はまだかと牙の先を輝かせていた。
以前無くした指が疼き、何度か右手を開閉させた。その指先は、血濡れた様に紅く、艶を放っており、何処か毒々しさを感じさせる。
木剣の刃に、ミストウルフや小動物の歯を加工し、貼り付けた、鉄製武器にも劣らない切れ味を備えた短剣……〈霧狼の上顎〉。そして、溶けた指先ごと全体をタイラントードの皮で修繕した黒手袋……もとい〈血濡れの右手袋〉。
それ以外にも、投擲用の短剣である〈石の苦無〉を用意している。こちらは、視聴者からレシピを貰い、そのレシピから生産した物だ。その為、自身の手で加工した物よりかは若干性能が劣る。とはいえ、所詮はそこらの石で出来た使い捨ての武器。牽制や追い討ち程度に使えれば何も問題は無い。寧ろ、レシピで量産出来る分、手作りの物より使い勝手が良い。
腰の左側には、石の苦無専用の小さなポケットポーチが括り付けられている。中に入る苦無の数は5本と少ないが、ポケットやリュックとは違い、現物がそのまま中に入っている為、画面操作の必要が無いのが利点だ。ただ、巾着に衝撃が加わると中身が破損する可能性があり、激しい動きや巾着の損傷によって、中身が簡単に出てしまう欠点もある。
「傷薬軟膏も持ってるし、準備は完璧。後は、他プレイヤーにさえ気を付ければ……」
迷いの霧海5階層。先日とは違い、1階層目からプレイヤーの数が多く、今も周囲で、プレイヤーとモンスターが戦う音が至る所から聞こえてきている。
不人気ダンジョンに、ここまでプレイヤーが殺到する理由。それは単純に、夏休みに入りプレイヤーの同接続数が増えた事と、難易度2ダンジョンに挑み始めたプレイヤーが増えた事にある。
難易度2ダンジョンの中で、攻略難易度が一番低く、且つ人気のダンジョンである、小川せせらぐ草原の山は、プレイヤーが多過ぎてモンスターが倒せず、他の難易度2ダンジョンはモンスターが強過ぎて倒せず。数で挑めば、4階層までであれば案外誰でも攻略出来るこのダンジョンに白羽の矢が立ったらしい。だが、それでもゾンビアタック前提の者が多く、その遺品を漁りに来た中級者以上の者も足を運んでいる様で。現在の人気度で言えば、迷いの霧海はイベント前とは裏腹に、上位に上がっている。
「このダンジョンが人気になったのは、少し残念。だけどその分、モンスターが狩り易くなったから、まぁ……アリかな」
目の前に居たタイラントードを倒し、頬に付いた毒液を拭う。霧の向こうからは、他プレイヤーの荒々しい声とミストウルフの遠吠えが聞こえてくる。もし仮に、周囲に私以外のプレイヤーが居なかった場合、今頃私はミストウルフに囲まれていただろう。そう考えると、プレイヤーが増えたのは有り難かった。
霧狼の上顎の切れ味に満足しながら腰に納め、戦闘音が響く方へ向かう。
イベント初日は、他プレイヤーは絶対に襲わないと決めていた。が、このゲームの性質がPvPvEである事や、アイテムの収集方法。そして何より、私が楽しいかどうかを考えた時、その考えは間違っていると感じた。とはいえ、他プレイヤーと共にイベントを楽しみたいのもまた事実。故に私は、襲うプレイヤーを決めていた。
一定以上の実力を持ったプレイヤー。この場合、一定階層以上に足を踏み入れているプレイヤーの事。もう1つは狩場を独占しているプレイヤー。そして最後に、私の“同業者”。その3つの内、どれか1つを満たしている者のみ、襲うようにしている。
迷いの霧海5階層。ここは、その内の1つである“一定以上の実力を持ったプレイヤー”がくる場所。私は迷わず、霧と高草の海に潜み、戦闘音を聴き分けて好機を窺う。
視野範囲の境界を様々な角度から出入りし、ミストウルフと戦闘中のプレイヤーの数と立ち位置、そして役割を確認する。人数は5人。前衛職が3人に魔法職が1人。そして、サポーターと呼ばれる荷物運びに特化したステータスとスキルを取得しているであろう、人1人が立ったまま丸々入ってしまいそうな程、大きいリュックを背負ったプレイヤーが1人。
狙うなら、リュックを背負ったプレイヤー。逆にいえば、他のプレイヤーは手荷物を持っていない為、狙う価値は無い。
ここ数日で、こういったサポーターがかなり増えてきている。初期の頃は言わずもがな。先週までは、最前線を攻略しているプレイヤー達以外で見掛ける事は無かった。それだけ、攻略意識が高いプレイヤーが増え、それだけ“パーティ前提の立ち回り”が浸透しているという事。盗賊である私にとって、これ程都合の悪い事はない。
(だけどその分、一度に手に入るアイテムの数も多くなる。……一長一短だね)
霧狼の上顎を引き抜き、左手はいつでも魔法が放てる様空けておく。既にミストウルフは残り2匹。それも、彼らの腕前であれば時間はそう掛からない。
私とは反対の霧向こうからミストウルフに襲われ、容易く迎撃する。その後、間髪入れずに気配を消した奴に魔法職の男性が襲われる。
──その瞬間。魔法職が下がり、前衛職が最後の1匹だけだと気を緩めながら間に割り込み、サポーターが遠巻きで肩の力を抜いた。その瞬間──
音も無く地を蹴り、風に紛れながら高草を割り進み、白銀の毛色を霧に紛れさせる。
このフィールドは、“私に向いている”。ミストウルフやキリキツネの毛色同様、白霧に近い色に染まった私の毛色は、このダンジョンで狩りをするには偶然にも、お誂え向きだった。
「おぁ?カバ──」
隙に死角。一切悟られる事無くサポーターの背後を取り、彼のリュックの肩紐を右、左と切り落とし、流れで首を浅く切る。
浅く。とはいえ、気道を切り裂き声を発する事は出来ない。だが逆に言えば、首を切り落とす事は“出来ない”。それは、短剣の作りとして“不可能”なのだ。とはいえ──
「──〈風弾〉」
リュックとサポーターが分離し、その隙間に身体を捩じ込むと、私はリュック全身でリュックに抱き付き自身の腰に風弾を放つ。
角度、軌道、タイミング。全てにおいて完璧だと自負出来る一手。一直線に宙を駆け、地に落ちる前に再び自身に
「〈風弾〉」
全てを弾き飛ばす風の弾を叩き込んだ。
声を失った仲間の異変に気付くのに一手。仲間が深傷を負っていた事に一手。その仲間のリュックが消え、私がそのリュックを抱えていた事に一手。そして最後に、私を追うかどうかの判断に一手。その多くの遅れが、私を彼らの視野範囲外から逃れる為の時間を稼いでくれた。
再び風弾を放つと、リュックから足を外し、短剣を口に咥え、上部に付いた持ち手を掴み、背負う。
かなりの荷が入っているのかリュックは重い。が、移動速度が低下する程ではない。速度を落とさず高草の海底に着地すると、その足で更に距離を離す。
周囲には、モンスターやプレイヤーが居る。だが、モンスターもプレイヤーも私を狙う暇は無い。それだけ周囲には、モンスターとプレイヤーが入り乱れているのだ。たった1人、敵意すら向けずただ逃げるだけの私を構う暇など無い程に。
本当、お誂え向きだ。視野範囲も、霧の色も、有象無象の数も、全て。
既に戦闘状態は解除されている。転移石を取り出し、使用する僅かな間にも、邪魔の1つも無かった。
「ふひっ!大儲け……!」
高草の海を走りながら、私の身体は青い粒子に変換され、迷いの霧海から消滅する。その場に残ったのは、私の笑い声と、前髪に掛かる赤い流星の残像だけだった。
 




