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今この状況で、キリキツネ……遠距離攻撃を扱う敵と遭遇するのは不味い。近付くだけで、状態異常を付与してくるカエルだけでも苦戦しているというのに、霧の向こう側から不意を突く魔法攻撃に気を配らなければならないのは、私のスペックでは正直厳しい。
──そう、思った。
「……あれ、魔法が飛んでこない」
タイラントードから逃げつつ、魔法が飛んできた方向から遠ざかると、すぐに魔法による攻撃は止んだ。
キリキツネの索敵範囲から外れたのか、はたまたキリキツネが迎撃型だったのか。真相は分からないが、魔法による不意打ちは無い。
だが、魔法の追撃が無いというだけで、周囲にモンスターが居ない訳ではない。
「──ぶあぁ!あっぶな!」
背後に視線を送りながら走っていたが故に、前方に出来た高草の窪みに気付くのが遅れ、危うく毒を帯びた長い舌と正面衝突しそうになる。
「2匹目は流石にキツい……って、やば!挟まれた!」
咄嗟の攻撃に足を止めた所為で、2匹のタイラントードに行手を阻まれてしまう。
左右に逃げるにも、鞭の様にしなう舌によって退路を絶たれる。
毒液さえ無ければ。そう、左頬に飛散した毒液を拭いながら歯を噛み締める。
ダメージ覚悟で倒すしか無い。無いのだが、手持ちのアイテムや攻略の事を考えると、ダメージを負いたくは無かった。
回復アイテムの類は一切持っておらず、勿論毒消しの薬も手持ちには無い。普段から、自分には必要無いと持ち運んで居なかったのが、今、仇となっている。
「こうなったら……!」
前後から迫り来る舌の挟撃を、身体を半身にして避ける。飛び散る毒液に全身を濡らしながら、舌と舌の間で両腕を広げると、両脇で双方の舌を挟み掴む。
「〈スタンボルト〉!」
左手で舌を掴み魔法を電撃を放つと、正面に鎮座するタイラントードに電流が走り、硬直する。だが、もう片方。背後に居座るタイラントードは、私の右腕を逆に舌先で掴み返すと、舌を浪打たせて左脇に掴んだタイラントード共々、私を素早く引き寄せた。
数多の高草に頬を打たれ、舌先に広がる大口が迫る中。声すら上げる事の出来ない束の間に、私は思考を巡らせる。
跳躍。魔法。反撃。同士討ち。幾つかの策が思い浮かぶが、どれを取ろうにも、ゆっくりと動く世界の中で身体が自由に動かせないのでは意味は無い。
唯一動かせる右手首も、短剣を逆手に持っている所為で、剣先をタイラントードに向ける事は出来なかった。
だから私は、短剣を“宙に置いた”。
瞬間。周囲の景色が加速を始め、私の右腕は、丸々タイラントードの口内に吸い込まれた。
「ぐうぅ!」
タイラントードは体高はあまり無いものの、体長は長い。肩口まで呑み込まれてしまった右腕も、運が悪ければ頭ごと呑み込まれていただろう。ただ、今回は私の運の勝ちだった。
「くっ!おっもいぃ……!」
短剣を取りに行く為に身体を起こそうと、足だけ先に立たせてタイラントードごと右腕を引くが、びくともしない。それどころか、下手に引っ張った所為でタイラントードの口内を刺激し、右腕に絡み付いた舌に締め上げられる。
すると遅れて、右肩に不自然な振動が加わり、体力が一気に削られる。
恐らく、腕の骨が折れたのだろう。痛みも無く、見えもしない為、確実では無いが、感覚的にそうだと分かる。
右腕が折れたとしても、現状は何も変わらない。そして、目の前の敵を倒す手段も。
左脇に抱えた舌は、右腕が呑み込まれる寸前から何処かに消えている。引き寄せられる勢いで、少し離れた場所に飛ばされたのだろう。そうなる様、私は間を見て舌を離したのだ。
左手は自由。右手には無防備な獲物。瞳に映るのは、歪んだ瞳孔と、その瞳に映り込んだ私の顔。その顔は、とても嬉しそうに笑みを浮かべていた。
「くひぃ!」
五指を伸ばした左手を乱暴に振り下ろす。瞳に映る右手が肥大化し、赤いエフェクトと共にタイラントードの眼球が消えた。その、消えた眼球が埋まっていた穴には、代わりに私の左腕が嵌め込まれる。
硬く、柔らかく、滑り気があり、ザラザラとしている。これがカエルの体内だと考えると、吐き気がする。
腕を内側で掻き回し、得体の知れない何かを鷲掴みにして引き摺り出す。
出てきた物は、赤いエフェクトで隠された紐状の何か。それは、大量に噴き出る赤いエフェクトと共に宙で踊り、握り潰すと消滅する。
手のひらに残った物は大量の毒液のみ。飛び散り、滴り落ちる毒液が腕を伝い、頬を打ち、胸当てに染みる。
歪な呻き声を上げながら痙攣するタイラントードを右腕に感じ、視線を移す。既に、右手の指の感覚は無い。それでも、こいつの命が残り僅かである事には変わり無い。
右腕を気にする事なく、身体を回転させてタイラントードに馬乗りになる。肩関節から異様な音が響き渡るが、既に捨てた腕。今更どうなろうと構わない。
タイラントードの瞳孔が音を立てて一周し、私を見上げる。それも束の間、残った右目は左手の強襲により抉り取られ、悲鳴を上げる前にタイラントードは消滅する。
一瞬浮かび上がる身体が地に落ち、下敷きとなった右腕が音を立てて拉げる。見ると、指先は全て失われており、手袋も大半が溶け消えてしまっている。もし仮に、あの場面で頭ごと飲み込まれていたらと思うと、全く笑えない。笑えないを通り越して頬が引き攣り、歪な笑みが出来上がる。
「肩も肘先も指もダメ。耐久値もゼロ。出血してないだけマシだけど──っと」
遠方に飛ばされていた、もう1匹のタイラントードの舌から逃れると、そのまま短剣がある場所に着地し、左手で拾い上げる。
「これ以上、戦闘を長引かせたく無いからね。逃げた先で他のモンスターに襲われるのも嫌だし。やってやんよ、雑魚」
タイラントードが舌を伸ばす前に、私はその場から駆け出して奴に肉薄する。
懐に潜り込めばこちらの物。自由自在に伸びる舌だが、自由自在に動かせるわけでは無い。伸ばして、縮める。それさえ避けてしまえば、ただの無防備な肉ダルマ。
「最初からこうすれば良かった」
一突き、二突き、三突き。合計6回、奴の両目を貫き、潰す。毒液と共に赤いエフェクトが飛び散り、私は更に毒に侵される。だが、それももう終わり。
目の前で痙攣するタイラントードは暫くすると消滅した。
すぐに戦闘状態が解除され、それを確認した瞬間、私は固定ポケットから転移石を取り出して即座に使用する。
そうして、私は目的を達する事なく拠点まで逃げ帰った。
ポータル広場は安定の暗さ。迷いの霧海の異様な明るさとは違い、夜の明るさに包まれたこの場所は心が落ち着く。
拠点に戻った事により、状態異常は解除された。だが、右手の指先は消えたまま。肘先も折れ曲がり、肩はダラリと垂れている。
手から外れたかけている手袋を外し、リュックに仕舞う。手負の私を見て、周囲のプレイヤー達の顔が引き攣っているが、この程度の怪我、珍しくもなんとも無いだろう。と、心の中で一蹴する。
とはいえ、このままでは活動に支障が出る事には変わり無い。だが元より、部位耐久値を回復させる為の帰還。一定値を下回ると部位耐久値は自然回復せず、回復アイテムを使用しなければならず、その回復アイテムを持っていなかったが故に戻ってきたのだ。だが、戻ってきたからといっても、回復アイテムを使う為に戻ってきた訳ではない。
「これでいい感じにできるかなぁ……。ま、できなかったら、そん時はそん時か」
私は独り言を呟きながら、腰から短剣を引き抜く。その瞬間、何処からともなく衛兵が現れ、私に抜剣の構えを取る。
周囲のプレイヤー達が騒めき、NPCが悲鳴を上げる中、騒々とする人々を一瞥して私は鼻を鳴らす。
見世物じゃ無いぞ。そう思いながらも同時に、人気の無い場所でやれば良かったと後悔しながら、私は自身の喉元に何の躊躇いもなく、逆手に持った短剣を突き刺した。
一気に削られるHPバー。致命傷を受け付与される大出血の状態異常。それでも、私のHPを削り切るには少し足りなかった。
「────」
透明の声で死ねなかった事に悪態を吐きながら、喉元から短剣を引き抜き、腰に挿す。そして、空いた右左手を空いた喉に突き刺し、奥深くを抉る。
現実では何があっても一生触れて感じる事のない感触に眉を下げながら、プレイヤー達の悲鳴に目を瞑り、私は青暗い世界に転移した。




