79
「なっ──」
呪文を唱える為に開かれた口は、呪文の代わりに驚嘆の声を漏らす。それ何故か。
襲い掛かってきたと思った相手が、自分の真横を通り過ぎた瞬間。背後から何かが潰れた音と、遅れて赤いエフェクトが視界に飛び込んできたからだ。
ゲンキは、構えようと持ち上げかけた大剣を徐に下ろし、ゆっくりと後ろに振り返る。そこには、眉を顰めて不機嫌にこちらを見つめるレンと、怨敵である狐の少女の後ろ姿があった。
「……もしかして、助けてくれたのか?」
ゲンキはゆっくりと口を開き、疑問を投げかける。すると少女は、長い白髪を靡かせながら振り返り、無言のままゲンキに歩み寄ると、脛を蹴り付けて外方を向く。
そのまま入れ替わりにレンがゲンキに近寄ると、今度はレンがゲンキの腹を殴り付けた。
「余所見するなって言っただろ。そういう所だぞ」
ゲンキは彼が何故怒っているのか理解出来なかった。何故なら、余所見をしたつもりが無かったからだ。その表情を見て、ゲンキが何も理解していない事に気が付いたレンが、呆れた様に溜息を吐きながら説明する。
「ミストウルフの倒した数、数えてないだろ」
説明不足の説明を聞いて、ゲンキは最初何を言っているのか理解出来なかった。無言で睨むレンを見て、仕方なく意味を考え、少しして漸く言葉の意味を理解する。
「──そうか。まだ1匹残っていたのか」
再び溜息を吐いたレンは、ゲンキの肩を叩くと、私とポロネーゼの元へ向かってくる。
「さっきはありがとな!……で、何話してるんだ?」
「あ、えと……。配信中だから、そろそろ行くねって……」
陽キャのオーラに当てられ、口が上手く回らない。それ以外にも、彼には若干の苦手意識がある。
以前、蛇道の洞窟で相対した時とは違う、完全なる強者の風格。今、こちらから手を出せば、善戦すらせず返り討ちに遭うだろう。彼は気軽な雰囲気で声を掛けてきているが、実際は警戒心の塊。いつでも反撃出来る様、常に半身で、常に自身の間合いに陣取っている。
「どうせなら、一緒に探索しないか?迷惑じゃ無ければ。だけど」
本心か、はたまた社交辞令か。貼り付けた様な笑みからは何も読み取れない。どちらにしても、この誘いに乗るつもりは無い。
「えっと、嫌じゃ無いけど……。今日は1人で探索したい……かな。視聴者にもそう言ってるから……」
「それなら仕方無いな!ただ、今から4階層に行くだろ?序でだ、そこまでは一緒に行こうぜ。ポロネーゼ、マップ情報を共有してやれ」
「えぇ。ちぃ、マップ情報送るから」
ポロネーゼは空に触れると、遅れて組合証に似た紙を何処からともなく取り出して私に手渡してきた。
受け取ると、そのカードの様な紙切れは赤いエフェクトと共に消え、マップの未開拓地が埋められる。確認すると、今いる地点から西に向かった場所に、黄色い菱形のマーク……ポータルの位置が記されていた。丁度、ポロネーゼ達が逃げてきた方角だ。
「ポータル前で襲われたって事?」
「あぁ。私とゲンキがポータルを発見して、レンを待っている時に丁度。ポータル内に逃げ込もうとしたのだが、先回りされてな」
「運が悪かったね。……それより、その口調どうにかならないの?前も思ったけど、似合ってないよ。ぎこちないし」
「べ、別に良いだろう!あ、いや、違う!これが素だ!」
狼狽する様子はとても面白い。が、この声が配信に乗っていないと考えると、勿体無く感じてしまう。
「まぁ良いけど。あ、移動後は私、その場で休憩するから。気にしないで良いからね」
「休憩?どうして」
「さっき死んじゃってさ。戻らずにリスポーンしたら、スタミナかなり削られちゃって。死ぬの初めてだったから、その仕様を知らなかったんだよね」
その瞬間、前後から声が漏れる。
「いや……え?一度も死んだ事ないのか?」
狼狽しながらゲンキが問う。
「正確には、ポロネーゼと決闘後に一回自害してるけどね。ダンジョン内では初めてだね。そもそも死ぬ要素無くない?……あ、対人戦で死ぬ可能性はあるか」
「悪評が広まるくらいには、数多くのプレイヤーを襲ってる筈だが……。いや、そういえば、荷を奪うだけの事が多いんだったか……?」
「その方が手っ取り早いからね。倒した方が早い時は倒すけど」
「……倒す時は基本不意打ち。だったな。そりゃあ死なない筈だ」
「別に、不意打ちじゃ無くても死なないけど。戦闘慣れしてる人って、意外と少ないし」
リリース開始から2週間。その間、戦った殆どのプレイヤーが、対人戦に不慣れな者ばかり。それ以前に、戦闘すらままならない者すらいた位だ。最初から真面に動く事が出来た私にとって、その者達は鴨でしか無かった。
「そうか……まぁいい。さっさと行くぞ、またミストウルフに囲まれでもすれば、儂等も休憩せねばならんくなるでな」
そういうと、ゲンキは私に背を向けて、レンに対して「行くぞ」と声を掛けた。
「じゃあ移動するか。走るから、ちゃんと着いてこいよ」
そうして、私はポロネーゼ達と共にポータルのある場所へ向かい、次のフロアへと転移した。
転移後。すぐにポロネーゼパーティと別れると、私はその場に横になり休息を取る。本来は配信に載せるべきではない、本当につまらない光景。視聴者の数も今までと比べて少ないが、攻略を続ける為には致し方ない。
それから十数分。視聴者達と雑談を続け、程よくスタミナが回復した事を確認すると、私はその場から立ち上がり、改めて攻略を開始した。そして、何事も無くポータルを発見すると、次フロア……5階層に足を踏み入れた。
5階層も相変わらず濃霧に包まれ高草に覆われた、見栄えの一切変わらない世界が広がっている。どのダンジョンでもそうだが、本当に配信映えしない景色ばかり。草原だから仕方が無いのだが、もう少し、見て楽しめる背景にできないものか。
「誰の配信だったかな。海のダンジョンの背景は綺麗だったなぁ。蜃気楼で遠くが見えない様になってるのも、見た目的にすごいよかったし。見てよコレ、霧よ?霧。ゴリ押しにも程があるでしょ」
因みに、火山や岩山、渓谷は、岩壁が反り立つ空の下か洞窟。森に至っては何処もかしこも木々に囲まれた場所ばかり。ヘキグラ自体は面白いのだが、ダンジョンの内装だけは不満しか無い。
悪態を吐きながらも、今までと同じ様に東に向かってジグザグに走り、探索する。
出現するモンスターはシカモドキとミストウルフ。それ以外は全て入れ替わり、キリキツネとタイラントードが新たに出現する様になっている。この階層で気を付けるべきは、ミストウルフは当然だが、タイラントード……フロートに毒属性と凶暴性を追加したカエル型のモンスターの2匹。
ミストウルフは群れで襲い掛かってくるモンスターだが、対照的にタイラントードは単独で行動している。それでも気を付けなければいけない理由は、その凶暴性にある。だが、どの程度凶暴なのかは、出会わなければ分からない。
「目当てはキリキツネだけど、タイラントードの素材も欲しいんだよね。素材から毒武器が作れるって聞いたし、実際に視聴者も持ってたよね」
ただ、タイラントードはその毒故に、近接武器で攻撃する際、必ず毒になってしまう。倒すにしても、最終フロア手前で、且つポータルを発見している状態で、更に体力に余裕がある状態で無ければ、ソロの場合は厳しい。
もう1つ、気になる点がある。それは、キリキツネの前情報が一切無い事だ。キリキツネというモンスターがいる。という情報も、ゲーム内で出会った視聴者から聞いたもので、NPCからは名前すら出てきていないのだ。
「キリキツネ。名前だけで、見た目とか攻撃手段とか、何も知らないんだよね。って、大体のモンスターがそうなんだけどさ。でも、大体の大きさとか、気を付けるべき点は、組合の人に教えて貰えるでしょ?それが一切無いモンスターって、キリキツネが初めてかも」
周囲を見回すと、シカモドキばかり目に入る。シカモドキを狩るだけであれば、5階層以降が一番効率が良さそうだ。ただそれは、他の危険なモンスターに出会わなければ。という前提があっての話であって──
「──ぬわぁ!」
高草の海を割りながら走り続けていると、前方から突然、何かが高速でこちらに向かって“伸ばされた”。ジグザグに走っていたお陰で、間一髪の所で空中に逃げられたが、何かと共に飛び散る紫色の水滴が腕に付着してしまった。
HP僅かに減少したバーの下には、初めて見た状態異常のアイコン。その内容は──“毒”。
「タイラントード……!」
高草に出来た窪みに鎮座する赤色のカエル。頭部に付いた一対の瞳と目が合う。
空中で一回転しながら着地する。毒液の水滴が触れた右の二の腕からは煙が出ており、ジワジワと赤いエフェクトを漏らしている。
左手の甲で毒液を拭う。するとすぐに体力の減少は止み、毒の状態異常も消えた。
「ここは逃げ一択!」
毒液の水滴が一滴触れただけでHPが削られる相手など、相手にしていられない。そう考え、大きく迂回してその場から離れるが、一度の跳躍で一気に距離を詰められ、その小さな身体からは考えられない程長い舌を伸ばして毒液を散らしてくる。
「しっつこ……!〈風弾〉!」
伸ばされた舌に風弾が直撃するが、弾き飛ばされたのは舌のみで、肝心の本体はその場で仰反るだけ。これでは、距離を離すのにかなりの時間が掛かってしまう。
「舌にスタンボルトを撃って、その間に全力で逃げるしか……。だけど、飛び散る毒液が厄介だ。それに、舌の射程距離は大体分かったけど、それに合わせて撃つのも難しいし……」
何か良い逃走手段は無いものかと走りながら考えていると、視界の端の霧の壁が赤く色付き、遅れて霧が爆ぜると共に火球が私の背後を通り過ぎた。
「魔法攻撃!?でも、プレイヤーの気配は──」
突然の魔法による攻撃に驚いていると、同じ方向から再び、今度は氷柱が飛来する。
「氷の魔法!?そんなの聞いた事ないんだけど!」
それだけでは無い。その魔法は、確実に私を狙った物。それも、視認する事が出来ない“霧の向こう側”から、私に向かって“正確に”放たれた物。それは、プレイヤーが出来る事では無く、何かしらの感覚器官を備えた“モンスター”しか出来ない攻撃。だが、シカモドキもミストウルフも、現在進行形で対峙しているタイラントードも、火や氷の魔法は使わない。残るはただ1匹、一切の情報が無いモンスター。
「──キリキツネ……!」
姿は見えないが、目的のモンスターに遭遇できた。だが、私はその事実に顔を顰めた。




