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「何でポロネーゼ達がここに──」
敵対意思は無いと、無意識に短剣を納めようと右手を下げたその時。背後から迫る足音が耳に届き、その場から大きく飛び退くと、空中で逆さになりながら、先程まで自分が居た揺れる高草に向かって左手を伸ばす。
「〈風弾〉!」
上から降り注ぐ風の弾丸は揺れる高草を大きく掻き分けるが、その場に居た筈の存在は既に姿を隠しており、地面を露出させるだけに終わった。
「うへぁ……。何でポロネーゼなんだよぉ……」
飛び退いた先に居たポロネーゼに振り返ると、私は肩を落として感情を包み隠さず表に出す。
顔見知り。且つ、配信に一度出演している人という事で、荷を奪う事に抵抗がある。彼女達で無ければ、今すぐにでも襲い掛かり、荷を奪ってミストウルフ達の餌にしていたのだが。
私の考えを知ってか知らずか、ポロネーゼは私の方を見て同じ様に肩を落とし、意図的に視線を逸らす。
「……こんな所で何している」
先程、霧の向こうから聞こえてきたものとは違い、声色は低く、口調は距離感のあるものになっている。恐らく、霧の向こうから聞こえた声が本来の口調で、今の口調は“ロールプレイ”なのだろう。意外とこのゲーム、ロールプレイ口調で話すプレイヤーが多い。彼女の隣で私に剣を向けるゲンキもそうだ。
「おいゲンキ!余所見してると危ないぞ!」
レンの声が辺りに響く。彼は私に視線を一度も送る素振りを見せず、ただ拳を前に構えている。
彼の言う通り。会話する暇どころか、余所見する余裕すらまともに無い状況。周囲からは、忙しなく高草を掻き分ける音が鳴り、小さな足音が隠れ潜む。濃密な気配と今にも消えそうな微かな気配が入り混じり、更に私達のすぐ近くを気配すら無い存在が風の様に這い回る。
未だ攻撃の合図は無い。だからといって、隙を見せれば奴等は襲い掛かってくるだろう。ゲンキもレンの呼び掛けを聞いて考えを改めたのか、僅かな葛藤を見せながらも、私に背を向け霧の向こうに剣先を向ける。
私含め、全員が背中合わせに霧を向く。一応は私の事を信頼してくれているらしい。であれば、私もこの場は彼等を信じ、ミストウルフ狩りに専念しよう。
クオォーーーーン──
霧の内側からミストウルフの遠吠えが爆ぜると、無意識に全身が萎縮し、足が硬直する。
「数は多分6匹だ!1匹は気配を消してる、足元には気を付けろよ!」
皆に伝える様レンが叫ぶ。恐らく、私の為だけの伝達だ。
私は、視野範囲内に居る気配を消した個体を含めて5匹だと思っていたので、この伝達は有難い。
普段からパーティを組んでいるプレイヤー……そして、ポロネーゼパーティの司令塔的立場にいる人。こういった即興の場面でも速やかに意思疎通を図り、隊を組むのは、流石としか言えない。私には到底出来ない物だ。
確定では無いが、全体の数が6匹。その中に、気配を消している奴が1匹混じっている。つまりは1人1匹、多くても2匹を相手取れば良い。背後にはポロネーゼも居るので、後方からの奇襲に気を取られる事も無い。自分の正面に来た奴か、左右の2人に襲い掛かる集団から1匹掻っ攫うだけで良い。1人の時とは全く違う、楽な作業だ。ただ、パーティとしての動きや、彼等の戦闘スタイルを知らないので、下手に手を出す事は出来ない。普段のソロ狩りとは違い、一手遅れて動く事になる。
ボン──
視界の端で濃霧の壁が爆ぜる。私から見て右側、ゲンキの向いている方角から、霧と同化したミストウルフが2匹襲い掛かって来た。
やはり、ゲンキを狙うか。そう思い、咄嗟に身体の向きを変えてゲンキの横に並ぶが、僅かに遅れてポロネーゼが反対側に並ぶと
「ちぃは下がって!」
と、私を見ずに剣を振り翳す。
見て慣れろ。そう言いたいのだろうか。既に戦闘を始めたポロネーゼと、大剣を盾の様に構えてミストウルフの一撃を防ぐゲンキを見て、私は邪魔にならぬ様に後ろに下がり、レンの横に並ぶ。
「〈スタンボルト〉!」
大剣に攻撃を防がれ、僅かに硬直したミストウルフに対し、ゲンキが短い雷を放つ。鋭く短い雷撃に撃たれたミストウルフは、霧に薄れた全身を露出させると、浮遊した身体を硬直させて地面に落ちる。
完全なる好機。踏み付け、岩を砕く大剣の一撃を与えれば、それだけで1匹倒す事が出来る。
──だが、ゲンキの取った行動は違った。
「うぉらぁ!」
ミストウルフが地面に着地する前に、ゲンキはミストウルフの無防備な腹に向かって蹴りを入れた。
その蹴りの当たりは良く、モンスターの毛皮で覆われた革靴を奴の腹に埋める程。それでも、所詮はスキル無しのただの蹴り。弾き飛ばされたミストウルフは硬直が解けると、空中で容易く体勢を立て直し、高草の海に沈み、濃霧に溶ける。
「「はぁ……」」
折角の好機を逃したと言うのに、やってやったと笑みを浮かべるゲンキ。その表情に、私とレンが同時に溜息を漏らした。
思わず顔を見合わせる。レンはニコリと笑うが、その頬は若干引き攣っていた。
気持ちは分かる。そう、レンに対して笑みを返すが、同情の眼差しまで再現されているかまでは、私には分からない。
ポロネーゼの方はまだ良い。飛び掛かってきたミストウルフに対し、弾き返す様に剣を当て、確実にダメージを与えているのだから。ただ、その攻撃では1匹倒すだけで日が暮れる。
「えっと、レン……さん。ゲンキに手を貸した方が良いんじゃない……かな。後ろは私がカバーするから……」
「いや。ヘキグラを続ける以上、これ位は自分で出来る様にならないと駄目だから。それに、1対1の構図に持っていってあげてるんだから、十分だよ」
これ位は出来ないと駄目。正直、高がゲームにしては厳しすぎる意見だが、ゲーマーとしては一部同意だ。ただ、教えられる事で得る物もある。それに、高がゲームだからと、出来ない事を簡単に辞める人も居るのだ。発想を少し変えるだけで出来る事にも気付けず、心折られて辞める人も。
「ゲンキ!スタンボルト撃ったら首踏んづけて剣で攻撃!蹴飛ばしてたら、いつまで経っても倒せないよ!」
私の指示に、ゲンキの肩が跳ね上がる。横では、レンが呆れ顔で私を見つめていた。
仕方無いだろう。そう、視線でレンに訴えると、彼は諦めた様に肩を落としてゲンキ達に声を掛ける。
「ちぃちゃんの言う通りだけど、言われる前に感覚で出来る様になった方が良い!」
その言葉を聞き、ゲンキが構えを取り直す。そこへ、再びミストウルフが飛び込んできた。
「〈スタンボルト〉!」
大剣の盾で牙を防ぎつつ勢いを殺し、宙に浮く身体を雷撃で撃ち落とす。
歪な体勢で地に落ちたミストウルフを、今度は蹴飛ばさずに左足で、踏み抜く勢いで踏み付けた。
「どらぁ!」
右足を極限まで後ろに下げながら左膝を折り、雄々しい掛け声と共に大剣を振り下ろす。鋭利とは程遠い鈍角の刃は、左足の補助線を頼りにミストウルフの腹に吸い込まれ、力と重量だけでミストウルフの胴体を切断する。
「──おぉ」
まさに一撃必殺。大剣とは何たるかを見せつける一撃に、思わず声が漏れる。
その声が聞こえていたのだろう。ゲンキは重々しく大剣を持ち上げると、こちらを振り向いて鼻の下を態とらしく擦る。
「気を抜くなよ!1匹倒すと群れの動きが変わる筈だ!」
レンの言う通り、ゲンキが1匹倒してすぐ、ポロネーゼが相手をしていた個体が霧の海に身を潜め、攻撃が止む。
クオォォォォォーーーン──
静寂の中、濃霧すら切り裂くのでは無いかと思える程強く、鋭い雄叫びが轟く。瞬間、霧向こうの複数の気配が同時に渦巻き、濁流の様に視野範囲内に流れ込んできた。その標的は──
「お、俺!?」
──ゲンキだ。
弱い個体を狙っているのか、はたまた仲間の復讐か。恐らくは前者だろう。狼狽しつつ地面に突き立てた大剣を掴み上げるが、初撃を防ぐだけで手一杯の様子。2撃目、3撃目の追撃を防げる程の余裕は無さそうだ。
だが、ゲンキに対して2撃目以降の攻撃が行く事は無かった。
「「〈スタンボルト〉!」」
霧の濁流に挟撃する形で、私とレンが後続の2匹に威力の無い電撃を浴びせる。僅かに足が速い私が後方、一歩遅れたレンが前方。無意識の連携……と言うより、レンが合わせてくれたのだろう。
自然と頬が緩むのを感じながら、ハッキリと姿を現したミストウルフの首筋に両足を絡ませ締め上げると、見開いた2つの動向に短剣を素早く突き刺し、内側を掻き混ぜる。
レンの方を見ると、ミストウルフの頭を何度も勢い良く踏み抜いていた。傍から見た時の印象は最悪だが、群れ相手の戦闘として考えると効率が良い。
互いの足元にいるミストウルフが消滅する前に、私とレンは最後尾に居る個体に向けて左手を翳し、口を開いた。
「「〈風弾〉!」」
だが──
「あぁ!くっそ避けられた!」
1匹倒す為に動きを一度止めた私達の動きなど簡単に見切られてしまい、風弾は濃霧の壁の向こうで互いに衝突し爆風を起こす。
足を組んでいた私は即座に動けない。私と違いレンは即座にその場から弾き飛ぶと、横を通り過ぎようとする無防備なミストウルフの腹に蹴りを一撃喰らわせた。
「ポロネーゼ!ゲンキのカバー!」
「あ──はい!ゲンキ!」
体勢を崩し、盾として構えた大剣で視界を奪われ、魔法に頼れず地に押さえ付けられたゲンキの元に、呆然と立ち尽くしていたポロネーゼが掛けより、大剣に暗い付いているミストウルフに一太刀入れた。その一撃は倒すまでには至らなかったが、怯んだミストウルフは大剣から飛び退き、霧に同化しようと毛先から姿を消し始めた。
「──逃さない」
私はその場から弾き飛ぶと、ミストウルフに抱きつく様に飛び掛かり、首筋に腕を絡めて短剣を腹に突き刺した。
逃げられないと判断したミストウルフは、ガウガウと息を漏らし喉を鳴らすと顎を開閉させ、背後にいる私に牙を伸ばす。
痺れ状態なので動きは遅い。頭を奴の首元に埋めているのもあり、牙が私の急所に届く事も無い。密着しているからこその安全圏。無防備な腹に一法的に短剣を突き刺し続け、難なく倒す。
立ち上がると、既にゲンキも立ち上がっており、レンはミストウルフを倒し終えていた。
「悪い、助かった。……まさか、何度も殺された相手に助けられるとは思わなかったぞ!」
大剣を地面に突き刺し、後頭部に手を置きながら豪快に笑うゲンキを見て、私とレンは再び溜息を吐いた。そして、悪態を吐きながら同時にその場を駆け出した。
「気を付けろって──」
「言われたでしょ!」
正面から短剣、背後から拳。殺意と殺意の挟撃を受け、ゲンキは今までに見た事ない程“真顔”になった。
窮鼠猫を噛む──だが、遅い。
ゲンキが口を開いた瞬間、短剣と拳の圧に潰され、大量の赤いエフェクトが宙を舞った。




