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シカモドキにキャビィ、リロースネイクを倒し続け、イベントアイテムを回収しながら進む事数十分。漸くポータルを見つける事ができ、私は喜びの声を上げながらポータルに飛び込んだ。
「やっと見つけたぁ!このまま1時間コースかと思ったよぉ!」
転移した先は、相も変わらず濃霧に包まれており、高草が足や腕に絡み付く所も同じだ。
3階層。前情報だけで、一度も足を踏み入れた事がない“危険地帯”。このダンジョン、迷いの霧海が本格的に牙を剥き始める階層だ。
セーフティエリア内から、念の為周囲を見回し耳を澄ませる。当たり前だが、視界範囲内は全てセーフティエリアの為、モンスターの姿は無い。ただ、遥か遠くから狼の遠吠えの様な声が聞こえてくる。戦闘音らしき音は一切聞こえない。
「遠吠えが聞こえるけど、他にもプレイヤー居るのかな……」
3階層に出現するモンスターは、1、2階層に出現するモンスターからキャビィが抜かれ、その空いた穴に、今回の目当てにしているモンスターの1匹。ミストウルフが出現する。
ミストウルフ……霧の狼。この名前が、“霧の中に棲む狼”という安直な物では無い。と、前情報で手に入れていた。だが、それ以上の情報は持っていない。
一応他にも、狼の習性や強みとして、匂いで獲物を追い、集団で狩りをする事は把握している。名前がどうであれ、霧に潜む狼が脅威な事には変わり無い。
アモルファス以来の、久々の強敵。その、あまりの嬉しさに、自然と唇の端が吊り上がり、短剣を握る拳に力が入る。
「ふひひっ!」
胸の内から込み上がる何かが喉を広げ、口から飛び出し不穏な笑い声を鳴らす。
短剣を握る手の手袋越しに、獣の様な荒々しい吐息が掛かる。どうやら、吊り上がった口元を隠そうと、無意識に手が伸びていたらしい。
一度落ち着いた方が良い。そう考えるが、両腕は勝手に祈る様に縮こまると口元で蕾を作り、垂れた背中は内なる感情を力尽くで押さえ付ける様に、小刻みに震え始めた。
「ふふっ、ふひっ……ふぅ、ふぅ……ふぅ」
何度も力を抜く為に息を吐き、最後に大きく息を吐くと、私は自分の胸元を拳で撫でて背を伸ばす。そして、だらしなく緩んだ口元を引き締めると、改めて周囲に耳を傾ける。
初期セーフティエリアは既に消えている。とはいえ、それで音がよく聞こえる様になる訳では無い。だが、先程よりも感覚が鋭くなっている分良く聞こえる。
風が高草を薙ぐ音は勿論。プチボゥアが草を踏む音、リロースネイクが地を這う音、シカモドキが草を喰み地を蹴る音。決して近くは無い音達が、先程まで聞こえなかった音達が、詳細に耳に届く。
目標であるミストウルフの気配は感じない。気配を消して潜んでいる可能性も捨て切れないが、周囲にこれだけモンスターが居るのに、そのモンスター達が反応を示さない所を考えると、周囲に居ないだけだろう。
「残念だけど、こっちから探さないと駄目そうだね」
探索方法は今までと同じ、等間隔で屈曲しながら一定方向に進み続ける方法だ。ただ、今階層、今目標の事を考えたら、直進で走り続けた方が良いかもしれない。
そう考えながらも屈曲を続けて走り続けていると、再び遠方から狼の遠吠えが聞こえてきた。
正確な場所は分からないが、大凡の方角は南西だと判別出来た。
「……そっちね」
私は大きく進路を変え、マップを頼りに南西方向へ直進する。
このゲーム、妨害の無い直線を全力で走れば、100メートルを10秒程で走る事が出来る。AGIにある程度ステータスを振り分ければ、10秒弱で走る事も可能だ。その為、AGIに全ステータスを振り分けた私であれば、高草の妨害があっても、遠吠えの発生源であろう場所に向かうのに大した時間は掛からなかった。
だが、正確な場所が分からない為、200メートル程進んだ辺りで一度足を止め、周囲の音を探る。
瞼を閉じ、UIだけが表示された暗闇の中、耳に手を翳しながら全身をゆっくりと回転させる。それでも大した情報は得られず、一度目を開ける。
「モンスター数が少ない気がするけど、流石に良く分からないや……。遠吠えした後に移動してるにしても、どっちに行ったかは分からないし……。少なくとも、私の方にはモンスターが来てないんだから、南か西か……どっちかに移動してるって事だよね」
一旦このまま南西に進み、様子を見ながら西か南か、移動する先を決めた方が良さそうだ。もしミストウルフに出会えなかったとしても、彼等は鼻が効く。狩りをしながらその場に留まっているだけで、近くに居れば寄ってくる筈だ。
再び100メートル程走り、周囲の音に耳を澄ませる。その時、ある事に気が付く。
「やっぱり、モンスターの数が少ない気がする」
物音を頻繁に立てるキャビィが居ない分物静かである事は確かだが、それにしても気配が無さ過ぎる。
シカモドキは元々あまり物音を立てず、対照的にプチボゥアは居るだけで鼻息を撒き散らし、リロースネイクに関しては集中して聞かなければ聞こえない程度の物音しか立てない。だが、それにしても音が無さ過ぎる。
そう、思っていた。
「……?」
突然、左側から物音が聞こえたかと思うと、その勢いは段々と増し、濃霧の影からシカモドキの群れが飛び出してきた。
「──んなっ!?」
シカモドキは激しく地面を蹴り付け、高草を薙ぎ倒し、引き千切りながら、この場に私が居ないかの様にすぐ横を走り抜けていく。
地響きと騒音が遠ざかり、再び訪れる静寂。ただ、胸の奥だけはざわざわと騒めき、血流の音が耳に届く錯覚を覚える。
自然と釣り上がる頬。いつの間にか構えた短剣。膝を降り、背を曲げ、地面に爪先をめり込ませて高草をへし折る。
遂に来たのだ。そう、期待で胸が高鳴る。緩く弛んだお遊びの戦いでは無く、瞬きすら許されない極限の殺し合い。素材を集め、アイテムを作るだけの探索ゲームからは得られない興奮が、脅威が、私の喉を鳴らす。
「くふふっ!」
だが、期待し過ぎは厳禁だ。前情報から強い事は聞いているが、それでもクリア出来ない程の物では無い。言ってしまえば、“クリア出来る程度の強さ”しか無いのだ。
期待し過ぎて落胆し、イベントのやる気を削がれる訳にはいかない。私は一度構えを解き、深呼吸をする。
「すぅ──はぁ……」
息を深く吐き出し終え、再び構えた瞬間──
──クォーーーン!
狼の遠吠えが周囲の空気を痺れさせた。
方角は全く掴めなかった。だがそれは、遠吠えが遠いからでは無く“近過ぎた”が故に、音の圧が全身にぶつかり方角が掴めなかったのだ。
ただ、態々方角など気にする必要は無いらしい。
気が付くと、霧の向こうで複数の気配が蠢いている。それも、私を囲む様に。
相手との距離感、数、場所。どれも大まかにしか分からない。だが、右へ左へ、私が彼等の包囲網から逃げ出せぬ様、蠢いている事だけは理解出来た。
「……良いね。随分賢い」
集団で襲ってくるモンスターは幾らでもいるが、統率を取って行動するモンスターは、ラチマ以外居なかった。そう考えるとラチマは、初心者用ダンジョンで出現して良いモンスターでは無いと思うが、同時にラチマが初心者用ダンジョンに出現する事に納得する。
霧の向こうの奴等はラチマと同等……いや、それ以上に統率が取れている。しかもラチマとは違い、奴等はこちらを確実に“殺す為”に動いている。そうでなければ、個で別れて囲むなどという愚行は犯さない。
そうでなければ、その愚行を犯せる程の“強さ”が、奴等にはあるという事。
「こんなん、期待しない方が無理だよ……!」
私は地面を抉り、蹴り上げると、高草の海を顔の前に構えた短剣で割り進む。
あの場で止まり、奴等の動きを待っていれば、そのまま奴等のペースに呑まれて最悪死ぬ。なので、こちらから動き、奴等の陣形を崩すしか無い。
狙う相手は勿論、気配の薄い奴。何故気配の薄い奴を狙うのか。それは単に、気配が薄いという事は、少なくとも数で纏まっていないと考えたからだ。
その直感は当たっていたらしく、薄い気配の元へ走り寄ると高草が揺れ、1匹の影が潜伏したまま私の右側面に走り出した。
「〈風弾〉!」
動きを読み、奴が通るであろう場所に風弾を放つ。風弾は、高草を大きく左右に割りながら、トンネルを掘る様に動く草陰に向かって直進する。だが、その影は風弾の飛来を察知して足を止めると、風弾を素通りさせた。
足を止めた。それは、今この状況で一番やっては行けない事。風弾と共に走り寄る私にとって、これ以上の好機は無い。
正確な場所は既に把握している。例え待ち伏せていたとしても、こちらには魔法と武器、そしてこの足がある。最悪片腕を噛まれたとしても、以降腕を肉盾として使えば良いだけだ。
「そこぉ!」
私は動かぬ影が潜む場所に辿り着くと、逆手に持った短剣を横に薙ぎ、高草を押し払いながら先端を突き刺す。が──
「──あれ?」
短剣の先端は虚しく空振り、押し倒された高草から覗く場所には、踏み折られた高草だけが起き上がろうと踠いていた。
「居ない……!くっ!」
私は咄嗟にその場から飛び退き、短剣を構え直して周囲を見回す。奴等は既に陣形を組み直し、私の周囲を旋回している。ただ、近くに居た筈の気配は一切無く、気配が作った獣道を足で探るが、やはり消えた場所に来るまでの物しか存在しない。
「同じ場所を通って後戻りした……?」
そう思い、獣道の先に視線を送るが、その獣道も途中で消えている。高草の生命力の賜物。と考えたい所だが、にしては途切れ方が不自然だ。まるで、その場から突然現れ、私のいる場所で消えた様な。
「分からないけど、それならもう一回!」
私は再び身を屈め、高草を掘り起こしながら、今度は気配の濃い奴に向かって突貫した。気配が濃ければ見失う心配が無いと考えたからだ。
だが今度は、近寄った瞬間に気配が突然消えてしまい、居場所が掴めなくなってしまう。それどころか、奴が居たであろう場所に辿り着いても、高草の折れた跡が1つも見当たらない。
「……こっちから動けないって事か」
もう既に陣形は組み直されており、気配が私を取り囲んでいる。これで囲まれるのも3度目。それ故、気配の数が最初よりも鮮明に感じ取れた。
強く、意図的に気配を発している存在が3匹。そして、気配が薄い存在が1匹。最後に、それら全ての気配に隠れる様に気配を消した存在が1匹の、計5匹。恐らく、最初に突貫した気配は、ただ気配が薄い存在だろう。そしてその存在も、気配が強い存在と同じで“囮”。本命は、気配が殆ど無い、気配を消している事すら悟られない様に潜んでいる1匹だ。そしてその気配の持ち主は、既に“視野範囲内に潜んでいる”。
正確な場所は分からない。ただ近くに潜んでいるという事だけが、感覚的に分かる。
「勿体無いけど、毛皮を使うか」
私は自分から攻める事を諦め、反撃する事に決めた。
リュックの中から偽鹿の毛皮を取り出し、左腕に乱雑に巻き付けると、剥がれぬ様境目を握った。
簡易的な防具。万が一腕で防ぐ場面が来た時に、どの程度役に立つかは分からないが生身よりはマシだろう。
──クォーーーン!
再び、この場の空間を震わせる遠吠えが耳を刺す。その瞬間、視界端の濃霧の壁の一部が“霧を吐いた”。
Q.前情報ってどこ情報?
A.ゲーム内NPCから雑談程度に聞かされる情報。




