5話 誓いのキスにもう一度はない
「悪かったって」
「……ふん」
どうやら、ヒガナを怒らせてしまったようだった。優吾から顔を背け、口をきいてくれなくなってしまった。
原因は先ほどのやり取り。一花曰く、契約時には体の接触が必要らしい。そのためヒガナはキスをしようと唇を突き出していたらしいのだ。それに全く気付かなかった優吾は、思ったまま疑問を口にしてしまった。
ヒガナ側についた一花にそう説明された優吾は、すぐさまヒガナに謝罪した。ちなみに契約の方はうまくいったらしく、ヒガナが手を握ってきた時に放たれた白光が、契約成立の証拠だそうだ。
まさかあの時の発言が自分に返ってくるとは思わなかった。まぁ、死にそうになって自棄になっていたのもあるし、そもそも優吾からヒガナに触れようとしたときに限っては、毎回体をすり抜けてしまうのだから頭になくてもしょうがないと言い訳したい気持ちもあるが。
だが、自分の言ったことには責任を持たなければならない。
「よし、ヒガナ。来い……!」
「…………馬鹿じゃないの?」
「興津君……それは……」
改めて誓いのキスを交わそうと、両腕を広げて待っていたら、ヒガナからは呆れていることがひしひしと伝わってくる視線が向けられ、一花からは残念な人を見る目で見られた。
「ぷっ、顔真っ赤」
「う、うるさい」
優吾自身は、異性とキスどころか、手を繋いだことすらもないのだ。中学の時なんか、クラスメイトに名前すら憶えられていなかったのに。そんな悲しい過去は置いておいても、ヒガナは怪異と言えども顔だけ見れば美人だ。それに、宙に浮けることを除いたら、スタイルだって人間のモデルと間違うくらい。異性への免疫がなければ、羞恥心の一つや二つ、湧いて当然というもの。ただでさえ、身の安全が保証されてからは、一花とヒガナに囲まれて内心震えているというのに。
「仕方ないな。許してあげる」
「……ありがとう」
「不満そう」
「別……黙秘だ」
「しょうがないなぁ。ほら、頭撫でてあげる」
ヒガナは優吾の頭を背後からポンポンと叩いた後、優しく撫でた。優吾は唇を固く結んだ。
やはり契約の内容を変えてほしいかもしれない。そう思った時には、もう遅かった。ヒガナは絶対にその条件を曲げないだろう。何せ、破ったら即死の方の条項なのだ。
「そろそろお開きにしましょうか」
そう言ったのは一花。
「封印の準備のついでに刀を社に置いてきますので、ヒガナ様も外に出る支度をお願いします」
「分かった」
「刀を盗まれたりしませんか?」
刀を盗まれて神社から持ち出されてしまえば、妖力源としての意味をなさなくなる。刀の鞘は素人である優吾から見ても、高値だと分かるものだ。罰当たりな盗人や怪異がいないとも限らない。
「大丈夫。ここ一帯は私の許可がないと入れないから」
「そういや、ここら辺には人がいなかったな」
「そ。だから盗まれる心配もないわ」
「そういうことよ。では」
一花は走って本殿に向かった。
「じゃ、私も行くから。逃げちゃだめだよ? って知ってるか。ちゃんとここで待っててね」
ニマニマとした笑みを浮かべたヒガナは、ゆらゆらと本殿に行った。
今回はちゃんと笑っていて何よりだ。待っててと言ったときに若干影を感じたような気がしたが、気のせいかもしれない。神経質になっているのだろう。先ほどまで、自分の命をめぐる話し合いをしていたのが多分に影響していると思う。
座布団の上でくつろいでいると、小さめの風呂敷を持ったヒガナが先に出てきた。
「それだけか?」
「うん。お茶っぱと湯飲みぐらいだし」
「本とかいいのか? 俺の部屋にも多少はスペースがあるぞ」
一人暮らし用の部屋なので二人だと狭くなるが、それでも多少の物を置くスペースはある。最近電子書籍にちょっとずつ乗り換えているので、元々本を置いてあった場所が空いているのだ。
「いいよ。読みすぎて内容覚えちゃったし。新しいの買ってもらうし」
「そうか。……ちなみに、金はないぞ」
これで契約違反になるのだろうか。お願いを一つ聞くだけの方とはいえ、そのお願いが「死んでほしい」なんてことになる可能性もある。ヒガナはそういうつもりはないだろうが。
「ああそれね。一花に聞いたら、お金出してくれるって」
「ん? 聞き捨てならないんだが」
これ以上頼りっぱなしになるのは……いや、ヒガナは大物っぽいし、それが当然なのか?
「私が出すというより、私の所属している組織が出すと言った方が正しいわね」
手に札を持った一花は、ここに戻ってくる途中から聞いていたのかそう答えた。
「組織?」
「まあ、それの説明は後でね。どうせこの後案内することになるんだし」
「え?」
「じゃあヒガナ様。早速始めましょう」
「随分早いね。偉い人の許可とか大丈夫なの?」
「さっきメールで許可を取りました。今頃慌てていると思いますよ」
「いい気味ね」
この後は家に帰れるものだと思っていたが、どうやらそうではないらしい。一花は四枚の札を舞殿の柱に貼った。東西南北、四方向に一つずつだ。
「ではヒガナ様。あとはお願いします」
「よぉし。……ふん!」
ヒガナは風呂敷を床に置き、両手に力を込めた。その瞬間、ヒガナの体から黒い靄のようなものが溢れ出した。四方八方に広がり、舞殿の柱を越えていきそうな所で、黒い靄は留まる。
よく見れば、四枚の札が黒い靄を吸っているのだ。だが、ヒガナから溢れ出る靄は、吸い込む速さをゆうに凌駕しているように見える。
「興津君。こっちよ」
一花に手を引っ張られ、舞殿の外に出る。優吾が外に出たころには、外からでは中の様子をうかがうことはできないほどに、舞殿の中は黒で埋まっていた。
「ごめんね。ヒガナ様がどうしてもそばで見せたいっていうから」
「はぁ」
多分、見てほしかっただけだな。確かに凄かったが。とはいえ、特に何かされた感覚もなかったので、大迫力の映像を近くで見ているような気分だった。そういえば、あの時見た少女を連れ去ろうとしていた靄はこれだったのか。
「しばらくかかるでしょうから。気長に待ってましょ」
「まだかかるんですか?」
「ええ。一時間くらいはかかるでしょうね」
他の怪異がどれくらいなのか知らないが、明らかに異常なのは優吾にも伝わった。




