1話 プロポーズは突然に
校門を出て、歩道を東に向かって歩き出した。昨日まで晴れ渡っていた空は、まるで今の自分の心のように曇っている。入学式の日、期待と少しの緊張を胸に抱いて登校した。そこまでは良かった。
興津優吾はため息をつきながら、重い足取りで帰路に就く。
高校進学を機に、遠く離れたこの土地で再出発。そう意気込んでいたものの、友達一人すら作れず、相も変わらず一人で歩いている。今日は入学式の翌日ということもあり、午前で終わりだというのに。
「あ、すみません」
優吾は、道でぶつかりかけた男性に手を合わせる。
男性は足を痛めているのか、えっちらおっちらと足を引きずるようにして歩いていた。息遣いも荒い。返事をする余裕がなかったのか、それとも優吾の声が聞こえていなかったのか、男性は何の反応も示さなかった。
足を止めて男性を見た。
目が合った。
「ふぅ……こっちにこい」
一度息を整え、男性の背中に張り付いていた老人顔の赤ん坊に向かって指を曲げる。泣き止んだ赤ん坊は一度地面に降り、赤ん坊とは思えない跳躍力で優吾の頭を飛び越えた。そして、背中にしょっていたリュックにしがみつく。
男性は、「へぇぁ……!?」と素っ頓狂な声を上げ、一気に上体を起こす。
何が起こったのか分からないといった表情だ。ただ、何かから解放されたようで、安堵の息を吐いている。
男性の無事を確認した優吾は、大通りを走り始めた。幸い、平日の昼前ということもあって人通りは少ない。
店と店の間の路地に入り、人目のつかない場所へ。
「よいしょっ……!」
リュックを地面に放り投げる。優吾は再び大通りを走った。赤信号で止まると、膝に手をついて呼吸を整える。
さっきの老人顔の赤ん坊はおそらく子泣き爺だ。赤ん坊に化けて、かわいそうに思った人が抱き上げると次第に重さを増し、その人を押しつぶす。大体のサイトにはこう書いてあったし、実体験でもそうだった。
人の善意に付け込んで、命まで奪う。しかも、普通の人には見えないと来た。
残された家族からすれば、怒りをどこにぶつけていいのかもわからない。本人にもどうしようもない悲劇。
そんな理不尽がまかり通っていいはずがない。
人の命に比べたら、自分のリュック位安いものだ。中身もせいぜい筆記用具と学生証くらい。筆記用具は買い直せばいいし、学生証は明日再発行してもらおう。学校が始まってすぐだったおかげで、教科書類が入っていなかったのが不幸中の幸いだった。
こういう時、自分に怪異を認識できる眼があってよかったと思う。生まれてからずっと、見えてはいけないものが見える眼に苦労させられてきたし、そのせいでボッチになった。それでも、今日また一人助けることができたのだから。
信号がようやく変わると、優吾は走ろうとした。
「ぐすっ……ぐすっ……助けて……!」
「まじか」
横断歩道の先で、小学生くらいの女の子が泣いていた。なぜか黒い靄から伸ばされた手に引っ張られる形で。一日のうちに、別々の怪異の被害にあっている人を二人も目撃したのは初めてだった。
しかも今回は、何が原因なのか分からない。怪異を見ることができる眼をもってしても、黒い靄としか認識できないのだから。
「大丈夫か?」
ただ、それでも助けない理由にはならない。
「あっ――」
声をかけた瞬間、黒い靄の速度が上がった。声を漏らした女の子は宙に浮いている。まるで風になびくタオルのように運ばれながら、こちらに手を伸ばしていた。
「くそっ!」
急いで追いかける。あの怪異はとても性格が悪い。手を掴みかけた瞬間、黒い靄は更に速度を上げて優吾を引き離した。
女の子は先ほどから黙っている。もしかしたら気を失っているのかもしれない。
優吾は、すれ違っていった車の誰かが通報してくれることを願いつつ、全力で追いかけた。
息も絶え絶えになって追いかけていると、黒い靄は見知らぬ細道に入っていった。空の様子もおかしい。先ほどまで日が高く昇っていたのに、太陽が雲に呑まれてしまったかのようにあたり一帯は暗くなっている。
ここまでくれば、さすがにおかしいことに気づいた。そういえば、さっきから歩行者とすれ違っていない。細道に入ってからはともかく、大通りを走っているときに誰ともすれ違わないなんておかしい。人を見なくなったのは黒い靄を見てからだ。
もしかしたら、すでに怪異の腹の中にいるのかもしれない。
逃げるという選択肢が頭をよぎった。すぐに却下した。
ここで自分が女の子を見捨てて逃げることができたとして、あの女の子はどうなるのか。残された家族はどう思うのか。おそらく行方不明で処理されて、家族は一生帰りを待つことになる。
そんな思いは、自分一人で十分だ。
無我夢中で追っていくと、女の子と黒い靄は鳥居をくぐっていった。自分も続こうとしたら、腕を掴まれた。
「入っちゃダメ!」
「――え」
振り返ると、そこには黒髪の女性。同じ制服を着ている。腰には鞘に収まった剣らしきものがあった。――見ている場合ではない。鳥居の方を見ると、そこにはもう女の子はいなかった。
「何するんですか!」
「興津優吾君、よね」
「……なんで俺の名前」
「落としてたわよ」
そう言って手渡されたのは、捨てていったリュックと学生証。
「子泣き爺の方は私が対処しといたから、心配しなくていいわ」
「まさか、あなたも怪異が見えてるんですか?」
「私としては、なんであなたが見えているかの方が気になるけど。まあそうね」
訝しむ彼女に、優吾は「なら!」と声を上げた。
「さっきの女の子を連れ去った黒い靄は見えてますよね? 助けに行かないと」
「分かった。でも、行くのは私だけ」
有無を言わせぬ彼女に、優吾はしぶしぶ頷いた。
「じゃ、ここで待ってて。すぐに連れて帰ってくるから」
彼女は緊張の面持ちで鳥居をくぐった。それを見た優吾は、安心して息を吐く。
子泣き爺から荷物を取り返してくれたということは、怪異に対処するなにかしらの方法があるのだろう。他にも色々知っている感じだったし、怪異への対処の方法だけでもあとで教えてくれないだろうか。
「一体どういうおつもりですか!」
彼女の声が聞こえた。体が宙に浮いた。
鳥居をくぐって、境内の石畳の上に転がった。
「いった……」
地面に頬を擦ったせいでひりひりする。触った感じ、血は流れてなさそうだ。よく見たら、石畳と自分の間に黒い靄が敷かれている。
「何をして……!」
「うん。ちょうど私好みの顔」
声の主は、先ほどの彼女ともう一人いた。
「かい……い?」
腰まで伸ばした白い長髪。アニメでよく見るコスプレじみた巫女服。顔立ちは少々大人びていて、身長は百四十五くらいだろうか。一見コスプレをした子供だった。ただ、少女――否、怪異は宙に浮いている。
優吾の引きつった声に、巫女服の怪異が反応した。
「やっほ。早速だけど、私と夫婦になろうよ。あなたに拒否権はないけど」
「…………は?」




