第20章:静かなる航海
張繡の死は、公式には「病死」として処理された 。だが、軍の誰もがその真相を、口には出さずとも理解していた。次期君主である曹丕の消えぬ遺恨が、一人の将軍を死に追いやったのだ、と。その冷徹な現実は、賈詡の生き方を決定的に変えた。
旧主の葬儀が終わり、軍が再び前進を始めた日から、賈詡はまるで影になったかのように、その存在感を消した。
軍議の席では、もはや決して自ら発言することはなかった。曹操に直接意見を求められた時だけ、当たり障りのない、誰の意見にも反対しないような言葉を数語だけ口にした。その目は常に伏せられ、誰とも視線を合わせようとはしなかった。
彼は、一切の私的な交際を断った 。将軍たちが開く酒宴の誘いも、丁重に、しかし断固として断り続けた。屋敷に戻れば門を固く閉ざし、訪ねてくる客も追い返した。自分の子供たちが年頃になっても、有力な一族と婚姻を結ばせるようなことは決してしなかった 。
それは、乱世を生き抜くための、彼の新たな生存戦略だった。
彼は悟ったのだ。この宮廷という名の海では、才能は嫉妬を呼び、功績は敵意を招く。味方を作れば、それはすなわち敵対派閥を生むことと同義だ。目立つこと、それ自体が最大のリスクなのだと。
ならば、徹底的に目立たぬことだ。波風を立てず、誰の記憶にも残らぬ、ただ息を潜めるだけの幽霊となる。嵐が来れば帆を畳み、凪を待つ。それが、彼が選んだ「静かなる航海」であった。
歳月が流れた。
曹操は赤壁で手痛い敗北を喫することもあったが、その覇業は揺るがず、中原の支配者として君臨し続けていた。その間、賈詡は常に曹操の傍らにいたが、彼の名は歴史の表舞台にほとんど現れることはなかった。彼は、ただ静かに、息を殺して、時が過ぎるのを待っていた。
そして建安十六年(211年)。新たな嵐が、西から吹き荒れた。
関中を支配する馬超と韓遂が、十万の兵を率いて曹操に反旗を翻したのだ 。潼関で対峙した両軍の戦いは熾烈を極め、曹操はかつてないほどの苦戦を強いられていた 。馬超の武勇は呂布にも匹敵すると言われ、彼が率いる西涼の騎馬隊はあまりに精強だった。
焦りの色が、曹操の顔にも浮かび始めていた。軍議は連日紛糾し、有効な打開策は何一つ見いだせないまま、時間だけが過ぎていく。
追い詰められた曹操は、幕僚たち一人一人の顔を、まるで助けを求めるように見回した。
そして、その視線は、ついに隅の席で石像のように座っている男――賈詡の上で、ぴたりと止まった。
「……賈詡」
曹操の声が、静まり返った幕舎に響く。
「そなたは、この数年、まるで抜け殻のようだ。だが、その頭脳まで眠らせていたわけではあるまい。この状況、どう見る」
全ての視線が、賈詡に突き刺さる。
彼は、久しぶりに浴びるその視線の重みに耐えながら、ゆっくりと顔を上げた。
彼の「静かなる航海」は、ここで終わりを告げた。嵐の海に、再び漕ぎ出す時が来たのだ。
また空気になっていきていたのに、また出番が来てしまいました。
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