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XXⅡ【村娘、勝敗が決する】



 王都警備騎士団の訓練場に、木剣が激しく打ち合う音が響く。

 その音に、空を切る音、地を蹴る音、衣服の擦れる音、激しい息遣いが紛れて聞こえる。

 それ等の音は訓練場の中心で手合わせする二人の人物から発生している。

 彼等……いや、正確には彼と彼女の二人は互いの木剣を打ち付け合う。

 当然、木剣同士を打ち付け合う事が目的ではない。

 互いに相手の体勢を崩したいのだが、互いにガードされまくってなかなか勝負が決しないのだ。


((崩れない…!))


 アリスもローグ・ヴィスマンも、無言で木剣を打ち合いながら脳内で焦りが込み上げて来ていた。

 先に集中を乱した方が負けると、どっち共が理解しているからだ。

 かれこれ十分近くに亘り、休む事無く本気で相対し合う二人の様子を見守る他の団員達の中からも心配の声を上げる者が現れた。


「な、なぁ…流石に長くないか?」

「あ、あぁ…」

「しかもどっちとも本気でやり合ってるぞ?」

「もし打ち所悪かったら大怪我じゃすまねぇよ…」

「あの、副団長。一回あの二人止めた方が良いのでは…?」

「………」


 団員の中から一時試合の中断を検討するよう声が上がる。

 試合の進行権利を有する審判のアッシュはその声を受けても尚、二人の試合を静観する。

 この手合わせの雌雄を決する瞬間は、正に二人のどちらかの集中力が途切れた瞬間だ。

今ここで第三者による中断で二人の集中を解く訳にはいかない。

何より、この手合わせはアリスの入団の合否を左右するもの―――


 この場は、アリスの実力と集中力と限界を見極める場でもあるのだ。


「ッ……―――」




 ―――焦っちゃダメだ…相手だって私の集中力が切れる瞬間を待ってるんだ…。




 剣の流儀は違えども、アリスは自分とローグ・ヴィスマンの考え方が似ていると直感で感じ取っていた。

 故に相手も此方の集中を削ぐような、細かく鋭い攻撃ばかりを仕掛けて来ている。

 



 ―――考えろ。この状況を打開させられる戦法を…




 その時、アリスの脳裏にふと前世の記憶が蘇った。

 中学生になってすぐの頃だったろうか。

 道場の稽古場で道着に身を包んだ自分と父。

 父は自分に向かいあって座り、諭す様に語った。




 ―――やるしかない…!




 その時に聞いた父の言葉を瞬時に思い出し、アリスは覚悟を決める。

 アリスは糸が切れたように、全身の力を抜いた。

 木剣の刀身の先が床に着き、さっきまでの勢いが消え去った。


(―――切れた!)

 

 ローグ・ヴィスマンはようやく訪れた勝機と思ったらしく、木剣を高く掲げた。

 振り下ろす木剣に力を乗せて、物凄い勢いで木剣を振り下ろした。

到底華奢な女に向ける闘気ではなかった。

あまりの覇気に、アリスの視界の端で慌てて止めに入ろうとする団員達の姿が映り込む。


だが心配は無用だ。

何故ならアリスは、この瞬間を待っていたのだから(・・・・・・・・・)


 この時、ローグ・ヴィスマンの視界はスローモーションのように流れた。

 「女」だからと馬鹿にしていた相手。

 しかし手合わせしてみれば、他の団員達よりも圧倒的に自分を追い込んで来る。

 焦り、驚き、そして愉快な気持ちが自分の全身を満たした。

 目の前で対峙する女は、女でありながら男の様に剣を振るう変わり者。

 最初は男所帯の騎士団へ入り込もうという変態か、承認欲求を満たそうとする一時的な奇行かと思っていたが、どうやら自分の見立て違いだったらしい。

 如何せん強いではないか、この女。

 予想を裏切ったその実力に、彼はすぐに自身の浅はかな考えを悔やみ、恥じた。

 だから心から反省して、全身全霊を持って彼女の手合わせ相手になる事を決意した。

 手合わせの末に彼女を負かして責め立てられようが構わない。

 この勇ましく美しい女剣士相手に、手を抜く事は騎士として、男として恥だと感じた。

 だから全力で彼女を追い詰めた。

 その末、彼女は不意に糸が切れたように全身の力を抜いた。

 集中力が切れたのか、体力の限界か、もしくは作戦か。

 何にせよ、この瞬間を逃す事は出来なかった。

 力を腕に集中して、自身が出せる最速の一撃を彼女の肩を狙って振り下ろした。


(―――勝った!)


 そう確信した瞬間―――自分の右手が床に着いた。


 沈黙する訓練場。

 全員が呼吸を忘れて、ただ目の前に起きた光景に釘付けになっていた。

 ローグ・ヴィスマンは何が起きたのか分からなかった。

 ただ現在、自分が床に近い場所で静止して、目の前に居たはずのアリスが、自分の項辺りに木剣の刀身を添えて右側に避けている状況を把握した。

 加えて項に痛みが走る。

 だが何故そんな体勢になってしまったのか、理解が追い付かない。

 きょとんと呆けた顔をしたローグ・ヴィスマンに見上げられ、アリスは逆に見下ろす。


 数秒前の出来事だ。


 アリスは全身の力を抜き、武器を下ろす事で相手に集中力が切れたと思わせた。

 切羽詰まった相手にその行動は効果覿面だった。

 止まらなかった攻撃が止まり、止めを刺す為に大振りな攻撃に移行した。

 アリスはその瞬間を待っていた。

 勢いの乗った相手の木剣を紙一重で交わし、ローグ・ヴィスマンの右側へ無駄の無い動作で身を引く。

 相手が高身長だった故に通じる回避術だ。

 アリスは攻撃の勢いに乗ったローグ・ヴィスマンのがら空きになった項に、軽く木剣を当てる。

 軽い一撃でも、勢いに乗っていた彼には体勢を崩すのに申し分ない衝撃だった。


 肩を上下させながら息をする両者。

 滝のような汗が小雨の様に床を濡らす。

 そして次の瞬間には、空気が割れんばかりの大歓声が上がった。

 それは女であるアリスが勝利した事への不満の声ではなく、賞賛に満ちた声だった。


「勝負あり。勝者―――アリス!」


審判の声が勝負の結果を告げる。

攫い大きな歓声が沸き起こり、訓練場は祭りのような騒ぎになった。

その渦中にいるアリスとローグ・ヴィスマンはかけられる歓声の声に応える余裕も無く、呼吸を整え続けていた。


「………」

「………」

「……強いな。お前」

「……貴方もね」


 ようやく呼吸が整って来た両者。

 先に口を開いたのはローグ・ヴィスマンだった。

 負けたにも関わらず、その表情は清々しかった。

 アリスはそんな彼に手を差し出した。

 床に腰を下ろしていたローグ・ヴィスマンはアリスの手を躊躇無く握り返し、立ち上がった。


「ローグ・ヴィスマンだ。ローグで良いぜ」

「私はアリス。手合わせの相手してくれてありがとう」

「礼には及ばないぜ。そもそも最初は軽く捻って追い返してやろうって考えてたしな」

「でしょうね」


 ローグ・ヴィスマン……改め、ローグはアリスの呆れた様な物言いに苦笑いを浮かべた。

 

「にしてもマジで強いんだな。前々から団長に強い女剣士が入団するって聞いてて半信半疑だったが、猛省だなこりゃ」

「猛省までしなくて良いけど、私に対する認識は改めてほしいかな?」

「おぉ。それはもう―――ぐおっ!?」


 突然ローグの体が視界から消えた。

 何事かと考える前に、アリスの視界は他の団員達で満たされた。


「凄いな君! どこでその剣技を!?」

「流儀は!? 指南役は名の知られる剣豪か!?」

「あのローグを倒すなんて信じらねぇよ!」

「おい! 俺が今話してたんだろうが!」


 自分を押し退けて来た他の団員達に怒鳴り声を上げるローグ。

しかしそれでも体をぶつけ合いながら我が我がと戦闘に出て来ようとする団員達に、アリスは思わず二、三歩後退る。

口々に賞賛の声を投げかける団員達の目は何だかキラキラ輝いて見えた。




―――来た直後はローグ同様に冷めた目で見てたクセに、何と言う手の平返しだ。




「あ、あの…ちょっと…?」

「はいはい。お前等落ち着きなさいよ」


 大の男達に詰め寄られて困り果てるアリスの前にギルバートが割って入る。

 一際大きい図体な上に上司の仲裁が入れば、部下の団員達も大人しくなるというものだ。


「お疲れサン。ウチの新人エースとの手合わせはどうだったよ?」

「あ、はい……ん? 新人エース?」

「ローグだよ。コイツは今年の新人団員の中でも優秀でな。早々に期待のエースになったんだよ」

「はぁ…」


 成程。通りでここまで苦戦させられる訳だ。

 それにしても、来て早々にエースに勝ってしまうとは…。


「あーあー。こりゃあエースの座は返上してもらわなきゃならんなぁ?」

「え゛っ!?」


 ギルバートはわざとらしく大声で言い放つ。

 当然、当のローグは顔を青ざめてギルバートの隣でわなわなと震え始めるが、アリスからしてみれば興味の無い話だ。


「あの。私は別にエースになりたくは―――」


 「ないです」と言い切る前に、言葉尻を訓練場の扉が物凄い勢いで開く音で掻き消される。

 

そしてすぐさま―――


「おいギル!!! お前よくも俺が手が離せない時に―――」

「!!」


 


 ―――……今の“声”は…!




 その聞き覚えのある“声”が耳に届くと同時に、アリスは自分の鼓動が高鳴ったのを感じた。

 一ヶ月前から待ち望んでいた瞬間がやって来たのだと、胸の内から高揚感が高まる。

 アリスは期待を胸に、その“声”の主の方へ振り返ると、そこには白を基調とした制服を身に纏い、肩で息を切らせ、汗が滴り落ちる頬を軽く紅潮させて立ち尽くす少年―――


「ルーク…!」

「ア…アリス!!!」


 目が合った瞬間、花が咲いたような笑顔と星のように輝く赤色の瞳のルークはアリスの名を高らかに呼んだ。


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