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フェンリルさん、おいしそう  作者: ひなみそら
第五話:始点
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ラバーキンの靴紐にて(3)

 初夏のさわやかな気候に良く合う、心地よい音色を奏でる草原の細波。爽やかなレモンの風味に香り豊かな紅茶はカップに入れて優雅に楽しむのもいいけど、氷タップリの透明なグラスに注いで、椅子に深く腰掛けてゆったり時間をかけて味わうのが一番だと思う。

 肩肘張らないでのんびりして、夏の足音を聞きながら、焼きたてのスコーンとか、サンドイッチとかあったらもう最高のお茶会になる。残念ながら無いけど。


「……これは食べられるのかい?」


 窓を一杯まで開けて、心地よい初夏の風が抜ける宿屋。その居間で、お茶請けにと用意された深めの籠にいたそいつを手にして、スコルが言った。

 人数分のレモンティーを用意したのは、山吹色と毛先が朱に染まった不思議な色の髪をした少女、ディーア。彼女はどこか誇らしげに語る。

「味はとても良いよ。本来ヴォイドの生物は死ぬと霞になってしまうが、そもそも製法が異なっているため、空腹を満たす事ができるのだよ。小麦等を原材料とし、遊び心で知性を与える事で半ヴォイド生物として存在できるようになった。雑用に加え非常食にもなるすばらしいアイディアであるよ。味のバリエーションも多く、最近では薬効のある物も開発され、『(ひな)の魔女』の主力製品となっている。ヴォイドに革命をもたらした一品であるよ」

「いや、そういうのを聞きたかったんじゃないのだけどね…」

 スコルは硬質なスライムのような感触のそいつを、ぐにぐにと弄ぶ。

 黄色くて、ふわふわで、愛らしくて、一口で食べてみたくなる、ひな鳥。

 食用ヒヨコモドキ。

「フェンリル様! すげーですよこいつ! クリームパンの味がします!」

 抵抗を見せるスコルに対して、ハティは頭から丸かじりだった。「ぴぃよおおおおお!」とくぐもって聞こえた断末魔が、食欲を殺いでくれる。残った半身もビクビク震えてて、なんとも生々しい。無駄なリアルさがある。ちなみに断面はそのままクリームパン。イチゴジャム味もいるようで、そっちはほんとに、グロテスク。ただのジャムなのに。

 故郷にいる頃、まだ肉が震える状態の獲物を食べた事がある。あれはおいしいものだし、小鹿とかご馳走だったし、何よりフェンリルや指導者といった特別な立場だけの特権ではあったのだけど、どちらかと言えば愛らしい生物に、人間臭い仕草と悲壮感が加わるだけで、すごく食べにくい。

 というか、食べたくない。それこそ呪われそう。スコルが手に取ってるやつなんて、大人しくしてる代わりに呪ってやる…といわんばかりに目を剥いてるし。怖い。魔女の遊び心怖い。

 ハティはその辺気にしてないみたいで、おいしそうに次々と籠に集まっているヒヨコを襲撃して行く。手が伸びる度にピヨピヨチヨチヨやかましくて仕方ない。最初は協力すれば逃げられそうなくらい、ヒヨコが底に敷き詰められていた深い籠は、いまや数が減って、それも叶わない状況になっている。籠の内に漂う絶望感が尋常ではない。哀れな。

「そろそろあっちとしては本題に入りたいんだけども。これでも忙しい身でさ」

 煙管をふかし、揺り椅子に揺られる異国の装束に身を包んだ魔女が言った。言葉を返すのは、同じ魔女のディーア。彼女は少し不機嫌そうに口を開く。

「そうであろうね。彼方は他の魔女に追われる身。一所で悠長にできる身ではあるまいよ」

「餓鬼共にやられるあっちじゃぁないさ……ただ、ヴァルキリー共に追われるのは鬱陶しくてねぇ。なんせ魔女はこの世界の敵。蝿の如く追ってきてさ………今回の事もあって、そろそろ鷹が来るかね。ま、しばしの間は大丈夫とは思われるのだけども、のんびりなんかしてそっち等に迷惑をかける訳にもいかないのさ」

 煙をくゆらせ、ツムギはお酒でも楽しむような、縁を掴む持ち方でグラスを傾ける。中身はレモンティー。あまり口に合わなかったようで、顔をしかめた。

「で、そっちの、青髪の小娘がフェンリルだって? ファソリでの呼び声に応えてやってきたのよね? なかなかいいタイミングじゃないのさ」

「呼び声?」

「ほ?」

 聞き返したら首を傾げられてしまった。飄々とした雰囲気をしていた彼女が面食らった様は、なんだか滑稽に見える。

「おやおかしいね……あっちの読みじゃ、ユフィールが叫んで生まれた氷山の話を聞きつけたのかと思ったのだけども…」

「あなたの言っていることはちょっと、わからない。あの夜、私はファソリに居たけど…気絶してた」

 ハティの方を見ると、彼女の口にはビクビクと震えるヒヨコの足があった。金髪の少女がヒヨコを丸かじりするという衝撃的な絵面に目を背ける。

「ふぅん……なるほど。遠くには行ってなかったんだねぇ………ならあっちが手を貸すまでも無く、巡り合っていたのかも知れないねぇ」

 煙を吸って、吐いて、時計の音と、ヒヨコモドキの断末魔が響く。

「口を挟むようで申し訳ないが、呪い屋よ。彼方はフェンリルの復活の予言をした後、何故ヴォイドから追われる様な真似をしたのだね? 力の宿るローブと、本人がいる今この場に訪れたという事は、復活の手引きをするのが彼方の目的だった……と推測できるが……何か大きな流れを掴んだのではないだろうね?」

「その話は後にしようじゃないさ、山吹の……でもまぁ、間違っちゃいないさ。復活させるのが目的ってのは、半分正解で、半分間違いさね。結果的には同じ事ではあるけども、意味が違うのさ。そっちから見れば大した差もありゃせんが……あっちには大切な事よ」

 ツムギの視線が私、ではなく、彼女から見て私の後ろにいるハティに向いた。ヒヨコを仕留めた彼女は、怒っているような、懐かしむような、曖昧な表情を浮かべて、ヴァナルガンドを膝に乗せる。

 ハティはそのまま何も言わず、震えるヒヨコの半身を頬張った。食べてばっかり。そんなにおいしいのだろうか……うぅむ。

「そうさね、他の者共にもわかりやすく、最初から話そうかね。といっても、難しい話じゃないさ」

 彼女はグラスを一気に傾けて空にすると、氷の残るそこに火皿の灰を落とした。グラスの縁を煙管で叩いた時の音が凛と響き、少しだけ空気が張り詰める。

「…あっちは素性を隠して普段は旅の道具屋を営んでいてね。あぁいや、もうずいぶんと前の話だけども。元々は大人しく誰かの大事にしたもんを買って、別の誰かに売り渡す仕事で細々と暮らしてたのよ。まだ誰にも追われてなかった頃さ。商売自体は自分の性に合ってた事もあって、それなりに楽しくやらしてもらってた。あれはもう、何年も前になるのさ。ある春の日の午後、ひょいと露天を覗いてった一人の女の子と話したのは」

 その女の子が、ユフィールだと気付くのに時間はいらなかった。ツムギは煙管を咥え、ため息で空吹きをし残った灰を飛ばしながら、懐かしそうに目を細める。


「あの子はずいぶん大事そうにローブを着ていてね。神経質に汚れを払うのさ。うまく気配を押さえちゃいたけども、それが普通の道具じゃない事はすぐにわかったさ。まぁ、そのあとちょいと話をして、あっちはその子をいたく気に入っちゃったのよ。不思議な雰囲気のある子でね。別れ際、あの子は冗談交じりに『フェンリルのローブなんだ』なんて言ってね。その時ゃ笑って済ましたけども、楽しい時間の御礼にと、古道具を扱うあっちから、呪いの種を一粒譲ったのが始まりさね。もっとも、それがあの子に会った最初で最期さ。何事も無けりゃあっちとあの子の縁はそれで終わりよ。本来なら呪いの種だって、忘れられて終わりだったはずさ。だけども、あの子に譲った呪いの種が芽吹いた事で、縁は再び結ばれた」


 皆の注目を集める中、ツムギは己の言葉を否定するようにゆるゆると首を振る。

「この場合、芽吹いた呪いで縁を無理に縛った、というべきなんだろうねぇ……正直、一途に想いを語ってくれたあの子が死んだなんて、あっちは信じられなくてね。少しでも原因を知りたくて、せめて力になりたくて、あれこれ仕向けてあの子の未練を晴らしてあげようと思ったのさ。たくさんの組織を利用して、さ」

「……君が」

 スコルが言いかけ、彼女の憂いに満ちた目だけで、口を閉ざす。

「そうさ。ユフィールをたらい回しにしたのは全部あっちの仕業さ。より大きく、より情報を広く集められる組織を求めるためよ。ユフィールは手当たり次第に呪って、そいつの記憶をさらってフェンリルを探してたのさ。憎しみと後悔の渦に理性を飲まれながらも戦って、自分が粉々になるくらいがんばって……あっちは、あの子のためなら魔女の力だって喜んで使ったさ。だって悔しいじゃないのさ。健気に生きてようやく掴みかけた幸福な未来を奪われるなんざ。あとほんの数年、生きていられりゃあの子の願いはここで叶ったんだ。それを奪ったやつも許せやしなかったけども、あの子を守れなかった役立たずのそっち等が、何より許せなかった……だから、あえて遠ざけて、あっちがユフィールの力になってやったのよ」

 目を伏せるスコルと、膝の上で拳を握るハティ。何か言ってあげるべきなのかもしれないけど、何も言えず、私は黙って話に耳を傾けた。

「とはいえ、実際やってた事は地味なもんよ。魔女と人の力を借りての人探し……なのに妙な噂を聞いてヴァルキリーにゃ目を付けられるし、取り込んだ組織は追いついてきたそっちらに片っ端から潰されるし………さぁどうするかねぇと悩んでいたところ、ユフィールが泣きながら言ったのさ。『フェンリル様とすれ違った』と」

 すれ違った?

 私が疑問を口にする間もなく、話は先に進んで行く。

「当時せっかく大きな組織に入り込んだってのに、寝耳に水さ。すぐにでも追うつもりが、今更抜けるわけにも行かない立場に踏み入っちまってさ。そこでそっちら二人の顔が浮かんだのよ。そうだ、抜けられないならいっその事潰してしちまえ、と。どうせろくでもない連中だった。だから、追いついてきたそっち等に話を振ったのさ。魔女じゃなく、ただの道具屋として」

「…は、どうりで都合がいい話だったわけですよ。あたし等は馬鹿みたいに乗せられて、胸糞の悪いパーティに潜入してまで、あの商会を潰したんですね」

「正直助かったさ。けど、あれから一ヶ月も経っちまってる。山ですれ違っただけのフェンリルが、どこに行ったのかはわからない。だから、あっちは空の古戦場でユフィールに提案したのさ。見つけてもらえなかったなら、見つけてもらえばいいのさ、って」

 ツムギは、煙管を懐に仕舞いながら、天井を仰ぐ。

「誰でもいいから体を借りて、派手な魔法を使えやいい。そうすりゃ、噂を聞いてフェンリル様も舞い戻るだろうさ。そうしたら、あの二人の元に返っても、たやすく見つけられるさってね……強い夏風にあの子を乗せて……なぁに大丈夫。あとの事はあっちに任せりゃいい。決してあんたにゃ罪は向けないさ…と」

「罪は向かない…? どういう意味? それにすれ違ったって」

 質問を重ねると、彼女は質問はそこまで、と唇に指を立てた。それから順番に答える。

「一月前。そっちは山道で一度すれ違ってるのさ。気付け、というほうが無理だけども……冒険者に護送される服を積んだ荷馬車。覚えあるだろうさ」

「……ある」

 私が今の時代に生れ落ちた、翌日。アーデインが通りがかった馬車を呼び止めて、服を買ってくれて、世界は平和になっていると私に知らしめた時の出来事。

 あの馬車の中に、ヴァナルガンド…ユフィールがいた…のだろう。つまり、私は本来、もっと早く力を取り戻していた?

 あの時、全部の荷物を一つ一つ見ていたら。

「悪徳商会の下請けの小さな支部の、そのまた下請けだったのさ。運び屋は何も知らなかったはずよ。とにかくあけるな、という荷だったのさ。フェンリルが気付けずにいたのも仕方ない。だから、そっちから気付いてもらえるよう、魔法を使う案を出したのよ。まさか近くに滞在してるとは思わなかったけども」

 つまり、その悪徳商会がハティ達に潰されるまでかかった期間が、一ヶ月。組織に入り込んでいたツムギが自由になって、ヴァナルガンドと共に抜け出して、ファソリの南にある空の古戦場で、風に飛ばした。

 それを、偶然シトリが拾って体を借りられて、思惑通り、魔法を使うに至った……夜遅くになったのは、何も知らなかったハティとスコルが戦って、魔法を使わせなかったからだろう。詳細はともかく、流れはたぶん、そう。

 ファソリの災害の全容。聞いてみれば、なんともあっさりしてる。私に見つけてもらうために、やった事。

「罪が向かない、っていうのはまぁ、そのままの意味よ。結果的に町一つ潰しちまったからねぇ……エインヘリャルが黙ってるとは思えないし。でもま、あっちが避難所に滞在し、ちょいと糸を引いてやったら、見事に勘違いして、疑いは全部あっちに向いた。つまり、魔女に」

 この言葉に険しい表情をしたのは、スコルでもハティでもなく、ディーアだった。

「呪い屋。また何かやったのだね? いい加減、彼方を庇う者共も限界であるよ」

「庇ってほしいとは言ってないさね。ヴォイドの事はそっちでなんとかしておくれよ。あっちはこのまま隠居するつもりさ。あっちらの事は今はいい。とにかく、ファソリじゃ今頃、他の町に避難する者共でごたごたしてるだろうさ。そのくらいの事はしてきた……そう睨むんじゃないよ、山吹の。(ひずみ)が広がらない程度に押さえた魔法さ……もっとも、種をちょいと蒔いたつもりが、余計な雛がついばんだようだけどもね…」

「まって、それはどういう事だい?」

 スコルが二人に割って入るように前に出る。手から離れたヒヨコが見事な受身を取り、活路を得た、とばかりに駆け出す。その背中にまだ囚われの身である同胞からの声が届き、足が止まった。

 意を決し、机の脚を登り始めるヒヨコモドキ。私がそんな一匹のがんばりを眺めている間にも話は続いていた。

「どうもこうも、そのままの意味さ。ちょいとヴァルキリーを煽って、パニックを引き起こしてやっただけさね。あっちが使ったのは道具が暴れ出す魔法さ。三日前の魔法も、同じものである、と思うだろうねぇ……つまり、あっちが強力な道具に魔法をかけて起こした、と。つっても、あっちが種をあげたと言えど、純然たる呪いの力を発揮するユフィールと、あっちのヴォイド製の『呪いの模造品』とじゃ、中身がまったく違うけどもさ。それでも何も知らない奴等の目を眩ませるにゃ十分よ。魔女のみぞ知るってことさ」

 スコルが息を呑み、私に振り返るけど、私は救世主になりそうなヒヨコモドキに夢中。空っぽのカップやソーサーを引っ張ってきて、丸い取っ手や縁を足場に籠に登ろうとする。グラスを籠から少し放してカップの隣においてやると、『感謝するぜ』みたいなキリっとした目を向けて、結露して滑りやすくなったグラスの縁に登り始めた。応援したくなる。

「フェンリル様、その、聞いてました?」

「聞いてる。追っ手が来ないなら、気楽でいい。今晩ここで泊まってもいいってこと。でもハティの事を考えたら夜のうちに移動した方がいいか…」

 グラスと籠の縁の架け橋になるようにフォークを置いてあげる。足を滑らせながらも登ったヒヨコモドキは、すぐに次の道を見つけて細いフォークの橋を渡り始めた。籠の中のヒヨコが希望に満ちた目で彼を見上げる。

「てや」


 ガンッ。


「ぴよっ!?」

 机の脚を蹴ると、危ういバランスで引っかかっていたフォークが傾く。そうでなくても振動でバランスを崩したヒヨコモドキは、手羽をばたつかせてバランスを保ち、崩れ行く橋から決死の飛込みを行い、見事に籠の端に手羽をかけた。ちっ、落ちなかったか。

「……クライエンさんや、他の者達が心配じゃないのかい?」

「………何を心配する必要がある?」

 首を傾げて言うと、スコルは言葉に詰まった。

「私のしたことが、そこの魔女のおかげで無駄になったから、わざわざ戻って謝ればいい……なんて、恥を晒しに行くようなもの。どちらにしても、混乱が起きているならそれが収まってからの方が、まだいいと思う。忘れないで、私はまだ、無力なまま」

 スコルはそれで黙ってしまう。そんな彼を見て、一緒にヒヨコヒーローを応援していたハティが呆れるように言った。

「新しいスコルはお人好しですねぇ。フェンリル様がそう決断したんですから、あたしらは素直についてけばいいんですよ。せっかくこっちを選んでくれたのに、水を差すような事言うんじゃねぇです。道具屋が悪役として名乗り出てくれんなら、それでいいじゃねーですか」

「……そうだけど…さ」

 首もとのネックレスを撫でるスコル。彼の言いたい事はわかるけど、本当にちょっと、そっちのほうは考えたくない。

 ファソリの避難所が今、どうなっていようと関係ないし。踵を返して謝りに行ったら、せっかく覚悟したものが無駄になる。

「スコル。納得いかないなら謝るでもなんでもしに行けばいい。私はもう、戻る気はない。どうせ行くならそれを伝えて」

「…少し、考えておくよ」

 私が三日間寝ている間に、他の者達が何を考えていたのかは知らない。本来事情の知らないケンタウロスの彼が、どれだけ仲良くなって、何を話したのかも。彼個人が誰と仲良くしようと全然構わないけど、それを理由に私の事までいちいち口にされてたら、鬱陶しくて仕方ない。

 万が一、戻るにしたって、本当にシトリの無罪が証明されるまでは、保険という意味でもすぐには無理だ。これを言い訳にしてもいいけど、今はしたくない。

 誰かを切り捨てるような選択に、スコルが付いて来れないならそれでもいい。私は今回はこちらを選んだだけの事。それなりに覚悟をした今朝の自分を、裏切りたくないだけ。これはつまらない意地かもしれないけど。

 ため息一つ。

 ついに籠の縁に立ち、他のヒヨコを救出しはじめてヒヨコモドキ。その背中を指で小突いて籠の内側に突き落とす。ハティとディーアが「あぁ」と声を上げた。片付け完了。

「さて、あっちから言える事は何も無いさ。この後、あっちは方々で規模は小さくとも、ファソリと似たような事をするつもりよ。旅路の果てに死んじまうかもしれないけども、せめてもの手向けに、フェンリルに力が戻るところが見れれば、ユフィールに関して悔いはないのだけどもねぇ…」

「呪い屋のしようとしている事には少々異議があるが……フェンリルの力については此方も興味がある。その辺り、彼方等はどう考えているのかお聞かせ願えるか?」

 二人の瞳に敵意のようなものは無い。本当に、興味だけみたいだ。

「どうもこうも、あたしは今すぐにでもフェンリル様にお返ししたい気分ですよ。元々そういう目的ですからね」

 言ってハティはソファーから立ち上がり、部屋の中央まで行くと皆に見えるように畳まれたローブを勢い良く広げた。


 風を孕む音を響かせ広がったローブは、裾も袖も擦り切れ、幽鬼のごとく揺れた。誰が着ている訳でもないのに感じる視線と、濃密な気配。ここにいる、と強く主張するような圧力が、部屋を支配する。


 これだけ強く主張してくれれば、あの山の中でも気付けたのに。

「……話に聞くフェンリルの力の具現にしては、やけに大人しい気がするのだけが…此方の気のせいだろうか?」

 ディーアの疑問に、ハティが静かに答えた。

「それは先日力をたくさん使ったからですよ。ローブそのものに宿る魔力が枯渇してるんです。それに、ユフィールもずいぶん弱ってるんです……そうですよね、道具屋」

「…そうさね。あっちが手を貸してるってのに、あの子の自我はもうぼろぼろさ……強い意志が関わる呪いってのは、それだけ魂に負担をかけるからね。魂を包む心が、どこまで壊れちまってるのかなんて…」

 本当に悲しそうに言う彼女に、私は一番聞きたかったことを尋ねた。

「……一つ、聞いておきたいんだけど、魔女の魔法でもあそこに宿るユフィールを助ける事はできない?」

 この言葉は、魔女に不信感を持っている者だけに動揺を与えた。魔女は敵、ましてや私は魔女に殺されたのだから、敵に頼み事をするのは、フェンリルのプライドとかも含めて、おかしな事だ。

 それでも、私はユフィールが助かるなら、自分のプライドに少し傷がついてもいいと思った。この二人はあまりに友好的で、私的には全然傷もつかないけど。

 ハティは驚かなかった。スコルは声こそ上げなかったけど、意外だったみたいだ。彼はずっと警戒心を出したまま。魔女に対する偏見、と言っていいのかまだ不安だけど、そういうのがまだあるようだ。

 呪縛の魔女は楽しげに言う。

「へぇ? 守護神らしい事言うじゃないのさ。あっちは聖王伝説なんざ嘘っぱちで、フェンリルはもっと残忍なヤツだとおもってたさ。あの子の気持ちなんて関係ないって言うんなら、ぶち殺すつもりだったてのにさ」

 そんなツムギに対し、ディーアは私の対面で真剣な表情をしたままだった。

「呪い屋。これは彼方の専門分野であるよ。まじめに答えたまえよ」

「あぁ、いやいや悪かったさ」

 咳払い一つで、彼女も真剣に向き合う。

「あっちとしてもそれが出来るなら、とっくにしてやったさ。ところが、あっちがユフィールに譲った呪いの種はあっちが予想するよりもずっと深く強く根付いてる。それはそれだけユフィールの意志が固い、という事さ。ユフィールの願いの関係上、フェンリルと出会えば根が緩むだろうよ。救う機会があるとすればその時だけさ。でも、その魂が朽ちる前に他の器に移すのは、よほど魂について特化した者でないと無理さね。何より、力の失い方を見ても、全てにおいて猶予があるとは言えない……ユフィールの魂はそこに宿ってから、毒薬で腐った地面に根を下ろしてしまった木みたいなものよ。日に日に衰弱して行き、いつかは朽ちて、地面とおんなじになっちまうさ。つまり、呪いだけを残して、ユフィールの意志など、なくなる。やがて他の者が落とす命の欠片を喰らって、本来の目的も見失っちまう悪霊になるだろうさ」

 悪霊。私のために頑張った人が、そうなってしまうのは嫌だ。

 ヴァナルガンドのほうへ視線を戻すけど、広げた姿をはじめて見た私には、どれだけ弱ってるのかなんてわからない。ただ私を誘うように、風も無いのに儚げに揺れているだけ。

「時間が無いって、どのくらいなんだい?」

 スコルが尋ねると、ツムギは丸渕の眼鏡を押し上げて、目を細める。

「……もって半年さね。それ以降は自我が崩壊してしまうだろうさ……できる事なら、ある程度自我も記憶も残ってるうちに引き合わせてやった方がいい。あっちの力で寿命を引き伸ばせない事もないけども、所詮魔女の扱う魔法ってのは、この世界のルールを模倣して改良しただけのものよ。そんな『ニセモノ』を加えても、あの子が塗炭の苦しみを味わうばかりで得られる時間は一日かそこら…それでも今までは、あの子の望みでそうしてきたのよ。そして、それはもうできない」

「理由は?」

 私の問いに、魔女が鼻で笑う。

「それを言わせるのかい? もうこれ以上あっちの手でユフィールを苦しめたくないのさ。それに、あっちが魔女からも、エインヘリャルからも追われる身だからよ。せっかくあっちが身を挺してファソリでの事態をかき回してやったのに、無下にしてほしくはないやね。何より、延命したとしても、今の世に傷ついた魂を扱える者がいるとは、思えないさ」

 彼女が言えることは、そこまでみたいで、口を噤んでしまった。ディーアの方へ視線を向けるけど、彼女も小さく頭を振る。魔女がだめなら、自分の知識に頼るしかない。

 魂を扱う者、と言えばネクロマンサー…死霊術師がいる。いるけど、あれは探して見つけられる者ではないし、誰かに協力してくれるような性格なんてしてない。己のために不死を求めたり、死者の魂や肉体を冒涜する事になんの躊躇いも無い者達だ。運よく見つけられたとしても、ユフィールの魂を弄ばれて、終わりだ。こっちは確実にそうだといえる。

 万が一の確率にかけて、失敗したら、二人も、魔女も、許さないだろう。そして何より、中途半端な優しさでその選択をした、私自身が。

 私は優しくなんてない。今更、優しくなんてなれない。優しくしようとすれば、今までの私を作ってきた色々な考え方が、起こす行動が、きっと誰かを傷つける。今朝みたいに。

 元々壊す事しかできないし。魔王のため、と言わなきゃ本気で取り組めないようなヤツだから。素直に受け取るのが、一番いいのかも。

 いいよね。いいか。それでも。

 旅の終着点が逃げてちゃ、だめだろうから。


 ソファーを立ち、深呼吸を挟んでからハティの前へ。ローブの影から顔を出した彼女は、視線をさ迷わせた後、嬉しさに満ちた、実に愛らしい笑顔を作った。

「えへへ」

 そんな風に声をあげて。

 私までつられて笑顔を浮かべてしまった。

「ユフィールが消えてしまうかもしれないのに、そんな風に笑って平気? 無理してない?」

 心配して言うけど、彼女は首を振る。

「それは、ハティの問題です。悲しいですけど、ユフィールの気持ちの方が、ずっと強いんです。だから、こっちにいるユフィールも、我慢できないはずです」

 ローブの擦り切れたように見える裾が、私の方へ流れてくる。

 支配の双牙は、相手の一生を追体験したうえで、肉体を支配する。ハティの中にはユフィールの記憶も残ってて、当然、何度も夢に描いた景色もそこに含まれるわけで。


「きっとユフィールならこう言います。ずっと夢見ていました。この瞬間を。嬉しいです。嬉しくて、仕方ないんです。本当は、すぐに渡したかったです。我慢しました。たくさんがんばって来たんですよ? 褒めてください。今なら、間違いなく幸せだって言えます。死んでしまってもいいくらいに。消えてしまっても、いいって、思えます。思えてしまうんです。この気持ちがひっくり返ったのが、今のユフィールです。だから、もう一度ひっくり返してあげてください。今すぐに。もう、待てません」


 ハティの右目から、一筋の涙がこぼれても、彼女は笑顔のままで言う。

「ユフィールに会えたら、一言褒めてください。お願いです。それだけが、あの子の生きた意味です」

「…ん、まかせて」

 微笑んで、彼女の前で背中を向けた。魔女が罠を張ってるかも、なんて考えは、今更持たない。大丈夫、と私の直感が告げている。

 ソファーでディーアが興味に輝く夕陽色の目を向けている。その前の机では、籠から顔を出したヒヨコモドキ達が我を忘れて事の成り行きを見守っていた。腕を組んだままのスコルは、嬉しそうでも、悲しそうでもない、複雑な表情を浮かべてる。揺り椅子に座るツムギは、私にローブをかけようとする、ハティの方を見ていた。

 冷たい生地が肩に触れ、纏わり付こうとする紺色の靄が耳鳴りを呼ぶ。

 泥で全身を包まれるような感覚に、私の体が持つはずの感覚が塗り潰されていく。感覚のみならず、感情にまで煮詰まった鍋底の泥ような感情が流れ込もうとしてきた。私の魂の奥底にある、打ち込まれた楔が共感しようとする心を支えてくれた。

 不安になるような感情に包まれても、大丈夫と一言唱えれば、大丈夫になる。灰色になって行く視界を目蓋で覆って、天地が逆さまになるような感覚に身を委ねて、体の力を抜いた。


 泥の中を頭から沈んで行くような。

 心だけをむき出しにしたような不安だらけの世界へ、落ちて行く。

 ユフィールが、何年も閉じ込められていた世界へ。


*次回更新は7/30(土)を予定しています。


7/30追記:7/30を予定していた更新は諸事情によりできなくなってしまいました。申し訳ございません。

7/29追記:本業の方が忙しくなってしまい、定期更新をするのが難しくなってしまいました。執筆は続けますが、更新が不定期になってしまいます。申し訳ございません。

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