その立場はとてもおいしそうだけど
私は魔狼族のフェンリル。その呼び名は後世まで続いているけれど、そもそもは最も力の強い魔狼に与えられる称号で、本名はポルタという。
魔族の王である魔王にその力を見初められ、彼の下で五百年に渡り戦い続けた。人間との和平を結ぶために他の魔族を相手にした事もあったけど、最後は魔女であるミデンという少女に完全敗北して、死んだ。
その事自体は情けないと思う。自分の力を驕っていたかもしれない。けど、魔王の力の一端と思われる転生の力のおかげで、私は記憶を止めたまま新たな肉体を手に入れる事ができた。ただ、魔王と違って手に入れたのは狼の体ではなくてひ弱な人間の体。他者からの採点によると私は小柄のカワイイ系少女らしいけど、問題はこの時代が千年近く過ぎたずっと先の時代だった、という事。
知り合ったゴブリン曰く、魔族と人間は既に和解していて楽しく暮らしていると言う事。
曰く、私が死んだ頃の時代の人物の数人が神格化されて各地の伝説に残っている、という事。
例えば魔王直属巨人騎士団団長のキュクロプスは、魔女戦争の折に人間を守る決意をした偉人になっている。賢人キュクロプス。決断と戦を司る神だとか。
魔王とプロペディア国王レイオンは、共生思想の礎となる真王と聖王として人々に知れ渡っていた。
そして炎に包まれるはずだった世界を救ったフェンリルは、神狼フェンリルとして、守護の象徴にされている。
プロペディアは現在伝説の聖地として崇められているみたいだけど、正確な位置がわからず都の場所は特定されていないみたい。ただし、私が最初に魔女と戦った草原は現在も氷の精霊が居座る、氷樹の森として残っているようだ。そこには人間と魔族が和平を誓った石碑が安置されている……らしい。
と。
ロバの背中に揺られながら今の私の置かれている状況を簡潔にまとめてみたけど、なんとも言えない複雑な感情が渦巻く結果となった。
千年の月日で出来た差異はノスタルジックな気分を味わうには十分すぎるし、人間と魔族(今は亜人というらしい)がなんの疑問もなく仲良くしてるのはいい事だけど、やっぱり先入観と偏見がある。結局は慣れていくしかないのだけど、何より違和感があるのはこの私が、守護よりも恐怖の対象として見られていた位の私が、神格化されて守護神などと崇められている事だった。破壊神とかのほうがよほどしっくりくる。
ただ無我夢中なだけだったのに。悪い気分ではないけど、迷惑ではある。
まったくもー…。
「おーいポルタ? 何にやにやしてんだ?」
「…してにゃい」
してた。だってうれしいもの。死んだら忘れられるが常の世の中で神様として名前が残るなんて。でも今は意識を引き戻して顔を引き締める。
陽が暮れた後も私達は旅を続けていた。元々薄暗かった山は暗闇に包まれて、今はアーデインの手に持つカンテラだけが周囲を照らしていた。三方を覆って前にしか灯りが出ていないのは、やたらと光をばら撒いて山賊なんかに見つかると厄介だからだ。
時代が変わっても、そういう輩はいるみたい。魔王も私もそういう人が出るのは予想してたから驚きはしないけど。
ちなみにキャンプを張らないのはもうじき目的地に着くからだ。アーデインのクロスボウを作った職人の住む家。彼の話ではそろそろ分かれ道があって、右側に進めばすぐに着くそうだけど。
「……………」
「……………………」
無言。
夕暮れのテンションが嘘みたい。私は少しだけ不安になって、下からの光でちょっと不気味な彼に声をかける。
「ね、アーデイン」
「ななななんだ? べ、別に道に迷ったとかそういうんじゃないぜ?」
まだ何も言ってないけど。え? 道に迷ったの?
「い、いや。迷ったって言うか見落としたって言うか、もうちっと先だったような後ろだったようなっていうあれで…」
「私、右側見てたけど道みたいのはなかったよ?」
「そ、そうか? そうだよな! 夜に通るの初めてだからおれっちとした事が不安になっちまったぜ。ははは…」
頼りになるゴブリンだと思ったけど、ちょっと頼りなくなってきた。
右側に意識を集中して進むけど、月も星もない夜は艶のない黒が敷き詰められた空間に満たされていて、闇を引き裂く光も数歩先しか照らさないから心もとない。
前の体ならこんな闇の中でも木々の姿がありありと見えたのに。人間の今はぼんやりと樹の陰が現れては消えるばかりだ。
暗闇を恐れる理由が少しわかった。曲がり角で待ち伏せされているような緊張感が、全部の方角に潜んでるのだ。
「あ。あったあった! これだこの道だよ」
ほどなくして道が直角に右へと分かれている場所を見つけた。どっちも山を登るけど、私達が進む道は急な斜面もお構いなしに道が伸びているようだ。階段が必要な感じ。アーデインがカンテラで先を照らすと、一抹の不安が芽生えてくる。
「……登れる?」
とは、ロバに向けたもの。ただでさえ荷物を両脇と私の後ろにひとつ乗っけてるのに。暗がりの中からでも斜面は結構きついものだったのだけど。
「へへ。大丈夫だよ。女の子一人くらいおれっちの相棒は余裕だって。それに」
アーデインは私の腰のあたりに結ばれていたリュックサックを降ろして自分で背負った。
「こうすりゃもっと余裕さ。早いとこ登っちまおう」
アーデインが手綱を引くとロバはのろのろと歩き出す。ロバだから当たり前だけど、文句言わずに進む姿はなかなかかっこいい。
「あ、そうだポルタ。これから会うやつはおいらの知り合いだから安心してもいーけどさ。生まれ変わり、っていうのはちょっと黙ってた方がいいぜ?」
「………アーデインにもばれなきゃ黙ってるつもりだったけど」
「まぁ、プロペディアの名前出されりゃな……それに歩けないし喋れないし。学会でも最近になってプロペディアの名前がわかったんだぜ? でもまぁ、わかってるならいいよ。生まれ変わりは滅多にいるもんじゃないし、ポルタがその体に慣れてないのは、病気のリハビリって事にするからさ。うまく口裏合わせてくれよ?」
「わかった」
わかった、けど、アーデインの『その体』という発言はちょっと気になった。
私はいつ、この時代に生まれたのかは話してない。でも四つん這いで歩いていた事や服を着てなかった事、うまく喋れなかった事はどう捉えてるんだろう? 生まれ変わりの影響、というのは安易な考えだけど、彼くらい聡い人物なら、私の一挙一動から答えを弾き出してもおかしくない。
ヒントとなってしまうのは、あの山賊らしき三人組に襲われた時に見せた噛み付きとか、四つん這いとか、喋り方がわからないとかあたり。それがそのまま人間じゃなかった、という答えになれば、プロペディアの話が好きだと言う彼は私がフェンリルだって検討をつけてもおかしくない。
もっとも、他の動物だっていう可能性も出てくるけど。犬とか。でも、犬って思われるくらいならばれちゃったほうがいいな。私プライド高い。しょうがないけど。
きつい坂道をゆるゆると登っていくと、ほどなくして開けた場所に出た。ずっと奥の方に灯りが漏れ出す小屋が見える。どうやらそこが、この旅の終着点のようだ。
材質はわからないけど、平屋が一軒と、すぐ隣に二階建ての建物が一軒。あとは薪を積んでいる小屋が見えた。灯りが漏れているのは二階建て――ではなくて、平屋の方だった。
私達は灯りの漏れている平屋の軒先まで進んで行き、そこでアーデインの手を借りてロバから降りた。ふらふらしながら軒を支える柱まで連れて行ってもらって寄りかかる。
「ちょっと待っててくれ。今相棒を厩舎の方に入れてくっから」
頷くとアーデインは荷物だけおろしてロバを闇の中へと連れて行った。
ひらひらと目の前を小さな蝶が通り過ぎる。目で追っていくとそいつは軒先に吊るされているカンテラに飛んでいってガラスにぶつかり始めた。その下にある木のドアは質素なつくりのもの。壁はどうやら丸太のようで、いわゆるログハウス、とか言う類の小屋だというのがわかる。対して明かりが消えている二階建ての方は石造りで、うっすらと見える入り口は両開きの鉄製の扉。住居と言うよりは倉庫のような印象。
住んでいるのはこっちの建物で、職人といっていたから隣は工房なのかも、とあたりを付けているとアーデインが戻ってきた。
「お待たせ。それじゃま、ご対面といこうぜ」
頷くと彼は扉の前に立ってドアを強めに叩く。
「おーいクライエン! おれっちだ! アーデインが来たぞ!」
アーデインの呼び声に、家の中からどすどすと音が聞こえ始める。それからすぐに閂がはずされる音がして、ドアが勢い良く私達側に向かって押し開けられた。
「我が友アーデイン! 良く来た!」
その勢い、少し離れた場所にいる私の体が風圧でよろめくほど。あまりの勢いにびっくりしていると、家の主はすぐに私を見つけて怪訝そうに顔をしかめた。
「お? だれじゃいお前さんは」
「あ……えと……私は…」
口をもごもごしてると彼は体を屈めてドアを出てくる。大きな体、だから屈まないと入り口を通れない。
「なんじゃい。はっきりいわんか」
「…………ぴ…」
なんか変な声が出た。
でも、仕方ない。だって、出てきたのは大きな体の半裸の巨漢なのだから。身長は私の二倍近くあるし、おなか周りは抱きついても背中にとどかなそうな程、丸く肥えている。食べごろの果実みたいでちょっとおいしそうとか思った。たくましい手足に、長い顎鬚。髪の毛はまるで玉ねぎから出た芽みたいに天辺で結んで後ろに垂らしてる。こっちはおいしくなさそうだ。顔があるし。
私は彼の種族を知ってる。人間大好き。食べるの大好き。暴力的で有名な、オーグルだ。今頃彼も私がおいしそうに見えてるに違いない。
「お? どうした娘っこよ。山で道に迷ったんか? にしてもさっき、おんの知り合いの声がしたが、まさか娘っこがアーデインなんて事じゃあるめーの?」
「あ、アーデインならそこ………」
「おん?」
指差すと、ようやく彼は、彼からはドアで隠れていた暗がりの草地に目を向ける。そこにはアーデインが大の字になって倒れていた。
「おぉ、どうした我が友よ。そげな所で寝んでもちゃんとベッド用意してるでな。こっちゃこい?」
「う、うるへー…馬鹿力でぶっとばしやがって………おれっちの自慢の鼻が曲がったらどうすんだッ」
起き上がって頭を振るアーデイン。対して、オーグルの彼は腹を擦って言った。
「あー…そらわるっでん。しぃ、いでりどりま?」
……?
知らない言葉を紡いだオーグル。起き上がったアーデインも口を開いた。
「うるせぇ! そんなんじゃねーよ! それと訛り出てんぞ!」
「おぉっと。ばははッ。すまんの娘っこ。おんはあっちゃこっちゃで暮らてた事があるでな。色んなとこの訛りが出るんじゃ。聞きぐるしーかもしれんがの。勘弁してくれな? ま、立ち話もなんじゃ。とりあえず中に入んなさい」
彼はおなかが大きいから道を譲れないみたいで、率先して中に戻って行った。なんとも言えない気持ちが渦巻いてる私が動けずにいると、アーデインは閉まりかけたドアを捕まえて、私に手を差し出す。
「ったくむちゃくちゃだよなぁ――ほら、大丈夫だよ。見た目はあぁだけど、心根もむちゃくちゃなくらいいい奴だからさ。大丈夫、人間なんざくわねぇよ」
そうは言われるけど、やっぱり偏見はある。今はアーデインを信じて、手をとった。
小屋の中は清潔だった。明るい木目に、木製の家具で統一された部屋。部屋を区切る壁はないけど、奥に簡単な仕切があって、暗がりにベッドがある。手前は金属製の薪ストーブと前に絨毯とソファーが置いてあり、そのさらに手前にテーブルと椅子が四人分置いてあった。壁の一角には扉があって、奥にまだ部屋がある事はわかる。壁際はなんだか見たことのない物が並んでいた。
誰かに支えられながらでも歩くのはまだ慣れない。もう少しでできそうな気がする。倒れそうになる度にアーデインが支えてくれるけど、先に部屋に入っていたオーグルはそんな様子を複雑な表情で見ていた。
「おいクライエン! 見世物じゃないぞ! 黙ってお茶の用意くらいしてくれよ!」
アーデインも気付いたのかそんな風に吠えた。
「ばはは! まったくわがままな客じゃのう」
クライエンと呼ばれたオーグルは腹を丸い太鼓腹を揺すりながら、ストーブの天板においてあったケトルを取る。彼がお茶の用意をしている間に私はなんとか席について、ようやくアーデインの手を離した。
「ありがと」
「おう。いいって事よ」
一度入り口まで戻ったアーデインはそのまま外に出て置きっぱなしの荷物を取ってきた。ドアを閉めたとき背伸びして閂をしたことを確認しておく。今の私は人間。ここにきてアーデインが裏切ったら、と考えてしまうのはゴブリン=オークの手下という先入観が抜けきらないから。
「あー…娘っこ。お前さんは紅茶とハーブティーどっちがいいんじゃ? それとも酒にするかいの?」
オーグルのくせにハーブティーとは、なんてお洒落なやつ。人間の血のワインとか出さないのか。
いけない。偏見に支配されかけてる。一度落ち着いて深呼吸。
「えっと、紅茶で」
「おれっちは酒だ! いっちばん高いやつで頼むぜ?」
「ばはは……そういうと思ってこの間町でいい酒買っておいたんじゃ」
クライエンはカップとケトルを手に机の方へ。机の真ん中においてあった瓶から紙製の包みを一つ取り出すとカップに落としてお湯を注ぐ。包みの中はどうやらお茶の葉のようで、すぐにカップの中は色付き始めた。
「ありがとう、ございます」
「おう。しつけの出来てるいい子じゃのう」
上目遣いでお礼を言うと、口の端を持ち上げてオーグルは笑う。子供扱いだった。一度棚に戻った彼は、瓶とグラスを持って、対面に座った。
「さて、アーデイン。そろそろ娘っこをおんを紹介してもらってもいいかいの?」
とくとくと酒を注ぎながら言うクライエン。アーデインは少し得意になって言った。
「あぁいいとも。この子はポルタ。縁があってね。途中から一緒に旅をしてきたんだ。ちょっといないくらいかわいいだろう?」
「ふぅん? お前さんがそげな娘っこを連れるなんざ、よほどの事情だろうの?」
コン、とアーデインの前に真っ赤な酒が注がれたグラスを置く。次に彼は自分の分を注ぎ始める。
「まね……で、ポルタ。こいつはクライエン。見てのとおりオーグル族で、ここに暮らしてる職人さ」
「よろしくぽる――おぉっと!」
さし伸ばされた手がグラスを引っ掛けて机に赤い川が出来た。幸いそんなに注がれてなかったから私の方まではこなかったけど、彼は慌てて身を引いたから瓶からも酒がこぼれてクライエンはびしょびしょ。自慢のお腹が味付けされてますますおいしそうに。
憤慨したのはアーデインだった。
「おいなにやってんだよ! せっかくの酒がもったいないだろ!」
「ばは、ばははは! 心配せんでもこっちは安酒じゃ………ほんとにいいのは一人で飲もうと隠してるんじゃ」
「はぁ!? おれっちは客だろ? けちけちしないで出せよ!」
「酒の味のわからんやつに出してものう……」
「あぁ…おいおいそんなモンで拭くなよッ。待ってろよ今雑巾持ってくるから」
言って、アーデインは後ろの扉の方へ走っていってしまった。ちなみにクライエンが使おうとしてたのは、手を伸ばしたゴミ箱から拾った紙くずだった。
「まったく、騒々しいゴブリンだとは思わんか。のう?」
「きこえてっぞクライエン!」
ばぁんとドアを開け放って戻ってきたアーデイン。早い。手には雑巾と思われるボロ布と、高そうなラベルのついた酒瓶があった。それを見てクライエンの表情が青くなる。
「それはおんが大切にしていた秘蔵の酒……なぜその酒のありかを…?」
「へへ、親友なめんなよ? こちとらお前さんの考えなんてお見通しだっての。ま、おれっちも秘蔵のツマミ出すからおあいこにしようぜ。そういや今日はまだ夕飯食ってないんだ」
机に瓶を置いたアーデインは赤い川を干上がらせてから、自分の鞄からいくつかの食料を出して机に並べ始めた。煎り豆、干し肉、干し魚、缶詰にパン、乾燥させたフルーツも入ってた。
「なんじゃ。言えば簡単なモンくらい作ったぞい?」
人肉のスー…いや、なんでもないかな。
「いいよいいよ。それに、この子の事でちょっと頼み事もあってさ。その事から話してもいいかな?」
体躯に対してつぶらな瞳がちらりと私のほうを向く。
「ふーむ……悪いが、その前のちょっとよいかの? うーむ……」
クライエンは顎を擦りながら私をじっと見つめる。その視線はなんだか品定めをしてるみたいで、これから食べられるかも、という恐怖を見事に煽ってくれた。抑えてた偏見が見事に溢れ出す。このままだとまずい気がして、机の下でアーデインの服の裾を引っ張った。
「えっと、なんだよクライエン。彼女なんかおかしいか?」
「むぅ、いやなに。えらくかわいらしい娘っこだと思っての」
にかっ、と、クライエンは人当たりのよさそうな笑みを浮かべた。そんな言葉に思わず安堵の息を漏らしてしまう。
「ま、大方山賊にでも襲われていたのをアーデインが助けたんじゃろう?」
「お、おぉ…よくわかんな。そうなんだよ。んで、ちょっと足が悪くてここまで乗っけてきたってわけ」
「なるほどのぅ。お前さんのお人好しは相変わらずのようじゃ。きっと大昔の人が見たら驚くじゃろうて」
同意を求めるような目が向いて、なんだかぎこちない笑みを浮かべてしまう。確かに、その通りだったから。けど、確実に今の視線には他の意味がある。
クライエンは並んだ食べ物の中から炒り豆を口に運び始めた。それを合図に、アーデインも待ちかねたみたいにグラスの酒に手を伸ばす。最初に注がれていたのを一気に煽って、さっき見つけた高い方の栓をいそいそと開けていた。
私もカップを両手で持って紅茶に口をつける。ちょっと熱いくらいだけど、お腹の中に染みて行く熱はなんだか不思議と安心する。おいしい。食事が始まって少ししてから、アーデインが言う。
「それでさクライエン。おれっちの面倒に巻き込むようだけど、せめて足がよくなるまでポルタをここに置かせてほしいんだ」
「あぁ…? おんは別に構わんが、足が悪ぅなら町の医者にでも見せればいいじゃろう」
「そうなんだけど、いや別に怪我とかじゃないんだ。よほどな目に会ったのか歩き方を忘れちまったみたいで。たまにいるだろ、親が殺されて喋れなくなるやつとか。ポルタはそれが足に来てるみたいでさ。町でリハビリしてもいいけど、世間知らずなところもあるし。それにあんたにだって良いことあるぜ?」
その言葉にクライエンがほう、と声を漏らす。
「どこで聞いたのかは知らないけどさ。ポルタは大昔の事にちょっと詳しいんだぜ? な?」
「本当か?」
身を乗り出すクライエン。その目が再び私に向いて、私は言葉を選んで答える。
「一応………えと、フェンリルの事とか少し詳しい、かな?」
アーデインのときとは違って、クライエンは鋭く目を細めるだけだった。それは疑っている、というよりは他の別の何かのような気がする。
(……今のところばれるような事は言ってないはずだけど)
でも、おかしいと言えばおかしい。世間知らずなのに昔の事がわかる、なんて知識が偏りすぎ。
クライエンは乗り出していた体を引くと、低く唸って何か考えていた。
「……のぅアーデイン。少し席をはずしてくれんか」
「はぁ? なんでだよ。まさかポルタをどうするつもりじゃないだろうなッ!」
「ばはは……そうじゃない。ちぃと確認したい事があるんじゃ。そうじゃの、倉庫の工具箱の裏に隠し棚がある。そこに『竜王の火』があるから、とってきてくれんか?」
「な、なんでそんな高い酒あるんだよッ。よっしゃまかせろ!」
クライエンから鍵を渡されたアーデインは入り口から飛び出すように外に出てった。ドアを開けっ放しだったから、クライエンが閉めて、閂までしてしまう。あれ、このままどうこうされたら私、どうしようもないんだけど。おいしく頂く?
一瞬だけそう思ったけど、席に戻った彼は理知的な瞳をしていた。
「さて、単刀直入に言わせてもらうがの。お前さん、そうとう強い魔物かなにかの生まれ変わりじゃろ?」
うーんー……。
思わず唸ってしまった。
「………えっと」
「あぁ隠さんでもいいわい。おんは精霊の力を宿す道具を作る商売してるんじゃ。ちっと目を細めれば、お前さんに精霊がひっついてるのはよう見える」
私は試しに自分の体を目を細めた状態で見てみたけど、オーラみたいなのは見えない。そんな様子を見て彼は少しだけ笑った。
「素人がやって見えるもんじゃないがの。それに精霊が宿ってるヤツは珍しくもない。けどの、どうやらお前さんの精霊は眠ってるようじゃ」
「眠って?」
「あぁ。わかりやすく言うとの。目に見えない精霊にも肉体と魂みたいなもんがあって、その二つがあって始めて精霊は相手に加護を与えられるんじゃ。誰かに宿った精霊はの、時々体のずっと奥。魂にまでひっついてしまう事があるんじゃよ。そこまでいくと精霊と宿主の魂が混合してしまっての。宿主は精霊の力が使えるようになるんじゃ。これが加護の正体じゃの。で、ここからじゃ。そういう宿主が死んでしまうとの、肉体から離れてく宿主の魂に引っ張られて精霊の魂も一緒についていってしまうんじゃ。普通は魂が精神を離す時に、一緒に精霊も落っこちる。けど、お前さんには精霊の魂がひっついたままでおる。つまり、魂は精神も一緒に新しい器に入ったんじゃ。それがまぁ、お前さんが生まれ変わりって思った理由じゃの」
彼の言葉は、少しどきどきとした。私の体――正確には魂には、まだ氷の精霊がいる。何も言わない、何も伝えはしてこないヤツだったけど、五百年、それこそ生まれた時からあったものだから、今もここにあるのが少し、うれしい。
「そしてさらにおんの持つ知識からの推測じゃの。そうやって残った宿主の体には精霊の肉体――つまりは特別な力が宿るんじゃが、こういったヤツは最近は希少での。魔女戦争以前にはそういった魔物やら魔獣がうんといたそうじゃから、以上を踏まえて、お前さんは大昔の魔物の、生まれ変わりと思ったんじゃ。おまけに大昔の事を知ってる、なんざ言ったら――さて、どうじゃろう?」
得意げに笑みを浮かべる彼に、私はただ笑うしかない。そこまで看破されてるなら、もう隠す必要はなかった。
「その通り、です。私は千年前、魔族と呼ばれてた。この体になったのはつい最近」
「ばはは、やはりか。なるほどの。これは興味じゃが、お前さん前はどんな体だったんじゃ? 生まれ変わり、というと魔王という奴がそうじゃったが、お前さんそんなに強そうじゃないのう」
強そうじゃない…いや、仕方ないけど。結構ショック。
だから、ちょっと仕返ししようと思ってしまった。
「確かに魔王じゃない。けど、きっと驚く」
「おんは趣味で昔の事を調べてるんじゃ。有名だろうとそうでなかろうと大歓迎じゃよ。教えてくれ?」
「わかった。じゃぁ、改めて自己紹介」
私は自分の胸に手を置いて、精一杯の威厳を出しながら言った。
「私はフェンリル。魔狼族最高位フェンリルの称号を持つ、氷の狼――だった」
名乗るときちょっとどきどきした。それにどうだッ、って気持ちが顔に出てしまう。どや! みたいな。しかしクライエンはお酒を口に含んでいたけど噴出したりはしなかった。むしろ、ゆっくりと飲み込んでから笑い声を上げる。
「ばはは! フェンリルか。そうかフェンリルじゃったか。あのフェンリルねぇ」
信じてもらえないくらいが丁度いい気がするけど、グラスを置いた彼は静かに席を立つと、机を回り込んでくる。てっきり冗談じゃない、とでも怒られるのかと思ったら、彼はその場で膝を畳んで、深々と頭を下げた。
土下座、とかいう最高位のお辞儀だった。あ、なんか懐かしい。誰かに崇められるこの感じは、戦場で何度も感じた事。悪くない気分。だけど今はだめ。
「あの、アーデインから今の時代で私がどういわれてるのか知ってる…けど、気にしないで?」
「知っててあの態度を? うちのゴブリンがほんとご迷惑をおかけして申しわけなく存じます。この無礼はこの醜いオーグルめが腹を掻っ捌いてお詫びを――」
「大丈夫だから、あと、アーデインは私が人間の生まれ変わりくらいにしか思ってない」
「なら今すぐわからせてきますです。はい」
「や、やめて! それは止めて!」
立ち上がろうとした彼を無理やり制す。私は息を大きく吐いてから、諭すように言った。
「守護神なんて言われてるのは知ってる。けど、死んでただけの私は何も知らない。私は私。あなた達が崇めてる守護神じゃない」
「しかしご本人ですし。守護神抜きでも偉人ですし」
「い、今は人間。私個人として、ちゃんと見てもらわないと困る」
この言葉は彼を納得させる事ができたみたい。頭をぼりぼりと掻いて、悪かったと謝ってくれた。
やっぱり、生まれ変わりなのは出来る限り内緒にしよう。ばれても、フェンリルだけは言わないようにしよう。今の私なら全盛期の魔王並みの影響力を持ってそうだった。一声で自分を崇める者が集まってくる、そんな感じ。あれ、それはそれでなんかおいしそう? いや、今はそれよりも。
「あの、クライエンさん。あなたみたいに私の精霊の魂を見れる人って結構いる?」
「いるっちゃいますが、微妙なとこですねぇ。でもまぁ、精霊の道具をもってりゃ誤魔化せますよ」
それはよかった。道行くだけでばれるようだったら、この世界で生きていけないところだった。それこそ守護神として生きるしかなくなる。
「あの、図々しいのはわかってるけど、お願いしてもいい?」
「もちろんでさぁ。全盛期のフェンリルに劣らないくらいのやべぇ武器作ってやります」
「……ごまかせるくらいの簡単なものでいいから、ね?」
あと敬語を止めるようにお願いした。彼は渋々といった感じに了承してくれて、この話は一先ずおしまいとなった。
丁度終わったタイミングで、入り口のドアが叩かれる。
『おいクライエン! あるにはあったけど空き瓶だったぞ! あとなんで鍵閉めてんだ! ぶっとばすぞ!』
ゴブリンがオーグルをぶっ飛ばすってちょっと見たいかもしれない。
「おぉ、忘れとった。おんとしては締め出しといて色々話が聞きたいんじゃがのう?」
「それは少し、困る。彼は私の恩人。中に入れてあげて?」
「ばはは。仰せのままに、フェンリル様」
閂がはずされるとアーデインが喚きたてる。手には埃の被った空き瓶が握られていて、クライエンは終始笑顔で彼の言葉を流していた。私はそんな彼らを見ながら、少しだけ濃くなった紅茶を静かに味わう。
そこにかつて私が見た主従関係なんて無い。彼らは本当に、ただの友達なのだった。




