弓の名手
転生にどれだけ時間が掛かったのか知らないけど、世の中はすっかり春だって事は確かだった。ただ転生の法則は魔王を見る限り決まってるわけじゃない。つまりプロペディアが初夏だったから最低でも一年近く――という考えはあてにならない。途方もない年月が経ってる可能性のほうが大きい。
とにかく春。ぽかぽかの陽気に柔らかい風――だけど、ちょっと運動するとすぐに暑くなる。
魔狼だったころは氷の精霊に祝福されてたからか、暑さも寒さも気にならなかった。体の内側から熱がこみ上げる感覚は初めてで、汗をかくというのも同じ。汗が浮いた体は風が吹くとすごく気持ちいい。運動とか好きになれるかも。
人間も悪くない、と思ったのは最初だけで、森の中を四つん這いで移動してた私はすぐに膝や手のひらがぼろぼろになって泣きそうだった。小枝や鋭い石は避けてるのに、落ち葉の下に隠れてるヤツとか森の下草であっちこっち傷だらけなのだ。
人間弱い。狼の方がいいよぅ。
早く二本足で歩きたい。靴とかほしい、と思ってると水の匂いを感じた。そっちの方に行くと予想通り、森を流れる小川を見つけることができた。ただ、川原はゴツゴツした岩がたくさん転がっていて、水はきれいだけど流れは結構激しい。そもそも水場まで行くにはそこそこの高さがある崖を降りなきゃいけないみたいだ。
(水、飲みたいけど今の私にここを降りるのはきついかな…)
魔狼の頃は一息で降りて川の真ん中の岩辺りでガブガブ飲めるだろうけど。今の私じゃ崖を降りるのも命がけ。
つり橋が架かってそうな川だけど、下に下りる道のようなものは無い――訳でもなかった。少し川を登った所ががけ崩れでも起きたみたいに斜面になっていたのだ。運がいい。
石や枝に気をつけながらそこまで言って顔が引きつる。どうやら本当に軽い土砂崩れで出来た斜面のようで、時間こそ経ってるみたいだけどそこには今の私には危険な石や枝、木の破片がたくさんあった。壁伝いに二本足で歩けば被害は少なそうだけど、最初の一歩で足がもつれてしまい、転んだので諦めた。練習はもう少し後にしよう。
そこで私は、手の付いた場所に膝を置く、という地道な作業をとることにした。もちろん、手を着く前にしっかりとそこが安全だと確認してから。手を突けば沈むようなふかふかの土の上を何度か手で固めて、一歩一歩進んでいく。そうやって進むのは時間はかからなかったけど、川原の石や岩はかなり痛かった。
そうやってなんとか辿り着いた川で思う存分慣れた仕草、狼の仕草で水分補給をする。汚れた手もついでに洗っておいた。擦り傷、切り傷だらけ。小さい木片も刺さってた。手だけじゃない、膝もぼろぼろ。引きずってた長い髪は泥とか落ち葉がひっついていたから、洗っておく事にした。綺麗なものが汚れるのは嫌。
痛いのを思い出すと途端に億劫になってくる。もう歩きたくない。はやく魔王きて。せっかくかわいい(おそらく)女の子になったんだから。
空を見上げると見えていたはずの太陽が見えなくなっていた。西に傾いてしまったのだ。と言う事は、もうじき夜。夜なんてまぁ、と思ったけど、魔狼ならともかく今は人間。夜目は利かないだろうし森には動物だっている。魔族だって活発になる時間だ。
……あれ、私やばい。
せっかく転生したのに再び転生へ、なんて笑えない。二回目転生できるとは限らないし。それに動物、万が一にでも普通の狼に食べられるなんて一生の恥になるじゃないか。
(…と、とりあえず上に戻って安全な洞とか見つければ)
自分でつけた足跡をたどって上に戻ってく。踏み間違えれば痛いのは自分だから丁寧に。
足跡を追うということは下を向く、という事。だから頭から何かにぶつかっても仕方ない。
とん。
「…………」
顔を上げて血の気が引く。ぶつかったのは、人間の足だった。ちゃんとズボンをはいてる。文化的。
「へっへっへ」
なんていうか、あんまり友好的な感じじゃないヤツ。丸顔、あごひげ、バンダナ。腰にはナイフでかなり汗臭い。まずそう。おまけに一人じゃなかった。三人。他の二人も顔の形が違うくらいで似たようなものだ。あ、でも一人だけ表情が違う。ちょっと青ざめてる?
「なんでこんな所に裸の娘がいるんだかしらねぇけど、へへ。どうしたお嬢さん。道にでもまよったかい?」
真ん中の男がニヤニヤしながら言った。次に口を開いたのは隣の四角い顔の男。
「へぇ、こりゃ上玉だ。髪も綺麗だが肌も綺麗だ。おまけに顔も可愛いときてる。けけ」
同じ人間からかわいいのお墨付きもらいました。ありがとうございます。これで堂々と魔王に会いにいける。
現実逃避。いや、そうじゃなくて。
最後に口を開いたのは背の低い男。青ざめてたやつ。
「な、なぁ兄ぃ。やめとかねぇかい?」
「あん? どうしたってんだ。武器でも持ってるわけじゃあるまいし」
「だ、だってよぉ。こいつ四つん這いだ。山で四つん這いで裸ってきたら、狼に育てられた娘に決まってるってぇ」
…あながち間違っては無い。むしろ狼に育てられた狼だけど。
名推理をした男と違って他の二人は笑って済ました。
「お前の言ってる事がほんとなら唸って噛み付いてくんだろ。へへ、見ろよ。俺達にびびって固まってら」
私の事を指差す真ん中の男。びびってるわけじゃない。けど、そうか、人間だからって人間の真似をしなくてもいいんだ。
私は口を開いて、そっと男の指に口を近づけた。
「お?」
指でもなめるのか、と思ったらしい彼等は興味を引かれた眼をしてた。でも、次の瞬間には大きく目を開いてる。
「がぶ」
横から噛み付いた指にありったけの力を加える。牙、とはいえない八重歯が深く刺さって皮膚が裂けた。
「いででででででで!」
男があわてて手を引くけど離さない。指の関節がぽきぽきいうばかり。顎の力が強いのは、人間も一緒みたいだ。噛み付き方のコツはばっちり覚えてる。牙を食い込ませるように首も体も使うのだ。食い千切る。この意志が大事。ちなみに味はまずかった。
「こ、この小娘! はなせ!」
大きな手が私の頬を殴りつけた。拳ではなかったけどその力は思ってたよりずっと強くて、視界に星が散ると同時に私の体はふかふかの地面に投げ出されてしまう。痛い。涙が出た。人間弱い。
「ひ、ひでぇ……指が千切れかけてら…」
「ほ、ほら言ったでしょ! だからおいらは止めようって言ったんだ!」
「いでぇ……ってか勝手に重症化すんな。ちょっと皮膚が切れたくらいだっての! ……ちくしょう…なめやがって!」
真っ赤になった顔で真ん中の男が歩み寄る。逃げなきゃいけない。でも、相手が私の前髪を掴むのが先だった。
「い、いぎゃ!」
髪をつかまれて持ち上げられるのはすごく痛い。両手が持ち上がり、否応なしに二本足で立たされてしまった。腕を掴んで爪を立てるけど、他の二人に手首を掴まれてしまった。
「おーおー、髪をあげたらなおさら綺麗な顔してら」
丸顔はいつの間にか抜いたナイフの腹で私の頬を叩く。牙を――八重歯を剥いて強く睨みつけるけど、まるで意味が無かった。
「グルルルルッ…」
「おぉなかなかの迫力だぜ。お前ほんとに狼に育てられたのか? だったら見世物にするか、どうするか…」
「兄貴も人が悪いぜ。ケケ、裸の女なんざどうするか決まってら」
…う。
「その後の話よ。ま、まずはお楽しみとするか…その方が大人しくなるだろ」
ナイフを収めた手でズボンのベルトに手をかける。それが何を意味するのかわからないほど愚かじゃない。人間がすぐそういう事をしたがるのは良く知ってる。
その場で地面に仰向けに寝かされる。抵抗しようともがいたけど無駄だった。細い腕には細い腕の力しかない。蹴飛ばしてやろうと思ったら足を掴まれた。
丸顔の男が息を荒げて覆いかぶさってくる。その手が私の肌に触れようとしていた。血の気が引いた。怖い。怖かった。
恐怖なんて知らない私が、死の間際にも恐怖を抱かなかった私が、初めて抱いた恐怖だった。悲鳴が喉の奥から搾り出される。氷の力が宿ってればこんな奴等森ごと氷漬けだったのに何も起きない。精霊どこいった。角ばった顔の男が大きな手を押し当ててきた。
いやだ。こんなのは嫌だ。私は誇り高き氷を従える魔狼。魔王の眷属だ。人間の男が組み敷いていい存在じゃない!
今は人間の姿だけど、魂は、同じだ。
こんなのは…やだ………。
「いっでぇえええ!?」
目をきつく閉じていた。だから何が起こったかわからなかった。
聞こえた悲鳴に目を開くと、覆いかぶさっていた男の肩に矢が刺さっていた。
「うぎゃ!」
「ひぃぃ!?」
続け様に飛んできた矢が私の腕を掴んでいた二人にも当たる。どちらも腕、急所じゃない。拘束が緩んだ隙に私は跳ね起きて、組み敷いていた男の左腕に噛み付いた。
「うぎゃあ!」
男の腕は太くて噛み付きやすかった。さっきみたいな中途半端な不意打ちじゃない。ありったけの力を顎にこめて、肉を引き千切ろうとする。こんな男でも、肉ならおいしいかもしれない。
「いぎぎぎ! この!」
右手のナイフが振り上げられる。口を離して小柄の男を蹴飛ばしながら転がり、距離を置いて唸った。そんな私と彼等を隔てるように、再び矢が飛んで地面に刺さった。
「ち、ちくしょう! 下がれ下がれ!」
五本目の矢は飛んでこなかったけど、男達を下がらせるには十分だった。斜面の上まで逃げていった彼等は、手に武器を持って対岸の森を睨みつける。私が噛み付いた男の腕は綺麗な歯型が残って、滴るくらいには血が流れてた。おしい。
「だ、誰だ! この俺様のお楽しみタイムを邪魔すんのは! こいつの仲間か!?」
返事は無い。けど、対岸の森の奥から光を返して矢が飛んできた。それは叫んだ男の頬を掠めて、背後の木に深々と突き刺さる。当てようと思えば当てられるぞ、みたいな正確な射撃。
弓は弓なりに飛ぶから弓のはず。だけど、飛んできた矢はまっすぐに風を切って飛んできていた。
「クロスボウか? くそ! 逃げろ逃げろ!」
武器の正体を知ったらしい彼等は背中を見せて私には目もくれずに一目散に逃げていった。緩んでいたズボンがひっかかってこける様はなかなか滑稽。彼らはそうしながらもあっという間に森の奥へ消えていった。
(…たすかった?)
今のうちに逃げようとしたけど、安心した途端に力が抜けてしまった。腰が抜けて立てない。斜面で座り込んだままでいると、対岸に弓の名手が姿を現した。
「無事かい、人間のお嬢さん」
出てきたのは、小さな陰。ここで弓の名手であるケンタウロスが出てきたら私は何も驚かなかったのだけど、出てきた相手は予想をはるかに超えた姿をしていた。なんせ、矢がまっすぐ飛ぶほど弓を引ける種族じゃなかったから。
彼は甲高い声を奏でながら鼻をこする。
「へへへ。でもお嬢さんも悪いんだぜ。そんなかっこうして。それじゃ襲ってくれって言ってるようなもんだ。町じゃあんたみたいなのは痴女っていうんだぜ」
相手は崖を軽々と飛び降りる。そのまま川の岩を跳んで渡って、さっきまで水を飲んでいた場所まであっという間にやってきた。見た目よりもずっと身軽だった。この場合見た目どおり、かな?
「おいおい、なんだよ。『ゴブリン』なんざ今時珍しくも無いだろう? ま、おれっちみたいなアルビノゴブリンは流石にめずらしいかぁ」
どこか照れたみたいに頬を掻く恩人。そう、ゴブリンなのだ。それも希少な肌が白いゴブリン。
ゴブリンと言えば他の魔族に従う奴隷のようなイメージが私にはある。ボロを着て、緑色で、大きくてひしゃげた鼻と尖った大きな耳。それに泣き出しそうに潤んだ大きな目に、殴られて折れたがたがたの歯。一口で食べられるオヤツみたいな存在。
しかし、アルビノゴブリンの彼は背丈は人間の子供くらいあり、着ているのは皮のベストに擦り切れたズボン。頭にはゴーグルと帽子をしていて、肩に体に不釣合いな『弩』を担いでる。背中には丸まった毛布が挟まった鞄を背負ってて、いかにも旅をしてます、みたいな姿。鼻も耳もゴブリン族の特徴そのものだけど、クリーム色のような白い肌と爛々と輝く目、綺麗な歯並びは明らかに違っていた。明らかに奴隷でもオヤツでもない扱いを受けてる。
「で、あんたほんとに大丈夫なのかい? さっきから一言も喋んないけど。っていうか聞いてる?」
聞いてはいる。驚いてただけ。だから、すぐに頷いた。
「お、なんだ。言葉通じてるジャン。いい噛み付きっぷりだからまじで狼に育てられたやつかと思ったぜ。で、立てるか?」
今度は首を横に振る。そっかと、彼は頭を掻いた。
大きな目がちらちらとこちらを見る。今の私は肌を隠すのは髪の毛くらいで、人間の女がゴブリンにどういう目に会わされるか知ってたから少しぞっとした。だけど彼は空を見て、そうだなぁ、と呟いた。
「ま、とりあえずさっきの奴等が戻ってくる前に移動しようぜ。大丈夫、おれっちはあいつ等みたいな事はしないって。ほら、手貸してやるよ。へへへ。麗しのお嬢様、光栄ですってな」
…なんだか紳士的だけど、違和感の塊にしか見えない。けど、助けてくれた事を第一に考慮して、そろそろと手を伸ばした。このフェンリルの人型で最初に手をとったのがゴブリンなんて、なかなか光栄な奴だと思う。
体に不釣合いな大きさの手をとって立ち上がるけど、やっぱり私はその場で膝をついた。それをみて、彼は少しの間固まった。
「…え? まじで立てないの?」
見事な名推理に、深く頷いた。
変更:ボウガン→クロスボウに変更してます。ストーリー自体に影響はありません。6/4




