5章 藤の花
その後も、大小様々な戦が続いた。官兵衛もナツカゲも、秀吉のために策を練り、奔走した。全ては戦乱の世の終結のために。
小田原攻めを最後に、秀吉はついに天下統一を果たした。戦乱の世は終わった、いや、秀吉には何やら大きな野望があるらしいが―どこか不安を残しながらも、戦のない、静かな日々が始まったのである。
「藤が咲きましたな。」
秀吉の居城、大坂城城下にある黒田屋敷で、官兵衛は濡縁に座り、のんびりと庭を眺めている。福岡十二万石の領主となった官兵衛であったが、小田原攻めの前に、既に家督を息子長政に譲っていたのだ。当時は不穏な噂が流れていた―秀吉が官兵衛の知略を恐れ、疎んじている。秀吉亡き後天下を狙っていると疑っている。官兵衛の家督相続は、その秀吉の疑いをそらすためのものだ、と―真相はどうだったのであろうか。そもそも、官兵衛は隠居を願い出たのだが、それに猛反発したのは当の秀吉であった。何度官兵衛が申し出ても拒絶を繰り返し、周りのとりなしにも耳をかさなかった。ついには、官兵衛の意志の固さに渋々家督相続は認めたものの、隠居は断固認めず、そればかりか、秀吉の側近にして離そうとしなかった。そのため、何となく噂は消えたのだが・・・
「誠に。」
官兵衛の言葉に相槌を打ったのは、なんとナツカゲである。官兵衛の家臣になったわけではないのに、ナツカゲは毎日のように黒田屋敷に来ては、官兵衛の側で過ごしている。
「ナツカゲ殿。あなたは、秀吉様から、お側に置きたいと、何度もお声がかかっておられるというのに。」
ナツカゲに目を向け、官兵衛が言う。
「いいえ、私は、こうしてこのまま、官兵衛殿の側にいたいのです。」
ナツカゲの言葉に、官兵衛はかすかにほほえみ、また視線を庭の藤の花にうつした。
「時に、お子達はお元気でいらっしゃいますか。」
「はい。官兵衛殿の家臣方にもかわいがられております。」
ナツカゲも今では、多くの子や孫、ひ孫に囲まれている。成人した子達の中には、黒田家に仕えている者もいる。
「しかし、小さい子は少々やんちゃで困りますな。」
声を上げて官兵衛が笑う。柔らかな春の日差しが官兵衛の穏やかな顔を明るく照らす。戦場で時折見せたあの突き刺さるような鋭い目を、ナツカゲは最近全く見ていない。
「官兵衛殿は藤の花がお好きなのですね。」
折しも藤の季節。屋敷の庭は、たくさんの藤に覆われ、鮮やかな紫色の花が咲き誇っている。それに、官兵衛はいつの頃からか、黒田家の家紋を藤としているのだ。
「ああ、ナツカゲ殿にはお話したことがありませんでしたな。」
官兵衛がナツカゲの方に顔を向けた。その顔がわずかにくもった。
「かつて、有岡城の地下牢に閉じ込められた時、牢の窓から見えたのが藤の花ただ一つだったのです。あの花を見る楽しみがなければ、私は生き抜こうと思わなかったかもしれません。」
それだけ言うと、官兵衛はまた庭の方を向いた。当時のことを思い出したのであろうか。その目には何とも言えない、寂しげな暗い影が宿っている。ナツカゲはふと思った。この人は、もし戦乱の世に生まれていなければ、こうして花を愛でながら、静かに穏やかに生きていられたのではないだろうか。それが、否応なく生死をかけた戦いに巻き込まれ、知略ある故に恐れられ、疑われ、苦しまねばならなかったとは。初めて官兵衛に会った時の、あの優しい眼差しがナツカゲの脳裏に大きく浮かんだ。もしかしたら、ナツカゲは、官兵衛のその笑顔を見ていたいがために、官兵衛の側を離れられないのかもしれない。この静かな日々がいつまでも続いてほしい―ナツカゲも庭に目を向けた。
「本当に、今年の藤はみごとですな。」




