1章 信長との出会い
それから幾年かが過ぎた。ナツカゲは立派な青年となっていた。尾張を離れてからも、ナツカゲは必死に武芸や勉学に励んだ。兵法書もたくさん読んだ。いつかは父のようになりたかったから。しかし、その間に信秀は亡くなっていた。おまけに、信秀の後を継いだ信長の評判はあんまりよくない。
「なんだい、あいつは。」
近所に住んでいるナツカゲの幼馴染の白猫アキスケが、ある時怒りながら戻ってきたことがある。
「どうしたんだ?」
「信長さ。おれの父もお前の父と同じく信秀様に仕えていただろ。で、おれの父がさ、昨年亡くなった時、お前は信長様に仕えろと言ったのさ。だから今日ご機嫌伺いに行ったんだ。そしたら信長のやつ、おれの話も聞かずにじろっと見た挙句、食ってた柿の種を口からぷっと飛ばして、おれの頭にぶつけてきやがった。噂どおりの大うつけだ。あんな奴に仕えるなんて、まっぴらごめんだね。」
それから数日して、ナツカゲはアキスケと共に信長の居城・清州城下に行った。ナツカゲが尾張に入るのは、子どもの時以来だ。そして驚いた。そこは、子どもの頃とは一変していた。様々な店が軒を連ね、今まで見たことのない珍しいものが売られている。人の行き来も多く、活気にあふれている。
「ほら、見なよ。騒々しいったらありゃしない。」
アキスケは眉をひそめた。けれど、ナツカゲにはそうは思えなかった。少なくとも、信秀の頃よりも尾張は栄えている。
(信長は、噂ほど大うつけではないのではないか・・・)
思いをめぐらせるナツカゲの耳に、ひときわにぎやかな笑い声が聞こえてきた。ふとそちらを見ると、馬上から着流し姿で市の者に声をかけている男がいる。身なりはひどいが、差している刀のつくりは立派だ。
「あれは?」
「あれが信長さ。ああやって、しょっちゅう城を抜け出しては、商人共とふざけてるとか聞いたが、本当らしいな。」
見るのも嫌、という感じで、アキスケはぷいっと横を向くと、ちょうどすぐそばにある石段を上っていこうとした。石段の上には、尾張一有名な寺がある。
「行くぞ。こんなところより、寺の方が静かで落ち着くからな。」
だが、ナツカゲは動かない。いや、動けなかった。その目は信長にくぎ付けとなっている。なぜか、と問われても答えられないが。
「ちょっとごあいさつしてくる。」
「やめとけよ。どうなっても知らないぞ。」
アキスケの声を背に、ナツカゲは信長に近づいた。まるで吸い寄せられるように。
「信長様。お初にお目にかかります。」
馬上から、信長の鋭い視線がナツカゲに注がれる。ナツカゲは頭を下げた。
「だれだ。」
「拙者、ナツカゲと申します。父の名はシゲナツと申し―。」
「シゲナツ?そう言えば、親父殿に仕えていた猫共の中に、そのような名の者がおったな。そのせがれか。」
ナツカゲは耳を疑った。確か、父と信長にはさほどの接点はなかったはずだ。なのに、信長がその名を記憶しているとは。
(やはり、只者ではない・・・)
「して、何の用じゃ。」
聞かれてナツカゲは困った。思わず声をかけたものの、ナツカゲは特に何か言いたいことがあったわけではない。今日は城下を見に来ただけで、信長に会ったのは偶然であるから、それも当然のことではあったが。
「なんだ。」
信長の目が冷たく光る。ナツカゲは体が震えてきた。とても、ちょっとご挨拶、程度の理由で許される雰囲気ではない。こうなったら仕方がない・・・ナツカゲは腹をくくった。
「おそれながら、信長様は、今の世をどうお思いでしょうか。」
言っておいて、ナツカゲは自分でも驚いた。どうしてそんなことを口走ったのか、よく分からない。
「ほう。」
「この御城下の繁栄は、目を見張るばかりでございます。しかるに、一歩城下を出れば、戦で家は焼け、田畑は荒れ放題。庶民の苦しみはいかばかりかと。」
「それで?」
信長の目がますます鋭くなった。ナツカゲは声を振り絞った。
「信長様。信長様はこの尾張一国で終わっていいお方ではありません。この尾張の繁栄を、日の本一円に広げて下さいませ。庶民の苦しみをお救い下さいませ。」
「だから?」
信長の言葉は短い。けれど、ナツカゲは信長の声の中に、楽し気な雰囲気を聞き取った。明らかに、信長はナツカゲに興味を抱いている。
「はい、そのためには、まず、駿遠三の主、今川義元を打つべきでしょう。それによって、信長様の名を広く知らしめ、世にうって出るのです。」
「ナツカゲと申したな。」
信長が馬のたづなを引いた。ヒヒーン、と馬がいななき、前足を蹴り上げた。
「ついてまいれ。」
それだけ言うと、信長は馬にむちを打ち、一気に城に向かって走り出した。
「はっ。」
ナツカゲもその後を追った。夕日に照らされた信長の背を見つめながら。




