第2話:聖獣王との出会い
動きやすいパーカーとスニーカーに着替えた私は、現金なもので一気に足取りが軽くなった。サクサクと森の奥へ進んでいくと、一時間ほどで息を呑むほど大きな湖へと辿り着いた。
緑の木々の隙間から差し込む木漏れ日を浴びて、湖の水面がキラキラとダイヤモンドのように輝いている。まるで絵画の世界に迷い込んだみたいだ。
「よし、ここで少しだけ休憩しよう」
大きな木に背中を預け、ペタンと座り込む。
心地よい風に吹かれ、ウトウトとうたた寝を始めようとした――その時だった。
「グルルルルル……ッ!!」
地鳴りのような、激しい唸り声が響き渡り、私は飛び起きた。
目の前にいたのは、家一軒ぶんほどもある、巨大で美しい白銀の狼。
その狼は、私に向けて鋭い牙を剥き出しにし、今にも襲いかかってきそうな姿勢で身構えていた。
「人間……貴様、私のテリトリーで何をしている」
狼の全身の毛が逆立ち、圧倒的な威圧感が放たれる。けれど、私は恐怖よりも先に言葉を返していた。
「えっ、ここ、あなたの場所だったの? ごめんなさい、知らなかったの」
「嘘をつくな! 貴様も、私の命を狙いに来たのだろう……っ!」
狼がそう吠えた瞬間、巨大な牙が私の目の前まで迫った。
(あぁ、私、また死んじゃうのかな……)
迫り来る牙をただ見つめることしかできなかった、その時。
私の身体が、再びカッと眩しく光り輝いた。
ガキィィィン!!!
金属同士が激しくぶつかり合うような、凄まじい音が鳴り響く。
見ると、私の目の前には、薄くて透明な「壁」のようなものが展開していた。狼の牙は、その壁に阻まれて私に届いていない。コンコン、と手でノックしてみると、信じられないほどの硬さだった。
(もしかしてこれって……バリア、っていうものなのかな?)
「貴様……魔力持ちか」
狼は少しだけ正気を取り戻したような目で、私をじっと見つめてきた。
「魔力持ち? 私が?」
「……魔力持ちを知らぬのか?」
「ごめんなさい。私、この世界に来たばかりで、何も分からないの」
「来たばかりだと? 貴様、この世界の人間ではないのか」
私の言葉に、狼はすっと臨戦態勢を解き、その場にお行儀よくお座りをした。その仕草が少し可愛くて、私はホッと胸を撫で下ろす。
「私はね、違う世界で一度死んじゃって、神様にこの世界で二度目の人生をもらったの」
狼は人間のように深く考え込む表情を浮かべた後、ペコリと頭を下げた。
「……すまなかった。事情を知らなかったとはいえ、いきなり襲いかかってしまって。……私の命を狙う者が、あまりにも多いのだ」
「どうしてあなたの命が狙われているの?」
「人間にとって、我ら『聖獣』は崇める対象であると同時に、万病を治す素材、不老不死のための素材、命を救う素材と言われている。それだけでなく、私を殺すか従わせれば、世界に数人しかいないと言われる『聖騎士』の称号を得られるのだ。ゆえに、何万人もの人間に狙われ続けている」
聖獣。よく分からないけれど、おとぎ話に出てくるような、とても貴重で守られなければいけない存在なんだ。
「……その傷も、人間にやられたの?」
私が視線を落とした先。狼の右前脚には、大きな太刀で切り裂かれたような深い傷があった。周囲の白い毛は血で真っ赤に染まっている。見るだけでこちらまで痛くなりそうな、ひどい怪怪だ。
「あぁ。何重もの罠が張られており、数千人の人間と戦ってな……。脚の腱をやられてしまったようで、上手く戦えず、逃げざるを得なかったのだ」
「そんな……痛そう。ひどいことするね……」
痛々しい前脚に、私はそっと両手で優しく触れた。ポシェットの中にあるハンカチを出して、せめて血だけでも洗い流してあげよう――そう思った瞬間。
またしても、私の手が、眩い光を放った。
ぱぁぁぁ……っ!
「え……っ!?」
光が収まると、先ほどまであった深い傷が、跡形もなく消え去っていた。血みどろだった毛並みも、元通りのフワフワとした真っ白な美しい毛に戻っている。
「き、傷が、治った……? 先ほどまでは歩くのもやっとだったというのに、何の痛みもない。これほどの魔力を持つとは……。少女よ。私の怪我を治してくれたこと、心より感謝する」
狼は地面に伏せ、さらに深く頭を下げた。
「これが私の力なのかは分からないけれど……治ったなら本当に良かった! もう怪我しちゃダメだよ?」
私は笑顔で、狼の大きな頭をワシャワシャと撫で回した。そして、「じゃあね」と立ち去ろうとした、その時。
「待ってくれ、少女よ! いや――我が主よ!!」
「えっ!?」
振り返ると、狼は毛並みの良い尻尾をブンブンとちぎれんばかりに振り回し、キラキラとしたエメラルドの瞳で私を見つめていた。
「私を、使役してくれないだろうか……! これほどまでに温かく、優しい気持ちをもらったのは初めてなのだ。貴方こそ、私を使役するに相応しい、崇高なる主だ!」
「使役するって、何をしたらいいの? 普通に友達みたいに、一緒にいるだけじゃダメかな?」
「主が危険な状態に陥ったら、私は全力で守る! 私を友達だと呼んでくれるのならば、私は絶対に主を一人にはしない!」
一人には、しない――。
前世でずっと孤独だった私にとって、誰かに必要とされることが、これほどまでに幸せなことなんだと、生まれて初めて知った。胸の奥が、じわっと温かいもので満たされていく。
「ありがとう。私も、あなたのことを全力で守るね」
私はそのモフモフの毛並みにギューッと抱きついた。狼は嬉しそうに、私の身体に大きな頭をスリスリと擦り付けてくるのだった。




