比較のココちゃん
「……誰だお前ーーーーー!!」
海斗の絶叫が部屋中に虚しく響き渡り、静まり返る。
テレビのバラエティ番組の笑い声だけが、パチパチとシュールに響いていた。
ドッペルはお菓子の袋を抱えたまま、何をそんなに驚いているんだと言いたげな、呆れ顔で海斗を見つめる。
「……うるさいな。ココちゃんだよ。仲良くしてあげてね」
「あははっ、よろしくねー!」
ピンク白の猫――ココちゃんが、無邪気に小さな肉球を振ってみせた。
「いや……!そうじゃなくて、なんでもう一体増えてるんだ!? いつもだったら一匹ずつだろうが!」
海斗は頭を抱え、コタツの横でぶつぶつ呟いているグレーのシドロを指さした。
ドッペルはお菓子の袋から指を離さず、テレビ画面を見つめたまま淡々と答える。
「それってキミの勝手な決めつけでしょ? そんなルール、最初からどこにもないよ。それに、出ちゃったものはしょうがないじゃない」
パリ、とポテチを噛み砕く無機質な音が部屋に響く。
「それは……それはそうかもしれないけどさ! ただでさえ運動を強制的にさせられてるのに、二匹も相手にするなんて流石にキツいっていうか……!」
言葉を失い動揺する海斗の足元へ、すうっと影が伸びた。シドロが滑らかな足取りで近寄ってくると、濡れた鼻先を海斗の膝に押し付け、耳元へと這い登ってくる。
「まだ足りない……運動しなきゃ……走らなきゃ……」
肌にへばりつくような湿った声。汗ばんだ首筋にゾワリと悪寒が走る。
「今帰ってきたばかりだろ! もう限界、全身ヘトヘトなんだよ……!」
海斗が悲鳴を上げると、今度はコタツの上からピンクと白の毛並みがふわりと舞い降りた。ココが丸い瞳をキラキラと輝かせ、好奇心いっぱいに顔を覗き込んできた。
「ねえねえ、なんで運動するの? 楽しいから? それとも、上手くなりたいから?」
「それは……」
無邪気な問いかけが、海斗の胸の奥をチクリと刺す。
「上手くなってシュートを決めたいとか、前にみんなから歓声を浴びたあの感覚が忘れられないとか……そういうのはあるけどさ……」
喉の奥が引きつる。頭の裏側に、フットサル場で笑顔で喜んでる佐野とゴールを決めた自分の姿が嫌でもフラッシュバックした。
「う〜ん?みんなと楽しく遊びたいのかな?あなたはすっごく必死だけど……みんなを喜ばせたいのかな?ただ自分が楽しみたいだけなの?」
(楽しむ……?)
脳裏に、フットサルを始めたばかりの記憶が蘇る。最初は「体を動かせればいいか」くらいの軽いノリだったはずだ。
(でも……佐野さんには負けたくない。あいつに負けるのは絶対に嫌だ……)
楽しみたいという純粋な気持ちと、他人に勝ちたいという執着が、胸の中でドロドロと混ざり合っていく。
「……別に、楽しいなんて思ってないよ!」
海斗は強がるように吐き捨てた。
「上手くならないと、ずっと地味なパス回しと壁キック練習ばかりなんだよ……! あーもう、今日は寝る! 睡眠だって立派なコンディショニングだ、寝るのも練習なんだよ!」
言い放つと、海斗は耳を塞ぐようにしてベッドへと逃げ込んだ。
「楽しくないのになんでやるんだろ? 家でのんびりしてた方が楽なのに〜。でも、私はお外でちょっとお散歩くらいはしたいかな?」
ココはチョコのついた肉球を舐めながら、不思議そうに首を傾げる。
「運動……? 寝るのも、運動……? 練習……?」
「寝る=練習」という謎の理論を展開され、シドロは概念を揺るがされたようにカチカチと不自然に首を傾げ、動揺していた。
夕暮れの西日が部屋を真っ赤に染め上げる中、ドッペルだけがテレビのニュース番組を見つめたまま、ポツリと呟いた。
「楽しいとか、そういうのだけじゃないんだよ。きっとね」
だが、数分もしないうちに海斗はバツの悪そうな顔でベッドから這い出てきた。
「……いや、まだ夕飯も食べてないし。寝るにはさすがに早すぎたわ」
ボソボソと照れ隠しに言い訳しながらコタツへ戻ると、ドッペルは画面から目を逸らさずに鼻で笑う。
「だよね。そんなことだろうと思ったよ」
「ご飯は、食べなきゃ……。休むのも、運動……?」
シドロはまだ海斗の「寝るのも練習」という屁理屈を噛み砕けないらしく、不自然な動きで頭を抱えながらぶつぶつと動揺し続けている。
海斗はコンビニで買ってきた弁当をレンジで温め、湯気が立つパックをコタツの上に広げた。すると、すかさずピンクと白の影が跳ね、海斗の膝の上にちょこんと飛び乗ってきた。柔らかく温かい重みと、甘いチョコの香りが膝の上に広がる。
「うおっ、何してるんだよ……食べづらいだろ」
動揺する海斗をよそに、ココは身を乗り出して弁当を覗き込み、小さな鼻をピクピクと鳴らした。
「ん〜、ハンバーグも美味しそうだけど、エビフライも捨てがたいな〜。ドッペルちゃんのポテチも欲しいけど……」
チラッと視線を送られたドッペルは、警戒心全開で残りのポテチを素早く口の中へ押し込む。お菓子を抱え込んでガードされたココは、わかりやすく耳をシュンと寝かせて落胆してみせた。
「……はぁ。もう、どっちでも好きな方食べていいよ」
見かねた海斗が溜め息まじりに譲ってやったのだが――これがいけなかった。
「えっ、ほんと!? え〜、どうしよう……エビか、肉か……? サクサクのエビも捨てがたいし、ジューシーなお肉も捨てがたいし〜……」
ココは両方の前脚を交互に動かしながら、本気で悩み始めてしまった。
海斗の膝の上で永遠に葛藤し続けるココ。結局、海斗は目の前のおかず(ハンバーグとエビフライ)に一切箸をつけられないまま、付け合わせのナポリタンと漬物だけを虚しく突くハメになった。
「……ハァ。シドロさん、悪いんだけど足元から動けないから、あっちの棚からふりかけ持ってきてくれない……?」
「自分で、動かなきゃ……。でも、ご飯を食べないのは……もっとダメか……」
シドロはぶつぶつと文句を言いながらも、器用に口でふりかけの袋を咥え、海斗の元へトコトコと運んできてくれた。
「あー……サンキュ」
おかずを完全に諦めた海斗は、白飯の上にサッサッと香ばしい海苔卵ふりかけを撒いた。すると、その音と匂いに反応してココの目がカッと輝いた。
「わあ! そのふりかけご飯も美味しそう! それも食べたいな〜!」
「ほら、さっさと食べないから」
ドッペルが呆れたように吐き捨てると同時に、素早い手つきで海斗の弁当から肉厚なハンバーグをヒョイと横取りし、そのまま口へ放り込んだ。
「ああっ!? 俺のハンバーグ!」
その俊敏な動きに焦ったココも、「負けていられない」とばかりに急いでエビフライをガブリと咥え、海斗の膝から飛び降りた。
「これはココのだもん♪」
自分の定位置へ逃げ込み、小さな肉球でエビフライを挟んで幸せそうに齧りつくココ。その仕草が一瞬だけ可愛らしく見えてしまい、海斗は毒気を抜かれかけた――が、我に返って冷めかけた白飯を一気に口へかき込んだ。
(……待てよ。まさか食事のたびに、この地獄の争奪戦と目移りに付き合わされるのか……!?)
海斗の視線が、部屋の隅に転がっている『台座ハンマー』へ吸い寄せられる。あのハンマーで怪異を叩けば消せるはずだ。だが、それはドッペルが許さないだろう…。
「早く食べなきゃ……急いで、食べればいいんだ……!」
耳元でシドロがアドバイス?をする中、ドッペルは「やれやれ」と肩をすくめ、自分の寝床へと消えていった。
残されたのは、お腹いっぱいでご機嫌になり、残ったお菓子をつまみながら無邪気にテレビのバラエティ番組を見て笑っているココだけだった。




