痘痕の光(一)
「まぁ、そんな恐ろしいことが?」
「そうなのよ、たまたま、警護に当たっていた女官がその場に居合わせちゃって……あれはまさに修羅場だったわ」
帝・晴彦の妃選び。
一番の有力候補で、一番御渡りも多かった桔梗が突如として脱落したことにより、他の女房や女官たちの間で、ある噂が広まっていた。
「帝の相手をしていたのは、女房の空木だったの。帝はずっと空木を桔梗様だと思っていて、本物の桔梗様は、その間、他の男と通じていたんですって」
噂というのは、尾ひれがつくもので、その全てが正確な出来事とは限らないことを、葵は知っている。
せっかく桜子として妃選びに参加でき、一番邪魔であった桔梗がいなくなったのは好機だと思った。
だが、どういうわけか、これだけ完璧な姫なのに肝心の晴彦には嫌われている実感があった。
一体何が不満なのか、さっぱりわからない。
桜子の顔は美しい。肌も痘痕の一つもなく、どこもかしこも滑らかで美しい。
手のひらの豆が潰れた痕も残っていない。
本物の桜子のように、何もわかっていない馬鹿でもない。それなのに、一体、なぜなのか。
決して表情には出さなかったが、耳に入ってきた噂話を聞きながら、考えを巡らせているが、答えは永遠に分かりそうもなかった。
「ねぇ、楓。どう思う?」
「どうと、言いますと?」
「帝がわたしを嫌っている理由よ。ここは女官たちがいろんな噂話をしているから、情報を得るにはとても良い部屋だけど……どんな話を聞いても、その理由に見当がつかないのよね」
翡翠領の姫である桜子の部屋は、中央の棟にある。
中央の塔は警備の女官が寝泊まりする部屋が併設されているため、他の棟とは違って、常にたくさん人がいる状態だった。
そのため晴彦が男色だなんて話も聞いたが、桔梗のところへ足繁く通っていたようだし、それはきっと事実ではないのだろうと思った。
それなら、この完璧な自分にあって、桔梗にしかないものとは一体なんだろうかと。
「そうですねぇ、容姿で姫さまに勝るとは思えません……確かに、桔梗様はお綺麗な方ではありますが、可愛らしいというより大人っぽいのがお好きなのでしょうか?」
「男の人って大人っぽいのがお好きなの?」
確かに、桜子の容姿は大人っぽいというより少女のような愛らしさの方が優っている。
「一概には言えませんけども……姫様、本当に心当たりはないのですか? 何か、わたくしの見ていないところで帝に嫌われるような、粗相をしたのでは?」
「あのねぇ、楓。私を誰だと思っているの。桜子じゃないんだから」
「…………え?」
「あ」
ついぽろっと口から出てしまい、葵は口を両手で塞ぐ。
葵が桜子に成り代わっていることは、秘密なのだ。
事情を知っている希彦とあの場にいた狗丸以外に知られるわけにはいかない。
もし知られたら、それこそ化物だと追い出されてしまう。
「姫さま、今のはどういう……?」
「なんでもないわ! 気にしないで、楓。それより、ずっと気になっていたのだけど」
「なんでしょう?」
葵は話題を変えるために、女官たちがしているのを聞いた別の噂の話をした。
「先の……朝彦様が東宮であられた頃の妃選びでも、今回の桔梗さんと同じようなことがあったと聞いたわ。わたしの母上が、その、別の男と通じていたとか————それって、本当なの?」
ずっと気になっていた。
桜子の容姿は、母親である咲子に瓜二つである。
しかし、奇妙なことに桜子の顔を見た当時を知る女房や女官たちは、全く似ていないと言うのだ。
それがとても奇妙で、もしかしたら、葵が知らない何か事情があったのではないかと、気になっていた。
「……そうですねぇ、もう咲子様もお亡くなりになっていますし、過ぎた過去のことですから、お話ししてもいいでしょう。ただし、これは、乳母である菊乃様から又聞きしたお話ですので————少しばかり真実とは異なるかもしれません。そこはご理解くださいね」
楓はそう前置き押して、過去にこの中央の棟で起こった出来事を語り出した。
* * *
咲子様が妃候補となるまで、実はかなり時間がかかったのです。
咲子様のお母上の身分はあまり高くなかったもので————候補には各領地から二人出さなければならない決まりになっておりましたから、そのもう一人を誰にするか……ちょうど良いお相手がおりませんでした。
なので、身分はそこまで高くなくても良いので、とにかく美しい姫をどこかの家の養女として、送り出そうと。
そうして選ばれたのが、咲子様でございました。
養父となったのは、先のご当主であられる央尋様の従兄弟に当たる方の家でした。
出立する前に、本家である央尋様に女房を連れて挨拶に来たのですが、屋敷にいらした現当主の央満様が、咲子様を気に入ってしまったのです。




