化物(四)
桔梗は男子禁制の場に弟を女装させ連れ込んでいたことを理由に、脱落。
よって、撫子の脱落が取り消される。
しかし、もう宮中になんて戻りたくなかった撫子は、断固として拒否した。
そして、妃選びは桜子と牡丹の争いとなる。
晴彦は桜子は嫌だという理由だけで、牡丹を正室とすることを決めた。
紫苑は、瑠璃領から選ばれなかったことを残念そうにしていたが、女嫌いの晴彦が自分で選んだのだからと、渋々納得。
希彦と光、そして、桔梗との一件以来、晴彦は極度の人間不信に陥る。
心が弱っていた晴彦を、牡丹は懸命に励まそうと、晴彦に寄り添って絵を描いた。
「お前は、虚しくないのか? 俺が女を抱けぬこと、気づいているのだろう?」
「ええ、知っています。けれど、夫婦とはそれだけじゃないでしょう? わたくしはこうして、あなた様と一緒にいるだけで幸せなのです。あなた様がしたいと思えるまで、いつまでもお待ちします。それに、どうしてもできないなら、する必要もありません」
控えめに微笑む牡丹は、これまで晴彦が接してきた恐ろしい女たちとはまるで違って、非常におとなしく、心優しい女だった。
「お世継ぎだなんて、そんな先のことより、今を大切にいたしましょう」
「……そうだな」
晴彦は、そんな牡丹の姿を見て反省したのだ。
女だから怖いとか、嫌だとか、最初から決めつけてしまっていた。
そんな偏った見方をせず、人として接していれば、牡丹のこの穏やかで優しい性格にもっと早く気づけたのかも知れないと。
そう考えると、なんだか気持ち悪いからと低い点数をつけて拒否し続けた桜子にも申し訳なく思えてくる。
そうして、数ヶ月が経ち、ついに晴彦は決心する。
何もかも全て忘れて、牡丹を愛そうと。
初めから自分を愛してくれている牡丹を愛そうと。
晴彦自身、健気な牡丹に心惹かれ始めていたのだ。
「本当に、わたくしと?」
「ああ、俺は今夜こそ、お前と……嫌か?」
「嬉しい……嬉しいです!」
本当に嬉しかったようで、牡丹は珍しく晴彦に抱きついた。驚いてそのまま、晴彦は後ろに倒れる。
「はは、そんなに嬉しかったのか?」
「もちろんです。わたしくしの願いが、やっと叶うのですから」
「願い?」
晴彦の胸に押し当てていた耳を離して、牡丹は起き上がる。
晴彦の上に、牡丹が跨っているという状態になった。
「初めて、あなた様とお会いし、お声を聞いたあの日から、ずっと、ずっと、本当は、この日を待っていたのです」
「声を聞いた?」
「ええ、御簾越しではありましたが、なんて素敵なお声だろうと……」
牡丹はにっこりと微笑み、晴彦の首筋に唇を落とす。
「あなた様のような、素敵な声の持ち主の肉は、とっても美味しいのですよ」
————美味しい?
何を言われたか、わからなくて晴彦は戸惑った。
————美味しいと聞こえたような気がする。肉はとっても美味しい?
「どういう意味————っ……いっぐ……っ」
牡丹は、晴彦の首に歯を立て、噛み付く。
痛みに驚いて目を見開くと、噛まれた場所から、どくどくと血が流れる。
「な、な、何を……——!?」
慌てて、自分に覆いかぶさっていた牡丹を突き飛ばし、首を抑える。
止まらない。
血が止まらない。
ないのだ。
そこにあったはずの、皮膚が、首の、肉がえぐられたように、なくなっている。
何が起きたか理解できなくて、牡丹を見ると恍惚とした表情で、ごくりと喉を鳴らしていた。
牡丹の唇の端から、鮮血が垂れる。
それを舌で絡め、笑う。
「ああ、やっぱり美味しい」
彼女の瞳は、その鮮血のように、赤く光っていた。
「ば……ばけ…………も」
* * *
「探しなさい。すぐに……!!」
「何を?」
「晴彦に決まっているでしょう!? こういう不可解なことが起きた時のために、琥珀の忌子がいるんでしょう!?」
晴彦が忽然と姿を消した。
帝が姿を消すなんて、前代未聞である。紫苑は焦っていた。
晴彦に何かあれば、次に帝となるのは希彦だ。
帝は自分に何か起きた時のために、即位式の後すぐに遺言を書くことになっている。
生前に何度書き直してもいいものだが、晴彦は東宮に晴彦をと書き残したまま姿を消した。
一度も書き直していない。
あれが公開されたら、希彦が東宮になり、帝になってしまう。
「おや、私を琥珀の忌子だとお認めになるのですか?」
「それは……」
自分のことを覚えていない、思い出してもくれない希彦を琥珀の忌子だなんて、自分が慕っていたあの忌子様だなんて認めたくない紫苑。
しかし、ここで認めなくては、希彦は晴彦を探してはくれない。
とても人の仕業とは思えない状況で消えた晴彦を、見つけられるのは、人とは違うものが視える希彦だけだ。
「認めます。あなたが琥珀の忌子だと。だから————!」
とても悔しそうな顔をしていた紫苑に向かって、希彦は
「そうだね、紫苑。私が見つけてあげよう。まだ、生きていればの話だが」
あの頃と同じように、「紫苑」と優しくその名を呼んだ。
猫のような大きな目を細め、揶揄うように、にやにやと笑いながら。
【琥珀の忌子 了】




