5. 花ヶ前 真夜
本日も二話更新します
「おじょうさまってなぁに?」
花ヶ前真夜がいつからそれを強く意識したのかはもう覚えていない。周囲からお嬢様だと言われたことで興味を持ったことだけは辛うじて記憶にある。
だが興味を持ったとしても世の中にある子供向けの話はお嬢様よりもお姫様の方が遥かに多い。綺麗なドレスを着て王子様と結ばれるお姫様はそれはそれで憧れるものであったが、残念ながらお嬢様とは違うと知り悲しくて塞ぎ込んだこともある。
お嬢様とは何か。
その正体を理解したのは六歳の時。
「おじいさま、どこにいくの?」
「真夜に合わせたい人がおるんじゃ」
祖父に何処かの大きなお屋敷に連れてかれた真夜は、そこで正真正銘のお嬢様に出会った。
腰まで伸びる長く艶のある黒髪。
微塵たりとも着崩れしていない和装。
一挙手一投足の全てに雅を感じ、人外レベルの美貌や心地良い口調が見聞きする者を虜にする。
「おじいさま、あのおかたは?」
「××××のお嬢様じゃよ」
「あれがおじょうさま……」
『礼』の化身ともいえる存在を前にして、真夜は目を奪われて憧れた。お姫様は現実には存在しないけれども、お嬢様は実在するのだと理解した。そしていつの日か、自分も目の前のお嬢様のようになりたいと強く願った。
この体験により、真夜は幼いころからお嬢様になるべく努力した。お嬢様ごっこの相手となっていたのは祖父の古くからの知り合いである三峰建設の強羅社長。娘が欲しかった強羅社長の溺愛により、真夜はお嬢様としての立ち居振る舞いを学んで行く。
歩き方を覚え、話し方を覚え、優雅な動作を覚え、憧れのあの人に着実に近づいているような気がして夢中になった。自分がお嬢様として成長出来ている事を誇りに思い、お嬢様であることが自分である証とさえ感じるようになっていた。
『お嬢様』が必ずしも和装美人を指す言葉では無いと知ってもなお、真夜は古い日本の女性イメージとしてのお嬢様であることを止めることはなかった。真夜にとってのお嬢様像は既に固まってしまっていたのだ。
それほどまでに凝り固まったお嬢様としての在り方を変えるかもしれない体験。
子供時代のほぼ全てをかけて培ってきた自分の在り方を変えても構わないとすら思えるくらいの体験。
それが恋であった。
――――――――
デート当日。真夜は自室の一枚鏡の前で戦闘準備をしていた。
「正装ですと目立ってしまい奏様を困らせてしまいますわよね」
普段着でもあり勝負服でもある和装。その中でもとっておきの一張羅を身に纏って向かいたいところだが、目立ってしまい奏が肩身が狭い思いをするのは目に見えている。ゆえに着慣れない洋服を選んだ。
「少し地味でしょうか」
真夜の雰囲気に完璧にマッチしているレトロワンピースだが、年頃の女性達の流行とはかけ離れたものであり、奏が満足してもらえるか不安であった。
「(やはり露出が多いものにして奏様の欲情を煽る方が……わたくしったらなんてはしたないことを!でも奏様が獣のようにわたくしに襲い掛かって来て……ぐへへへ)」
どこで誰が聞いているか分からないため、一人であっても危険な妄想は決して口にはしない。この警戒心の高さが真夜の内面が知られていない理由である。
「いけない、時間ですわ」
妄想に時間を費やし過ぎて待ち合わせに遅れそうになり、慌てて家を出る。
待ち合わせ場所にはすでに奏が到着しており、真夜が来るのを待っていた。
「(キャー!奏様!私服姿も格好良いです!抱いて!)」
男らしさを抑えた可愛い系のコーデなのだが、恋する妄想乙女には例え作業用のクソダサつなぎを着ていたとしても格好良く見えただろう。
「奏様、とてもお似合いです」
「真夜さんも凄く似合ってるよ」
「ありがとうございます(奏様に褒められた!この服を選んでよかったです。『下』も見せる機会があるかしら、ぐへへへ)」
奏とデートをするというシチュエーションでテンションが上がり、いつも以上に妄想が捗ってしまう。だが、奏は強敵である。そんな妄想に浸る隙など与えてはくれない。
「真夜さん、行きましょう」
殿方と手を繋ぐ。ただそれだけの事なのだが、真夜の妄想を押さえつけて素直に照れさせるには十分な威力があった。
「……はい」
真夜はこの時点で舞い上がってしまい、一緒に街中を歩いていたことやココットの列に並んだこと、そこで写真映えについて会話したこともうろ覚えだ。胸のドキドキを抑えることが出来ず、ココットの味も分からなかった。
真夜の左手に温かな熱が伝わり、そのせいか繋いだ部分が湿り気を帯びるが決して離しはしない。得意の妄想も発動出来ず、ただひたすらに照れてどうにかなりそうな自分を抑えるので必死だった。
真夜が冷静さを取り戻したのは奏にレディースアパレルショップに連れて来られた時だ。
「うん、僕が真夜さんの色々な姿を見たいんだ。ダメかな?」
「(奏様、それは卑怯です!だ、だめ!表に出ちゃいます!)」
スキル『やまとなでしこ』を全力で発動させてもなお、嬉しさにより顔が真っ赤になることを避けられそうに無いため、思わず顔を逸らしてしまった。スキルを突破する程の攻撃を受けて恥ずかしいやら逃げ出したいやらで混乱している真夜だったが、気が付いたら洋服を持って試着室の中に居た。爆照れした後も普通に会話出来たのは奇跡である。
「(わたくしがこれを着るのでしょうか)」
奏に手渡されたボトムスはスカートだった。ミニでは無いが、膝が見える程度の丈のものだ。
トップスも肘がギリギリ隠れる程度の丈であり、首回りも見えている。
真夜は外で肌をここまで露出したことはほとんどない。
ここでようやく真夜は冷静になった。内心では色々と妄想をしているが、やまとなでしことして男性に肌を露出するのはよろしくないという感性が、その服を着ることを拒絶していた。
「(ですがせっかく奏様が選んで下さった服ですから着ないと失礼ですわよね)」
本当にダメならば受け取る時に拒否すれば良かったのだが、混乱していた真夜は受け取ってしまった。試着後に見せるかどうかは別として、少なくとも一度は着ないと奏に失礼だろうと考え、真夜は意を決して着替えることにした。
「(え……やらしくない)」
着替えが終わり、鏡で全身を確認した真夜は驚いた。肌を見せている部分が性的に感じるどころか、むしろ見えていることによる色合いの変化がファッションとして成り立っていたからだ。
普段とは全く違う自分の姿に、真夜はドキドキが止まらない。もっと色々な姿の自分を見てみたい。そしてこの姿を奏に見せたくてたまらない。
真夜がファッションに目覚めた瞬間である。
ノリノリになった真夜は、奏のお勧めだけでは無くて自分でも普段は選ばないような露出が多めの服を選んで試着を繰り返す。
そうこうしているうちに精神的に余裕が生まれ、妄想心といたずら心がむくりと起き上がる。
「(このカーテンの向こうには奏様が……もし今開けたら襲われちゃうかしら。ぐへへへ)」
着替え途中で、自分が奏の傍で下着姿というあまりにもはしたない格好をしていることに気付き妄想が捗る。しかし、デートという非日常感にあてられたのか、普段なら絶対に漏らさない妄想がいたずらの形で少しだけ漏れてしまった。
「奏様」
「なぁに?」
「この服の着方が分からないの。ちょっと手伝って下さらないかしら」
「え?」
カーテンの向こうでは奏が慌てている。
「(ここで手を伸ばして奏様を中に引き入れたらどうなるのかしら。奏様は真っ赤になってわたくしの体に欲情してそのまま……ああ、奏様、こんなところでダメですわ!)」
体をくねらせて妄想に浸っている間に、奏は逃げ去ってしまった。
「(くすくす、奏さんったら初心なんですから)」
後日、真夜がこの時のことを思い出して猛烈に悶えることになるのだった。
ファッションショーが終わり避難した奏の元にやってきた真夜は、せっかくなので一着購入しようかと考えた。奏が一番喜んでくれるコーデが知りたかったので、軽い気持ちで意見を聞いたのだが思わぬ感想を受けて心が砕かれそうなほどの衝撃を受けた。
「真夜さんは和服姿が一番似合うかな」
洋服を着ることは楽しいと分かった。これから先も奏やクラスメイト達と出かける際には年頃の少女らしいおめかしをするだろう。
だが、自分らしい姿と言えるのはあくまでも和装であり、洋服を着るのは楽しい反面どことなく違和感があった。
そして真夜自身でも気付いていなかったことだが、奏も他の人と同様に真夜が庶民寄りになることを期待しているのだと思い込んでいた。
これまでお嬢様で在り続ける必要は無いと諭す人は多く居た。
祖父や両親や瀧川女学院の理事長。彼らは庶民の生活も悪くないから目を向けたらどうかと真夜にアドバイスする。同じお嬢様であるはずの瀧川女学院のクラスメイト達も、真夜を称賛しつつも『そこまでやる必要があるのか』という雰囲気が言葉の端々から感じられた。
お嬢様としての真夜を純粋に認めてくれる言葉を与えてくれる人は居なかったのだ。
それなのに、他ならぬ最も愛する人が本来の自分が一番であると認めてくれたのだ。
「(ああああああああ!)」
嬉しいなどと言う言葉では収まり切れないほどの感激に真夜の心は打ち震えた。
だがそれをどうやって表に出せば良いか分からない。
過剰に照れるのも、奏を抱き締めるのも、真夜が信じるやまとなでしこにはふさわしくない。
感情を消化出来ずに、スキルをフル活用して暴走しそうな体をひたすら抑え込む。
「(奏様奏様奏様奏様!)」
しかし混乱中の真夜に、奏は追い打ちをかけて来た。
「これ、真夜さんにプレゼントです」
「(は?プレ……え、今なんて?)」
差し出された巾着袋を反射的に受け取ってしまう。
プレゼントと言う単語を脳が処理してくれない。これ以上嬉しくなったら危険であると判断されているのか。
「え……あの……あ……あれ……?」
「開けてみて下さい」
巾着袋に入っていたのは安物の懐中時計だった。
だが安物かどうかなんて関係ない。奏がプレゼントをくれたということが大事なのだ。
「これなら和服姿でも持ち歩けるかなって」
しかも和服姿の自分に合うプレゼントを考え抜いて用意してくれた。手作りの巾着袋も真夜に似合う柄を探してくれたのだろう。
和装の真夜を認めてくれたどころか、より輝かせてくれるためのプレゼントまで与えてくれた。
真夜は観念して、素直に自分の気持ちを奏に告げる。
「ありが……とう……ございます。嬉しい……」
真夜が冷静さを取り戻す頃には、空がオレンジに色づいていた。
――――――――
「(きゃああああああああ!奏様格好良い!格好良い!格好良ーーーーい!抱いてええええ!)」
台無しである。
パーティー会場の控室での奏の和装は、真夜にとってクリティカルヒットであった。真夜は単なる和装フェチである可能性があるのではないか。
真夜は奏をガン見しながら祖父と共に会場入りする。流石に社交界に慣れているため、ガン見は途中で止めて、本来のパーティーの目的を果たすために無事であることをアピールする。
「(わたくしが奏様を守らないと!)」
控室での奏の頑張る宣言を聞いて、またしても嬉しさで舞い上がっているのである。自分のホームである社交界を奏が受け入れようとしてくれていることが、これまた嬉しかったのだ。街での体験で慣れていなければここで感情を制御出来ずに大失敗をしていたかもしれない。
「(奏様流石です)」
パーティー会場での奏の振る舞いは立派な物であった。震えはあるものの誰が来ても相手の目を見てしっかりと受け答えし、失礼をかけないようにという心遣いが感じられる。
真夜としては本当に後ろの方で自分の普段の姿を知ってもらえるだけで良かったのだが、まるで真夜のことを知るために自分から慣れない世界に接しようとしてくれているように見えて、限界まで上昇していた好感度が更に上がろうとしていた。
「(かなでさまぁ)」
立派に会話して名刺を受け取る奏を見ていたら、一瞬気が緩みメスの顔が浮かんでしまったが幸いにも気付いた者は居なかった。
会場内での奏の評価も上々といった雰囲気で、真夜は奏と一緒に社交界を堪能出来ていることがとても楽しかった。
だが、そこに大きく水を差す者がやってきた。
「おいおい、なんだそいつは。俺の真夜に近づくんじゃねーよ」
三峰建設の社長の息子、強羅朝鷹である。
強羅社長に可愛がられている関係で真夜は朝鷹と接する機会がそれなりに多かったが、朝鷹は小さな頃の真夜には興味が無く、パーティでは別の女性を口説いていた。
しかし中等部に上がり真夜がぐっと女らしくなってきた頃から朝鷹の態度は一変。パーティーの度に近づき馴れ馴れしくなり、しまいには肩を抱いてくることすらある。
生理的嫌悪感はあれど、お世話になっている強羅社長の息子と言うことで邪険にすることは出来ない。また、真夜にはお嬢様はどのような男性でも支えるものであるという古い思想があるゆえにひたすら耐えていた。
当然ながら朝鷹はパーティーに呼ばれることが殆ど無くなった。だがどこから聞いたのか招待されていないにも関わらずやってきて、強引に中に入り会場中の女性に粉をかけて去って行く。今回ももちろん招待されていない。
普段のパーティーならば真夜も我慢して対応していただろう。しかし、よりによってこのタイミングで来なくても良いではないか。
「(奏様が見ているのに!)」
これまでは耐える事しか考えていなかった朝鷹に対して、初めて強い怒りを覚えた。
「朝鷹様、ご無沙汰しております。本日はどのような御用でしょうか」
「おいおいそんな他人行儀な事を言うなよ。俺と真夜の仲だろ?」
「他人ですので」
そのため塩対応で拒絶の意思を伝えるのだが、全く伝わっていない。元々直球で告げられても理解出来ない相手なのだ。婉曲に表現したならばなおさら伝わらない。
「そうだ、俺がもっと楽しいところに連れて行ってやるよ。もう少し成長した方が好みなんだがまぁそろそろ良いだろ」
しかもあろうことか、薄汚い手を真夜に触れようとして来るではないか。今日は奏とのデートの日。それなのに想い人の前でこんなクズ男に汚されるなど我慢がならず、真夜は伸ばされた手を弾こうとした。
バシッ
「(え?)」
自分の手が動くよりも、隣に立つ祖父が怒鳴るよりも先に、奏が朝鷹の魔の手から真夜を守った。
「真夜さんに手を出すな!」
「(奏……様?)」
今目の前で繰り広げられているのは一体何なのだろうか。
権力者達から視線を浴びせられてプルプルと緊張していたはずの奏が、いつも優しい言葉を投げかけてくれる温厚な奏が、見たことの無い程の怒りを面に出して朝鷹から真夜を守っている。
「真夜さんが自分らしく在れる場所ををぶち壊しにするような奴は絶対に許さない!」
しかも真夜にとっての社交界の意味を正しく理解してくれており、最も嬉しい言葉をかけてくれる。
「(あ……う……)」
奏の存在を金城理事長から教えられたあの日、奏のことは正体不明のヒーローのように感じていた。そしてそのヒーローが真夜の命の危機に助けに来てくれた。それだけで真夜が恋に堕ちるには十分の出来事だった。
だが、その恋する相手が自分の事を理解してくれて、真夜を守るために怒ってくれている。今日のデートで何度も多くの驚きと嬉しさを与えてくれた奏がここにきて漢を見せ、真夜の心をぶち壊した。
「お前は真夜さんに相応しくない。二度と真夜さんに近づくな!」
奏が啖呵を切る度に真夜の心臓が大きく脈打ち、インフルエンザにでもかかっているかのように体温が上昇して魘されそうになる。
「(奏……さまぁ……)」
卑猥な妄想などする余裕はもちろんなく、目の前の力強い背中から目が離せない。いや、目にすることすら耐えられなくなりその背に顔を押し付けてしまった。
この場がどうなっているのか、真夜はもう理解出来ていない。朝鷹が退出させられ、強羅社長が土下座している事にも気付いていない。
奏以外の言葉が耳に入らない。
「真夜さんに聞く流れだと思うのですが」
奏に何かを振られたが、その意味も理解出来ずに絞り出すようにどうにか返事をする。
「奏、さま……に、お任せ、しま……す」
このまま自分の全てを奏に捧げてしまいたい。すでに心酔しかけていた真夜に、奏が追い打ちをかける。
「今日の件で社長さんが余所余所しくなったら真夜さん絶対悲しみますから」
真夜が悲しまないように強羅社長との仲をフォローしてくれたのだ。
「(もう……止めて下さいまし!)」
思わず奏の背を掴む手に力が入ってしまう。すると、その手の感触から厚い和服越しとはいえ奏に触れていることを思い出し、体温が更に上昇する。
「真夜さん、もう大丈夫だからね」
顔のゆるみが止まらない。
うれし涙が止まらない。
激しい息遣いが止まらない。
こんな状態を奏に見られるなど恥ずかしくて出来るわけが無い。それどころか、奏を見てしまったら発狂して何をしでかすか分からない。
「あ……あう……あうう……後生ですから……振り向かないで……下さいまし」
パーティーが終わるまでずっと、真夜は奏の背から離れることが出来なかった。
この日、真夜の恋は確かなものとなった。




