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翁の声を遮るように聞こえた外からの声に、伊織は思わず声のした方へ身を乗り出した。
血の気が引いた。何故家にいるのだ、と。
理解できずに顔を青くしたまま伊織の思考は停止する。土御門の呼びかけから間を置かずにすゞがその声に応え、次いで軽い足音が部屋の外を通り過ぎて行った。
「すゞが出て良かったのか? 今の、お主の言っておった土御門とかいう陰陽師だろ?」
翁は心配する風の言葉をかけてはいるが、酒を呑むその手は止めない。呑気なその声に伊織ははっとする。呆けている場合ではない、と。このまますゞが出てしまえば厄介なことになるのは目に見えている。
止めなければ。
部屋を飛び出そうと勢いよく賄場側の障子戸を開ける。廊下に踏み出したところで、ふと後ろを振り返った。彼は変わらず悠々と酒を呑んでいる。
すゞのことも早急にどうにかしなければならないが、目の前にいる妖怪もどうにかしなければならない。翁もまた、土御門に見つかっては厄介だ。
「と、とりあえず翁はここから出ないようにしてくれ。奴らが来ないようにどうにかするから」
「分かったから、早く行ってやれ」
翁の言葉に伊織は慌てて部屋を出ていく。駆けていく足音は部屋を曲がったところで止まり、廊下側の玄関から一番遠い襖が開いた。僅かな隙間から伊織が頭だけを部屋の中に覗かせれば、翁は先程と同じ場所から一歩も動こうとせず、隠れようとする気配もない。
「絶対! 見つからないでくれよ!」
小声ながらもそう言い残して、再び玄関へと足を向けた。足早に立ち去った伊織の閉め忘れた襖を翁は暫く眺めてから、ゆっくりと立ち上がってから音もなく閉める。徳利と猪口を手に取ると、玄関側の壁に背中を預けて腰を下ろした。
玄関へ急ぎ足で向かった伊織の目に飛び込んできたのは、鬼に床へ抑え込まれているすゞの姿だった。
「やれ」
冷たく抑揚のない声を合図に、すゞを抑え込んでいた鬼の手が彼女の細い首に掛かる。徐々に力が込められてゆき、声にならない悲鳴と呻き声を含んだ息が喉より零れた。土御門はその様子を何の感情も伴っていない瞳で見降ろしている。薄っすらと開いているすゞの瞼に満ちた涙が溢れ、床へと落ちた。
「何してやがる!」
伊織はすゞを抑え込んでいる赤鬼へ勢いよく殴りかかる。しかし、鬼は虫でも止まったかのように伊織を見遣るばかりだ。殴りかかった伊織の方が鬼のあまりの硬さに手を痺れさせ、殴りつけた手をひらひらと振って痛みを和らげる。すゞの首は相変わらず締め上げられ、色白の顔は刻一刻と色を失っていく。伊織は痺れの引かない利き手で首を締めあげている鬼の太い腕を掴んだ。
「いい加減放せ!」
難儀しながらも手に力を入れ、鬼を睨みつける。そんなこと、鬼にとっては何の妨害にもなりはしない。なりはしないが、人間にここまで食って掛かられることなどないが為に、どうしたらいいのか分からなくなっていた。困ったように自分の主人へ伺いを立てるように目をやれば、ため息交じりに、離してやれ、と呟いた。その言葉に従い、鬼はすゞの首から手を離す。それを認めた伊織も鬼の腕から手を離した。
お読みいただきありがとうございます。
前回の更新よりブックマークがまたまた増えまして、遂に総合評価が三桁になりました。
本当にありがとうございます。
さて、初めて投稿したのが、2018年の5月。
気付けば投稿をはじめてから既に二年の歳月が過ぎ、三年目に突入しました。
これまで応援してくださったすべての皆様に心より感謝申し上げます。
物語は二年どころか半年も経っていません。未だすゞと出会って四ヶ月くらいでしょうか。
遅いですね。すみません。
予報では、まだまだ季節も日にちも進むのが遅いことでしょう。
長い目で見守っていただければと思います。




