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雲居藩妖怪抄  作者: 川端柳
第三幕――○○○(????)
64/280

16-(1)

 声のした方へ弾かれたように走り出したのは、ほぼ同時だった。互いに声を掛け合うことなく、示し合わせるでもなく、先程までの話などなかったことのように二人で櫛松の声のした方へと森の中を駆けてゆく。


 草をかき分け、枝を手で払い、石を飛び越える。梢の先が肌をかすめ、草の中に隠れた石や落枝に足を取られそうになりながらも、一心に前へと歩を進める。


 伊織が目の前に立ち塞がるいくつ目かの木の幹を避けた時、目に飛び込んできたのは、櫛松の姿であった。伊織の足も、横を走っていた九曜の足も止まる。






 櫛松は喉が破れるのではないかと思えるほどの濁った悲鳴をあげていた。足を蜘蛛の糸に絡め取られ、片足が宙に浮かせられ、体勢が崩されている。不安定な状態でも背中が地に倒れていないのは、左腕が大蜘蛛の口の中へと捕らわれているからだろう。二の腕には深々と牙が突き立てられ、大蜘蛛の唾液のように止めどなく血液が地面へと流れだしている。


 しかし、櫛松の目は大蜘蛛を映してはおらず、自由の利く右腕でがむしゃらに刀を振り回すばかりだ。彼の刃が大蜘蛛どころか奴の糸にすら触れることはない。



 このままでは本当に櫛松は大蜘蛛の胃の腑へと収まってしまう。



 隣にいる九曜を見遣れば、目の前で起こっている事態を理解することができず、ただ茫然とその場に立ち尽くしているばかりである。



 自分以外に彼を助けることはできない。



 そう決意してからの伊織の行動は早かった。腰の刀に手をかけると、一気に櫛松との間を詰め、足を捉えている糸を抜刀の勢いのまま切り裂いた。自然、櫛松の足が地に着く。櫛松と大蜘蛛の視線が突如現れた伊織へと集まる。大蜘蛛が何か言葉を発しようと息を吸い込むのを待たず、伊織は勢いそのままに大蜘蛛の口の中へと刀を突き刺した。


 手足や胴体を斬りつけようとした時とは異なり、確かな手応えが刀から伝わってくる。大蜘蛛は不快な音のような悲鳴をあげながら、大きく口を開いた。櫛松の腕から牙が抜け、傷口から更に勢いを増して鮮血が流れ出す。これを好機と伊織は櫛松の着物を一気に曳き、大蜘蛛と距離を取る。


「櫛松!」


 櫛松が助かったのを何となく感じ取ったのか、九曜が二人へと駆け寄る。伊織が手を離せば、櫛松は簡単に地面へと崩れ落ちた。九曜は手持ちの布を使い、顔を歪め荒い呼吸を繰り返す櫛松の応急処置に取り掛かる。


 伊織の視線は変わることなく大蜘蛛へと向けられていた。相変わらず不気味な、悲鳴ともつかない声をあげている。口からは櫛松の血の混じった、唾液のように薄い青色の体液を垂れ流す。


「人間風情が」


 大蜘蛛が喉で潰したように呟く。次の瞬間、一陣の殺気が辺り一面埋め尽くすように噴出した。殺気立つ大蜘蛛の目は血走ったように色を変え、伊織たちを睨みつける。


 その眼力(めぢから)は妖怪の姿を見ることのできない筈の二人すら威嚇する。三人は身を固くしたまま、身動ぎ一つとることも叶わなくなった。


 蛇に睨まれた蛙ならぬ、蜘蛛に睨まれた餌である。伊織の刀の切っ先が小刻みに震え、カタカタと小さな音を立てた。大蜘蛛は口端からだらりと粘度の高い液体を垂らしながら、三人に狙いを定める。八本ある足を素早く動かし、脇目も振らず一直線に迫りくる。


 大蜘蛛との間はもう何間(なんげん)もない。数瞬後には、あの鋭い口でこの身を切り裂かれるかもしれない。


 目の前に迫りくる確実な死の予感に一層身が固くなり、動けない。そのくせ、頭はしっかりと機能し、他人事のように己の置かれている状況を把握する。後ろにいる九曜と櫛松は相変わらず身動ぎひとつとれず、呼吸も浅い。伊織は諦めたように、死を受けいるように、しかしせめてもの抵抗のように、しっかりと眼前の敵を睨みつける。




 それは、突然の出来事だった。

お読みいただきありがとうございます。


更新が遅れ本当に申し訳ありません。

この連休前日から本日まで訳あって実家に帰省しており、更新が遅れました。

「20日があったのでは?」と思う皆さん。その通りです。20日に更新忘れた自分が一番悪いのです。

そして翌日、朝一で家を出てから、実家にデータを持って帰るのを忘れていたことに気付きました。

しかし後の祭り。

結局、本日になってしまいました。


もう何度目か分かりませんが、次は気をつけたいと思います。

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