前編
燭台の上、薄暗い部屋の中を揺れる蝋燭の炎が照らしていた。
そこで、俺はただ目を奪われ、息を呑んでいた。
炎は花と鏡で飾られた台座の手前、部屋の中央にて舞い踊る人物に呼応するかのように揺らめく。
顔は黒衣の様な薄手の布に覆い隠され、十二羽織の様に幾重にも重ねられた着物を羽織りながらも、その動きは鈍ることなく洗練された動きで舞い続けているのだと素人目でも理解できた。
脚運びに合わせ軋む床、衣擦れと空を裂く動きの音の中、その舞は薄暗い部屋の中でも鮮やかに思えた。
やがて、舞は終わり───
◇◇◇
「「「かんぱーーーい!!!」」」
時間は少し経ち、打って変わり雑多な歓喜に満ちた騒がしいことこの上ない音頭が俺の耳朶を打った。
村の集会場、数十人ほどの老若男女(と言っても老の割合が多めだが)が年季の入った造りの広い広間の褪せた畳の上でひしめき合いながら長机の上の料理や酒を取り始める景色の中。
「いやー! それにしてもあんたも酔狂な人だ、わざわざ都会からこんな辺鄙なところまで来て村のことを調べたいなんて! まぁ、何もない村ですけどゆっくりしていってくだせェ! ほら、安っぽいヤツですみませんがまずは!」
そうして、俺の左隣に座る中年の小太りの男性は有無を言わさず、乾杯の号令を合図かとするようにいきなり俺の目の前のコップに波々とビールを注ぎ出す。
赤ら顔で既にどこかで飲んできていると思われるその男性、俺のコップに酒瓶を傾けビールを注ぎ切ったかと思うと今度は自分のコップにビールをまた注ぎ始める。
配慮の欠片もない男性の態度に眉をピクリと動かす。俺は酒はそんなに飲めないというわけでもないが、この不躾な態度には流石に苛立ちは感じる。
だが、まずは心を鎮め、社交辞令を述べた。
「いやぁ、そんなこと。自然も豊かで良い人ばかりで素敵なところですよここは」
思ってもない口から出した言葉を吐ききると俺は酒を少し口に含み、切り替える。
「アハハ! そんな大層なとこじゃねぇですよォ、ここ、隠秋村は」
ガヤガヤとした雑音の中、そう話すのは片方の右隣に鎮座する少し髪の薄い男性。
「畑と山ばかりで、目立つもんといや地酒と年に一度の祭りくらい、ン、プハァ! んで、こうやってたまに騒がしくなるくらいですわ」
男は酒を口に流し込んだ後、ゆらゆらとコップの中のビールを揺らす。
「もう、アンタたち。そんな久しぶりの客様の前で。あ、ほら、どうです? 魚でも。今が一番食べごろでェ」
机を挟んで向かい側、初老程の女性が川魚の塩焼きの乗った皿を渡してくる。
「あぁ……それじゃあ、一つ」
これでもかと言う程の親切の押し売りの連続。無下にも出来ず皿を受け取る。そして魚を一切れ、口の中に放り込む。口の中に広がる魚の脂ののった旨味とそれを引き立たせる塩味。これはまぁ確かに美味いが……。
「うん、美味しい! いやー美味しいですよほんとこれ、脂がのってて」
俺はやや過剰に驚きを演出しつつ老婆に感想を伝える。
「でしょう? 遠慮しないでドンドン食べてねぇ」
「それにしても、ええとなんでしたっけ民俗学いうんですかい? 教授先生のやられてるそういうのは」
横から小太りの男性がもうコップの中を空にし俺に尋ねてくる。
「まぁまだ准教授の身ですが……それと私の専門は正しくは文化人類学ですが、大っぴらに言えばそう言ったモノにはなりますかね」
「へぇ、難しいことはよく分かりゃあせんがその若さで教授さんとはいや、立派! ウチのドラ息子にも見習わせたいくらいで!」
「いやいや、そんな」
愛想笑いを浮かべていると、隣の髪の薄い男性も煮物をつつきながら話に加わってくる。
「にしたっても村の歴史を調べたいってのも随分酔狂な話ですがね。そりゃウチの村は室町の代からの歴史のある村ですがね、でもね、そんなもんあるだけ。昔話なんてもんもあるにはありますけど他と似たようなモンばっかですよ」
「いえ、そんなこと。歴史が長いというのはそれだけで重要な要素ですし。それにこの村に託されたという品の数々も興味が尽きません」
俺はこまごまと料理を食べていたが切り替えるために酒をぐいっと飲み込む。
それはいつからかネットの世界、はたまた現実世界でもまことしやかに語られていた、与太話。あちこちの村に残っている曰くつきや様々な品を受け継ぎ残すという変わった村があるという話。この村についての話はこれだけではないのだが……。
「ハハハ、さいですか。そんなら私らも久々にアンタみたいな人を招いた甲斐があったってもんですよ。それにしても託されたっても話に聞く限り押し付けられたような時も多かったみたいですけどね。ま、それも何百年前によくあったってだけの昔話ですよ」
「そうなんですね、ちなみに現存する物はどちらへ?」
「大抵は隠秋神社の蔵にあると思いますよ。まぁ、今は祭りの期間なんでんなことしてる暇はねぇって断られるでしょうが」
「はは、そうですか。いや、しかし、まさかと思いダメ元で頼んでみた甲斐がありました。まさか許諾を貰えるとは。話に聞く限りこの村の人々は余所者はもちろん、調査といった探るような行為を好まないと聞いていたので」
俺がそう言った直後、男性の少し箸の動きが止まったかと思うと再び動き出す。
「……?」
「……はは、まぁ時勢ですよ。余所者が村を荒らすーとか仏様や神様を暴こうなんて無礼だーなんて連中もそりゃあいますが、私らもそろそろ時代に合わせる頃だろうなんて意見もありましてね。それに……」
「それに?」
男性の思わせぶりな態度に尾を引かれ、懸念が先行し話の続きをつい俺は促す。
「村の祭りですよ。今回のは数十年に一度の特別なもんでね。このときに限って昔から特例でめでたい日だからって余所者が招かれることも許してたんですわ。それで今回なら余所者が来るのも村の意固地な奴らも納得するだろうってことでまずは人に慣れてもらうために選ばれたのがたまたま貴方だったでだけですよ、まぁ要はちょうどいい機会だったってことですわ」
「……なるほどそういった理由が……貴重な機会を頂けて大変光栄です」
少し引っ掛かる所はあるが、表面上は感謝を述べる。少なくともそう言った学者も手つかずの歴史に触れられるという喜びも内にはあるが故だ。
「いやいやそう硬くならずに……」
「そーですよォ! 学者先生!」
ガッと掴まれた肩。先程から飲んでいた小太りの男性だ。男性の近くの酒瓶を見ると先程は確かまだ半分は入っていたはずなのにもう空になっている。この僅かな会話の時間の間に飲み切ってしまったらしい。
男性はより赤くなった顔で酒臭い息を吐きながら俺の肩に腕を回してくる。
「せっかくの祭りの席でもあるんだ、楽しまなくちゃぁいっけませんよォ!」
「おい、お前さんいい加減、飲み過ぎだぞ」
髪の薄い男性が窘めるがそんなことお構いなしに小太りの男性は陽気に話を続ける。
「貴方も軽く知ってるとは思いますけどね、隠秋祭ってのは、ここん村の神様に豊穣を約束してもらうために数年に一度、決められた暦の合う時期にやるお祭りなんですわ。酒とか奉納してお祭りで村をパァーッと盛り上げて神様を称えてずーっと豊穣をもたらしてくれるようにね。そんで、そうして、特に一週間後の祭りの最後に儀式……村に来た時に見たでしょうけどあの豊穣の舞をして終わるんですが。そうやって続けていって何十年かに一度だけその日と満月が被るときが来るんです。さっき言ったやつですな。こん時はまた特別なことしまして、村のあちこちを飾り付けて村の中央で火を焚くんです。村を一つの祭壇みたいにして皆、身なりを綺麗にしてデカい儀式をするんですわ」
「なるほど……」
成程……それが特別な理由……しかしそれではまるで。
「それじゃ、まるで何かを贄にするために祭りを行うように思えてしまうな……」
意図せずつい、ボソリと俺はそんな言葉を思わず零す。瞬間。
シン、
と
そこにあったはずの騒がしい騒音がまるでスピーカーを突然切ったかのように消え去った。
訪れた静寂、目の前の小太りの男性は固まっている。何事かと思わず周りを見ると。
「? ……!」
目が有った。
別に有ることは普通ではないのだ。人間がいてこちらを見ているのだと、誰かの見ている眼を視認するということはこちらからも相手も確かに見ているという事なのだから。それはいたって普通なのだ。
しかし、俺の視界に映る光景は異常としか言いようがなかった。人に付けられた両の目が一斉に。先程まで騒いでいた村の広間のあらゆる人間がどんな感情かも推し量りのないような表情でこちらを一斉にじっ、と俺を揃って凝視していた。
一斉に視られるという何とも言えない気味の悪い光景から思わず顔をしかめてしまいそうになるがどうにかグッとこらえる。
横を見る。赤ら顔のはずだった男性、どこか赤色の抜け始めたような顔色で頭を搔きながら雰囲気を取り繕うかの様に言葉を漏らしながら並べ始める。
「あ、あー、いや。その何ていうか……アンタも人が悪ィなァ! そんなウチの村を山奥の部族みたいに」
「……あぁ、いえすいません。つい思わず。こういった催しは時代を得て意味も形も移ろっていきやすいもので。……元は何かしらの家畜でも捧げる儀式だったのではと思いつい口に……失礼なことを、申し訳ありません」
「あ、あァ……なるほ」
「ほほほ、そう、畏まらずともよいのですよォ」
男性の声を遮るように、静かな広間に響いた年老いた女性の声。
「……バ、ババ様!」
俺の後ろへ向けられているであろう、驚いている男性の視線を追い振り返る。すると、如何にも人の良さそうな顔をした腰の曲がった老婆がそこにいた。
「あ、あぁ、いえ。自分が失言をどうもしてしまったようで、その」
男性が異様に驚いたこともそうだが、辺りを見ると、周りの村人もこの老婆の出現に息を呑んでいる様子に俺は思わず身構える。何かこの老婆にあるのだろうか。
「話は聞こえてましたとも。なに、少し言葉足らずでそれをそこの村のモンたちが早合点で勘違いしただけ。その謝罪の意があれば十分ですとも」
「そ、そういうことでしたら……ご配慮に感謝します。えぇと、それで……」
「あぁ、私はこの村の纏め役、朧と申します。すいませんねぇ、村に来てくれたというのに案内も出来ずに、なにぶん祭りで忙しいもので……歓迎も兼ねての舞の儀式はどうでしたかな? 外からの来客には儀式的に振る舞うことになってるんです」
老婆が手を差し出す。
「とても素晴らしかったです。まるで炎と踊っているようで……あぁ、私は東堂勇悟と申します。この度は村に招いて下さりありがとうございます」
俺は立ち上がり、老婆の握手に応える。
「えぇ、よろしく。……にしても、三郎、アンタは少し飲み過ぎだね」
「ああいや、すまねぇつい宴の席で……」
老婆の諫言に三郎と呼ばれた小太りの男性が頭を掻く。
「今日は家に帰って寝な」
「おいおいまだ始まったばかりだぜ、そりゃあねぇってババ様……あぁ、分かったよ」
老婆は笑みを崩さずに淡々と男を従わせる。……笑顔のままだが中々凄みというかどこか恐ろしさの様な物を俺はこの老婆に感じた。
これがこの村の村長……。
いそいそと帰っていく男を横目に老婆は俺に言葉を掛ける。
「すみませんね、酔ってないと気配りの効いて気前のいい男なんですがね。ありゃ酒好きの上に絡み上戸とくる」
「あ、いえ」
「ま。祭りの宴はまだ始まったばかり。明日はもっと大人しく飲むでしゃろ。ほら皆、折角の祭りの席だ、楽しく飲まなきゃ損じゃ」
老婆が集会場の広間の村人たちに呼びかける。すると、その鶴の一声で村人たちは宴会を再開し始め、先程までの活気に戻っていく。
それにしても先程の光景は一体……。流石に配慮に欠いた失言というだけであそこまでなるものなのか。
「さ、ほら東堂様も」
「あ、あぁ、はい。それでは……。」
思考の途中、ふいに老婆に呼びかけられ、俺はそのまま再び席に座り宴会の中に入る。
老婆は俺に会うためだけに来たのか、広間から去り、そのまま玄関へと歩いていく。俺は横から勧められる煮物を口に運びながら今後のことを考える。
正直、宴会なぞ置いておいて、村のことを調べたかったが。こうした歓迎の手前、それは難しいだろう。
「……?」
ふと、集会場の窓の外、誰かが覗いている気配がして俺はそちらを見てみたが誰もいない。
先程の老婆か……いや、覗く理由もないだろうし……まぁ、いい。
とにかく、調査は明日に繰り越しだ。明日は取り敢えず近くの神社にでも行ってみようか。
こうして、俺、東堂勇悟の隠秋村での調査の初日はこうして更けていった。だが、俺はまだこの時点では気づくよしもなかった。この村の抱える異常性とこれから先に待ち受ける運命を。
◇◇◇
その後、近くの空き家に泊めさせてもらった翌日、俺はこの村について調べるために村の外れの神社に来ていた。大きな畑の端、丘の下に石造りに蔦の生えた鳥居がこじんまりと立っている。本来なら隠秋神社というこの村の最も主要な神社(昨日舞を見せてもらったのもそこになる)こそ調べるためにあちこちを拝見したかったのだが、「昨日は儀式で来てもらったが、祭りの準備の最中なので遠慮願いたい」ということで断られてしまった。
なので、取り敢えず、村人から聞いたこの外れの神社から調査していこうと思ったのだが。鳥居を眺めていると道の先から歩いてきた腰の曲がった老婆がすれ違う。
「皆噂してた外の人ね、こんにちはァ」
「えぇ、こんにちは」
挨拶をしてきた老婆に向かって、にこやかに俺は笑顔で挨拶を返す。
そうして老婆は通り過ぎて遠くなっていく。
なにか世間話でもして村の話を引き出せば良かっただろうか。
「……」
……この村に来てからというものずっと引っ掛かっている点が一つある。それは村人たちの対応が良すぎるという点だ。
本来ならば気になるような点ではないし快く迎え入れられるということはむしろありがたいことだ。
しかし、今回においては疑問視せざるを得ない。元々、この村は外との交流を断っており、余所者は好まないというスタンスのはずだ。昨日、宴会の席で聞いた話の中でもそうだった。
だが、昨日からの村人たちの対応はむしろそれとは真逆のもの。白い目で見られたり嫌がらせを受けたりすることも覚悟の上ではあったのだが……。これは一体どういうことか。自分が想定したよりもそういった余所者を受け入れる意識が村民の間で高まってきているのか。それともやはり、普通に表面に出てはいないだけで、排他的意識は根底にあるのか……。
……考えても仕方ない、取り敢えず神社の境内に行くか。
俺は石造りの階段を越えて、境内に入る。手前にある参道を挟む石灯篭、そして、その奥にある年季の入った木造の社殿、良くある形だ。
遠目から社殿の中を軽く覗く。中にあったのは置かれた御幣、俗にいうお祓い棒。それに供え物などなどここも良くあるようなものばかりのようだ。
道にある石灯篭も形からしてそこまで古い年代のものでも無いか……。
そう考えて俺は思考を正す。あれこれを観察していないで、まずはお参りの一つでも形式的に済ませるべきだろう。俺は参道を歩き社殿の前に立つ。
神様の住処をあちこちを見分して無礼を働く詫びというわけでもないが……俺は鈴を鳴らし二礼二拍手一礼を行う。手水もないし作法に関してはまぁこれでいいだろう。
そうして礼をし終えると、俺はつぶっていた眼を開ける。すると、こじんまりとした社殿の後ろの茂みの奥に木の影からこちら側を覗く人影が見えた。
「……」
着物……振袖だろうか古風な姿が目を引く。そして、
「……仮面?」
そしてその女性?と思しき人物は奇妙なことに狐の仮面をしていた。長い黒髪、背は高くも低くもなく、こちらをじっと見て……。
目線を彼女の方に向ける。
「あの、こんにちはァ!」
届くように大きな声で呼びかけてみる。
すると、彼女は少しびくっとするとそそくさと林の中に逃げていく。
「あ、あぁ、ちょっとすまない。 驚かせる意図は無くてだ……」
俺は彼女に届くように思わず大声で呼びかけようとして、もう届かないのではと考えすぐに諦める。
仮面……酔狂で着けているというよりは何かしらの風習の様な物のと考えるのが自然だろう。そんなことより、つい驚かせてしまったようだ。次に会ったときは落ち着いてもう少しにこやかに語り掛けてみよう……。
「きゃっ」
そんなことを考えながら落ち込んでいると彼女のいた少し林の奥からそんな声と共にずさぁっと土が滑り落ちた音がする。
不安に思い、音のした林の奥に駆け寄ってみる。落ち葉が地面を覆うように落ちている。そうして少し進んだ林の奥は下へ続く急な斜面になっていおり、その中にある山の地面に落ちていた葉がめくれ土が削れたようなそんな跡を目で追っていく。
そして、その先、下の方に座り込んだ先程の仮面の人物を見つける。先程は分からなかったが下駄を履いているようだ。しかし、片足の下駄が無いようだが……。その人物は目立った怪我もなさそうに、立ち上がると独り言を話しながらキョロキョロと辺りを見回し始める。
「はぁ今更こんなドジを……どこに……」
俺はそんな彼女(恐らく)を観察していると、俺は斜面の途中に下駄を見つける。
あれだろう、俺はそこまで進み下駄を掴むと彼女の元までゆっくりと斜面を滑るように降りていく。
あくまで自然に、にこやかに落ち着いて話しかける。
「あーオホン」
「!」
こちらに気づいていなかったのか、彼女は声に反応しビクリと身体をこわばらせると、その場で奥の方へ大きく跳躍する。
「な!?」
そして華麗な身のこなしで近くの木の高い枝の上まで上がってみせる。
……す、すごい人間業とは思えない身のこなしだ……。着物で、下駄、しかも片方が脱げた状態であそこまで。
それにしても所作の一つ一つが洗練されていたような……あれを俺はどこかで見たような気が……。
俺はつい下駄を持ったままパチパチと乾いた拍手を彼女に送っていた。
「……あ、そ、外の方!」
辺りに響く彼女の涼やかな声。どうやら自分のことは知っているらしい。
「あ、えぇ! そうです、驚かさせたならすみません! 敵意があったわけではなくて、その戻ろうとしたら大きな音がして。近づいてみたら貴方とこの落ちてた下駄があったものだから、これ、貴方のですよね?」
呼ばれて目的を思い出し大声で彼女に呼びかける。すると、彼女は今度は逃げることなく、するすると木を降りてこちらに近づく。
「これなんですが」
「!…………は、はい、えぇ私の、物、です」
手に持っていた下駄を彼女に差し出す。
「やはり貴方のでしたか」
「……拾っていただきありがとうございます」
一瞬、失せものを見つけ声が上ずったようだった彼女はすぐに平静を取り戻した声で下駄を受け取り深々と頭を下げる。
「そんな、そこまで。当然のことをしただけですよ、アハハ……それで怪我などは」
「は、はい……大丈夫です」
反省を生かし、俺は取り敢えず明るく振る舞っているつもりだが、どうもから回っている気しかしない。
彼女は下駄を地面に置き、こんな落ち葉の積み重なった不安定な地面の上でも器用に片足で立ち、当然体幹が強いのだろう、一切ブレずに履いてみせる。
そういえば下駄は大丈夫だろうか。転んだ拍子に鼻緒でも切れてないだろうか。
「というか、その下駄は大丈夫でしょうかね? 確認せずに渡してしまいましたが」
「……えぇ。と、特に問題は無いみたいです。鼻緒も特には……」
彼女は下を向きながら、下駄のつま先で軽くトントンとしながら確認する。
そうして問題は無い、とでも言葉が続いたであろう。その瞬間。
下駄から俺に視線を上げたその瞬間にブチッと仮面を留めていたのであろう紐がちぎれる音がしそれと同時に彼女の被っていた仮面が落ち、彼女の顔が露わになる。
「も……」
俺の目に映った彼女の素顔は整った眉筋に綺麗な目、十五か、十六かあどけなくも端麗な顔立ちでまさしく美少女と呼ばれるようなものだった。
ただそれを置いて一つ目を引くものがあるとするならばそれは目についた一筋の古傷の様な跡だった。
声からして若いとは思っていたが、まだ子供だったのか。
「……あ。あ、あわわ、あ!」
何が起こったのか理解できなかったのか、一瞬きょとんとし、そして、すぐに両手で顔を触ると慌てふためきながら彼女はすぐさま下に落ちた仮面を拾い上げ、ちぎれた紐ごと器用に結び直して着け直す。
「み、みみみみ、見ました、か……!?」
「え、あぁ、はい。しっかり……」
「あ、あぁ……」
打って変わり、大仰に慌てていた彼女はよほどショックだったのかやがてがっくりと膝をつく。
そうか、基本、風習の中では仮面のような隠すという行為においてその中身を見るということは禁忌とされる行為だ。だとしたら。
「そ、そのもしかしてキミの素顔を見るという行為はなんらかにおいてタブーだったりしただろうか。だとしたらすまない! 故意ではないといえ、そういうつもりはなくてだ……」
うなだれる彼女の近くで俺は片膝をつきべらべらと弁明をする。
この件で村の調査がしにくくなるのは避けなければ、それに、俺のせいでここまで落ち込ませてしまっているのも申し訳ない。
「い、いえ……そういう、ものは、特には無いのですが……」
「そ、そうなのか……?」
「え、えぇ……ですが……」
彼女は地面にへたり込む。
「そのご覧になりましたよね……私の傷を」
「え? あぁ、目の……」
「……」
静寂が続く。
「……申し訳ありません……お見苦しいものを……なんとお詫びをしたらよいか」
「何か事件でも、いや、すまない。今のはデリカシーがなかった」
「お気になさらず、昔、村の子供を助けたときに出来ただけなので」
「……顔を隠しているのはそれが理由だったか」
「……えぇ婆……村長からの指示です。巫女の身分でありながらそんな醜い顔を晒……いえ、何でもありません」
仮面の奥、彼女はどんな表情をして語っているのだろう。そうか、そういうことなら。
余計な口は出すまいと思っていた俺の心の奥で何かが揺らめく、そして、俺はある思い出を記憶の中から掘り起こす。
沸き起こる感情のままに俺は動く。
「なぁキミ、俺のおでこを見てくれるか?」
俺は髪をかき上げる。
「おでこ……傷が」
彼女は俺のおでこにある同じような切ったような跡の古傷を見る。
「俺も昔、子供の頃に木から降りれなくなった猫を助けようとして怪我をしたことがあって、その時に出来た傷なんだ。猫は助けられたが親や周りからは大層怒られてな、残った傷についてもあんな危ないことをしなければ付かなったなんてさんざん言われてさ」
「……」
「けど亡くなった祖父だけは違った」
「……!」
「そのことを話したら頭を撫で回しながら褒めてくれてな。優しくて勇気のある子に育ったって、自慢の孫だって。その傷は猫を助けられた勲章だってな。痕を見るたびに自分は名前の通り勇気を出せる凄いヤツだって思えるぞって言ってくれてな。それからこれはちょっとした俺の自慢になったんだ」
「自慢に……」
「あぁ、だからキミの古傷も、なんて気軽には言えないけれど。祖父が生きてたなら同じように勲章だなんて言ってただろうし俺もそう思う。……少なくとも人の美しさなんてそう簡単に決まるものじゃない、俺はその傷も含めてキミという人間の美しさだと思うよ」
「美……しさ」
そこまで言って俺はふと冷静に戻る。いや、美しさなんて俺はどういう言葉選びをしているんだ。こんな状況では口説き文句として受け取られる場合だってあるだろう。
「あーその、勘違いしないでほしいんだが、決して今のは口説き文句とかではなくてだ」
早口でまた弁明をしようとすると。
「クスッ」
「うっ」
そんな俺の態度が可笑しかったのか笑われてしまった。
「変わった、方ですね」
彼女は俯くと、仮面に手を掛けそんなことを言い。
「傷が勲章だなんて……初めて、言われました。素敵なお爺様だったのですね」
「……あぁ、亡くなってしまったけれどこれからも自慢の祖父さ」
何を思ったのだろう。彼女は手をギュッと握ると、顔を上げ恐らく俺に目線を合わせ、
「ありがとうございます、外の方」
俺へ感謝を述べるのだった。俺は立ち上がると、彼女に手を伸ばす。
「…………なに、普通のことを言ったまでさ。俺は……いつの間にか敬語が抜けていたな……改めて、私は東堂勇悟といいます。よろしく」
「……盈と申します。そのままで構いません。そちらの方が私も話しやすいので、ゆ、勇悟様」
彼女は俺の手を掴み立ち上がる。仮面の奥は見えないけれどもきっと伝えたいことは伝わったのだろうとそう俺は感じる。
「そう、かい。それにしても様なんて、仰々しいよ」
「い、いえ、村にとっても貴重なお客人ですから。礼を尽くさないわけには」
「そうか、真面目なんだな。しっかりしてるなぁ。まだ十代半ばぐらいの齢だろうに」
少なくとも俺なんてその頃は何も知らない子供がいいところだったが。
「……いえ、村の巫女として当然のことです」
「巫女……さっきも言っていたがそれはこの村のということか?」
「えぇ、隠秋村の巫女は代々世襲制で担っており当代が私なんです。巫女は他にも居りはするのですが、その巫女の中でも村の代表を担ったりと特別で」
となると、やはりあの噂は本当だったか……。
「……成程、それこそ卑弥呼のような感じか。うん? しかし、村長は……」
あの老婆が担っていたはず、そう考えていると彼女が俺の疑問を言わずとも感じ取ってくれたらしく答えてくれる。
「はい、本来は私です。……先代の母は病弱で私が幼いころに亡くなり、私が成人するまでの間、村の相談役であるおばあ様が代わりを務めているのです」
「成程……やはり独特な文化が根強いというか、この村は中々興味が尽きないな。この村のことをもっと知りたくなったよ」
とはいえ、何から始めたものか。
「……でしたら、助けてくださったお礼も兼ねて私が村をご案内しましょうか」
「いいのかい? 忙しかったり……」
「今日はもう特にはありませんので、案内出来るところであれば」
「それなら、厚意に甘えさせてもらおうかな」
願ってもない申し出だ、何事もスムーズにいくことに越したことはない。
「そ、それではまずはこの林を抜けましょうか。こちらです」
林の先へと彼女は足を進めていき、それも俺に続く。
「いやほんと助かるよ、村の地理は教えてもらっていたけれどやっぱり土地勘が無いとどうもね」
「そう、ですね、外の方には大変でしょう」
林の中を二人で歩く、やがて先に開けた視界が見え始める。
「デスクワークばかりだから余計にね。まったくこの村の人たちといいキミも凄く優しいよ」
「いえ……」
木々の枝や根っこを躱し、そよぐ葉の音を俺たちは進む。
「……命令ですから」
「? 今、何か言ったかい?」
何かを話した気がする彼女に俺は木々を躱しながら聞く。
「……い、いえ、それよりも。道に出ますよ。まずはどこに行きましょうか」
「え、あぁ。そう、だな。こんなとこに来ておいてなんだが。村の人の話でも聞いてみたいな、何か分かることがあるかもだ」
開けた場所に出る。日本の中でも有数の長い山脈の中、すっぽりと生まれた盆地に出来たのがこの村、隠秋村。故に、最初に目に飛び込んできたのは並々と広がる畑や田んぼ。そして、その奥にまるで侵入者を拒むかのようにそびえ立つ山々。
晴れた空の下に延々と続くあぜ道の上で俺は背伸びをする。
「かしこまりました……それでは行きましょう」
柔らかな声で彼女は告げる。
道の先、仮面を被った彼女へ追いつき、傍に立つ。
「あぁ」
背の低い草が生え、トラクターの車輪跡が残るあぜ道を青空の中、俺は彼女と歩き始める。これが俺の運命を分けた、盈と名乗った少女との出会いだった。
◇◇◇
「それでは皆様また」
「今日はよいお話を聞けました。ありがとうございます、それでは失礼して」
「おうよ、また来いよ!」「またねぇ学者先生」「じゃあねぇ、巫女様。お婆様によろしく」
にこやかに送り出してくれた村人たちを背に向け、夕焼けを背に俺は帰り道を彼女と歩く。
「どう、でしたでしょうか。この村について聞きたいことは聞けましたでしょうか」
「うーん、まぁ、少しは……聞けたかなぁ」
彼女が提案してきたのは村の生活居住区に行って話を聞くことだった。そうして向かったのは小さな山を横目にくるりと曲がり、舗装のない道を数十分歩いた先で辿り着いた道もある程度舗装され、斜面にまで建てられた段々と続く平屋の連なった大きな集落。神社のある地区とは別の村で一番大きな住居区らしかった。
あちらの方が俺の滞在している空き家のある神社地区よりも人が多く、商店などもあるため、交流が栄えているという彼女の言葉通り人の姿もそこそこあり案外多くの人物に簡単に話を聞くことが出来た。例に漏れず快く迎えいれられ会話も出来たのだが、そこで問題が生じた。
村人が快過ぎたという点だ。こちらの会話のリードがまったく通用せず世間話や思い出話ばかりを延々と続けられ肝心の村の風習や歴史についての話はあまり進まなかった。まぁ、まったく情報を得られなかったわけではないのだが。着いてきた盈へ会話のアシストをほんの少し期待したものの、ほとんど会話には参加せずこちらを眺めているばかりで助け船はついぞ来ることは無かった。むぅ、明日こそは……。
そうして、盈の案内で俺の滞在先の神社方面の方へ、日暮れの中を俺たちは歩いて帰っている。
「……それでこの村の人たちはどうでしたか?」
気温も下がりひんやりとした風が吹く中、盈はそんなことを聞いてくる。
「いい人ばかりでびっくりしたよ。いや、ほんといい村だ」
「それなら、よかったです」
冷たい態度も予想されたがやはり、村の雰囲気は今のところかなり良い。気になることもあるが、おべっかを含めて俺は笑顔で答えた。
「おやー? そこにいんのはー教授先生じゃねーか、それと巫女様も」
声のした方へ振り向く。あぜ道から逸れた先の田んぼの中、そこに作業着姿の男の姿があった。あれは……宴会の時の村長に注意されていたのんべぇの男か。
「村田さん」
「あぁ、どうも、昨日は。今日はあちこちを見て回っていて」
そうして再開した村田と呼ばれた酒飲みの男と夕暮れの中、世間話を始める。
「アハハ、あそこんとこはお喋りが多いですからねぇ」「こんな時間まで話し込んでしまって……」
「にしても」
男は盈を見やる。
「巫女様が案内なんて、あんな引っ込み思案のお方がなぁ」
「……村を預かる身ですので」
どこかバツが悪そうに盈は俯く。村民と話していても静かにしていたのもやはりそういう性分なのだろうか。それとも。
「アハハそりゃそうだ! 俺ャあてっきり外に興味が湧い……」
「村田さん」
仮面の下からの声。
「!」
夕方とはいえそこまで空気が冷えているわけでもない。だが、その瞬間何故か空気が底冷えしたかのような感覚に陥る。
「……これはおせっかいですが。そう、軽々しく冗談も言われるのも。昨日も言われたはずでしょう? ……お婆様に」
「あ、あぁ……そうだな。今のは不躾だったな。ババ様がいたらまた、叱られるところだったな悪ィ……気を付けないとな」
今のは……外に興味。そこまで気を張るような話題でもない気がするが……。
「……そんじゃ俺はこの辺で、お二人さんも気を付けてな」
「えぇ、そ、それでは」「はい、それでは」
そして男と別れ再び歩き出す。
「今のは……」
「なんでもございません。……ただ婆様は危惧しており過剰になるのです。私がこの村を継ぐ身でありながら外へ関心を持つことに」
「そういうことか……だから話題を避けたのか」
「……えぇ、どこで何が聞いているか分かりませんから。……婆様が聞けば……その……精神を病まれてしまうかもしれませんし」
「まぁ確かにお婆様の伝統や村を守りたいという気持ちは俺にも分かる。お婆様に大事がないように、俺も話題には気を付けることにするよ」
「……えぇ」
とはいえ些か過剰な気もするが……。
というか、そもそもそれが本当ならそこまで外への警戒心が強いのに何故俺を引き入れて彼女との接触を自由にしているという時点で矛盾が生じてはいないのか。
「そろそろです」
来た道を戻り見えるは神社のある住居区、俺が泊ってくる家も見えてくる。
「今日は、本当にありがとう。助かったよ、案内があって」
「いえ……よろしければ明日もご案内しましょうか」
「いいのかい? それはぜひともお願いしたいけれど」
「はい……午前中は用事があるのですが午後からならば」
「用事……あぁ巫女ならそりゃあいろいろあるかぁ」
そうして俺は思い返す。この村に来た時の……。
「それって初日にキミがやった豊穣の舞とかだったりかい?」
「えぇ午前中は……。 ! わ、私、豊穣の舞についてお話しましたか?」
「あぁ、いや。何となくだよ。ほら、重要な神事なら巫女が関わるのも当然だろう?」
「えぇ……ですがあくまで巫女という役職は他にもいますし……それにあの時は顔も隠して装いも……」
「……綺麗でね」
「え?」
「所作の一つ一つが脚運び、身体の動かし方全てが洗練されてとても煌めいて見えたんだ」
「!」
「出会った時の動きといい、歩いているときの一つ一つの動作と言い、キミの所朝をあの時の人物の様に優雅で綺麗だと思ったんだ、だからもしかしてと……」
「……」
しまった。また、しかもこんな年頃の娘にこんな誤解極まる発言を……。
「あ、あぁいや、この発言は」
てまた俺は同じような。
「あ、あの」
盈が何を思っているのか分からないが、足を止め、着物を両手でギュッと握ると声を震わせながら、俺も歩きを止める。そして、隣を歩いていた彼女はこちらを見て。
「その。分かりました、ので。先程もそうでしたが……そのような誤解されるような発言は控えた方が、よろしい、かと……何回も言われては本気で受け取ってしまいます」
「え、あぁ、す、すまない! 本当、そういった意図は無くてだ。ごめん、本当に気を付けるよ! 本当だ!」
「え、えぇ……」
「……本当にすまない」
彼女は再び歩き出す。さっきよりもどこか速くなった歩く速度に合わせ、俺は彼女に追いつくために早足で歩き出す。
「その、都会の殿方はみな、そのようなことをおっしゃるのですか」
「いや、そんなことはない! その、俺だけ……だ」
自分でも何を言っているのだろうと思い、はぁ、とガックリと項垂れる。そうして、項垂れながら歩いていると、いつの間にか俺は俺の宿に着いていた。
「それでは私はここで……」
「あ、あぁ……あぁそうだ、えぇと、盈さん」
気まずいのかそそくさと離れていこうとする彼女を俺は呼び止める。
「ど、どうされましたか」
「その明日も案内してくれるという事だったが……そのついでというのもアレな言い方だがまた豊穣の舞を見ることは可能だろうか」
「舞を……えぇ、でも」
「その、語弊はいろいろあったが、本当に綺麗だと思ったんだ、また見たくてね」
「……それでしたら、えぇ、可能です。……やはり変わった方ですねあの舞を見たいだなんて」
「そう、だろうか……いや、とても見事で」
「……ありがとうございます。それでは、明日。昨日の舞をご覧になった時間に同じ神社内の所で。東堂様を通すように伝えておきます」
「あぁ、助かるよ、それじゃあ明日」
手を振り返っていく彼女を見送る。ふと、彼女の足が止まりこちらへ振り向く。
「……それと舞が綺麗だと言っていただけて嬉しかったです。あれは私にとっても自慢、なので」
それだけ言うとこちらの返事を待たずに彼女は去っていく。俺は彼女の姿が曲がり角で見えなくなるまで振っていた。
……さて、情報は少しは入ったといえまだ調べたいことばかりだ。明日こそはこの村を。
俺は自分の泊っている平屋の家とゆっくり戻っていく。よし、保存食ばかりで味気のない食事を始めるとしようか……。
◇◇◇
暮れる日が空を染め沈みかけようとしていく中、隠秋村の外れの路地で仮面を被った彼女は何かに気づき歩みを止めた。
影の濃くなっていく路地の先、闇に向かって彼女は呼びかけた。
「お婆様」
「盈、どうだったかね」
闇の中からぬるりと、音も気配も感じさせず、世界に突然現れたかのように老婆が杖をカツカツと突きながら出てくる。
「普通の一般人といったところでしょうか。気づいた様子はありませんでしたし問題は無いかと」
「そう、それならいいさ。引き続き祭りの日まで気を抜かないように」
「はい」
その言葉を聞くと老婆は踵を返し闇に向かって歩き出す。しかし、老婆は止まると仮面の少女の方へ顔だけを向ける。
「それと、昔から言ってるが、余計な感情や思考は私らの使命の妨げになる。盈のことだから分かってるだろうけど、くれぐれも私らの本分を忘れちゃあいけない。……余所者に感化されるなんてもってのほかさ」
「……えぇ、分かっています。そのようなことはあり得ません」
「……それならいいさ。ちっとばかり、難航しててね。本番までかかりっきりになりそうだ。村のことは頼んだよ」
「分かりました、お婆様」
仮面の少女が礼をし前を向きなおす。すると、そこにはもう老婆の姿は闇に溶けてしまったかのように消えていた。
「……」
もし、そこに誰がいたとて仮面に隠された彼女の本心はきっと知りえるはずもなく。
少女は佇み、空を見上げる。
そうやって、星が瞬き始めた夜空を少女はしばらくの間ただ眺めていた。
◇◇◇
次の日、揺らめく炎と舞を俺は再度目に焼き付けていた。一昨日ぶりの舞だがやはり、その所作にブレは無く、まるで流れるように───
舞が終わり、彼女は布ごしに話かける。
「それでは、境内の下でお待ち下さい。すぐに向かいます」
「あぁ、分かった。……二度目だがやはり変わらず素晴らしかったよ」
「あ、ありがとうございます」
舞を見終えたので部屋を離れ、境内の下へと俺は降りて待機する。
すると十分もせずに彼女は降りてくきた。
今日とて変わらずに仮面をつけ彼女は現れる。それでも昨日との違いを上げるとするなら。
「お待たせいたしました。……さて、今日はどこへと」
昨日よりも落ち着いた雰囲気で話しかけてくれているところだろうか。
昨日の失言から余計に距離が遠くなったりこじらせていないかと心配していたが、取り越し苦労のようで安堵する。
「そうだな……また話でも聞いてみようか……ご年配が多かったし若い層に軽く話を聞いてみたいが」
「……それなら神社はどうでしょうか」
「だが、ここは今は忙しいんだろう?」
「えぇ、私の居る秋隠神社は。しかし、この村とはあまり繋がりのない……昨日いらしていたような神道由来の通常の神社なら入れるでしょう。あそこよりも大きい神主のいる神社が近くにありまして、そこは子供たちの遊び場なのです」
「そうか、ならそこに……というか秋隠神社はその口ぶりだと通常の形態とは違うのか? 見た部分では大きくはあるが普通に見えたが」
俺は今いる鳥居から階段を上がった場所にあった先程の大きな造りの神社を思い出す。
「えぇ、村の歴史や風習としての核としての側面の方が強く、もはや通常の神道とはかけ離れており」
「ふぅん興味は尽きないが……まぁ今は行けないし、置いておいてとにかくそこにでも行ってみようか。案内してくれるかな?」
「えぇ、行きましょう」
まぁ、最悪祭りが終わってから調べればよいだろうし、そんなことを考えながら俺は盈と神社を後にする。
神社の道中、歩いていると俺たちは老婆と道で遭遇する。
「こんにちは……ってあぁ昨日の」
「あぁ、また会ったねェ学者さん、こんにちは。巫女様も」
「はい、こんにちは」
昨日はすっかり会話をするのを忘れていた。この村のことについて聞きだすためまずは軽い世間話を老婆と俺は始める。
「肥料によるでしょうが───」それにしても、盈は変わらず静かなままだ。話を振ってみようか……。
「盈さん。キミはどうだろう?」
「え、あ、えと……」
盈は黙ってしまう。急すぎただろうか。
「ふふ、巫女様は人見知りだからねぇ」
「そう、なんですか?」
「そうさ、仮面で顔を隠している理由は知ってるかい?」
「伺っています」
「そうかい、傷もあるけれど、恥ずかしさもあって仮面を肌身離さず着けてるみたいでね」
「す、すいません。会話は苦手で……」
仮面を手に掛けながら気まずそうに眼をそらすような動作をする盈。
昨日も静かにしていたがそういうことか……。恥ずかしがり屋とは……存外、俗な理由だ。村人たちに彼女が冷遇されているのではという杞憂も少しはあったが……やはりこの村はどこにでもあるような普通の村なのだろうか。
「アンタにゃ普通に話すのかい?」
「え、えぇ、まぁ。出会った時は会話も詰まるところもありましたが。今は普通に」
「ハハハ、なるほど、なるほど」
そう言うと老婆は盈の方を微笑ましそうに見る。
「や、山本さん。私は……あくまで村を」
慌てて何かを制すように手をアタフタさせる盈。
「分かっていますとも、えぇ、分かっていますとも」
「……分かっているのなら、それならよいのですが」
どこかムスッとしたようにも聞こえる声色。
「それで、今日はこれからどちらまで?」
そんなことは気にせず老婆は行き先を聞いてくる。
「あぁ、神社へ」
「神社ですかい。そんなら途中のしきたりを守んないと……ってあぁ今は祭りの期間だったねぇ」
「? しきたり? ですか」
俺はメモを取り出し老婆の言葉を聞き返す。
「えェそこの近くの豊穣の神で蛇哺様って神様が祭られてる石があるんですけど、稲穂の茂る時期にそこん周りだと、本当は屈んで歩くんです。そうしねェと神様が怒って目を呑んじまうってね、村の者はみんな守るんです」
「蛇哺様……」
独自の風習か、これは聞いたことが無かったが。両手の指を搦めて……それに蛇が目を呑む、何か逸話を吸収して変容した類だろうか。村の方々には悪いがkなり俺としては気になる内容だ。俺は内容をメモに書き込みながら思わず唾を飲み込みむ。
「それでな、もう一つがその石からちょい離れた近くの森で祭ってる『いかけ』っていうバケモノでな」
ん? 更にあるのか。
「雨の日はそこん周り通るときは軽く屈まないと呪われるでな。そうして少し屈んで通る必要があるんです」
「なるほど、この二───」
「それで、最後に神社の階段のある道に掛狐っていう狐が封印されてる刀を祭ったモンがあってですね。そこん前通るときは万が一呪われないように、そいつは正体のバレる光と鏡を嫌ったらしいから、月の無ェ夜は鏡があるって勘違いさせるために必ず二人で向かい合って同じ動きで通らなきゃならん。っていうしきたりがあって。これらをいつもは守るんですよ。まぁこういうしきたりは祭の時期は例外だから気にしなくて───」
「多いな……」
「え?」
「あぁ、いえ。こういった物は基本的に村に一つというか二つも三つもそんなポンポンあるのはあまり聞いたことがないと思って……すいません」
局所的に異常に重なってしまっている故、それぞれを守るために時々一緒にやりながら通らないといけないときもあるというか。
「ま、これも余所からあれこれ集めたからなんでしょうけどねぇ。慣れりゃあどうってことないですよ」
そう言われ俺は合点がいった。
「そうか、この村に集めた品々。この村でもそれにまつわる風習ごと受け継いで……。……ですがそう言ったモノは神社の蔵にあるとお聞きしましたが」
「えぇ、そうみたいで。でもこうして村に置かれてるのもあるんですよ。昔から変わらず私が小さい頃からずーっとね」
「なぜ保管をせずに、風習を守りながら祭り、置いているのかは」
「…………さぁ。ただ昔からそういうモノってことで育ってきましたからねぇ」
「そうですか、貴重な意見ありがとうございます」
俺はメモを閉じる。老婆は空を見上げ太陽を見る。太陽は老婆と話す前よりも少し傾いていた。
「おっと、話し過ぎたかね。そろそろお暇しないとお茶会に送れちまう」
「あぁ、これは。引き留めて失礼しました。それでは、また」
そう、別れの言葉を告げると同時に今まで口を閉じていた盈が口を開く。
「山本さん、私からもありがとうございました」
「いえいえ」
「ですが、そんなにお話されてよかったのですか。おせっかいも結構ですが、自分のことも大事になさられた方がよろしいかと」
……?
「……ふふ、これはどうも。こんな老い先短い婆さんのこと、心配してくれるなんて嬉しいねぇ」
「……」
俺は二人の会話にどこか奇妙さを覚える。どうも会話の内容というか言葉選びが引っ掛かるような。
「けど、そんな心配はいりませんよ。若者は若者らしく、自分の未来を考えるのが一番ですから、ねぇ? 学者さん」
「え、あぁ。私もそう思います」
「でしょう、……そろそろ行こうかね。それじゃ祭楽しんでくださいね、学者さん。とにかく祭りの期間はめでたい日だからってことでしきたりは気にせず自由に動けるんで。……巫女様のこと宜しく頼みましたよ」
「はは、いえ、むしろ私が彼女に教えてもらうばかりで。まぁ彼女が困ったときは自分なりに助けたいとは思いますが」
「それならよかった、巫女様もお気をつけて。……自分がどうしたいのかが一番だからね、少なくとも私はそれを肯定しますよ」
? やはり、どうも変わったことを言う人だ。
「! ……どうしたいか」
盈は顔を伏せ、呟く。
「それじゃ」
老婆は一瞥すると背を向け去っていった。
それにしてもかなり身になる情報を聞けた。何故、祭りの期間はしきたり、そういいったタブーを破れるのかを知りたかったが、彼女もめでたい日だからという認識だったし、詳しいことは恐らく知らないだろう。……もっと知る必要があるな。
「盈さん、先程のお婆さんの話の様な、風習についての情報や歴史を知れる場所は無いだろうか。人でもいいんだが」
「……」
「盈さん……?」
「……あ。え、ど、どうされましたか?」
「あぁ、さっきのお婆さんの様な村の歴史や風習について知れるモノや人があったら教えてほしいなと……大丈夫かい?」
仮面故に表情は読み取れないが何かを考え込んでいる様子に見えたが……。
「はい、大丈夫です。……そうですね人物は歴史や風習については私のお婆様が詳しいかと」
「なるほど、それはそうか……話を聞けたりは?」
「祭りの期間は忙しいのでそれは難しいかと……私がお教えできればよかったですが、詳しいこと、座学といったことはまだあまり教えられてないもので」
「座学? ……まぁゆっくり待つよ、時間はまだあるから。それで場所はどうだろう、場所って言うのはこう、書物とかが保存されてる場所みたいな……」
「……それなら隠秋神社の蔵といったところに当時のことが記載されている書物などがあるかもしれませんが……」
「今は祭りの期間だから難しそうか……むぅ、結局そこらへんは祭り終わりを待つしかないか。今から向かう神社には何かあったりしないだろうか」
「……そう、ですね。私は分かりませんが、もしかしたらあるかもしれませんね」
「あぁそうだな」
俺たちは歩き森を横目に神社のある鳥居の下までやってくる。鳥居から階段を上がり上に神社があるようだ。やれやれ、ここも階段か少し堪えるな。そして、離れたところに小さな小屋の様な物がありそこに刀が置かれているのが見える。……あれが掛狐か。そんなことを考えていると、上から声の様な物が聞こえてくる。
「これは、子供の声か」
「上の境内は子供たちの遊び場になっているんです」
階段を上がると神社の土地で駆け回りながら遊ぶ子供たちが居た。
「あー巫女様だー」「おじちゃんだれー?」
子供たちがあっという間に周りに集まってくる。膝をつき俺は挨拶をする。
「あぁこんにちは俺は……」「見たことないひとだ」「なになにー!?」「巫女様ひさしぶりに遊ぼ!」「み、皆。外の方です落ち着いて……」
あまりのエネルギッシュな勢いに俺と盈はなすがままにもみくちゃにされていく。すると。
「あぁこらこら、失礼しちゃいけないよ」
白衣と袴を着た神主と思しき男性が現れ、子供たちを諫める。
その言葉で子供たちが離れていった後、俺は立ち上がり会釈する。
「俺は東堂勇悟と言います」
「話は聞いていますよ。私はここの神主でして篠崎と言います。今日は何用で?」
「あぁ、子供たちにこの村について話を伺えたらと。それと、こちらに何かこの村の歴史について分かる書物や記録といったモノがあればと思いまして」
「ふむ、歴史……ですか。由緒書といったものはありますがお探しの物が見つかるかは」
「いえ、見せていただけるのでしたら。ぜひ」
「……分かりました、構いませんよ」
「本当ですか、ありがとうございます!」
俺はつい声色高く感謝する。
「それではこちらへ、あぁ、その前に参拝の一つでもして頂けたら」
「えぇ、もちろん。それじゃ、俺はちょっと調べてくるけど、盈さんは……」
そう言いながら俺は彼女のいる方へ振り返る。
「かめん、とってみていいー?」「あそぼー」「キャッキャッ」
「あぁ、みんな、ちょっと離れて……こら、仮面に触れてはいけません!」
盈はいつの間にか子供たちにもみくちゃにされていた。
「あー、これは一人で行った方がいいか……。それじゃ、盈さん、俺は少し調べてくるから待っていてくれ」
「え」
「それでは東堂さん。こちらです。あ、手水はそちらで」
俺は神主さんの案内で盈から離れ、まずはお参りを行うことにした。
「ま、私も行きま、分かりました、後で遊びますから……もぅ!」
◇◇◇
「さて、盈さんはどうしているだろうか……」
俺は神主の家で書物を見せてもらった後、神主と一緒に境内へ帰っていた。
結論から言えば、情報は集めることが出来た。ただし、この神社由来の建造のエピソードや日々の内容の記録だったり、いつ誰と取引をして修繕したり、といった内容でかなり興味深く面白い内容であったことは間違いないのだが、この村での風習といった内容に関わる物は何一つとして見つけることが出来なかった。
「それで、どうでしたでしょう。お探しの物は」
「あ、あぁ、見つかりましたよ。興味深い内容ばかりで。この度はわざわざ、ありがとうございました」
事実、興味深い内容ではあった。俺は神主へ程よい笑顔を作ってみせお礼を述べる。
「それならよかった」
ニコニコと笑う神主。さて、そろそろ境内だ、盈さんはどうしているだろうか。
「まちなさーい!」「きゃー!」「きたー!」
境内に戻るとそこには子供たちを追いかけまわす、盈の姿があった。
ニコニコと笑う子供たちを着物姿で追いかけている。その姿には疲れている様子はまったく無い。すごい体力だ。
「! と、東堂様」
こちらに気づき盈はこちらに駆け寄ってくる。
「ち、違うんです。これはその、なし崩し的に何故か鬼ごっこが始まってしまって決してただ追いかけているわけでは」「巫女様ー?」「こっちだよー!」
「もちろん分かっているさ。いや、ありがとう。子供たちの相手をしながら待ってくれて」
「いえ……」
「もーバテたのー? よわーい!」
弁明する盈の傍で寄って来た女の子がけらけらと笑う。
「……そうやって、調子に乗っていると、舐めている隙に食べてしまいますよ!」
盈はわっ、と女の子を驚かす。すると、女の子はまた笑いながら逃げていく。
はぁ、と盈は一息つくと同時にこちらを見て取り乱す。
「あ! いえ、これは」
「ふふ、いや、いいんだ。……君は案外、お転婆なのかもな」
笑いながら俺は言葉を零す。
「お、おて、~~~!」
「あぁ、いや、その、いい意味? で、だ」
また、失言だっただろうか。きっと仮面を被って居なかったら顔を真っ赤にしているのを見れたのだろうか、そんなわなわなと震えている彼女の傍にまた子供たちが寄ってくる。
「おたんば?」「おてんば、おてんば」「お転婆ー!」
子供たちのケラケラとした笑いについに堪え切れなくなったのか。
「もー! アナタたちのせいですからねー!」
「うわー!」「きたー!」
盈は再び子供たちを追いかけていく。やはり、言葉選びを間違えたか。
「むぅ」
「あっはっは! お転婆とは、まさか巫女様に」
神主が口を広げて笑っている。
「いえ、その」
「良いのです。実際そうでしょうから。修行の日々で、ろくに村民とも交流できずに会話も少なく。あんなに元気そうな巫女様を見たのは久々です」
「そうなんですか……」
元気に子供を追いかける盈を俺たちは眺める。にこやかに神主は微笑む。
「きっと、貴方の影響でしょう」
「そんな、まだ出会って二日も」
「日数なんて関係ありませんよ。運命の出会いは瞬く間に人を変え、成長させる」
「運命ですか……」
どうも、照れるというか、困ることを言う神主だ。
「まったく、来たのが貴方で良かった。これなら、もしかして……」
「?」
「いえ、何でも。……それでは私は仕事があるのでこの辺で。どうかつつがなくこの村を出れることを祈っていますよ」
「え? あぁ、それでは。この度はありがとうございました」
「いえ、また、いつでも」
神主は微笑みながら境内から去る。ふぅ、この村に関してでは無かったが興味深いものもあった。妙な台詞回しの神主だったが優しい人で助かった。
さて、盈は……逃げている。その手前で追いかけている子供。今度はあの子が鬼なのか。
「お兄さんは混ざらないの?」「混ざらないの?」
「え?」
そんな子供の声、声の方へ振り向くといつの間にか黒い着物を着た女の子と白い着物を着た女の子が俺を見上げていた。
「え、あぁ……うーん」
「鬼ごっこ楽しいよ? 面白いから」「楽しいの、一緒に遊ぼ」
「そう、だな。せっかくだし……君たちは着物で遊べるのか? 盈さんぐらいならともかく」
「大丈夫だよ、こう見えて意外と動けるから」
ピョンピョンと撥ねる、黒い子。
「暑かったりは?」
「これ涼しいやつ、ポリエステル生地」
くるくると回る白い子。
「あぁ、そうか、今時はそういうのもあるものな」
「冬はあったかいやつも着る。なんと、裏地がフリース」
黒い子が自慢げに言う。
「今はそんなのもあるのか……」
それにしても、俺は追いかけっこしている子たちと二人を見やる。
「……なぁ、他の子たちは普通の服だけれど……何故君たちだけ……いや、すまない。もしかしてお母さんやお父さんのいいつけだったり───」
「「ファッション」」
「あぁ、そうか。ファッションか。うん、すごくオシャレだ」
「でしょ?」「ふふん」
自慢げに着物をアピールする二人。いらない杞憂だった。
「……お兄さんはこれからどうするの?」
白い子が尋ねてくる。
「うん? あぁ、まぁ一緒に鬼ごっこでもして話を……」
「それもそうだけど」「これから」
「これから?」
聞き返すと二人はコクリと頷く。
「仮面の子」「盈とどうするの?」
「盈さんかい? まぁ案内をしてもらって助かってる部分もあるからこれからも案内をしてくれると嬉しいけれど……」
「助けて貰ってる?」
黒い子が尋ねる。
「あぁ」
「それじゃあ、あの子が困ったら、助ける?」
白い子が尋ねる。
「? あぁ助けたいと思うけれど」
「「大変かもしれないよ?」」
「……? よく分からないけれど、それでも助けたいと思うよ。いつか祖父がそれを肯定したくれたから……あぁ俺の祖父は」
「そっか」「ならいい」
てくてくと二人は子供たちのいる方へ走っていく。
「聞かないのか……」
「来ないの? 面白いよ?」
「……あぁ、行くよ」
黒い子に促され、俺も子供たちの方へ向かう。
「あー黒だー」「白も―! ひさしぶりー」
「来た」「遊ぼ」
二人はさっそく子供たちに混ざっていく。それを盈は動きを止め眺めている。
俺は彼女の方へ行く。
「……あんな子たち、居たっけ?」
「盈さん」
「! 東堂様……」
「ははは、俺も混ぜてもらうことにするよ」
「それは……よろしいのですか?」
「たまには身体も動かさないとな」
そう言ってる間にも子供たちは遊び始めこちらへ向かってくる。
「待てー!」「巫女様! おじさんも! はやく逃げて!」
子供たちに急かされ俺たちは走り始める。
「それじゃ、走ろう盈さん」
「……えぇ、東堂様」
そうして遊んだ後、軽く話を聞きつつまた遊び、二日目は終わっていった。
この村の滞在は思ったよりも居心地が良く俺は楽しんでいた。
そうして盈が翌日からも案内をしてくれ、村のことを調べていくうちに時は刻々と過ぎ祭りの最終日は近づいていった。それが何を意味するのか俺はまだ知らぬまま。
そうして、運命を分ける分水嶺が訪れたのは祭りの前日だった。俺は村の宴会に呼ばれ酒を飲み、そして───
◇◇◇
ポチャン、とどこかで水滴の落ちる音がした。
「うっ……」
鉛の様に重く感じる頭、俺は頬に当たるざらざらとした感触を感じながら、目を開ける。
揺れる視界、妙に暗い……視点を合わせるとそこには木組みの格子、そして岩肌の見える通路の様な物……壁に掛けてある光……松明でぼんやりと周囲は照らされている。
「……!」
回らない頭でも感じた違和感。起き上がろうとして腕にある何かが邪魔をしてつっかる。これは手錠か。
くそ……身体を反動をつけて起こし立ち、周りを観察する。
岩肌の露出した、ござだけが敷かれた、小さな部屋ほどの広さの空間。そこから格子を挟んで通路の様な物が横に広がっている。
「これは……牢屋か」
俺はどうやら捕まっているらしい。いったい何故……記憶を振り返る。
一番記憶に新しいのは祭りの最終日の前日、宴会に誘われ、酒を飲んでいる場面だ。あの時は俺は一体何を……そうだ、急に確か、眠たくなったような……。
病人の介護で運ばれた……にしては、居心地が悪すぎるな。
俺は自嘲気味にこんな場面で内心で笑ってしまう。……普通、こういう時はもっと焦ったり取り乱したりするものなのだろうが。
一周回って落ち着いたのだろうか。……心のどこかで俺は妙に納得していた。そりゃそうか、今まで外を拒んでいたのに、そんないきなり快く村に歓迎してくれるだなんて美味しい話があるわけないもんな。
……思い出すのは村民たちからの情報と反応。ある一定の期間で、特別な時は外から人を招くのを許される。そして、生贄と例えたときのあの反応。
ここから導き出される結論は当然、この村は数十年に一度、外から人を招き生贄としている。だろう。
生贄と断定するにはまだ早いかもしれないが、情報を統合すればロクな目に遭いそうにもないのは確かだ。少なくとも、まさしくここはそういった生贄といった文化が今もなお根付く因習村ということなのだろう。
やれやれ、人類文化学といった学問に携わる者としてこんな俗らしい単語は使いたくなかったが。生贄としてまんまとこの村に捕まったことで我ながら自暴自棄になっているようだ。
まったく、どうせなら寝かせたまま生贄にして欲しかったが、意識を保ったまま贄にする必要でもあるのだろうか。
これからどうしようか、いっそ抗ってみようか。そんなことを考えていると、カツカツ、とどこからか誰かの足音が聞こえてくる。……もう時間か、大きくなっていく足音、身構えていると、その足音の発生源である人物が牢屋の前に現れる。
「……盈さん」
「……」
そこに現れたのは狐の仮面を着け白い着物を着た少女、盈だった。
盈は鍵束を持っていた、無言で格子に掛けてあった鍵を開錠し中に入ってくる。
仮面に隠れた表情、俺は彼女に呼びかける。
「見知った中ではあるんだ、何か反応をしてくれないと寂しいな」
「……東堂様」
まぎれもなく彼女の声。
「……貴方はこの状況をどう思われますか。誰も助けは来ない絶対絶命な状況。今から己が身に何が起こるかは想像に難くないと思いますが。それとも理解できてないのでしょうか」
軽薄な俺の態度が疑問に思ったらしい。
「そう、だね。順当にいけば生贄、とかだろうかな」
「分かっているのなら、何故」
彼女の言いたいことは分かる。「何故、そんなに落ち着いているのか」ということ。
俺は壁に身体を預ける。
「……何でだろうね、現実味がないから……ってのも違うか」
「私を殺めてでも、鍵を奪って脱出してやるなどとは、思わないのですか」
「うん、キミが来る前は抗ってやろうか、なんてことも考えたけど。なんでかな、キミを見た瞬間、そんな気も無くなってね。……多分、ホッとしたんじゃないかな」
「……」
松明に灯った火が揺らめいている。
「おかしな話だよな、生贄にしようとしている人を見て安心するだなんて」
「何故、なぜ……私が憎くないのですか。こんな状況に貴方を陥れた立場の一人である私を」
震えているようにも聞こえる声が牢屋に反響する。
「……うん。分からないけどさ、盈さんは、多分こういうことをしたくないんじゃないのかい?」
「……何故そのように」
「出会ってから一週間にも満たないけれどさ、今まで一緒に行動してて何となく思うんだ、キミはそんな子じゃないって。キミはどこにでもいるような優しくてお転婆な普通の女の子だってね」
「演技とは、思わないのですか」
「そうなのかもしれないな。……だとしても俺は、今まで見てきたキミを信じたいんだ。もし、それで裏切られてたとしても、騙されてたとしても、そんなこともあるかなんて笑い飛ばすさ」
「……なんで、そんなに私を」
「少なくとも今までキミが見せてくれたあの舞は確かにそこにあった本物だったよ」
「私なんかを」
「だから、私なんか、なんてそんな寂しいこと言わないでくれ」
牢屋の中を静寂が包む。今まさに俺は生贄にされる寸前だというのに何故こんなやりとりをしているのだろう。
「……」
いや、きっと理由なんて要りはしないのだ。だって、目の前の女の子はこんなにも小さく、惑いながらこんな世界で必死に立っているのだから。
目の前の少女は仮面を外すと、カランと落とす。
あの時よりも苦しそうな彼女の表情。やがて、彼女は語りだす。
「……舞は亡くなった母が教えてくれたものでした」
「……」
「母は元々病弱で長く生きられない身体でした。それでも母は事故で死んだ父の分まで当主として働き、その務めを果たしていました。その中で母が唯一、私に遺してくれたものがあの舞なのです。母が見込みがあると褒めてくださったのが今でも私の自慢です」
「……」
「お婆様は母が亡くなったことで完全に狂ってしまった。もし母が今で生きていればこの生け贄の儀も回避できたかもしれないのに」
「やはり……これは」
「……数十年に一度来る、豊穣の祭りの最後の日と満月が重なる日、その日に外の者を人身御供とし村の安寧を図る。それがこの村の習わしであり、掟です。それで村の平穏は保たれるのだと。そう、自分に言い聞かせ、私は時が来るまで外の者を見張れというお婆様の言いつけ通り、傍で貴方を監視していました。……けれど、やっぱり私には無理だった」
盈は声を荒げ、鍵束を強く握る。
そしてポロポロとその目から涙を零す。
「私は……貴方を、東堂様を……愛しています」
「! 盈さん……俺は」
盈はふるふると首を振る。
「いいんです。返答を聞きたいわけではありませんから。愛する人を贄にするなんて私には出来ない。私はもう、どうすればいいのか、分からない。けれど、それでも、一つだけ言えることがあります。誰かの犠牲で成り立つ平穏なんて間違っている。それに私はそれが東堂様だなんて絶対に嫌」
盈は鍵束から鍵を選ぶと俺の手錠に差し込み、開錠する。すると、俺の腕に着いていた手錠はゴトンと地面に落ちる。
「……!」
驚きと共に俺は彼女を見つめる。
「本来は東堂様を酒に盛った毒で仮死状態にしたま儀を始める予定でした。しかし、私がこっそり一緒に仕込んでおいたのです。時間差で効き出すもう一つの毒、
仮死状態にする毒に作用しそれを打ち消し、貴方を目覚めさせる毒を」
「……盈さん」
「じきに村の者が来ます。村民たちは貴方を逃がすまいと総出で追って来るでしょう。お逃げください……時間は私が稼ぎます」
「そんな、それじゃキミは」
「お気になさらないでください、何とか、しますから」
そんなこといくら俺だって無理だと分かる。それでも、どうすればいい。彼女の言う通り俺一人で逃げれば助かる可能性はあるかもしれない。でも、それが本当に俺のしたいことなのか、一体、どうすればいいのか。おれが、本当にしたいことは……! したいことは。
───優しくて勇気のある子に育ったって、自慢の孫だって。その傷は猫を助けられた勲章だってな。痕を見るたびに自分は名前の通り勇気を出せる凄いヤツだって思えるぞってな───
……。
「あぁ、そうか。なんだ単純なことじゃあないか」
「……? 東堂様?」
「……盈さん。ここから出口はどうやって行けば?」
「……正門は監視の目が有るので、裏口からです。まずは左、その後、突き当りを右に行って二つ目の十字路を左に行ってそのまま直進です。そろそろ村の者が来ます。それまでに……」
「そうか……それなら急がないとな……それじゃあ行こうか、盈さん!」
俺は彼女の手を握り、彼女を連れて勢いよく牢屋を抜け出す。左の方だったな! 盈は驚きの表情で俺に手を引かれながらついて来る。
「東堂様!? これは一体」
「決まってる! 二人で逃げ出るんだよ、盈さん!」
「で、ですが、それでは」
そこそこ走ってようやく突き当りが見えてくる。やたら長いなこの通路、えぇと最初は右!
「キミが言ったんじゃないか、誰かの犠牲で成り立つ平穏は間違ってるって。俺もそう思うよ、そんなのまっぴらごめんだ」
「!」
「……なぁ覚えてるかい盈さん、俺の祖父の話」
「は、はい」
「まぁ俺もさっきまで忘れかけてたんだが、俺は祖父が俺に言ってくれたような人でありたい! それが今なんだ、勇気を出すのは! ……俺は後悔したまま生きたくない、俺はキミを助けたい、だからどうせなら逃げよう二人で!」
「そんな、こと」
「出来る、根拠は何一つないが! 少なくともそう思わなきゃこんな窮地やってられん! 君への気持ちはそういうモノかは分からないし返答はまだできないが、俺は君といたい!」
「……!」
がたがたの地面、俺は後方を振り返る。涙を流しながら俺に手を引かれるままの彼女。下駄のままでもきちんと走れているようだ。こんな時でも本当流石だ。
「シャイだけど、子供たちに優しくて、お転婆で、一緒に居て楽しかったキミと! 舞だってもっと見ていたいくらいなんだ! こんなところで終われない」
「……東、堂様! 私……は……!」
見えた十字路、左に曲がり、そのまま直進する。
「盈さん」
「……」
俺はただ思うことを彼女へ。
「一緒に生きよう」
「……!」
見えた出口、木製の扉から僅かに月明りが漏れている。鍵はかかってないようだが。俺は彼女の手を引いたまま、扉を蹴飛ばし出口を駆け抜けた。
土肌の見える地面、どうやら俺の居た場所は山の中に彫られていた様で背後の崖の中に先程の扉が見える。辺りは林が生い茂っているが、土肌の見える坂道が左から右に下るように伸びている。時間は夜らしく赤く輝く満月が辺りを照らしていた。そして───
「巫女様……」
「婆様の言う通り念のため、来てみたら、まさか……」
右の下に向かう道の方に二人の男が待ち構えていた。二人共手に何か棒状の布で覆ったモノを持っている。チッ……もう来ていたか。
「学者先生、悪いことは言わねェ。痛い目見るだけだ、諦めな」
「……巫女様、本気なんだな」
「盈さんは後ろへ下がって、大丈夫」
俺は盈さんをかばうように前に出る。盈さんは目をつぶっている。
「巫女様、今ならまだ間に合う。今ここでこっちに戻れば婆様もお許しになるかもしれねェ」
「巫女様、アンタ、村の全てを敵にまわして適うとでも」
どうする。山の中、通信する手段はない。この二人でもどうにかできれば……!
「こうなったら俺一人でも……!」
男二人が身構える。
「いえ、東堂様」
後ろからの彼女の声。盈は俺の前へ歩みを進める。
「……盈さん」
こちらへ振り向く彼女。顔の涙を振袖で拭うと、
「……言ったではありませんか、逃げるなら二人でと。私も立ち向かいます」
確かに強い意志を感じる瞳を見せる。
「巫女様……そういうことでいいんだな……!」
「そうだ、私だって、私の思うことをしたい。貴方ともっと一緒に居たい! 私は貴方と立ち向かいます、例え、それがどれだけ困難な道でも。愛する人を私はもう失いたくない」
そう言うと、彼女は前へ向き直る。凛と立つ彼女の姿。俺も負けじと横に並ぶ。
俺は彼女へ頷く。そうすると、彼女も不敵な笑みを浮かべて頷く。
「決意は変わんねぇみたいだな」
「学者先生、アンタはまだわかっちゃいねェ。この村の深奥を、それを今から見せてやるよ」
そういうと、男たちは手に持っていた布に隠された何かを解き始める。……あれは十中八九、武器。鎌か何か」。
そうして、男たちが布を払うとその手に持っているのは……。
……刀とレイピア……。
レイピア……? いや刀も現代日本では充分おかしいが……くそ、随分と殺傷能力の高い。
「東堂様、行きましょう」
二人は今にも襲い掛からんとする気迫でこちらを注視している。それに対し、盈は毅然とした態度で、その場に立っている。なんとか、ここは、初撃を躱して……!
「盈さん、まず一旦」
「まずここはお任せください東堂様」
「盈さん?」
彼女はバッと手を広げ、声高に宣言する。
「来てください、”夜桜”!」
「えっ?」
風が吹く、それと同時に地面から赤と黒の霧の様なモノが渦を巻くように湧き出る、そして、そこから閃光が迸りながら、黒い刀身の桜をあしらった様な抜身の刀が出てくる。……え!?
彼女は出てきた刀の鞘を握ると湧き出た霧を払うように振り下ろし、横に刀身を下に向けて持つ。
「”夜桜”……やるんだな、巫女様!」
片割れの男の叫び。
「そのつもりだと言っています!」
盈は刀身の側面を自身に向け刃を地面に立てるように胸よりも高い位置に刀を片手で構え片手を刀に伸ばす。
三人は、声高に、示し合せたかのように同じ文言を言い放つ。
「 「 「 『 因 習 、 開 放 』 ! ! ! 」 」 」
!?
辺りに嵐が吹き荒れるかのような強い風、三人の身体から赤と黒のオーラの様な光が吹き出す。盈さんの持つ刀は一層光を放ち、彼女の周囲からは桜の花弁の様なものが散りだす。そして、彼女は構える。
男たちもより強く刀とレイピアを輝かせ、構える。
「行くぞォ、巫女様!」
そして、二人は強く踏み込み、片方は鞘を抜き、片方は構えながら走り出し、叫ぶ。
「ウオオオオォ! ”朝火牙亥”!」
「はあァァァ! ”レフトオンエレベイター”!」
それに合わせ、
「参ります」
盈もまた、強く踏み出す。
襲い掛かる二人、それに向かって盈は刀を桜色に輝かせ叫ぶ。
「夜桜、一閃!!!」
二人に向かって放たれた強く輝くその一閃。
二人と一人が交差する。
全てを両断するかの様な刀の一振り。盈さんとすれ違った二人。
「グッ……」
「腕……あげたなァ……」
フッとオーラが消えると二人はその場に武器を落とし倒れる。
「……今はお眠りください」
……。
「あ、その、盈、さん。これは」
開いた口をどうにか動かしながら呼びかける。
「東堂様、大丈夫です。強い因習力によるダメージを受け気絶しているだけです。数日もあれば全快するかと」
「因習力……?」
盈の傍でまた霧の様な物が地面から噴き出しそこから鞘が出てくる。それを彼女は掴むと刀を納める。
「そう、ですね。東堂様にまず状況の説明が先でしょう。……ですが時間がありません。既に村人の出した使い魔にこの状況を監視されてるはず。向かいながらお話します。着いてきてください!」
そして、俺は彼女と二人揃って坂道を駆け降り始める。
「いや、その……あ、あれだ、取り敢えずこっちでいいのかい!? こっちは多分村の方なんじゃないのか? 逃げるなら上の方が……」
「いえ、村の外は今、強力な因習力の結界に覆われています! 攻撃で破ることは実質不可能……結界を壊すには今、儀式が執り行われてるこの村の中枢である隠秋神社を破壊する必要があります!」
「結界……?」
結界……?
「……東堂様、感謝します……私一人ではこのような大胆なことしようとも思わなかったでしょう。ですが、あなたのおかげで私は自分の為すべきことが分った。共に力を合わせ、この儀式を破壊しましょう!」
「あ、あぁ! もちろんだ! もちろんなんだが……」
俺たちは坂を駆け下る。ポツポツと下の方に明かりが見えてくる。恐らく追ってだろうが……。
「思っていた流れと全然違うところに行きついたんだが……!!」
強く吹いた冷たい夜秋の風が頬を撫でる。それはこれから先起こる、混沌の予感を告げている気がした。
これから先……どうなるんだ……。




