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1魔貨の聖騎士 ― 価値ゼロCEOと悪魔の強制執行監査契約  作者: 暮夜すと
【シーズン2:オスカル最終承認編】Q1

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第43話:『一月の凍結資産 ー 01/16 01:00 執行開始』

第1部:一月の凍結資産


 一月十六日、一時


 レオン・ド・ラ・ノワールは、机の背後に鎮座する重厚な耐魔導金庫の前で、音もなく指を滑らせる。生体認証の赤い光が彼の虹彩を走った。

 硬質で精密な噛み合わせが解ける音。それは、数兆魔貨の債権や禁忌の魔導契約書が眠る「聖域」が開く合図だ。

 だが、彼がその褐色の指先で取り出したのは、未登録の有価証券でも、隠し口座の鍵でもなかった。手のひらに収まる、小さな硝子の瓶。ラベルの一枚すら貼られていないその器の中で、一月の月光を吸い込んだ白桃の果肉が、淡い琥珀色の液体に浸かっている。


「……計算通りだ。温度、糖度、そしてこの孤独な静寂」


 レオンは机に戻り、事務用のペーパーナイフを瓶の隙間に差し込んだ。その瞬間、網膜上に青い水晶の波紋が走り、脳内に冷徹な少年のソプラノが響く。


『警告:管理対象の心拍数が予測値より一四%乖離。マスター、当該『桃』の摂取による一時的な報酬系への寄与に対し、管理官との紛争回避コストが大幅に超過しています』


「……A.I.D.A、再計算しろ。これは嗜好ではない。

脳内のオーバーヒートを冷却するための、不可欠な維持費メンテナンスコストだ」


『索敵探知。管理官ヴァルプスの接近確率――98%』


「いや、除外だ。98%の確率を、残りの2%でねじ伏せるのが私の仕事だ」


僅かな空気の流入音が、静まり返った室内で異様に大きく響く。

桃の甘い香りが、無機質な事務室のインクや革の匂いを汚した。

冬の真夜中に、存在しないはずの夏の記憶を、彼は銀のピックで静かに突き刺す。甘みを極限まで削ぎ落とした、死者の肌のように冷たい白桃。

ぬめった照りを纏うそれを口に含もうとした、まさにその時。背後の影が、音もなく揺れた。


「――主さま。その『資産』、ボクの今日のポートフォリオには記載がありませんが?」


 レオンの背筋を、外気よりも冷たく鋭い声が撫でた。心拍数は、予定調和の範囲をコンマ数秒、超えて跳ね上がった。

 だが、レオンはピックを止めることなく、むしろ優雅に瓶の縁をなぞってみせた。


「……遅いな、ヴァルプス。君の検品を待っていた。

一月の凍結資産(この桃)が、私の脳にどれほどの熱量をもたらすか、その精度を確かめたくてね」


 振り返らずに放たれた声は、焦りを見じんも感じさせない。

隠していたのではなく、「待っていた」のだと盤面を書き換える。それがレオンとしての、唯一の抵抗だった。

 しかし、背後の悪魔はそんな言葉遊びを、慈しむような溜息で切り捨てた。

 ヴァルプスは、レオンの手から冷ややかにピックを取り上げると、代わりに白く長い指先で、主の薄い唇をなぞった。


「……そんなに飢えていたのですか。

ボクの目の届かない暗がりに、こんな『異物』を隠し持つほどに」


 責めるような言葉とは裏腹に、その手つきは壊れものを扱うように執拗で、優しい。しなやかな巨躯を折り曲げ、耳元で囁く声には、隠しきれない愉悦が滲んでいた。


「いいでしょう。ボクの許可なく血肉になることは許しませんが。

ボクの手からなら、毒さえも甘露に変えて差し上げます。

さあ、レオン……補給の時間ですよ」


 それは、自由を奪う代わりに永遠の安息を与える、悪魔特有の傲慢な囁きだった。

 ヴァルプスが差し出した銀のピック。その先に刺さった白桃の欠片が、レオンの唇の数ミリ先で静止する。

 逃げ場はない。背後から包み込むような質量と、耳元を撫でる悪魔の吐息が、逃走という選択肢を物理的に塗り潰していた。


『警告:マスター。血中アドレナリン濃度が通常時の32%上昇。

当該事象を『不可避の外部介入』と認定。抵抗によるエネルギー消費は非効率です。……推奨:受容』


 レオンの頭上に浮いたA.I.D.A端末が、無慈悲に降伏を促す。レオンは、震えそうになる指先を机に押し付け、一拍、長く間を置いた。


「君がそこまで『検品』に固執するなら、拒む理由は……除外だ」


 それは虚勢だった。レオンは観念したように、ゆっくりと、震える睫毛を伏せて唇を開く。

 腔内に差し込まれたのは、冷たい桃の果肉と、レオンの顎を支えるヴァルプスの指先の熱だった。

 甘みを削ぎ落としたはずの白桃が、悪魔の手から与えられた瞬間、脳を焼くような背徳的な甘美へと変質する。咀嚼する音さえも、ヴァルプスの魔導タブレットには「資産の脈動」として記録されているのだろう。


「……合格、ですか? レオン」


 ヴァルプスは、レオンが嚥下するまでその喉元をじっと見つめ、満足げに目を細めた。

 彼はそのまま、レオンの唇の端に触れた僅かなシロップを、自らの指で拭い取る。そして、その指を躊躇いなく自分の唇へと運んだ。


「……確かに。

一月の寒空には不相応なほど、清廉で……ボク好みの味がしますよ」


 軽い音を立ててヴァルプスは自分の指を吸う。その音が耳元で響くと、レオンの長耳は本人の意思に反してぴくりと揺れた。

 

『解析不能な熱源を検知。マスターの市場価値が変動しています。心拍数の異常上昇を「資産の熟成」と判定。

熱源を「幸福度」という付加価値として計上しますか?』


「A.I.D.A……保留だ。……いや、削除」


「おや、削除ですか。

……構いませんよ。

ログに残らずとも、あなたの身体がその甘さを記憶していれば、ボクの投資は成功ですから」


ヴァルプスは二つめの桃の破片を、今度はレオンの唇に押し当てるようにして差し出した。


レオンは静かに、そして深く吐息を漏らして口を開けた。





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