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『1魔貨の聖騎士 ― 自分を1魔貨と定めたCEOを、悪魔は契約で管理する』  作者: 暮夜すと
【シーズン1:バルナザール決算編】Q1

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『雪解けの夜の覚醒』②

第2部:


 朝の光はまだ弱く、乳白色の霧が地面を這うように垂れこめている。

 焚き火の跡は灰に変わり、ほんのり立ち上る煙が冷えた空気に溶け込む。傍らでは護衛対象の宝石姫が安らかな寝息を立て、柔らかい髪が朝の光を淡く反射して、波紋のように揺れていた。

 レオンはゆっくりと目を開ける。体を起こそうとした瞬間、指先と背筋に訪れた「異変」に、頭の奥がひゅっと引き裂かれるような感覚を覚えた。全身が、羽毛のように軽い――長年、精神と肉体に重くのしかかっていた負荷ストレスが、一晩で跡形もなく消え去っていたのだ。


「……これは、どういう」


 膝を立てる動作すら、予想以上の反応速度に追いつかず、視界が微かに揺れる。四六〇年をかけて積み重ねた「耐える」という意志が、あまりにもあっさりと剥ぎ取られた事実が、救いよりも暴力的な虚無感を胸に刻む。呼吸は浅く、指先はわずかに硬直したまま、短剣を握ろうとする手も自然と震えている。


「主さま……おはようございます」


 低く、柔らかく、けれど心を震わせるような声。視線を上げると、煤けた焚き火跡の傍らに、昨夜変貌した青年ヴァルプスが立っていた。広い肩幅、しなやかな四肢を包む漆黒のスーツ。銀色の髪は朝霧に溶け込み、二対の太い巻き角が威風堂々と天を指す。


「ヴァルプス……昨夜のあれは、夢ではなかったのか……」


「夢ではありませんよ」


 ヴァルプスは微笑んだ。その笑みは、柔らかい少年のそれと、大人の妖しい余裕が混ざった不思議な表情だった。


「魔力が規定値を超え、上級個体に自動昇格してしまいました。

 主さまの承認を待たず、システム的に身体が最適化されたのです……これからは、より効率的な運用サポートが可能です」


 胸元から、ヴァルプスは一枚の銀の札を取り出した。

 南方の大悪魔バルナザール直系の「承認札」。

 昨夜、レオンが眠ったあと、ヴァルプスは密かに「アドバイザー(バルナザール)」への魔導通信を済ませ、交換回路の管理権限を正式に中継していたのだ。承認を得たその札は、レオンの理性の盾を無力化する証明書であり、同時に彼を深く追い詰める象徴でもあった。


「……それは、何だ」


「承認札です」


 ヴァルプスの声は低く、静かに、しかし微かな挑発を帯びていた。


「これがあれば、離れていてもボクが契約の更新を実行できます。主さまを……あんな風に、独りで損壊こわさせないために」


 札をちらつかせるたび、レオンの心臓が跳ね、背筋に冷たい震えが走る。

 目の前の青年悪魔は、もはや守るべき少年ではない。自らの魔力で管理し、観察し、容易く凌駕しうる存在になっていた。


「……それで私に何を強いるつもりだ」


「強いるなんて、心外ですよ」


 ヴァルプスは軽く笑った。その瞳の奥には、甘く妖しい光が漂っている。


「ボクはただ、主さまの資産負担コストを減らしたいだけです。

 ねえ、レオン。まだ全部独りで背負うつもりですか? その震える手だけで、いつまで彼女を守れると思っているのですか?」


 ヴァルプスが音もなく一歩踏み出すと、影がレオンの足元に重なる。反射的に短剣を握ろうとするが、昨夜の敗北感が指先を硬直させた。


「待て……条件を、聞こう……」


「条件ですか? そんなの決まっています。あなたを――」


 ヴァルプスの指先が、そっとレオンの肩に触れようとしたその瞬間、宝石姫が目を擦りながら起き上がる。


「……ん、レオンさん……? ヴァルプス……くん?」


 目の前に立つ、普段よりも凛々しい青年ヴァルプスに一瞬戸惑うものの、彼女はすぐに目を細める。

 見覚えのある赤い瞳、あの無邪気な笑顔に気づくと、驚きは歓喜に変わった。


「まあ! ヴァルプスくん、そんなに大きくなったの!?」


「あはは、驚かせちゃいました? 主さまの魔力を少し分けていただいたら、一気に大きくなってしまったんです」


 ヴァルプスは瞬時に「青年の妖しさ」を完璧な「秘書の愛嬌」へと切り替える。積雪を蹴って跳ね回り、宝石姫の周囲で軽やかに舞う。無邪気さは完全に演技(擬態)されたものだが、レオンにはその巧妙な計算が見透かせた。


 レオンは焦燥を押し殺し、宝石姫に完璧な騎士の微笑みを貼り付ける。


「ああ……私も驚いてしまったよ。

 でも、ヴァルプスが立派になってくれて……嬉しい。

 もう前みたいに抱っこして歩けないね」


 宝石姫と笑い合う言葉の裏で、レオンはヴァルプスの唇が音もなく動くのを視界の端で捕らえた。


(条件ですか? もちろん、あなたの言うことなら何でも聞きますよ――ボクの腕の中で、大人しくしてくれるなら)


 脳裏に直接響く甘く、念話。

 レオンは宝石姫の肩にの枯れ葉を取り除きながらも、その裏側で、自らの魂が逃れられない夜の底へ引きずり込まれるのをはっきり自覚する。

 四六〇年生き、希少種を連れた旅路に「例外」などないと知っていたはずなのに、自らの油断が忠実な猟犬を狼に変えてしまったことを。



※2026/05/21 大幅修正をしました。

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