第30話:『親展扱い(例外規定適用)ー01/07 09:00 執行開始』
第1部:朝九時の契約
一月七日 午前九時
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件名: 【親展】特別顧問専用:デイリー・エグゼクティブ・サマリー(09:00)
本文:
バルナザール顧問
お疲れ様です。
顧問の貴重な時間を、些末な通知(Ping)で奪うのは私の本意ではありません。
つきましては、本日より「顧問のためだけに精査した、最高密度の運用報告」を毎朝九時、私から直接送信いたします。
これ以外の時間は、私が現場で「実利」を稼ぐための演算に集中させていただきます。
顧問はただ、毎朝届くこの数字(果実)を確認し、満足していただくだけで結構です。
我々の「結託」をより強固なものにするための、私なりの効率化です。
明日より、朝食のお供に目を通していただければ幸いです。
CEO レオン・ド・ラ・ノワール
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レオンが九時に送信して、わずか二分後。
レオンの端末が震え、通知音が鳴った。
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件名: Re: 【親展】特別顧問専用:デイリー・エグゼクティブ・サマリー
レオン。
……あぁ、実に合理的で素晴らしい提案だ。
君の時間は、そのまま私に献上される「利益」そのものだからね。
一分一秒たりとも、雑務で浪費させるわけにはいかない。
分かった。毎朝九時、君の「声(報告)」を聞くのを、私の日課にしよう。
君が夜通し精査したというその数字を、私は誰よりも深く、舐めるように読み解くつもりだ。
励みたまえ。
君の「すべて」を、明朝も楽しみにしているよ。
特別顧問 バルナザール
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レオンは『了承』の文字だけを見て、小さく頷く。
これでバルナザールからの突発的なpingは少なくなるだろう。数分で解決した事柄にレオンは小さく口の端を上げる。
レオンは机の魔導タブレットを弄り「1魔貨の権利書」の確認に移る。
「バルナザールは数字に食いつき、叔父上は私の忠誠を信じ切っている。
そしてこの『1魔貨の権利書』……。これを十四日に渡せたら」
顎に指を当てて光沢のある黒い爪先で皮膚をなぞり、レオンは窓を見た。
現世の空は澄んだ青が広がっていて、通り過ぎた鳥の姿を見送りながらヴァルプスの未来に思いを馳せる。
いま彼はこれから始まる事務処理よりも、ただヴァルプスのことばかり考えていた。
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第2部:愛の地質調査
一月九日 午前七時
件名: Re: 【親展】デイリー・エグゼクティブ・サマリー(07:00)
差出人: バルナザール・特別顧問
レオン。
昨日の報告も、君の爪先のように鋭く、洗練されていたよ。満足だ。
……ところで、ふと気になったのだが。
君のように完璧な機能美を体現する男は、一体何を「美しい」と感じ、何を好むのかね?
報酬(金)に興味がない君という「個体」が、何に惹かれるのか……。
顧問として、君の「駆動原理(好み)」を把握しておきたい。
差し支えなければ、明朝のサマリーの末尾にでも添えてくれたまえ。
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一月九日 午前九時
件名: 【親展】デイリー・エグゼクティブ・サマリー(09:00)
差出人: CEO レオン・ド・ラ・ノワール
バルナザール顧問。
私の個人的な嗜好まで気にかけていただけるとは、顧問の「管理能力」の高さには敬服いたします。
……そうですね。あえて挙げるなら、私は「宝石の不変性」に惹かれます。
外部からの干渉を受けず、時間が経ってもその構造を損なわない。
そんな「完成された静寂」こそが、私の理想とする状態です。
顧問の参考になれば幸いです。
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一月十日 午前七時
件名: Re: 【親展】デイリー・エグゼクティブ・サマリー(07:00)
差出人: バルナザール・特別顧問
レオン。
君が「不変の宝石」を好むと知って、私は昨夜、一睡もできなかったよ。
不変であるということは、他者がその形を二度と変えられないように、強固な殻で守る必要があるということだ。
……あぁ、安心したまえ。君が理想とする「完成された静寂」を、私が保証しよう。
十五日の最終承認(Approved)が済めば、君を煩わせる「外部のノイズ」はすべて私が排除する。
君はただ、誰にも触れられない「不変の存在」として、私の傍に鎮座していればいい。
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一月十日 午前九時
件名: 【親展】デイリー・エグゼクティブ・サマリー(09:00)
差出人: CEO レオン・ド・ラ・ノワール
バルナザール顧問。
不眠不休での業務、心中お察しいたします。顧問の献身には、一企業のCEOとして頭が下がる思いです。
「外部のノイズの排除」――まさに私がDPA計画で狙っていたポイントです。
顧問がそこまで私の意図を深く読み解いてくださるとは。
やはり、あなたを特別顧問に選んだ私の判断は正しかった。
十五日は、私も最善の状態でボタンを押すつもりです。
どうか顧問も、ご自愛ください。不変の宝石も、それを見る「鑑定眼」が健やかであってこそ輝くものですから。
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第3部:出航許可
深夜二時の執務室は、冷徹な静寂に支配されていた。
デスクの主であるレオン・ド・ラ・ノワールは、彫像のように完璧な姿勢でタブレットを叩いている。
その青白い光が、彼の鼻筋を冷たく照らし出していた。
一方、重厚な本革のソファには、その静寂を汚すような不協和音が横たわっていた。
マルヴェイは、レオンが「記念すべき日のために」と秘蔵していた数万魔貨のヴィンテージ・ウィスキーを、乱暴に傾け、喉へ流し込んでいる。
床には無造作に脱ぎ捨てられたジャケットが、死骸のように転がっていた。
「……ひどい酒ですね。閣下の性格みたいに、後味が悪くて、鼻につく」
マルヴェイがわざとらしく空のグラスをテーブルに叩きつける。鋭い音が静寂を切り裂いた。
だが、レオンは画面から目を離さない。その視線は、数式の海の中にある。
「……アルコール度数が高すぎたか。左の棚にチェイサー用の炭酸水があるよ」
レオンは、画面から視線を外さないまま、事務的にサイドボードを指し示した。
「無理をして付き合う必要はない。君のパフォーマンスが落ち、作業効率が低下することが、私にとって最大の損失だからね。
……セルフケアもプロの仕事のうちだよ、マルヴェイ」
(――これだ)
マルヴェイの奥歯が軋んだ。
マルヴェイはレオンを不快にさせたい。レオンの聖域を土足で荒らしたい。なのに、この男はそれをすべて『福利厚生』の枠内に放り込み、ゴミを拾うような手つきでマルヴェイを管理しようとする。
「……『宝石』、ですって?」
マルヴェイが空中で指を弾くと、消していたはずのメインモニターに、レオンとバルナザール顧問のメール履歴が、翡翠色のノイズと共に強制展開された。
「よくもまあ、あんな吐き気のする二つ名を自分に付けたよね。不変の宝石?
顧問は今、その宝石をどうやって『箱詰め』にするか、宝石商を呼んで特注の檻を選んでいるよ。
……自覚がない? 君は自分から、あの大悪魔に『自分を飲み込んでくれ』と合意している」
ここで、レオンが宙に目線を上げる。
銀縁眼鏡の奥の青い瞳が、僅かな確認を載せてマルヴェイを射抜く。
「……マルヴェイ。君の解析は相変わらず鋭い。
だが、私が宝石というわけではない」
レオンは一瞬だけ視線を逸らし、言葉を選ぶようにして口を開いた。
「宝石が好きなだけだよ。
外部から触られず、形が変わらないものは、長期運用に向いている。
それ以上でも、それ以下でもない」
マルヴェイをちらりと見てから、自分の秘密を吐露するかのように囁く。
「論理的に完成されたものは、外部ノイズを寄せ付けない。
宝石が美しいのは、誰にも形を変えられない“不変”を保っているからだ。
……ただの構造の話だよ」
マルヴェイが冷ややかな視線を返し続けると、今度は気まずそうな顔になり、レオンはゆっくりと口を開いた。
「……宝石になりたいわけじゃない。
どうせなら、砂でいい。砂なら誰も探せない」
その顔には、確信――すなわち、歪んだ全能感が滲んでいる。
「君が今、私の計画(DPA)に施している暗号化も、同じだ。
無駄がなく、壊れにくい。
だから――よく出来ていると思っている」
レオンは励ますように微笑んで、椅子の背もたれに身を預けた。
「誇りたまえ、マルヴェイ。
君は今、完璧に機能している」
マルヴェイの呼吸が止まる。
自分の悪意さえも、レオンの「事務処理」という名の輝きに取り込まれ、浄化されていく。
逃げられない。
この男が「傲慢」でい続ける限り、私たちの感情はすべて『仕様』として処理され、この執務室という名の宝石箱に永久に閉じ込められる。
「……ああ、そう。……宝石、ね」
マルヴェイは震える手で残りの酒を煽り、歪んだ、ひどく暗い笑みを浮かべた。
「あと、そのDPA計画。……一見、完璧な節税とガバナンスに見えますが。私には、あなたが『自分をゴミ箱に捨てるための、丁寧な梱包作業』をしているようにしか見えないな」
レオンは驚くどころか、眼鏡を指で押し上げ、フッと不敵な笑みを浮かべる。
「……ちょうどいい。その『ゴミの梱包』を、叔父上が黄金の卵だと誤認するように、君の毒で磨き上げてくれないか」
マルヴェイは、レオンを動揺させたくて、さらに踏み込んだ嫌がらせを口にする。
「手伝ってあげてもいいけど……対価は高いよ?
十五日にこれを送った後、君が絶望で泣き叫ぶ顔を、私に一番に見せてもらいたい。……どう?」
レオンは眼鏡を指で押し上げ、淡々と頷く。
「それが君の手数だ。知っているよ。
……交渉は成立だ」
それだけ言って、もうマルヴェイを見なかった。
レオンは手際よく水差しからグラスに水を注ぎ、マルヴェイの座るソファの前に膝をついた。
淡く微笑んで、マルヴェイがグラスを受け取るのを辛抱強く待っている。
マルヴェイが無言で受け取り水を口に含むと、レオンは満足げに頷き、作業に戻る。
再びタブレットに視線を戻しながら、レオンは嘘のない感情を言葉に乗せた。
「マルヴェイ。君なら、最高の仕事をすると信じている」
レオンの叩く端末基盤の音が、再び静かに響き始める。マルヴェイはレオンの視線が自分を向かないのを確信して利き手の親指の爪を噛む。
レオンの爪と同じ色に染めた爪先が、わずかに歪む。
音で詰っても、煽っても、届かない。
マルヴェイは自分が知りうる情報をいまここでぶちまけたい欲望に駆られる。
赤、紫、青、金。そして翡翠。交差する線の行き先がわかっててなお、しかしそのレオンの無防備な背中がいま自分のものだけだという事実に目を閉じた。
「……ああ、そう……そうだね。わかった。
……もう、私が何を言っても、君のその『やさしさ』が、全ての真実を弾き飛ばす。
……なら、いい。私が、君を、君の望む場所へ連れて行ってあげるよ」
レオンは端末基盤から指を離し、マルヴェイに視線を向けて、小さく眉を上げた。
その微笑みには、向けられた言葉の行き先を探る気配が、ほとんどなかった。
「任せたよ、マルヴェイ」
※レオンの心境
・宝石が好きだから答えただけ
・マルヴェイのことを信用しているから褒めたかっただけ




