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1魔貨の聖騎士 ― 価値ゼロCEOと悪魔の強制執行監査契約  作者: 暮夜すと
【シーズン2:オスカル最終承認編】Q1

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145/166

第140話:『資産価値の定義 ー 01/29 8:00 執行開始』

第1部:資産価値の定義アセット・キャリブレーション


 首都ルテティアに広がる屋根群をなぞる輪郭が、ようやく夜の闇から鉛色の実体へと変わりつつある。

 大聖堂の冷厳な空気で頭を冷やしてきたつもりだった。だが、執務室に満ちる暖房の一定の駆動音は、かえって神経を逆撫でしている。


--


 件名:【ご報告】補助サーバー構築作業の完了通知


 オスカル叔父上


 M.O.N.O常駐環境下での監査分離と検証目的により、補助サンドボックスを追加しました。隠蔽ではなく冗長性確保のための構成です。

 運用上問題があればご指示ください。


 レオン・ド・ラ・ノワール


--


 手短なメールを送信する。

 レオンは、窓硝子に映る理知的な自分の貌を睨みつけた。その鏡像の奥、脳内の「禁止区域」に刻まれたオスカルの影を振り払うように、深く、重い吐息を吐き出す。


 八時の鐘が鳴る。鐘の音とともに、起動し続けていたモニター上で、未送信のログが赤く点滅した。


 ――同期バックアップの時間。


 レオンは執務机の引き出しから四角錐の黒い魔法石を取り出す。

 魔法石を両手で覆い、そっと目を閉じる。


■ 基幹資産『アメリア』:生体同期ログ(Vital Synchrony)

[体温:36.3℃ / 魔力残量:98.5% / 精神波形:安定]


「起きているな……」


 アメリアの状態を確認したあと、レオンは今度は自分の個人端末をスワイプした。

 アメリアからの秘匿通信からは、ただ一言――「背脂のシュヴァリエの物語はまだ?」とだけ残されていた。


 レオンは重苦しい気分でその一文を読み、眉根を寄せた。


 一月二十二日を最後に、彼の「魂」はアメリアと切り離されたままだ。

 モニターに並ぶ、一月二十三日からの未送信ログ。その七日分、あまりにも汚濁に満ちた自分のログを、レオンは震える指先で呼び出す。


 弁護士メイ・D・アイアンに「0点」と断じられた、あの日以降。

 自分の人生は、予定されていた「清算」から、逃げ場のない「永久不渡り」へと変質した。

 それはいい。その意志を彼女に同期させるのは、レオンにとっても決意の表明である。


(だが……同期すべき情報の「粒度」が、あまりにも低俗ジャンクに過ぎないか?)


 レオンは、網膜に焼き付く赤文字の羅列を睨んだ。


『1/23:全承認プロトコル(CEO_Mode)起動に伴う、一時的なガバナンス機能の外部委託』

『1/23:承認の暴走(金ピカ配信)によるブランド毀損』

『1/24:深夜のラーメン摂取に伴う消化器系の致命的エラー』


「……っ」


 レオンは、理知的な貌を歪め、空中に浮かぶ投影ウィンドウを叩きつけるようにして閉じた。

 両手を執務机に押し付け、綺麗に磨き上げられた木の天板を見下ろす。

 冷徹な瞳とは裏腹に、その頬には隠しようのない熱い血色が差していく。


「……っ、……ヴァルプス!」


 喉の奥で震える声を絞り出すより先に、レオンは執務机の上の銀のベルを叩いた。

 澄んだ音が執務室の静寂を切り裂く。


 ――コンマ数秒。


 影が揺らぎ、扉が開く音すら置き去りにして、漆黒の従者が主の傍らに立っていた。


「お呼びでしょうか、レオン。

 ……随分と激しく『揺れて』おいでですね。大聖堂でのお約束より、少しばかり早い気もいたしますが」


 ヴァルプスの声は、どこまでも慈愛に満ち、同時に遠慮なく、レオンが直視を避けたモニターの赤文字ログを覗き込んでいた。

 レオンはヴァルプスが側に来たことを確認すると、小さく呟いた。


「……飛ぶと、おもう」


 レオンの発言を受け止めて、ヴァルプスはほんのすこし穏やかな顔になる。その後、そっとレオンの手に自身の手を重ねた。


「どうぞ」


 手の甲に乗せられる冷たく白い手を見下ろして、レオンはモニターを睨む。


「私は、ラーメンが食べてみたかっただけなんだ。

 いや。あれは、そう。……路地裏の民衆との直接接触による、現場主導型の社会・経済動態観察だった」


 誰に言い訳をしているのか。レオンは震える指先で、自分の「無様な生」が刻まれた正当化資料を、アメリアという「聖域」へ送るべく、カーソルを合わせた。

 レオンは知っている。自分が深夜の屋台で腹を壊して悶絶していたログを、彼女が既にマルヴェイからの「盗撮」によって検収し、爆笑していたことを。

 自分が人間らしく汚れるほど、アメリアと世界の幸福度が上がるという、歪なマーケット・ロジック。


「送らなければ保存の意味がない。

 でも、君にこれを送れば、また君は笑うのだろう。

 ……だから、ログは小分けにする」


 背脂と屈辱と「不渡り」の宣言が混じり合った濁流が、光の速度でアメリアへ送り届けられた。


 数秒後。

 手元の端末に、施設――白鏡宮からのステータスが返る。


 [ALERT: High-Intense Joy-Surge detected]

 [EXECUTE: Emotional Surge Protector]

 [ACTION: Converting Excess Joy into Kinetic Energy]

 [RESULT: Fountain output +300% / Local Luminescence +150%]

 [STATUS: Insider Risk mitigated. Market Stability: SECURED]


「……やはり、笑ったか」


 レオンは顔を片手で覆った。

 二十四日分まででこれだ。もし、今朝の大聖堂のログまで送っていたら、世界経済は爆発していた可能性が高い。

 レオンは横のヴァルプスの顔を見上げた。それはヴァルプスへ届く負荷の結果を確認するという名目の、訝しみと不安、そして羞恥の混じった複雑な表情だった。


「ボクに問題ありません。耐用可能ですよ」


「……なら、いい」


「……まだ余裕があります。

 もう少しボクに負荷を与えても、壊れはしませんよ」


 レオンの頬を、ヴァルプスの手が包む。冷たい指の腹で頬をゆっくりと撫でられ、レオンは言いようのない電流が背筋を這うのを感じた。

 不渡りを宣言したはずの自尊心が、指先の動きで揺らめいていく。

 褐色の頬がいつもより深く、熱を持った色に染まっている。それをレオンは隠すことはできなかった。温かい室内で、その頬だけがさらに微かな熱気を放っている。

 ヴァルプスの腕が、レオンの腰を静かに固定する。

 拒絶する言葉が喉の奥で張り付いたまま、レオンは抱き寄せられる。

 迷いながらも、レオンはヴァルプスの行動に身を任せた。


 数十秒の静寂ののち、静寂を切り裂くようにレオンの個人端末が震えた。

 白鏡宮――アメリアの心臓部から届いた、最優先の面会要請。

 レオンの個人端末が、事務的な電子音を鳴らす。

 それは白鏡宮の管理室長――レオンの部下であり、アメリアの「番人」でもある男からの通知だった。


『監理官閣下。アメリア様より、先刻の同期ログに関する「対面精査」の要請がありました。

 現在、施設の噴水出力が異常上昇しており、放置すればルテティアの広場まで影響がでます。

 至急、白鏡宮へお越しください』


 建前は「資産の保守点検(監理)」。

 だが、その実態が「背脂ログの続きを直接聞きたいアメリアによる、私的な呼び出し」であることを、この場にいる者たちは理解していた。


 レオンとヴァルプスは2人でその文章を見下ろす。

 レオンは、ヴァルプスの腕のなかに抱かれたまま、呻くように喉を鳴らして目を閉じた。ヴァルプスは冷えた目線で文字列をなぞる。

 

 午後の予定が、確定した。

 それはレオン・ド・ラ・ノワールにとって、市場への祝辞よりも、叔父への弁明よりも、ずっと恐ろしくて抗いがたい「強制執行」の合図だった。



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