第138話:『欺瞞の権限 ー 01/29 06:20 執行開始』
第5部:欺瞞の権限
一月二十九日 六時二十分
コンソール画面の隅、監視カメラが捉える窓の外はまだ深い群青色に沈んでいた。
街灯の鈍い光がビルの隙間を頼りなく縁取っている。その地上とは隔絶された、冬の土に囲まれた地下室。熱を孕んだ液晶モニタの群れが、「偽サーバー」への定着を告げた。
「……リダイレクト成功。M.O.N.O、欺瞞ログを受理しました」
SREのリーダー、レイモンが魂が抜けたような顔でEnterキーを叩く。
青白いモニターの光に照らされた彼の顔は、極限状態を乗り越えた安堵と疲労で土気色だ。
画面の中では「偽物のレオン」が、叔父上の監視の目に対し、完璧に「昨夜の失敗を悔やみ、疲れ果てて微睡んでいる若きCEO」を演じ始めていた。
「Hash-04、最終チェック」
「はい。……偽のブラウザ履歴生成。昨夜二時の検索ワード『海底語の通訳ブース追加』。
……次いで、三時のSNS履歴、有名ラーメン店の検索ログを五件挿入。背脂の量に悩む投稿に『いいね』を付与しました」
「……よし。M.O.N.Oという怪物は、この『人間らしい汚れ』を喜んでインデックス化していくだろう。
Patch-05、あとで気絶しているPatch-03と同期しといて。彼の見た悪夢も、リアリティの隠し味として偽装サーバーに混ぜ込んでおこうか」
マルヴェイは部下達とひとつひとつログの「肌触り」を確認をしながら、満足げに、そして酷く気だるそうに薄いため息を吐いた。
地下ラボの重い鉄の扉が、重々しい金属音を立てて開く。
そこには、一分の隙もなくミッドナイトブルーのスリーピースのスーツを着こなしたレオンが立っていた。背後には、主の影そのものとなったヴァルプスが、冷徹な静寂を纏って佇んでいる。
レオンの瞳には、徹夜の疲労など微塵も感じさせない、研ぎ澄まされた刃のような光が宿っていた。磨き抜かれた革靴が、ラボの金属床を冷たく、一定の予兆をもって叩く。
「……状況は」
短く、だが逆らうことを許さない支配者の声。
マルヴェイはくるりと椅子を回転させ、レオンに不敬な微笑みを浮かべた。
「おはよう、我らが不眠の王。
……M.O.N.Oは今ちょうど、君がラーメンの背脂の量に悩み、海底人との商談に怯えているという『完璧な真実』を貪っているよ。
……実に、管理のしがいがある可愛い甥っ子だと思われているだろうね」
「……それでいい。……叔父上の演算の中に、今の私は存在しない」
レオンは、ズタズタになったモニターのログを、まるで戦場から回収された機密文書を確認するように一瞥した。
SREたちは、CEOの放つ圧倒的な威圧感に、椅子から転げ落ちそうになりながらも直立不動で敬礼する。彼らの手首には、先ほどの「過負荷の火傷」が、電子の刻印のように赤く腫れ上がっていた。
レオンは一度、横に控えたヴァルプスの指先に触れ、自身の体温を確認するように握ってから歩き出した。
リーダーの腕章をつけたレイモンの前に来ると、それまでの氷のような表情をふわりと緩め、慈愛に満ちた目で見下ろす。
「レイモン……手首、だいじょうぶ?」
「あ、い、いえ……光栄です!」
「ごめんね。私は治癒魔法が使えないから……マルヴェイに頼むといい。
彼が責任をもって、跡形もなく治してくれるはずだ」
どもるレイモンに優しく笑いかけたあと、レオンは室内を見渡した。
次の声の温度が、一瞬で絶対零度へと急降下する。
「……ネイ、ゲイル、ハル、パコ。そしてレイモン。君たちの『忖度』という脆弱性は、今回のボーナス査定で厳重に処分する。
……だが。この一時間半の『突貫工事』。……私という人間を信じず、ただシステムへの狂信だけでこの城壁を編み上げたその腕だけは、正当に評価しよう」
「……っ、ありがとうございます!!」
レイモンたちが感極まった声を上げる中、レオンは再びマルヴェイへと視線を向けた。
「マルヴェイ。隔離領域から、事務所のメインサーバーへの『書き込み権限』は全て剥奪しろ。
読み取り専用の片道通行だ。M.O.N.Oが逆にこちらをハックする隙を1ビットも残すな」
「徹底してるね。まるで、私たちを信用していないみたいだ」
「M.O.N.Oの銀糸をここまで鮮やかにリダイレクトできるのは、この事務所では君と、君が育てたSREたちしかいない。
……そこは評価している」
レオンはマルヴェイに近寄り、彼の腕を掴む。マルヴェイの手首には赤い火傷痕が散っており、レオンは目を伏せた。
CEOの仮面を被ったまま、レオンは口を開く。
「……助かった」
囁くような声音は、マルヴェイにしか届かなかった。
「火傷、ちゃんと治して」
「ふふ……どうしようかな」
マルヴェイの返答に、レオンは一瞬眉根を寄せる。
レオンは一度ゆっくりとマルヴェイの両手を握ると、離れた。
生真面目な青い瞳と微笑む翡翠の瞳がぶつかりあう。
伸ばされたマルヴェイの手を受け流すように、レオンは背を向けた。
背後でヴァルプスが、マルヴェイを冷たい目で射抜き、主の後に続く。
マルヴェイは天井を見上げ、熱い息を吐く。
指先には、まだレオンの体温が残っている。
青くぼやけた魔導灯が、その手を何事もなかったかのように照らしていた。
※本作は、noteにて先行公開していた記録ログのアーカイブ版です。
※2026年04月08日 叔父上オスカルのビジュアルイメージを『活動報告』に置きました。
※2026年04月08日 ストーリーの大幅修正をしました。




