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ナースコール(フィクション)

空室から鳴り響くはずのない呼び出し音。

朝方、霊感を持つ看護師の一礼が、すべてを黙らせた。


夜勤のナースステーションは、紙の上にだけ昼間のような白さが残っていた。蛍光灯の光は冷たく、記録用紙に落ちる影まで薄い。壁掛けの時計は二時を少し過ぎ、廊下の奥ではディスペンサーの軋む音と、どこかの輸液ポンプの小さな警告音が、ときどき空気を震わせる。


A看護師はペンを止め、肩をほぐした。背中のこわばりを反らして追い出すつもりが、逆に眠気が押し寄せる。


「……ねえ、Bさん」

声を出すと、それだけで少し目が覚めた気がした。

「夜勤のときってさ、鳴ってないのに、ナースコールが耳の奥で鳴ること、ない?」

B看護師はカルテモニターから目を離し、くすっと笑う。

「あるよ。昨日なんて、廊下まで出ちゃったし。自分で自分に『落ち着け』って言い聞かせたもん」

「だよね。明け方が一番ひどい。ピンポン、ピンポンって、頭の中で繰り返すやつ」

「わかる。返事したくなるよね、誰も呼んでないのに」


二人の笑い声は、すぐに吸い込まれるように小さくなった。仮眠室の扉の向こうでは、D看護師が休んでいる。霊感が強いという噂は、あくまで噂ということになっているが、夜勤の静けさはそういう話を現実の側へ引き寄せる。



Aは受信盤のランプ列に視線を走らせ、書類に戻った。

「Dさんが前に言ってたよね。『夜はね、声が重なるから、聞こえ方が違うんです』って」

「怖いこと言うなあ」

Bは肩をすくめ、温め直した紙コップのコーヒーをすする。「でも、不思議と納得しちゃうんだよな」


――そのときだ。



ピンポン。


乾いた、しかしよく通るコール音が、夜の平らな表面を針で突いたように弾けた。二人は同時に受信盤を見上げる。点滅する赤いランプ、表示される部屋番号。



「……空室だよ、あそこ」

Bの喉が小さく鳴った。

「昨日退院したKさんの部屋。今日の入院はまだないはず」

Aが確認すると、Bは頷く。


「幻聴じゃないよね、これ」

「ランプ、点いてる……」


ピンポン。


間を置かず、また鳴る。同じ部屋番号。同じ、澄んだ音。



Aは立ち上がった。

「見てくる。すぐ戻る」

「ちょっと、待って。ついていこ……いや、ステーション空にするのもなあ」

Bが逡巡する。

「大丈夫。空室だし、さっと見て返ってくる」



廊下に出ると、ワックスの匂いとアルコールの匂いが冷えた空気に混じって鼻を刺した。静けさに自分の足音が浮き上がる。目的の個室の前で一呼吸置き、カードキーをかざす。開いた扉のすき間から、暗い室内の輪郭が流れ込んでくる。



部屋は整然としていた。ベッドは最上段まで下げられ、白いシーツには折り目が残る。オーバーベッドテーブルは壁側に寄せられ、リモコンとコールの受話器が揃えて置かれている。


Aは枕元のユニットを覗き込んだ。コールコードのカール部分が、不規則に伸びている。差し込み口のプラスチックは使い込まれた艶があり、差し込みの根元に、ごく細い亀裂のようなものが見えた。


「……何もない」

声に出すと、空の部屋がその声を跳ね返した。Aは思わず後ろを振り返る。誰もいない廊下が、扉の向こうで落ち着いている。

ステーションに戻ると、Bが受信盤を指差したまま固まっていた。


「今ね、Aが扉開けたタイミングで、一瞬消えたの。で、閉めたらまた点いた」

「やっぱり、ユニットか配線だ……」


Aは息を整え、メモ用紙を掴む。「朝一で設備に連絡する。念のため、もう一回見よう。一緒に」

二人で戻る。Aが枕元のコールをそっと持ち上げ、差し込み口を軽く揺らす。

受信盤のランプが、ステーションの方向で点いたり消えたりするのが、ここからでもわかる。


「……反応してる。断線しかけてるんだね」

「ここ、ほら。カールの伸び方が変」

Bが指を添えると、ユニットの根元で軽くカタリと音がした。

Aは頷き、ユニットの側面に養生テープで仮止めをして、コードが動かないように工夫した。

「朝までの応急。ナースコールはベッド柵のボタンでも拾えるし、危ない行為はないはず。空室だけど」

「うん。戻ろう」

ステーションに戻る廊下で、二人は同時に足を止めた。さっきの部屋のドアが、ごく僅かに開いている気がした。けれど、風はない。空調の吹き出しは対面。

「……さっき、ちゃんと閉めたよね?」

「閉めた」

少しだけ、喉に乾いた笑いが漏れる。

「朝が遠いなあ」

「遠いね」



メモ用紙には、震えない字で「〇号室コールユニット接触不良。設備依頼。AM」と記した。ホワイトボードの端にも同じ内容を転記し、付箋を貼る。仕事の段取りを言葉にして並べると、不安も同時に整列していく。



三時半を過ぎると、夜の深さは底に達する。眠気の波がもう一度来て、それから少し収まる時間帯だ。バイタルチェックに出ていたフロアスタッフが戻り、ステーションは短い報告と記録でふたたび低いざわめきに満たされた。AとBは交代で病棟を一巡し、空室の前を通るたびに、わざと視線を扉の取っ手から外した。

四時半、廊下の向こうの窓が、灰色にほどけていく。夜と朝の間にある、無音の薄明。

「あと少し」

Bがつぶやくと、Aはうなずいた。

「明けのカンファで設備の人にも来てもらおう」



五時ちょうど。仮眠室の扉が音もなく開き、D看護師が出てきた。前髪を耳にかけ、深く一度あくびを噛み殺す。AとBが「おはようございます」と小さく会釈すると、Dも微笑んで会釈を返した。


Dは歩き出し、ふいに足を止めた。空室の前で、扉に向き直る。


そして――静かに、丁寧に、一礼した。


AとBは座ったまま、背筋だけが伸びた。呼吸の音が大きく聞こえる。Dは何事もなかったように姿勢を戻し、ステーションに入ってきた。

「おはようございます」

さきほどと同じ声色で言い、カルテ棚から自分のペンを探し出す。



Aは喉の奥に質問が引っかかったまま、それを飲み込んだ。

Bが目で問う。「聞く?」

Aは小さく首を振る。


聞いたところで、何を答えとして欲しているのか、自分でもわからなかった。

朝の引き継ぎは、いつも通りに進んだ。設備担当には、ユニットの交換を依頼することが決まり、昼前には業者が来るらしい。受信盤の空室ランプは、Aたちが養生してからは一度も光っていない。


明け方の薄明は完全な朝に変わり、窓の外の街の色が戻ってくる。夜勤の終わりは、決まって少しだけ名残惜しい。



Aはステーションを片付けながら、ふと空室の前を見やった。扉はきちんと閉じられ、名札差しには何も入っていない。数時間前と同じ光景なのに、なぜか輪郭が少しだけ違って見える。


Dがコーヒーを片手に近づき、何気ない調子で言った。

「明け、お疲れさま。ねえ、その部屋、今日入院ある?」

「ないはず。明日か明後日」

「そっか。じゃあ、静かにしてもらおうね」


冗談とも本気ともつかない言葉に、Aは曖昧に笑った。Bは「そうですね」とだけ返す。

引き継ぎを終え、タイムカードに印字された退勤時刻を見て、Aは深呼吸した。頭の奥に、まだ微かにコール音の残響がある。


廊下を歩き、空室の前で、Aは足を止める。

扉に向かって、ほんの少しだけ、会釈をした。


それで何が変わるわけでもない。ただ、夜の間にここに積もっていたものに、礼を言って通り過ぎたかった。

その夜以降、空室のナースコールが勝手に鳴ることはなかった。


けれど、ときどき明け方になると、耳の奥で――ほんの一瞬だけ――ピンポン、という音がする。

それは、眠気と仕事と、誰にも説明できない“重なり”の音だった。



ナースコール(後日談)


翌日の昼、設備担当の職員が病棟にやって来た。

手際よくナースコールユニットを外し、新しいものへ交換していく。


「やっぱり断線しかけてましたね。内部で接触不良起こしてたんだと思います」

淡々とした説明に、AとBは思わず顔を見合わせた。

(やっぱり、そうだよね……)

工事が終わると、空室のランプは一度も点かなかった。

合理的な説明。明確な原因。


それだけで全て解決したはずだった。

だが、不思議な余韻は残る。


夜勤明けで帰宅したAは、昼間の光を浴びながらも、頭の奥に微かな「ピンポン」を感じていた。

寝不足のせいかもしれない、と言い聞かせて布団に潜る。

それでも、耳を澄ませると、確かに何かが響く気がした。


数日後。


病棟に新しい患者が入院し、例の部屋は再び使われ始めた。

入室の準備に追われる中で、Aはシーツを敷きながら、ふと枕元のユニットを見た。

新品のコードがきれいに伸びている。

それを眺めながら、なぜか自然と手が動き、軽く受話器を整え、枕元のテーブルを少し直してしまう。


「Aさん、丁寧だね」

横でBが笑った。

「ううん……なんとなく、ね」

Aは答えを濁した。


夜勤が再び巡ってくる。

受信盤の前に立つと、あの時と同じ並びのランプが見える。

「きっともう鳴らない」

そう思いながらも、目の端で赤い点滅を探してしまう自分がいる。



やがて深夜三時。


病棟は静まり返り、規則正しい人工呼吸器のリズムだけが続く。

廊下を見渡し、ステーションの椅子に腰掛ける。

コーヒーの紙コップを持つ手に力が入る。


――ピンポン。


心臓が跳ねた。


だが、盤面のどのランプも点いていない。

「……また、幻聴か」

Aはゆっくりと息を吐いた。

そのとき、背後を通りかかったD看護師が立ち止まり、笑みを浮かべて小さく言った。


「……聞こえました?」


AとBは同時に振り返る。


「えっ?」


だがDは、それ以上何も言わず、歩いていってしまった。

ステーションには、再び夜の静寂が満ちた。

その静けさは、誰の耳の奥にも――微かな残響を宿していた。



Chat-GPTから今までのショートストーリーをまとめて小説仕立てにしませんかと言われ、お願いしたところ、こんな形になりました。第1章 その1だそうです

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