第2章*「山月記」その1
例年より長い梅雨がやっと明け、夏の日差しが体を刺すように眩しい。
帝都中心にひっそり佇む「岩田興信所」は、ある人物の訪問により今日も大変賑やかだ。
「先日の桜子殿の活躍は目を見張るものでございました!」
若き政府官僚、倉田政治郎は息を弾ませた。
「……それは、先程も伺いました」
「岩田興信所」の従業員の一人である松平椿はうんざりしたような表情を浮かべる。
「松平殿にもお見せしたかった!」
政治郎は椿の表情を全く読み取っていないのか、愉快に言い放つ。
「……倉田様は大変純朴でございますね」
椿は「はあ」と息を吐き、「羨ましい…という言葉では言い尽くせません…」とぼそりと言った。
「え?なんでしょうか?」
椿の皮肉が耳に届かないのか、政治郎は前のめりになった。
「いえ…何でもございません…」
また再び息を吐くと、椿は話を切り出した。
「ところで、本日はどのようなご用件でしょうか?」
「私としたことが!大変申し訳ない!」
政治郎は居住いを正す。
椿もそれにつられ、濃紺の着物を着た膝の上に手を置いた。
「政府より再び依頼をさせて頂きたく、参上した次第です」
急な訪問により桜子不在であったが、代わりに椿が賜る形となった。
「実は、この東京の街に虎が出没するという報告が多発しているのです」
「虎?」
「はい、あの猛獣の虎であります」
政治郎は快活良く言い放った。
「夜な夜な、その姿を見たという市民が多数。現段階では怪我人は出ておりませんが、今後のことも鑑み手を打つ必要があるのです」
警察も虎捕獲のため警邏に出てはいるが結果は芳しくないとのことだった。
椿は、いかんせん話の全貌が掴めないでいた。
「しかし…この帝都に虎とは得心がいきませんね。サーカスか見世物小屋から逃げ出したという可能性はないのですか?」
「そのような報告は受けておりません。そもそも、東京中のサーカスや見世物小屋に問い合わせたところ、虎を使った出し物をしている所はないとのです」
「なるほど…承知いたしました。松平が戻りましたら、その旨を伝えておきます」
「よろしくお願い致します!」
政治郎は期待に目を輝かせた。
椿が大きくため息を吐いたのは、言うまでもない。
***
次の日。
「岩田興信所」応接間。
「別件で外出しておりまして大変申し訳ありません。ご依頼は椿から賜りました」
白藍色の着物が清々しく涼しげだ。とても夏らしい。
「とんでもありません!今回もよろしくお願い致します!」
政治郎は深々と頭を下げた。
「早速、ご依頼の内容に入らせていただきます。その虎の目撃された場所とは?」
政治郎は胸ポケットから紙切れを出し、卓上に広げた。
東京の地図上に所々赤色のバツ印がされている。
「蔵前と馬喰町を中心に目撃されております。すべて夜とのこと」
「距離としては、大して離れていませんわね」
桜子は口元に手をやった。
二人はまず、目撃者の中でも明瞭に例の虎を見たという市民に話を聞くことにした。