きょうだい、これは湯たんぽだよ?
「兄弟、それはさすがにどうかと思う」
「何言ってるのさ兄弟。婚約者なんだから問題ないでしょ」
「も、問題ありすぎですのー!」
ひょっこりと俺の部屋に顔を出したネヴィルがそんな言葉をポツリとこぼせば、せっかく俺の腕の中で落ち着いていたオーレリアがハッとして暴れだす。
もー、せっかく大人しくなってきたところだったのにぃ。
「さすがに十二歳のご令嬢を湯たんぽにするのはどうかと思う……」
「ネヴィル様、もっと言って差し上げてくださいまし!」
オーレリアがもがくのを見て、ネヴィルは微妙な顔をしながら部屋へと入ってきた。
その両手には色々と抱えていて。
「どうせこんなことだろうって奥様に言われたからな~。色々と持ってきた」
「母上、自分のことには勘が働かないくせして、こと僕のことに関してだけは外さないなぁ……」
黙ってたはずなのに、どうやってオーレリアがここに来ることを知ったんだよ母上。
今朝、父上に生け贄に差し出した時の事を思い出す。
俺のことには気が回るのに、俺が父上をけしかけるところまでは予測は出来なかったのが、なんとも母上らしい。
そんな事を考えていれば、オーレリアは俺の腕から抜け出して、俺のいるソファから流れる動作で離れた。向かいのソファへと着席。
「兄弟、嫌われてやんの~」
「うるさい」
ジロッとにらんでやれば、ネヴィルは屈託なく笑う。
くっそー、睨んだくらいじゃ全く堪えないな、兄弟め!
「どうぞ。ミルクに蜂蜜を溶かしたものです。温まるよ~」
「まぁ、ありがとう」
一応、伯爵家という身分を慮ったのか、ネヴィルの口調はオーレリアに対して少しだけ丁寧だ。
でもやっぱり話なれないのか、すぐにくずれてしまうのが兄弟が兄弟たる所以である。
ネヴィルは三人分のマグカップを持ってきていた。俺にも一つのマグカップを手渡し、自分用らしいもう一つはテーブルの上に置く。
それからもう一つ、抱えていたものをオーレリアに差し出した。
「はい、これ奥様から。兄弟の部屋は暖炉がないから、風邪を引かないようにって」
「まぁ、可愛いですわ!」
差し出されたのはウサギのぬいぐるみだ。ちょっとグレーがかった白の毛並みに、赤い目をした、ウサギのぬいぐるみ。
オーレリアはミルクのマグカップを置いてネヴィルからそのぬいぐるみを受けとると、ちょっと驚いたような顔をして───ぎゅうっと抱えて頬擦りし始めた。
え、何この光景。
めっちゃ目の保養なんですけど。
「温かいですわ!」
「奥様お手製の、ぬいぐるみ型湯たんぽだって~」
「うふふ、あったかいのですわぁ」
むぎゅうとウサギのぬいぐるみを抱き締めてるオーレリア。
この視界の暴力をどう表現すればいいのか。
可愛いオブ可愛い。
これ以外の表現なんてできまい……!
「兄弟、顔。顔」
「はっ」
ネヴィルが引いた顔で俺を見てた。
あまりにも相好が崩れて悲惨なことになっていた顔面の筋肉に喝を入れる。
スンと表情を取り繕えば、ウサギを抱きしめてぬくぬくしていたオーレリアがこちらを見ていた。
「アル様。つかぬことをお聞きしますが」
「なんだい?」
「どうしてこのお部屋には暖炉がないのでしょう? アル様こそ、こんな寒い部屋におられては風邪を召されるのではありませんか?」
こてん、とウサギと一緒にオーレリアが首を傾けた。
聞いたか!? いつもはツンなオーレリアが、素直に俺を案じている!
オーレリアの気遣う言葉に、俺は感動に身が震えた。大袈裟? いやいや、ことオーレリアに関しては、大袈裟なんて言葉は適切ではない、と思う。うん。
「僕のことを心配してくれているの? それは嬉しい」
にっこりと笑って返せば、オーレリアがむぅと唇を尖らした。
小鳥みたいで可愛いな、おい。
「答えになっていませんわ?」
「そうだよねー、俺もそれは気になってた」
ネヴィルがついでとばかりに便乗してきた。
お前もかよ。
視線だけでネヴィルを見れば、ネヴィルは腕を組んで不思議そうな顔をこちらに向けてる。
「昔から兄弟、暖炉のある部屋には近づかないよな? 夏はそんなこともないけど、冬は絶対に居間も避けるし。食堂も食べたらすぐに出ていくし?」
「徹底してますわね?」
二人にじっと見られながら、俺はマグカップを手にした。
前世からわりと甘いものを好んでたのもあって、蜂蜜入りミルクは俺の口にもけっこう合う。
糖分補給、大事。
「暑がりだからね」
「嘘だー。兄弟、真夏でも長袖シャツじゃん」
おっふ、ネヴィル思ったよりも見ているな?
いやな、夏場は暑いけど、日本の暑さに比べたらよっぽど涼しいんだよね。
たぶん三十度いってないんじゃないか?
イガルシヴ皇国はいわゆる北国だ。
冬が厳しく、夏が短い。
冬の厳しさに慣れてる人だと、夏の気温はそりゃ暑いだろうとは思う。
そんな中、前世の感覚というか、どちらかというと南にあるアーシラ王国の気候の方が日本の気候に近いらしくて過ごしやすい。
まだ涼しい方だなとか思ってるんだから、ネヴィルの言葉はめちゃくちゃ正しい。
そんな、どっちかというと寒がりな部類に入るだろう俺が、冬場のこのくっそ寒い時期に暖炉を避ける理由。
それはとてもつまらないものだ。
「別に暖炉がなくたって生活はできるじゃないか」
「兄弟はそれでいいだろうけど、オーレリア様にそれを強いるの?」
「ぐっ」
ネヴィルめ、脳筋の癖に口が回るようになったな……!?
的確に俺の弱点をついてきたネヴィルを睨めば、ネヴィルは楽しそうに笑っていた。
「で、何で暖炉駄目なの?」
「……黙秘する」
「えー」
「兄弟がそういう目をしている時はろくなこと考えていないからだよ」
特別残念がる様子を見せないネヴィルに、ちょっとした興味本位だったらしいことを察した。どうせそんなことだろうと思ってたわ。
さて、これでネヴィルは片付いた……と思ったんだけど。
まだ正面には一人の狩人がおりまして。
「アル様? わたくしにも教えてくださらないの?」
「なんのことかな?」
「暖炉のことですわ。わたくし、寒いよりは温かい部屋が好きですし、もし万が一、億万が一にもアル様の元へ嫁いだら、その時はわたくしが女主人としてお屋敷の模様替えをしてもよろしいのでしょう? 主人の好みを把握するのも、女主人の努めですわ!」
おい待て俺との婚約が可能性として否定されてるような言葉が聞こえたんだが気のせいか??
「オーレリア、僕と結婚したくないの?」
「可能性の話でしょう? そんなことより暖炉です」
皇妃様が率先して整えた婚約なのに、オーレリアの反応はつれない。
本当に俺のことが眼中にあるようでいてないこの反応は、俺の心を荒ませる……。
オーレリアに一蹴されてしまった俺が、恨みがましくオーレリアを見れば、オーレリアはウサギを横へと座らせて、マグカップへと手を伸ばした。
「わたくし、暖炉が好きですの。暖炉に彫られたレリーフの意匠はその時々に応じた職人の最高の技法でしょう? 冬の間、誰もが見つめる炎の揺らめきを飾る額縁のようなレリーフ……とても素敵なものだと思いませんか?」
「そうだね。君の言いたいことはよく分かるよ。ただ、僕の部屋には必要ないだけだからさ。オーレリアが好きだというのなら、飾りとしてこの部屋に暖炉をつけるのもやぶさかではない」
「飾りとしてですか?」
「……」
「火は入れないのですか?」
「……」
………………俺の馬鹿!
完っっ全にオーレリアを見くびってたな、俺!?
普段の言動がバ可愛いせいで、思ったよりオーレリアの頭脳が発達していたことに気がつかなかったわ!
揚げ足を取るのが上手くなってしまったらしいオーレリアを見ていられずに、俺は視線を反らした。
俺の様子を見たオーレリアが、満足そうに胸を張った。
両腕を組んだようなポーズで、片腕だけマグカップを手に取って口元に運んでいるオーレリア。
そのドヤ顔を見ていたら、俺のこの秘密くらい教えてやってもいいかと思った。
教えたら死ぬわけでもないし。
「……はぁ。その通りだよ。両親も知ってることだし、教えてあげる。大したことでもないしね」
マグカップに口をつけながら、俺は渋々口を開く。
「炎がね、苦手なんだ。小さい頃から苦手でね。大きな炎が揺らいでいると、自分の体にまとわりついてくるようで怖いんだ」
俺の前世の死因を思い出す。
狭い部屋の中、息苦しさに目覚めたら周りは赤色だった。
揺らぐ炎に体は焼かれ、呼吸をする度に喉が焼ける。
本当なら一酸化炭素中毒とかで眠るように死んでいただろうに、不運にも俺は一瞬だけ意識を取り戻してしまった。
パチパチと薪がはぜる度、ゆらゆらと炎が揺らぐ度、俺は自分の体が炎の只中にあるのではないかと錯覚してしまう。
炎に魅入られるとでもいうのだろうか。
小さい頃は、うっかりすると炎の中に体を投げ出して、もう一度体を焼いてしまわねばならないような錯覚に陥ることもあったくらいだ。
俺の中で、前世の死因はけっこうなトラウマになっている。
まぁそんな感じだから、好んで火を入れた暖炉のある部屋へと居続けたくない訳だ。
それこそ赤子の頃から炎を忌避していたので、母上にも父上にも、俺が炎を嫌っていることは知られてる。それは乳母だったエッタもそうだ。
だけど、その理由を話したことはない。
話す必要はないし、話すためには俺の前世のことも話さなくてはならなくなるからな。
だからといって、前世同盟を組んでいる母上やシンシア様にも言ってはいないんだけど。
だってアレだろ。転生した俺たちにとって、前世の死因とか、鬼門だろ。
俺も母上たちの前世の死因は知らない。知る必要もないし、知ってしまったら余計な重荷が自分にのし掛かる。
それは悲しみだったり。
それは怒りだったり。
それは後悔だったり。
それは無念さだったり。
俺たちは傷の舐めあいをするために情報共有してるわけじゃないからな。
俺が、俺らしく、生きるために母上とシンシア様には手伝ってもらっているだけ。
死に芸シナリオライターの餌食になるのを回避するためなんだから、前世の死因なんて話題は俺たちにとって鬼門中の鬼門だろ。
そんなわけだから、母上たちにすら話していない俺のトラウマ話なんてオーレリアたちにする気は全くないんだけど。
「まぁ、どうして怖いんですの? 炎は温もりを与えてくれる、自然の善き力ですわ」
「兄弟、ひがいもーそー激しいね?」
……オーレリアはともかく、ネヴィル、お前のその言葉には全力で否やを唱えたい。
被害妄想もなにも、これは立派に前世の俺が体験した経験から来るものだっつうの!
理由がはっきりと言えない俺を尻目に好き放題言いやがって……!
「……この年にもなって炎が苦手なのは馬鹿にされるだろうと思っていたけれど……本当に馬鹿にされるのを見ると腹が立つね、兄弟?」
「おおっとそういえば俺、母さんに呼ばれてるんだった。それじゃ兄弟、またな! オーレリア様もまた機会があったら!」
「こら兄弟!」
そそくさと立ち上がってあっという間に出ていってしまったネヴィル。くっそあいつ、絶対後で報復してやるからな!
兄弟が出ていった扉を睨んでいると、耳に小さな笑い声が聞こえた。
誘われるようにして、その声の方を向く。
「ふふふ、アル様でも、苦手なものがありますのね? しかも、それを隠したいと思っているなんて」
くすくすと笑うオーレリアは、マグカップを置いて、隣に座らせていたウサギのぬいぐるみを抱き上げて自分の膝の上に座らせた。
「いつもいつも、わたくしなんかよりずぅっと大人でいるから怖いものなんて無いんだと思っていましたけど……たいしたことないんですのね」
ウサギの腕をぴこぴことさせて、オーレリアは俺に笑いかける。
侮辱されたとか、侮られたとかは思わなかった。
それは、オーレリアの本心なのだと思ったし、何となくオーレリアが俺のことをどう思っていたのかが分かったから。
俺はここぞとばかりに立ち上がる。
オーレリアの側へと歩み寄って、膝をつく。
ソファの肘掛け越しに、オーレリアを見上げた。
「炎ごときに怖じ気づく僕は、情けない?」
「そうですわね。わたくしでも怖くありませんもの」
「こんな弱い僕では、君の理想の王子様になれないかな?」
「さぁ、どうでしょう? でも、物語の王子様だって逃げ出すときもありますもの。魔王から姫君を守るために剣を取った王子がその強大な力を前に、一度は恐れ、逃げ出そうとしてしまう……でも再び熱を宿して立ち向かう時こそ、わたくしはときめきますの」
うっとりと物語のことを話すオーレリア。
そうだよね。
オーレリアはそういう子だ。
どこまでも、王子様という存在に憧れる女の子。
俺はそんな彼女の手を取ると、そっと額におしいだく。
「それなら僕も、いつかはこの苦手と向き合わなくてはね」
俺は死んでしまったことに関して、必要以上に悲観はしていない。
そりゃ、後悔や置いてきてしまった人たちのことを思うと悲しくなるけどさ。
だからこそ、このトラウマだって克服して然るべきなんだ。
オーレリア。
君の理想の王子様になるためにも、ね?
 




